存在としての公園 第28回

まあまあまあ

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概要

突然始まるストリートファイトほど危険なものはない。討論にはリングが必要(公園にグローブは持ち込まない)。「まあまあまあ」は何回重なれば組織が壊れるのか。一方で、言葉にした瞬間に壊れてしまうものがある。その狭間のどこかに、たぶん公園は在る。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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3月6日金曜日、夕方5時21分です。今夜9時にこれが配信されるので、ギリギリ収録。前倒しで収録をしたいみたいなことをずっと言っているのに、日に日にギリギリになっていっている。そんな今日この頃でございます。いろんな場所に行って収録したいと言いつつ、家の近所を歩きながらまた収録しているという次第でございます。

だいぶ春らしくなりましたよね。今もう夕方5時半なんですけど、まだ全然明るい。気温も何度くらいあるんですかね、10度以上あるんじゃないかっていう感じ。気持ちよく歩けるような、そんな気温ですね。うちの近所は割と一軒家が多いっていうか、古くからの一軒家、とても古い一軒家みたいなのが多くて、割と世代交代みたいなタイミングなのかなっていうのも感じるんですけども、その家が建て替わっていってる。小さなというか、普通の一軒家がいっぱい建ち並ぶ住宅街で、どこもかしこも新築の一軒家に建て替えているみたいな感じがあるんで、世代交代しちゃってんのかななんてことを思いながら散歩してますね。

本当にね、こんなに建て替わるっていうくらい、どの通りも家が建て替わっていってる感じです。別に大きなビルができるような、ビルというか、マンションか、大きなマンションができるわけでもなくですね、普通に一軒家が一軒家に建て替わるとか、マンションみたいなのができたとしても、5階建てとか、アパートみたいな感じのやつが多いですね。高さ制限とかあるのかな、ちょっとわかんないですけど、とにかくどこもかしこも建て替えておりますね。

最近は本当におとなしく過ごしていて、あまり出歩くようなことをしてない感じがしますね。公園活動か、お仕事してるかみたいな感じで、新しい体験をあまりしてない気がしますね。かといって現状維持に甘んじているじゃないけども、同じことの繰り返しっていうわけでもなく、本当にこの1ヶ月ちょっとはAIと戯れていたというのもあって、そういう意味ではずっと同じことをしてるという1ヶ月だったのかもしれない。なので、あまり話すことがないというか、話そうと思うとAIの話になってしまい、もうAIの話は飽きたよっていう方も多そうなので、それをやめとこうと思うと本当に話すことがないという、そんな今日この頃ですね。

本当に、AIのことだったらいくらでも、最近こんなこともあってとかって話すことがあるんですけどね。すごく嫌な人は嫌みたいですね。それこそ破壊力がすごすぎて。最近のAIは、実際に社会を変えるかっていう現実の問題はわかんないけども、変えうるだけのポテンシャルを持っているという意味で。単純に僕が最新の冷蔵庫の話をしてるぐらいの感覚で、こんなことできるんだよみたいな気持ちで話していて、もう洗濯板使わなくていいんだよみたいな、そういう気持ちなんですけど。無邪気に話してるつもりなんですけど。

突き詰めると、結構政治的な、社会的なインパクトみたいなものがあったりして、あんまりそこに言及すると結局政治の話をして、その政治の話で結構賛否分かれるじゃないですか。どの政党を支持しているかってだけでも、すごく対立構造になりやすいというか。別々の政党を支持してるんですねみたいな感じで、ただの政治思想の違いですねとか言いながら、ところでって話せるほどみんな穏やかじゃないというか。そんな政党を支持してる人はもう話したくもないみたいな感じで、結構露骨に敵対するじゃないですか。政治的な話は本当に嫌がる人は多いし、僕自身が嫌なのかっていうとそうでもないんですけど、その話をしだして人と人が敵対し始めるのを見るのは好きじゃない、っていうか相当嫌なので、そういう意味で政治的な話はあんまりしたくないなと思ってるっていうのはある。

公園の場とかで政治的な話になるのは嫌だなと思ってるんですけど、だからAIの話とかも、最新の冷蔵庫があるぐらいの気持ちで話せたとしても、結局突き詰めるとそういう、労働とはみたいな話とか、じゃあそれがみたいな、未来に行けば行くほど、単に洗濯板を使わなくて良くなったみたいな話では進まなくなってくるわけで。そういう領域になると僕自身はワクワクするんですけど、不快感をあらわにする人とかもいたりするので、あんまり良くないのかなと思ったりしますね。

