存在としての公園 第54回

解像度を上げて嫌いじゃなくなる、解像度を上げないまま好きでいる

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概要

語りたくなるのは、いつも消化しきれないネガティブな気持ちのほうだ。好きなものを、あまり言葉にしない。五つのポイントに整理した瞬間、四万個の要素が痩せ細る。解像度を上げないまま好きでいること。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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6月5日金曜日、夕方6時10分です。今週は台風が来たりだとかありましたけども、あっという間に台風も過ぎ去って、木金とちょっと予定が立て込んでて、あっという間に1週間が過ぎてしまったという感じですね。仕事仕事してる感じではなくて、遊びだろみたいな予定とかも入ってるんですけど。例えば、太極拳の先生が絵画教室にも通ってて、その先生が描いた絵が展示されるっていうんで。大井町のイトーヨーカドーの上の方に区民センターみたいなのがあって、その展示場みたいなところに絵画教室の絵の展示があって、それを見に行くとかね。そういうのを隙間隙間に差し込んでいくと、朝から晩まで予定で立て込んでるみたいな数日間でした。

よかったですね、その絵画展とかも。有名な画家の描いた絵っていうのももちろんいいですけど、本当に画家としては名もない個人みたいな人たちが描いた絵を、僕からしたら太極拳の先生ですごく関係のある人、その人が描いた絵を見て、どういう思いでこの題材を選んだのかなとか。ある題材について4枚描いてたんですよね。同じ題材だったんですよね。違うテーマじゃなくて、同じテーマのものを4枚描いて、もっと描いたかもしれないけど、その4枚をなんで展示したのかなとか。みんながみんな4枚展示してるわけじゃなくて、1枚の人もいれば、5枚の人もいる、2枚の人もいるみたいな中で、4枚同じテーマで描いてる、これはなんでなのかなとか。朝と夕方のそこの景色を描いたりとかしていて、ずっとその日、その日かわからんけど、その時、同じ景色が好きで朝も夕方もそこにいたのかなとか。作者のことがわかるだけに、どうしてこれを選んだのか、どういう感じだったのか、みたいなことに想像力を働かせやすいなと思ってですね。

上手いか下手かっていうと、僕は絵のことは全然わかんないんですけど、もちろん僕には描けないようなすごく素敵な絵で。技術的にどうとかはわからないんだけども、関係のある人が一生懸命描いた絵っていうのは、考えさせられるというか、感じるものがあるというところですよね。

いろんなものは関係性で成り立ってるなって、つくづく思うんですよね。例えば小学校の時にテレビとか見てましたけども、テレビで繰り返し繰り返しプロモーションされる音楽ですよね。事務所のゴリ押しでランキング上位みたいな、プロモーションしっかりされてるアーティストの曲っていうのは、繰り返し繰り返し、見たくなくても、見たくないっていう意識もなくて、なんとなく無意識に流れてくる。何回も聴いてるうちに、その曲が好きになったりだとか、好きにならないまでも何かの出来事と紐づく。

例えば、18の時にバイトしてたスーパーで、スーパーの有線で、当時18、19だったんで、粉雪ですね、レミオロメンの粉雪がめっちゃ有線でかかってて。だから粉雪を聞くと当時のアルバイトを思い出すみたいな感じで、記憶とか思い出と紐づいている、なんてこともあったりしますよね。じゃあ粉雪という曲が好きかといったら、好きとかじゃないけど、なんかエモい感じになる。10代の頃の自分の記憶と絡み合って、すごくエモい感じになるみたいなのがあったりして。思い出の曲みたいなのが、そういう繰り返し流れることの刷り込みで起こることもあるし。

例えば友人のバンド、今回の先生の絵みたいな感じで、自分と関係のある人が作った曲だから、すごくそれが印象に残っているっていうこともあるだろうし。たまたま当時の自分に刺さる歌詞とかメロディーで、いいなって思ったから、当時の記憶とかと紐づくんでしょうね。入りはいろいろあると。紹介だったり、繋がりだったり、ゴリ押しだったり、たまたまその時の状態に刺さったとかっていう、きっかけは多様なんだけども、結局その時の記憶や思い出と紐づき、だんだん、その音が好きとか、その歌詞が好きとか、そういうことじゃなくて、文脈を形成して、そこに関係性が生じて、関係性によってその音楽のこととか、その絵のこととかが好きになってくる、ということなんだろうなって思うので。

