聴く
概要
黄砂でモヤがかかった福岡の空の下、出勤途中に歩きながら収録。8日目に訪れる「旅行者から生活者への切り替わり」を起点に、予定の詰め込みが体験の味わいを奪っていることを語る。1日7食のステーキ、予定も食事も「味わえる量」があると気づく。量より質、棚を広げるフェーズから棚の中身を吟味するフェーズへ。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
全文を読む(約9800字)
今日は黄砂がひどいらしいですね。黄砂が東京の方にまで飛んでるみたいな話ですが、今僕は福岡にいるんで、黄砂かっていう感じですね。東京まで飛んでるとはちょっとびっくりですけども、福岡にいると黄砂のニュースはよく耳にしたものですね。春、3月並みの気温らしいですね。まだ1月なんですけども、17度まで気温が上がるということで、確かに日差しも強い。東京の空が青いみたいな話をよくしてて、こっちの九州の空はちょっともやがかかったような感じがするみたいな話を東京でしてると、みんないろんな仮説を立ててお話しするんですけど、太平洋側とか日本海側とか関係あるんですかねみたいなので、そうかもですねみたいなこと言ってたんですけど、黄砂なんじゃねえかなって今思ってますね。空がすごい、もやがかかったような青空。雲じゃないんですよね。雲はないのに、青空なのに、なんかもやがかかってるような感じがするということで、僕はちょっとこの黄砂説を押していきたいなと思っております。とにかく福岡の空は、青空なのにちょっともやがかかったような、すっきりしない感じですね。
今は1月16日金曜日の朝10時4分。海山に向かって今歩いています。気のせいかもしれないけど、やっぱり詰まる感じがあるんで、咳とかしちゃったらすみません。黄砂のせいなんじゃないかなと思いますね。実際に、詰まる感じがありますね。
先週の金曜日に福岡に来て、丸1週間は昨日で終わって、8日目の朝というか午前です。旅というか、家を出てどこか別の所に滞在する時に、僕の感覚ではその1週間過ぎた8日目ぐらいから、もう完全に、旅という感じじゃなくて生活っていうモードに切り替わってくる。体内の何かが、だから急に生活者のような気分になるんですよね。
それに最初に気づいたのが、2020年のコロナ直前にニューヨークに2週間ぐらい、20日間ぐらいかな、滞在したんですよね。その時に初めて、外出して長期で泊まるっていうのをやった気がします。今まで外に出るって言っても1泊とか、旅行に僕はあまり行かないので、遠征で用事があって1泊して帰るとか、せいぜい2泊して帰るみたいなのが多かったんですけど、そのニューヨークはすごい、2週間以上いて。その時に最初の1週間は全てが新しく感じる、旅行者って感じだったんですけど、8日目ぐらいから、観光地めちゃくちゃ巡るみたいなタイプだったら別なんだと思いますけど、僕はそういうタイプじゃなくて、行きたいところには行くけど、そんな無理して新しい場所に行くっていうタイプでもないから、1週間もすると、新しい場所に行くことよりも、あそこは心地よかったからもう1回行きたいなとか、ここが落ち着くからここにいたいな、みたいな感じの行動パターンになってきて、だんだんその繰り返しのパターンの方に入っていく。行ったことある場所に行って休むとかいうことが起こってくるわけですよね。
多分それが理由だと思うんですけど、8日目以降はそこの生活者みたいな気分になってきて、急に街の見え方が変わってくると。旅行者から生活者に視点が切り替わってくる感覚があって、僕はその感じがすごく好きなんですよね。そこで生活してるみたいな気分をちょっと味わって、そこで仲良くなってしまって、期限が来てまた元の生活に戻っていくみたいな、別の街で生活した気持ちになれるみたいなのが。全然生活者ではないんですけどね。そこで根付いて仕事したりとかしてるわけじゃないから、本当の意味で生活者ではないんだけど、気分だけ生活者になれるっていうのが8日目以降だなと思って。
旅行といえば、そういうすごいお金がかかる場所に行くとか、お金のかかる体験をするとかには興味ないんだけど、できるだけ長い期間滞在するというところに重きを置いて旅行をしたいタイプではありますね。なので今回の福岡は10日間かな、10日目に帰るんですけど、今度は日曜日に帰るんですけど、ちょっと8日目を迎えて、まさにちょっと生活者の気持ち、福岡に住んでるような気分に今またなっています。先月12月にね、一回帰ってきた時は4日5日だったんで、ほんとちょっと旅に、用事があってきたっていう感じで、用事が終わって帰ったって感じだったかな。こういう気持ちにはならなかったんだけど、今まさにちょっと、暮らしの事を考えております。