特に繰り返し繰り返し話していくと、そういう思想で凝り固まってるように思われると、ちょっとそれはそれでややこしいですよね。なのであんまり、社会がどうなるとか、そんな話よりも、僕はもっと身近な、自分がどうありたくて、そしてそのために何をしているのかっていう、もっと自分のことを話さないといけないなという風に思ってます。

自分語りって結構、興味ない人からするとつまんなくて、社会のこととか、仕事のこととか、もっといろんな人に関係のあることを話した方がいいのかね。どうなんでしょうね。結構悩みどころですよね。別に自分の考えに染まってほしいという風には思ってもいないし、自分が正しいから自分の理屈にイエスと言ってくれって言ってるわけでもないから、それぞれがそれぞれに感想というか、自分なりの未来の見通しを持って、自分なりに、じゃあそのために今何をするのかって自分なりに考えればいいんじゃないかなと思っていて。あんまり僕が、僕の真似をしてくださいとは思ってない。真似をしてくださいというか、真似なんかしちゃダメだと思ってますし、こんな風になってはいけないと思いますから。あんまり僕の言うことを真似せず、各自ご自由にやってもらったらいいんじゃないかなと。意見としてね、ああそんなことを思っている人間がいるんだなーぐらいに受け止めてもらえるのがちょうどいいかなーと思ったりしますね。

公園ってやればやるほど、非言語的な活動だなーと思ってるんですよね。この間晩餐会やりましたけども、料理を作っていく過程で、何をどうするってことはもちろん言葉で確認されるんですけども。この卵何に使うんでしたっけとか、これ何切りにしますかとか、これぐらい今火通ってますけど、こんな感じでいいですかとかって、すごく言葉で確認しているんですけども。でも大事な部分は、多分言葉じゃない部分でお互いにキャッチし合っているような感じがする。料理が出来上がっていく過程自体は言葉なんだけどもね。でも人と人が受け渡し合っているものは言葉以外の部分にあって、それが晩餐会なら5、6時間、半日ですよね、半日かけて積み重なっていって、とても初対面とは思えないような関係の深まりが生まれると。またどこかで会った時に、こんにちはと声を掛け合えるような関係になっていくんだろうなと思うと、やっぱり言葉じゃないなって思う。

上水公園、公園にレジャーシートを敷いてるっていうやつは、レジャーシートっていう、僕が使っているところで言うと2.5メートルとか3メートルですよね、3メーターかける3メーターのレジャーシートの中で一緒に居合わせるわけですから、会話ぐらいしかすることはないわけで、しゃべりますよね。しゃべるんですけども、結局そこで何を語り合ったかってことがそんなに重要なんじゃなくて、一緒に時を過ごしたっていう体験みたいなのがすごく重要。だからあまりそこに、何を話したっていうのが色濃く出すぎるとむしろよくなくて、一緒に過ごしたなぁ、なんか穏やかだったなぁ、何だったかって言うとよく分からんけど、なんかいい時間だったなぁみたいな、その言葉にならない感じが結構理想形なのかなぁなんて思ったりしてますね。

この日はトランプについてすごく議論しましたとか、そういうことじゃないんじゃないかなとは思っている。それは僕が別で関わっている討論カフェっていうイベントがございますんで、ぜひ討論カフェに参加していただいて、テーマでそれぞれの価値観を交換するという、結構その突っ込んだ議論もできるような場になってますんで。何か政治的な話、社会の話、自分が思う、結構みんなに聞いてみたい違和感とか、自分の価値観の深くに眠っている誰にも話せなかったこととかは、ぜひ討論カフェというイベントに参加してもらえると思う存分話せるんじゃないかなと思いますね。

もちろん公園でそれを話しちゃいけないかというとそんなことないんですけど、ただ存在するという部分がすごく薄まっていく感覚というか、議論の場所になっちゃうと。あんまり禁止したいわけじゃないんで、別にやっちゃダメとかということではないんですけど、そんなに推奨しないという感じですかね。日常会話推奨っていう感じが、最近ここのところ思うとこかな。議論ってやっぱり負荷がかかるので、討論カフェみたいに今日は議論しますよと、こういう心構えでこうでこうでっていう、ボクシングの試合じゃないけど、お互いに確認し合って、マウスピースはめてるねみたいな、グローブはめてるねみたいな、そういう風にちゃんとやってやるんだったらいいんですけど。公園でこう始まると、グローブつけてないとか、マウスピースはめてないとか、3分でゴング鳴らないとか、そういうことが起こりかねないので、ちょっと怖いですね。ストリートファイトみたいになっちゃうので。あんまり公園で負荷のかかるような会話はしないほうがいい、とまでは言わないですけどね、危ないなと思ってる感じですかね。なんで穏やかに話ができたらと思います。