どうやって接点を作って、そこで記憶に残っていくことができるのかってことですよね。今は音楽とか絵みたいな感じで言いましたけども、多分ポッドキャストでもそうだと思うし、人間関係でもそうだと思うし。基本、人間が何かと接して、記憶して、また何か思い出したり、またそれに触れたいと思ったりするかどうかっていうのは、関係性の話だよなと思うので。そういう観点で、本当にいろんな、SNSもしっかりそうだし、誰かに送るメッセージ一つ取ってもそうだし、およそすべての発信を気をつけていきたいなと。気をつけていきたいっていうのは、関係性をどう作っていきたいのかっていうことを意識してやっていきたいなと思ったりしました。

絵の直接の感想ではないんですけど、先生の絵を見ながら、ちょっとメタ的な感想にはなるんですが、やっぱり先生と僕の関係性があるからこそ見えてくるその絵の素晴らしさというか、感じられるその絵に対する強い紐づきみたいなものを感じたと。必ずしも、プロが描いた、有名な人が描いたっていうことだけが重要じゃないなって思うんで。ミーハー心で流行ってるものにばかり飛びつくっていうのではなくてね、もっと身近な人がやっている活動に興味を持って、その人が作る作品だとか発信だとかってことに触れてみるっていうのは、関係性を構築していく上でもいいのかななんて思ったりしました。

そう考えると自分は、かなり発信をするというか、何か表現をする人間なんだなってことを思ったりもしましたね。音楽をずっとやってきたし、ポッドキャストもたくさんやって、言葉っていう形ですけども、会話っていう形ですけども、いろいろ自分が思っていることを全世界にアーカイブとして残してしまっているし。SNSでも実名で、言うときには何か自分の意見を言ったりもするし。あとは公園活動という、活動自体もすごくオリジナリティがあるというか、ちょっと尖った活動もしていたりとかして。根っから、何かを表現することそのものを人生の主軸に置いているみたいな感じがあるんだなってことを再認識したりもしました。

今週ですね、討論カフェっていう、僕が働いている会社がやっているポッドキャスト並びにイベントがあるんですけども。価値観の交換をしましょうっていうね、対話とか、哲学対話とかって言われるものに比較的イメージ近いとは思うんですが、もうちょっとカジュアルに、それぞれの本当に価値観を出してみましょうよってことで、テーマでいろいろと語り合うっていうイベントがあるんですけど。僕はポッドキャストには出演しているけど、東京の対面の時には毎回参加するようにしてるんですけど、オンラインの討論カフェのイベントに参加するっていうことは少なくて。今週、台風の前だったかな、なんか分かんないけど、とにかくちょっと時間があったんで、参加してみようかなと思って、普通に一参加者として突然参加してみたんですけど、すごい良かったですね。

ポッドキャストとか自分が主催する場とかで、自分の言いたいことっていうのは結構言っちゃってるなって思うんで、あんまり言いたいこともないし、語り合いたいことはポッドキャストで語り合っているみたいなところがあって。語り合えてない欲求みたいなのがあんまりなくて、わざわざ人と話す場所に出かけていくってことがそんなに多くないんですけど。ましてや自社がやってるイベントにわざわざ行くっていうのも、本当に一参加者として突然行くっていうのも、なんだか不思議な感じだったんですけどね。行ってみるとやっぱすごく良かったですね。

悪口がテーマだったんですけど、人間にとっての悪口の存在意義みたいなテーマだったと思うんですけど、問い自体はちょっと忘れましたけど、要は悪口の存在意義みたいな話をしてて。参加者それぞれいろんなことを言ってあったんですけど、そこでやっぱ刺激される。ああそういう意見あるよな、そういう考え方もあるんだな、こういう人もいるんだなとか、まさに価値観の交換がなされていて。自分自身も、考えたこともないような切り口から、その悪口の意義とか、一人一人がどういう時に悪口を言うのかとか、悪口を言うってことがどういうことを意味しているのかとかいうことを語ってあって、なるほどなと思いました。