今回の福岡滞在は、すごく予定を詰め込んだってことじゃないんだけど、でも予定が詰まってて、日中は日中で情報量が多いし、夕方はいろんな人に会う予定があって。辛うじて、今年の目標、週休2日とね、週の2日間は夜予定を入れないぞっていう目標で今年やってますんで、今夜も予定は入れてないんですけど。週の2回、休みの日を設けてたのが辛うじてって感じですけど、ほんとに朝から晩までいろんな人に会っているという感じです。
体力的には休むポイントを見つけてるんでなんとかなってるんですけど、情報の整理というか、情報の整理っていうと味気ないな、体験をかみしめるみたいな、振り返って反省するみたいなことができてないですね。それがすごくもったいないという気持ちになってきました。
癖でついつい、スケジュールを埋めてしまう。ここが空いてるから大丈夫ですって感じで、空いてるところにどんどんどんどん予定を入れてしまう。すると朝昼晩と、もう予定で回ってしまうみたいなことが昨年もずっと続いてて、だから今年からですね、週2回は予定を入れない、夜は予定を入れないみたいな、目標を立ててるぐらい、そういうところがあったんですけど、今回の福岡でもそんな感じに。今休むとか、休んでるけど、それ以外たくさん予定が入ってて。
ふと思ったんですよね。情報量が多すぎて、なんでしょうね、噛まずにご飯食べてるみたいな感じなんですよね。消化が悪いというか。しっかりその体験を味わうみたいな意味では、一つ一つ丁寧にその体験と向き合っていくっていうことが大事なんじゃないかな、大事なんだけど、なんていうのかな、そっちにもうちょっと振り切った方がいいんじゃないかなって最近思い始めてきました。最近っていうかほんと、昨日今日ですね。
若い頃から、たくさんその予定を詰め込んで、そして好奇心の赴くままにいろんな人に会ってきたなぁと思います。そして社会における、なんでしょうね、属性といいますか、いろんな村の人たちに会ってきたっていう感じですかね。経営者村の人から、バンドマン村の人からみたいな感じで、いろんな村の人たちに会ってきた。別に村ではないんだけども、僕にはやっぱりそのように見えてきたというか、似たような価値観を持った人が集合している集落みたいな感じに。それをコミュニティといったりするのかもしれないし、わかりませんけども、そういったものを見てきて、いろんな価値観を、そこの中でいろんな正義があるというか、いろんな悪があるというか、というのに触れてきたなぁと思うんですよね。
それなりに幅広く、少なくとも日本国内においては幅広くいろんな人と接してきたような自負があり、そうすると日常でも出会う人というか、新しく誰かに出会っても、表面的には既視感があるというか、大体何か見たことあるような、大体聞いたことあるような、頭の中の棚に並んじゃうというか。記憶の中のね、頭の中の棚で、この辺かなって感じで勝手に整理されちゃうというのがあるんですよね、表面的には。
予定がすごい立て込んでいるという状態というのは、結局そのレベルの解像度でしか人と向き合えない。今人を例にしましたけど、体験もそうですよね。体験の棚みたいなのがあって、こういう体験は大体この辺だな、この体験はこのことだなっていう感じで、表面的には棚の整理ができちゃうので、なんか郵便物の仕分けじゃないですけどね、どっかの棚に入っちゃう、既存の棚に。そしてその棚に入れたものを見返すでもなく、棚の仕分けが終わったタイミングでもう終了になっちゃうから、一つ一つの出会いとか、一つ一つの体験、発言とか、そういったものが掘り下げられないまま、ひたすらこの40年で培ってきた自作の棚みたいなのにカテゴライズしておしまいみたいになってる感覚があるんですよね。
だからここからは、なんていうかな、それを繰り返して新しい棚を作ろう、新しい棚を作ろうみたいな感じの、その広げていくフェーズではなくて、もう一旦、そういう大枠の棚はできたかなと思うのです。今度はその棚の中に入っているいろんなもの、過去振り分けてきたものもしっかり、新しく体験するものもしっかりですけども、しっかりとその対象を吟味して送っていくことが重要なフェーズに来てる気がしますね。すごいシンプルに言うと、量より質じゃないですけども、たくさんのものに出会ってその中から何かを見つけ出すっていうものではなくて、一つ一つ面白さを見出していくというか、一個一個としっかり向き合って、その一つからいろんなものを読み取っていくという、そういう方にシフトしていきたいんだなと思ってますね。