議論に対しても最近思うんですよね。そんなに議論したいわけじゃないんだなって、自分自身が。人と議論したいと思っていないのかもしれない。それはもう、今日はボクシングですよって言われて初めてやる分には、ボクシングたまにやるかって感じでいいんですけど、日常的にボクシングしたいかっていうと、そんな感じでもないので。そこが気づきですね。

結構負荷のかかる、これ人に聞いちゃやばいけど気になるなってこととかは、今ってAIに聞けちゃうんですよね。だからわざわざ人間相手に、相手が嫌かもしれないとか傷つくかもしれないっていうようなラインの問いを投げかける必要もないし。意見するんだったら意見するで、こうしてポッドキャストとか一対マスっていう感じで。一対一で目の前にいるときに、僕が何か意見を言ったら、その目の前の相手はもう逃げようがないから、そのパンチ、パンチしてるわけじゃないんだけど、例えばパンチになってしまったときに、それを目の前でかわすなり受け止めるなりしないといけない。これが思いっきり顔面に当たってしまうと大怪我してしまうなんてことが起こるわけですけども。

これが一対マスの場合だと、すぐさま再生ボタンを止めるとかね、物理的に目の前にいるわけではないですから。この人の話ちょっと聞くの嫌だなとか、この人の意見は自分は好みじゃないから聞きたくないな、好みじゃなくても聞いた方がいいと思うんですけど、聞く気になれないな、コンテンツとして聞く気になれないなと思ったら、再生ボタンを止めるっていう、ブロックしてレコメンドされないようにするとかっていうことが対処し得るので。一対マスみたいなところに関しては、割と、社会的にまずいみたいなレベルのこと以外は基本的に個人の意見としてみんな言っていけばいいと思うし、僕自身もそういうスタンスで、このポッドキャストだとかいろんなところで、Xとかもそうかな、いろんなところで発信できる感覚があるんですけども。やっぱり人を目の前にして言いたいことを言うっていうのは、相当環境が整っているか、相当その相手との関係性があるか、どっちか、両方ないと結構難しいねって思ってますね。

その痒いところに、やっぱAIがちょうど埋めてくれるっていうか。これ本当は人と話してみたいな、でも表で話すとリスキーだなみたいなこととかを打ち返してくれるので。そういう会話はもうAIでいいや、とかなっていくと、なおさら、ボクシングしましょうっていうオフィシャルな場でやるとかいうことじゃないと、突然始まるボクシングほど危険なものはないなっていうふうに思うんですよね。そういう意味で、世の中から突然発生する議論みたいなものっていうのは、どんどんなくなっていく方向にいくんじゃないかななんて思いますよね。そもそも負荷の高いコミュニケーション全般がコートされていく方向なのかなと思いますよね。

会社の、なんかわかんないけど上司の武勇伝を聞く、一方的に武勇伝を聞き続けないといけないような飲み会とかも、まだその古い体質の会社とかだったら残ってるのかもしれないですけども。でもやっぱりそれも方向性としては、飲み会自体が減ってきていたりだとか、飲み会をコロナ明けで再開しているとしても、あんまり先輩が一方的に説教してるみたいな飲み会っていうのは、もうパワハラですよとか、業務時間外に連れ出してそれはちょっと良くないですよとかっていう風な意識っていうのは、しっかり社会に浸透しつつあるのかなと思うので。それと同じことというか、突然議論を始めるみたいなことが結構暴力に近いような、そういう雰囲気がより強まっていくんだろうなぁなんてことを感じてますよね。

その選択肢があるからですね。選択肢がなくて、目の前の人に聞いてみたんだったら、まあそうだねっていう、それも一つの選択肢だねって思うけど、それAIに言えよみたいなやつとか。ネットスラングでググレカスみたいな言葉がありましたけども、あれもGoogleがあるから、いやGoogleに聞いたらそんなことっていうので、それちゃんと聞いたの?っていう、人に聞く前にそれぐらい調べたらっていうニュアンスのことだと思うんですけども。やっぱりそこにインフラとしてそれがあるんだから、それ使ったらどうなの?っていうような認識っていうのが生まれていく気がしますよね。だから、それAIに聞いたの?っていう。調べ物はもちろんのことですけども、感情のはけ口だったりとか、ちょっとリスク高いなみたいなこととかを、それを表に出しちゃってるけど、表に出す前にそれAIに聞いたの?っていうようなことが、どんどん常識化というか、生活の中に当たり前に入っていきそうな気はしますよね。