その中の一人の方が、怒りきれてないというか、真剣にそれに怒っていることとか、自分の中で言うべきだって思えていることとかだったら、それは別に悪口とかじゃなくて、しっかりと言うと、言いたい気持ちがあると。それでもし相手から批判を受けたりとか何かされても、いやいや自分はでもこれに怒っているということを、ちゃんとある意味自信を持って言えるけど。悪口っていうのは、怒るみたいなことをせずに、自分の中では、ちょっと馬鹿にするというか、少し中途半端な感じにして、馬鹿にするような言い方をするというか、悪口みたいな感じで言っちゃって、みたいなことがあるよねって言ってたと思うんですけど。

その時に、その悪口を直接相手に言うわけじゃなくて、影で、陰口みたいなもんですよね、影でいない人のことを言った時に、その場に居合わせた人からその悪口を否定されたりとかした時に、すごく恥ずかしい気持ちというか、自己嫌悪に陥るってことを言ってあって、分かるなって思ったんですよね。僕、結構、悪口というよりは、口が悪いなっていう自己評価なんですけど。あんまり区別つかないというか、口が悪いってことは悪口でもあるみたいなところもあって。結構ね、うっすらいろんなものを馬鹿にしてるみたいなところがあるかなと思うんですよね。

これはちょっと誤解を招きそうなので、勇気のいる話ではあるんですけども、リスナーさんを信頼して、思っていることを言いますと。だいたい僕は、この世のほとんど全てのことを、自分を含むね、自分自身も含めて、全てをうっすら馬鹿にしてるっていうのがあるなって思うんですよね。で、うっすら馬鹿にしてるから、多分その表現もちょっと馬鹿にしたような表現とか、口が悪いのも相まって悪口っぽい、自分の中ではブラックユーモアぐらいの気持ちだったりするんですけど、ちょっと口が悪い、ディスりみたいな発言をするのが割とデフォルトだったりするんですよね。

で、これは単純に、自分が生まれ育った街の言葉遣いが悪くて口が悪い、だけでは説明がつかなくて。それも多分にあるんですけども、半分はそれで、半分は自分のそのうっすら馬鹿にしてるみたいなのが掛け合わさってると思うんですよね。で、このうっすら馬鹿にしてるってのが何なのかなって、今回はその悪口の件で考えるきっかけになったんですけど。たぶん僕は、この世界のほとんど全てのことに怒ってるんだと思うんですよね。めちゃくちゃ怒ってる。そしてそれはもう、理不尽なレベルで怒ってるんだと思うんですよ。自分の思い通りにならないからね、世界の全ては。だから、純粋に自分に意識を向ければ、全てのことに怒れるぐらい、思い通りにならない、ままならないなっていう感覚があって。

で、実際、10代、10代は特にそうでしたね、20歳前後ぐらいまでは。よくね、21世紀の食いしん坊っていうポッドキャストで、ササヤンっていう幼馴染と一緒にポッドキャストやってるんですけども、ササヤンから昔話で、いやいや昔はよく切れてたよねとかって、しょっちゅうそういう話されるんですけど。ほんと20歳前後ぐらいまではマジギレしてたと思うんですよね。いろんなことにずっと怒ってたなって。ちょっとしたことに本気で怒ってた、そんな20年間だった気がするんですけど。

で、怒っててもしょうがないなっていうか、自分がそう思ってるだけだしなっていう、相手はそう思ってないしなとか、相手に相手の事情があるしなとかっていうことを、だんだんだんだん時間をかけて理解できるようになってきたんですけどね。複雑な認知っていうのがだんだんできるようになってきて、そうすると、怒るまでもないことだなっていう感じで、怒らなくて済むことが増えたんですよね。で、じゃあ怒りがゼロかっていうと、やっぱりゼロでもなくて。気に食わないなとか、思い通りにならない、っていうか、違うなと自分は思ってるなってこととかってやっぱあるわけじゃないですか、世の中にたくさん。