瞬時に物事を判断するという、そういう力は量をこなすと身につくと思うんですけど、それが何が身についているかって言うと、やっぱりその正確な棚の仕分け能力が身につくだけで。めっちゃ忙しい経営者とか、一日に会議を10本20本、20本はしないかな、分かんないけど、そのすごい会議をして、いろんなテーマを本当に分刻みで意思決定していって、かと思えば夜はまた会食とかで新たなビジネスチャンス、新しい出会いを作っていくとかね、という感じで、ずっと人と何か会って、何かを決めたり検討したりしてるわけですよね。
その感じになると、正直、みんながみんなじゃないでしょうけど、今まで出会ってきたそういう人たちっていうのは、その瞬間その議題と向き合って合理的な判断を下す力は高くても、やっぱり一つのことをずっと時間かけてじっくり考えるみたいなこと、やっぱりなかなか時間がないからね、物理的に難しそうだなっていう。だから小さな変化とかがあんまり気づけないというかですね。小さな変化って、ビフォーアフターを分かるから小さな変化で気づけるわけですね、その差分みたいなものに。でも瞬間瞬間、意思決定に追われていると、例えば先週の会議でどういう議題で何が決まったかってことを、翌週、決まったこと前提になんか進めようとしたら、何だったっけって感じで社長がなることってよくあるんですよね。何だったっけって言われなくて済むようなお膳立てを社員のみんなでしていくというところはあるかと思いますが、でも要は、忘れてるんですよね。そしたら忘れるよっていうぐらい、日々多分情報量が多い中でやってると、そんなものを一個一個記憶できないわけですよね、人間の。
結果的にそうすると、やっぱり郵便の仕分けのバイトに近くて、来た玉をどこに分けるかみたいなことをしっかりとやっていくっていうような感じ。宛名を見て、じゃあここの棚だなみたいな感じのところに近いなと思うんですよね。でも実際は、ハガキが宛先の人の自宅に届く過程では、坂道がすごいあったりだとか、番犬みたいなのがいてすげー怖いとか、ハガキを入れるポストがどこにあるのかよく分からんマンションだとか、いろんな、そこには一つ一つの物語というか、その一通が届くまでの質的な違いっていうのはあるはずなんですよね。けど、棚に分けるタイミングでは、坂道が多い家だろうが訳分からんマンションだろうが関係なく、住所で振り分けられるわけだから。
そういう感覚は僕はあって、僕が多分今までやってきたことの多くは、割とその、これはこの棚だな、この棚だなっていう感じで住所を見て仕分けをしてきたみたいな、時間とか意識の向け方をしてきた気がするので。ほんとここ数年ですけど、ようやくその一通のハガキみたいなものに注目して、このハガキが届くまでのどういう感じなんだろうっていうことを考える楽しさというか、重要性というか、そういうことを感じ始めていると。
なので、大量のハガキを仕分けしましたみたいなことの喜びではなくて、一つ一つ届けていく中で、その届けていく過程を楽しむというかね、この坂道めっちゃしんどいですもんね、みたいな。そういう感じを楽しんでいった方が良さそうだなと思ってます。その方が、なんていうんですかね、豊かだなと思います。空中戦やってると、全部その抽象的な空間でもう整理して終わっちゃうっていうかね。つまりこういうことだみたいな、つまりにしてしまって、本質だけ抽出しておしまいみたいな。それがね、もう味気ないなっていう年頃になってきました。
そうすると、やっぱり僕の生活というかそういうものは、大量のはがきを仕分けるような予定の埋め方ではなくて、一日100通届けることしかできなかったけども、その100軒の配達先を一個一個この足でリアリティを持って届けることができたみたいな、そういう体験に振っていく方がいいよなと思ってます。何千通何万通仕分けましたよりも、100軒を自分の手で届けていくと。そっちの方が、なんか充実感というか、世界の広がりを感じますよね。地に足がついているというか。
決してその仕分けの仕事が良くないとかね、さっき社長がいっぱい、何でしょう、意思決定してて覚えてないとかって、その社長の悪口ではなくて、そういう問題だねっていう話をしてるだけですね。で、実際僕もどっちかと言うと、そういう風にやってきたところがあるし。けど、そうではなくて、これからはもう、地に足のついた、なんて言うんですかね、生産性とか効率とか、そういう世界観ではないってことですね。そういうものから離れて。生命を維持できるレベルの生産性とか、生命を維持できるレベルの効率性は、やっぱりこの社会で生きている以上必要だとは思いますけども、その必要以上の生産性とか、必要以上の効率性を求めない。もっとその坂道を楽しむとか、そういうことですよね。そんな風にやっていきたいなと思っています。