で、怒ってもしょうがないな、でもないことにもできないなっていうときに、たぶん、うっすら馬鹿にすることで、怒りと、ないことにするの中間で、うっすら馬鹿にするっていうのが自分の中ではあるのかなと思ってるんですよね。だから、根元には怒りみたいな、不満みたいなものがあって。それをまっすぐ不満として出すとか怒りとして出すには、あまりにも直球すぎるし破壊力がありすぎるから、ブラックユーモアといえばちょっと自己都合すぎるかもしれないけども、悪口ぐらいのレベルで吐き出すことで、ようやくそこでその不満とか怒りみたいなものが成仏するみたいなところがあるかなと思ってるんですよね。

だから、怒りからそのまま無にできるぐらいのものと、それじゃあちょっと消化しきれんなみたいなものが、ガスみたいな形で悪口になっていくみたいな感じかなと思いますね。まあおならみたいな感じじゃないですか。悪口というそのおならみたいなのが出ることで、そのガスが体内から出されて、ようやくその怒りがなかったことになるみたいな。なんかそういう感じで、僕の中で悪口っていうのは機能しているなと思うんですよね。

で、もう一つ別の話があって、これつながるんですけどね。なんでそのネガティブなことばっかり言うんですかっていう話ってあると思うんですけど。僕はですね、ポジティブなこと、例えば「今日の天気は気持ちいいな」みたいなこととか、「今日の飲み会は楽しかったな」なんてことがあったとして、それを言語化する必要性はあんまり感じないっていうところがあるんですよね。だからポジティブなことは語るに値せず。不満なことは、今言ったみたいに、怒っててもしょうがないから消化したいんだけども、消化しきれない部分っていうのを、なんで消化しきれないんだっけっていう感じで分析もするし。それでもなんか残るもやもや感とか、イライラ感とか、なんかなかったことにはしたくない気持ちみたいなのを、悪口として、自分的にはブラックユーモアとして吐き出すというようなことをしてるんだと思うんですよね。

で、なんでポジティブなところは言語化する必要はないかっていうと、言語化する必要はないというか、解像度を高める必要はないって感じかな。今日の飲み会が楽しかった、なぜならばってことを本気で考えていくと、多分すごく具体的な話になっていきそうじゃないですか。この人のこういう発言がこうで面白かったとか、あのタイミングでこういうことが起こったから面白かったとか。今日はこういう人がいなかったから楽しかったとか、いろんなその要因を多分分析するんだと思うんですよね、真剣に解像度上げようとすると。

でそうすると、じゃあそういう人がいると飲み会楽しくないのかとか、あのタイミングであれが起こらなかったらこの飲み会はそんなに楽しくなかったのかとか、楽しかったはずのことを分析してるはずなのに、それがなかったらじゃあ楽しくなかったのかって別の問いが浮かび上がるというか。言葉にしてしまった時点で、せっかくふわーっとなんか楽しかったものが、遊びの部分というか、余白の部分が切り取られてしまって、なんかAとBとCとDとE、この5つの条件が揃ったから楽しかったんですみたいな話になっちゃうと。いやいや本当は4万個ぐらいの要素があって、たまたま目立ったものを束ねていった結果5つの軸になってるだけで、本来隙間がいっぱいあって、いろんなことが重なっての楽しかったじゃんとかって思うわけですよね。でもそれを分析してしまった時点で削ぎ落とされてしまう、楽しかった成分の、間接的に効いてただけかもしれないけども重要な構成要素みたいな感じでね、それがないと機能しないみたいなこともあったりすると思うんですよ。けど削ぎ落としちゃうと、なんだかなみたいなことってあるよねっていう。

飲み会の例が分かりづらかったら、私のどこが好きみたいな話と一緒かもしれないですね。恋愛における、例えば付き合っている人がいて、その人から私のどこが好きって聞かれて、なんて答えるんですか。優しいところが好きですとか、そういうことをいくつか言ったとして。じゃあそれがそうでなかったら好きじゃないのかとか、それ以外のところは好きじゃないのかみたいな話になるわけじゃないですか。多分そんなことはないんだと思うんですよね。トータルで結局好きか嫌いかみたいな感じで、もっとぼやっとしたものであり、その中で思いつくことをたまたま言っただけであり。声が高いから好きですなんてことはないわけじゃないですか。どちらかと言うと、その一般論として、自分の中で声が高い方が好きだとかは傾向としてあるかもしれないけども、声が高いから好きなわけじゃないですよね。どっちかっていうと、話していて不快な声ではないみたいな、消去法な気がするんですよね。そういう、どうしても無理みたいな条件がなくて、まず前提としていろいろなその他いいことがあって、総合して好きなんだろうなみたいな話だったりすると思うかな。

あんまりそれを言語化して、これとこれとこれですみたいにしちゃうこと自体が、その好きな気持ちみたいなものを痩せ細らせてしまうというか、そういう感じはあるかなと思うんで。好きなものこそですね、言語化あんまりしない。言語化しないどころか、自分の認識の解像度を高めない、ふわーっと好きでいるっていうことが重要かなっていうふうに思って生きてるんですね。

それは人だけでないですよ。サウナとか散歩とかもそうかもしれない。僕はサウナの何が好きなのかみたいなことを、たぶん頑張ってよく考えて言語化しようと思えばできるんですけど、それをしてしまうと、サウナという体験がつまんないものに思えてしまうし。散歩もそうかもしれないですね。散歩ってこれがいいんですよってことを、めちゃくちゃ真剣に分析して、5つのポイントを整理するとかした瞬間、だいぶ大事な部分が削ぎ落とされてしまうような気がしますよね。そしてそういう削ぎ落としたものほど、整理はされているんだけども、AIと変わらないっていうかね。AIでも多分、散歩の魅力って何ですっけって聞けば、5つのポイントで整理してくださいって言えば整理してくれるじゃないですか。なんかそういうレベルの回答とあんま変わらないものになっちゃうって気がするんですよね。自分自身が感じているぼやーっとした散歩の素晴らしさ、サウナの素晴らしさ、誰か好きな人に対して思っている好きな気持ちの素晴らしさってあると思って。それを整理してしまうことのもったいなさ。わざわざせっかく好きになったものを痩せ細らせてしまうっていうのはなんだかなって思うって感じですかね。

その対象を痩せ細らせてしまうという意味においては、嫌いなもの、自分が怒っているもの、気持ち悪いと思っているものとか、ネガティブな気持ちを持っているものは、痩せ細っていってくれるとありがたいじゃないですか。だから、嫌いなものほどとか自分が怒っているものほど、しっかりと、これなんで自分がこんなに怒っているんだっけとか、なんでこれそんなに気持ち悪いと思うんだろうとかってことをめっちゃ考えて、なるほどこうだからかもしれないみたいな感じで。それはそれでやっぱり、ただ睡眠不足だったからみたいな要素を見落としてしまったりだとかもするんだけども。例えばね、幼少期にこういうことがあったからだとか、そういうことを抜け漏らしてしまうこともあると思うんだけども。

でもなんか、3つのポイントで整理できたとか、4つのポイントで整理できたとかいうことで、整理することで、なんとなくその嫌さが自分の中で把握できることで、気持ちが軽くなったりだとか。その嫌なポイントを意識して、そこと距離を取れば大丈夫になることとかもありますよね。例えば嫌いな人だなとか、この人ムカつくなみたいな人がいたとして、なんでムカつくんだろうって分析していったら、自慢が多いとか、人の話を聞かないとか、例えばそういうのがいくつか上がったとしますよね。じゃあこの人の自慢を聞かなくてよくて、僕が話さなくていいようなシチュエーションだったら、自慢話の嫌いなポイントと、自分の話を聞いてもらえないっていう不満ポイントではなくなるわけじゃないですか。だからその関わる角度、距離感みたいなものを調整することで、自分が整理したその嫌だなってポイントを避けられる。そうすると嫌なことが減るみたいな感じで、この世界から不快なものを遠ざけるというか、うまくかわすことができる。