つまりは、予定を入れすぎないってことですね。一個一個の予定をしっかりと味わえるように、あんまり前後に予定を詰め込みすぎないとかもそうだし、終わった後にしっかりとその体験を振り返るだけの余白の時間を持っておくみたいな。そんな感じでね、一個一個の予定をもっと大事にしたいなと思っています。今は大事にしてないわけじゃなくて、その場ではやっぱり集中してるんですけど、でもその予定が終わった次には、もうすぐ次の予定があって、さっきのあれは何だったのかみたいなことをゆっくり味わう暇もなく。そうすると、そういう体験が、振り返ることのできなかった体験が山積みになっていき、でもそれは日々積み重なっていくから、書類の山みたいな感じですよね。
そこに確かにあるんだが、もう山積みになりすぎて二度と見たくないみたいなことになってると、やらなきゃな、やらなきゃなと思いながら、ずっと見てないものがあるみたいな感じ。そしてなんか3年後とかにパッと見ても、これ何だったっけってなっちゃう。なんだっけっていうか、記録が残ってたらまだマシだけど、記録も残ってなくて、山積みになった書類がいつの間にかどっかに行っちゃって、あれ、あの山積みの書類どこ行ったっけ、みたいなことになっちゃう。だから大事なこと書いてた気がするけど、もうなんか書類ごと捨てちゃったのかもしれないし、捨てたかどうかもわかんないなみたいな。記録ってそういうもんですよね、消えちゃう。消えちゃうから、やっぱり一個一個振り返っていきたいなっていう。
それも、このAIとの関係みたいなのもあって。最近、今年か、今年の目標にデジタル年貢、AIにデータを献上していくと、年貢を収めていくということをしようと思った時に、やっぱり一個一個の体験がどうであったかって、振り返りみたいなことをしっかりとして、記録に残していくと、デジタル上にですね。そういうことをしていくことで、それこそ3年経っても5年経っても、あの時のあの体験が何だったかっていう記録がそのデータベースに残っていくという。それをやり始めたのもあるかもしれないですね、振り返られてないなっていう。
あとあれもそうですね。上水公園のフィールドノートを書くように宿題をもらってて、12月からメッシュワークの水上さんからですね。一緒に芸術祭を目指そうって毎月会議してるんですけど、次回もお宿題は上水公園でのフィールドノートを取りましょうっていうので。最初の1、2回はパッと書いて、フォーマットを決める、こういう感じでいいですかっていうのを調整したんで、フォーマットを決めるところまで終わったんですけど、そこから先、やらなきゃなって言って。なんて言うんですかね、公園が終わった後に、誰が来たとか、何時頃こういうことが起こったみたいなのは、さすがに忘れちゃうと思って、すぐに音声にとって記録の素材として残してるんですけど、それをノートにまとめるっていうところをずっと放置しちゃってるっていう。良くないですね。やらなきゃなって思ってるんですけど、でも次から次にいろんな予定が入り。
そして一個一個、フィールドノートというわけではないけど、決して、メモレベルでいいんですけど、でも一個一個の体験のことを残していこうと思うと、とてもじゃないけど残せないなと思っていますね。残すことは目的化するわけではないんですけど、けど、でもその残そうという意識を向けたときに、残そうと思うと、振り返りというか、あの体験は何だったんだろうっていうことを思い出す、振り返る時間になるわけで。その時間が取れてないということは、日々次の予定に追われ続けて、ハムスターになっているところですよね。ずっとくるくるくる歯車を回すばかりで、あの体験って何だったんだっけっていう時間を持てていないという。そういう課題感に気づくことができましたね。
それに、なんでしょうね、今年僕がやるべきことっていうのは、もう明確に決まっていて、これをやりましょうっていうのが自分の中で決まっていて。アクションとしてはね、プラスアルファ、なんかチャンスだってものがあればもちろんやればいいんですけど、でもそういう、明確にこれはチャンスかもしれないとか、チャンスだって思えるもの以外においては、もう基本やるべきことが決まってるんですよね。だからそれをやればいいのであって、それ以外は一旦やらなくていいことをやっているっていう話になるんですが、案外やらなくていいことをいっぱいやってますよね。やらなくていいことをいっぱいやって忙しくなっちゃってるっていう、そういう感じがするんで。
ほんと今年の目標が、意外と週休2日みたいなところの根底には、疲れているみたいなことがあったと思うし、デジタル年貢みたいなところで言うと、実はそれって記憶を拡張したいみたいなところがあるんだけども、でも拡張以前に何も記憶してないということがね、日々流れていって何にも残ってないということに改めて気付けたっていう、そういうのが実は根底になって。消えないように残しておきたいとか、自分が誰かと壁打ちをするときに、何て言うんですかね、人と壁打ちをする良さもあるけども、自分のデータを持っている人と壁打ちをする良さもやっぱりあると思っていますので。自分のことを全部データとして持っている存在、AIと壁打ちをするみたいなこともできたらめちゃくちゃいいだろうなと思ってやり始めているんですけどね。