だから嫌なことほど言語化したいって気持ちが、言語化してしまうというところがあるわけですね。その不快を取り除きたいという欲求が強いので、僕は。そうしていく過程で発生したガスみたいなのがやっぱ悪口なのかなと思ってて。最後そのガスが出てしまうことによって、ようやく、ムカつくなとか、この人やだなって思ったのが、距離感も見直せたし多分問題はないんだけども、残ったガスまで出せてすっきりしたなみたいな。もうなんか別に、この人のこと嫌いじゃないなっていうか、嫌いじゃない抱え方ができるなみたいな感じで、気分爽快で生きていけるという感じなのかなと。なんでちょっと汚い話かもしれないですけども、イメージとしては、僕の中で悪口っていうのは体内に充満したガスみたいなね、おならみたいなものなのかなっていうふうに思ったりしたという。

そんなことを別に考えようともしてなかったし、考えたりしてなかったんですけど、討論カフェに参加して、ふとね。今日のテーマ何にしますかっていくつかテーマがあって、参加者の方がこの悪口について語りたいですっていうふうに言って選んでいただいて。そこから、僕も考えたこともないようなことを、それぞれのメンバーと話しながら、なんかそうかもって、新しい自分の考えを深める機会になったって思うとね、すごくいい時間だったなと思います。

だから、あんまり自分が考えようと思って、考えたいテーマを考えに行くっていうのもいいんですけど、自分が普段考えることもなかったようなことを、普段話さない相手と話して考えてみるっていうのは、やっぱり自分の気づかなかった癖とか大事にしてることとかにも気づける。不意打ちでね、その角度からパンチ飛んでくるんだみたいなことを受けて初めて、自分の中に芽生える感性とか、気づく価値観みたいなものもあったりするのかなと思ったりもしたんで。

討論カフェはおすすめですね。考えるのが好きな人ね。考えたくない人は考えさせられるんで、むしろマジでおすすめできないんですけど。辛くなるというか、考えたくないのに考えないといけないからね。けど考えること自体が結構好きだなって人は、討論カフェのイベント、ぜひ遊びに来ていただけたらと思います。オンラインでも開催してますし、対面だと福岡がメインで、たまに東京で開催してますね。しかもね、これね、驚くことにイベント無料なんですね。東京だけちょっと場所代とかかかってるんで参加費をいただいてますけど、福岡とオンラインは無料で開催してますんで、ぜひ参加していただけると嬉しいですね。僕もたまに遊びに行こうかなと思ってるんで、一緒に語り合えたらと思います。

あとは、もうつい、あさっての話になっちゃうんですけども。日曜日、6月何日だっけ、7日か。7日日曜日に、東京の錦糸町ですね、墨田区の錦糸町にあるウニカフェで1日カフェ店員をやります。前回もお話ししたんですけれども、店主の涼ノ瀬さんが公園に遊びに来ていただいたりとか、晩餐会に参加していただいたりとかっていう感じで、それこそ公園で出会った方なんですけれども。その方が6月からちょっと経営の方針を変えて、固定のスタッフの方が辞められたタイミングだということで、同じ人とずっと働くんじゃなくて、月に1回とかお手伝いに来てもらうみたいな感覚で、いろんな人たちと楽しく働くみたいなことをしたいっていうふうにおっしゃってて。

それってなんかすごくね、僕の中では、労働が発生してるからね、完全にってわけではないんですけども、ちょっと公園っぽくていいなみたいな。ポジティブな日雇いみたいな感じがあっていいですよね。働きたいときに、おしゃれなカフェで店員したい気分のときに、気分のときにっていうかシフトだから、あらかじめ日程は組まないといけないんですけど。月に1回だけおしゃれなカフェで店員したいみたいな欲求ってあったりする人、いると思うんですよね。日頃仕事もしていて、なかなかカフェで働こうと思ったら、いや週3からなんですよとかあったりすると思うんですけど。土曜日日曜日か祝日の1日だけカフェ店員やりませんかとかだったら、カフェ店員やってみたかったみたいな人とかには、なんかすごくいいなっていう気がするんですよね。

僕はカフェ店員やってみたかったんですよみたいなことは全くないんですけど、どっちかっていうと、自分が絶対やらなさそうなことをやってみることで何か感じるものとかありそうだし。自分がおしゃれなカフェってなかなか行かないので、そういった場所で出会う人たちとの、そこで感じるものとかもあるから。やっぱり自分が触れたことのないものに触れてみたいっていう欲求が強くて、何かやってみたいなと思ってるんですね。すごい緊張しますけどね。ちょっと6月7日、お昼11時半から4時までかなの間、錦糸町にあるウニカフェにいますんで、よかったら遊びに来てください。初めてのカフェ店員ってことでね、震えながらコーヒーを提供したり、パフェを提供したりすると思うんですけど。震えてる僕を見に来ていただけると。そしてね、美味しいコーヒー、美味しいパフェ、美味しいランチを食べていただけたらと思います。

でね、この話をちょっと公園とかで、今度カフェの店員するんですよみたいな雑談みたいな感じでしてると、えー自分も月1回だったらやりたいなみたいな人がすごく現れて。自分もやってみたいっすっていう声をすごく聞いて、あーちょっとおつなぎしますねみたいな。で、ちょうどこの間の公園にまた涼ノ瀬さんが遊びに来てくれたんで、って言ってる人が結構いるんですけどとかって言ってたら、あーぜひ紹介してくださいみたいな感じになって。この、自分が、まあ意図せずじゃないですけども間に入って、そうやって月1回の職場、職場体験だと違うんですけど、実際に労働するから、月1回働いてみたかった場所で働いてみるみたいな体験を橋渡しする存在になったりとかできるのは、結構ね、なんか嬉しいなって思ったんですよね。

そういう、プラットフォームが機械的にやってるマッチングっていうのに対して、僕はちょっと懐疑的っていうか。言語化されたものでマッチングされるじゃないですか。マッチングアプリはちょっとやったことないから分かんないけど、でもなんか条件とかプロフィールみたいなものがかなり言語化されてるわけですよね。そこでマッチングしていくみたいな。趣味が何々であるとかいうこととかでマッチングしていくわけじゃないですか。けど、なんか言語を超えたところでマッチングし得るなっていうね。公園活動みたいなものに一定のアンテナを張ってくださっている方という時点でかなりフィルタリングされているし。その中で、僕が実際に1日働いてっていう感じで、本当にそれいいの?とか、それどうなの?ってことを僕自身がちゃんと言って体験するわけですから、大丈夫そうだなみたいなことの、一旦先頭を切って行ってみるみたいなこともできますし。なんかいい感じに橋渡しをする存在になれたらいいなーなんて思いました。

なんで、これはちょっと今回やってみてすごくいいなっていう感じだったら、そしてその後カフェで働きたいっていう人をおつなぎするみたいなこともできたら、ちょっとね、日雇い作務衣みたいな活動もしたいなと思いました。なんか1日だけ手伝ってくださいみたいなオファーをいただいて、そこで1日、仕事を体験というか、まあ1日働くんですけど。その初日でできることって限られてますけども、初日1日働かせていただいて、こんな場所だったよ、こうだったよって。それ、月1回とかでいいなとか、やってみたいなとか、なんかそういう橋渡しをする存在になれたら、それもまた面白いかなと思ってるんで。

ちょっとね、そういうお誘いも、もしね、あったら。猫の手も借りたいとかね、作務衣の手も借りたいっていうようなことがございましたら、僕のXまたはInstagramのDMとかでご連絡いただけたらと思います。まあちょっとね、例えば森の中で木を切るとかね、虫が僕ダメだからちょっとお断りしたいとかすると思うんですけど、そういう全て受けれるわけじゃないんですけど。まずは気軽に、これちょっと1日手伝って欲しいんですけどどうですかとかね、お声掛けいただけたらと思います。ぜひお声掛けいただけたらと思います。

というわけで、6月7日はウニカフェで1日カフェ店員やってみますので、よろしくお願いします。そして討論カフェも、ぜひ遊びに行ってみてください。というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。