とにかく、結構今年に入ってハッとすることがたくさんあって、だからよりやるべきことが明確になってきたし、それによって、やらなくていいことも明確になってきたというか。予定の入れ方は本当に気を付けないと、今年やるべきだと思っていることがおろそかになってしまう可能性がある。可能性があるというかですね、すでにちょっと、そのフィールドノートを少し遅れているとか、本当はやりたい発信みたいなものがあまりできていなかったりとか、そういうのがあるんで、ちょっとペースを、東京に戻ってからは作り直していきたいなと思ってますね。
そんな感じですかね。日々が流れていってしまうってことに対する、なんでしょうね、危機感なのかな。もっと味わいたいなという気持ちですかね。僕はあんま食事に興味ないんですけど、興味ないって言ったらちょっと語弊があるけど、なんていうのかな、未知の食べ物に出会いたい、より美味しいものに出会いたいとか、そういう好奇心みたいなのがあまりないんですけど。すでにこの40年間食べてきたもので美味しいなと思うものを食べればいいなと思ってるし、それも別に高いお金出してまで食べたいと思わないし、手間かけてまで食べたいと思わないから、手軽で安くて美味しいもの、美味しいと感じたものみたいな、そういう感じの優先順位になっちゃうっていうか。たまには高いお金出して美味しいもの食べたいよねみたいな欲がないっていうやつですね。
っていう僕からすると、一食一食ってそんなに重要じゃないというか、選択肢もそんなに多くないし。その希少性の高いものって高くなるし、手軽じゃなくなるから、僕の選択肢には基本的に手軽なもの、納豆とかね、豆腐とか、もずくとかね、そういうのになってくるわけなんですけど。だからそういうレアなものを食べたいとか、一食一食がすごい大事に。なんだっけ、よく言いますよね、あと何年生きるとして1日3食だとしたら何回しか食べれないみたいな感じで、残りの食べられる回数を、もうカウントまではいかないけど計算して、それぐらいしか食べられないんだと、だから一食一食大事にしたいんだって言ってる人とか、結構僕の周りはいるなと思って。だからそういう場合に近いなっていう。
そういう人たちにとっての一食一食みたいな感覚で、一つ一つの予定を体験したいというか。胃袋を満たせればいいんですよねっていう話じゃないんだよ、みたいな感じです。その予定が何らか終わればいいんですよねってことじゃないんだと。その一個一個で何か感じたいし、ってことですね。そのためにはやっぱり、その料理をしっかりと味わうというかね、そういう自分側の問題もあるし、何を食べるかという問題もあるから。食にこだわりを持ってる方の一食一食の価値のように、僕は一個一個の予定、一日一日の人生と一回一回の予定が、その人たちにおける食事みたいなものなので、一回一回しっかりと楽しんで、なんていうのかな、味わっていきたいなと思ってます。
いくらご飯が好きだからって、一日7回8回食事はしないわけじゃないですか。一日7回ステーキ食べるとかしたら、もう好きな物も嫌いになっちゃいますよね、みたいな感じで。やっぱり予定も、僕の場合は人と会うということとかもそうだし、いろんな予定っていうのは好きなんだけど、詰め込みすぎて流れていっちゃうと、せっかくその好きな物があまり味わえないまま過ぎ去っていくっていう。それがすごくもったいないなっていう気持ちに。それに近いですよね、一日7食ステーキ食べてますみたいな、ステーキ寿司焼肉、ステーキ寿司焼肉みたいな、そんな感じになってますんで。
ちょっと一人の時間も大事にしようかなと思いました。一人の時間と、予定をちょっと入れるときと。人と会うときには全力でそろそろ向き合ってみたいなことをしたいなと思ったし、何より僕は公園活動がありますから、公園活動に自分が仕上がってる状態で向かいたいというか。予定をこなして予定をこなして、よしそして公園だみたいになると、公園も一予定みたいになっちゃったりとか、滑るときがある気がするんですよね。それは本当に良くないなと思っていて。
というわけで、次回の配信まで多分福岡にいるのかな。多分収録は福岡でもう一回ぐらいするんじゃないかなと思うんですが、一旦福岡からお届けしました。公園活動を応援してくださる方は、是非メンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけることが嬉しいです。概要欄にあるリンクからご確認ください。それではまた、ご安全に。