例えば、お客さんに送るメールとかで、まだ事例として実際にはないですけど、ちょっと感情的なメールとかがもし僕に届いたとしたら、これなぜAIかまさなかったんだろう?とか多分思っちゃうと思うんですよね。怒る気持ちがあってもいいけど、その怒る気持ちを表現するメリットありましたっけ?みたいなことをやっぱ思ってしまうとかね。そういうのもそうだし、表現一つ一つが、今までは人間の力でどうにかするしかなかったから、そうなっちゃうこともあるよねみたいに多めに見る、そういうもんだったのが、AIがあることによって、それなんでAIかましてないんですか?ってことがめちゃくちゃ増えてくる気がして、結構世知辛い感じがしますよね。本音で向き合うみたいなことが、どんどんそういうとこから遠のいていく。本音は全部AIに言って、しっかりと自分を整えてから社会的な顔をして社会に出るみたいな、そんな感じになっちゃいそうな気がする。

またこういう話をすると、そういう考え方をしててなんかすごく嫌な人だとかって言われたりしそうな気もするんですけど。僕はそういう社会っていいよねなんて話をしてるわけじゃなくて、今このような社会の状況、そしてこのようなツールがあるとか、いろいろな現象を目の当たりにした時に、そのようになっていくんじゃないかという分析をしているだけで、僕の願望を言ってるわけではないんですよね。ここもよく間違われるんですけど。状況を整理するとか、現象について分析するとか、原因を分析するとか、そういうことをすると、あたかもその原因が僕だったかのようなとか、あたかもその原因を究明することが人を責めているかのような、じゃあ自分が悪いっていうことですかとか言い出す人とかいますけど。別にあなたが悪いですねなんて話をしたいわけじゃなくて、今後の対策どうしましょうかって話をしている時に、原因がわかんないのに対策もクソもねえだろっていう話をやったりもするわけで。原因が何なのかをちょっと考えようよっていう、それだけ。これから生きていくにあたってどうなのかなとかっていうときに、現状どうなんだっけみたいなことをただ把握しているだけだったりするので。そこはね、よく損をしている気がします。

白々しく、現状分析とかも何もせずに、また同じ失敗をするであろうということはわかっていながら、そうですねとかって言ってる連中がのさばってるのがちょっと腹立ちますけども。でもそう振る舞うのが社会としては結構、社会人の振る舞いとしてはスタンダードな感じに見えますよね。それをちゃんと分析して二度と起こらないようにしたほうがいいんじゃないかとか、ついつい真面目にその課題と向き合ってしまうことが、かえって、いらんことを向き合うなっていうふうに言われることが多いですね。なので、一人でやっぱりやっていくのがいいなって思いますね。チームとか組織であると本当に、原因を分析、現状を正しく把握しようとするということを嫌がる人が本当に多いですよね。これは何なのかなと思うんですけど。

実はですね、ちょっと気持ちもわかる気がしていて。この1ヶ月、AIで業務を効率化するみたいなことをずっとやってきていて、まだ全部できたわけじゃないんですけども、結構基本的なところが整ってきて。つい数日前なんかは、2月の株式会社現象の月間ミーティングっていうかね、月間の振り返りっていうのをAIと一緒に会議したんですね。NotionのAIと一緒に会議をして。これまではですね、数字を取りまとめて分析して、分析って言っても本当に、把握するっていうレベルですよね、っていうのを本当にギリギリ、何とかやったりやらなかったりっていう感じになってたんですけど。それもずっとちゃんと毎月同じ日にやりたいなと、ちゃんと振り返りたいなと思いながら、他のことに気を取られて、ちょっとそんな時間ないなって言って、やったりやらなかったり、やっても精度が低かったり、低いというか、あんまりきちんと時間とってやれてなかったりっていうのが続いてたんで。これはもうAIを、社員とは言わないですけどもパートナーとみなしてですね、きちんと数字も集めてきてもらって、その数字とかアクションの、今月こういうアクションしたよねとか、そういうのを全部含めてデータで見ながらAIと議論するっていうのをやり始めたんですけど。

詰められるんですよね、AIから。これはなんで今月やれてないんだみたいなことを言われるんですよ。別にそれは説教したいわけじゃなくて、詰められてるって僕は今言いましたけど、詰められてるようにやっぱり感じちゃったんですよね。でもAIからしたら、なんでこれはやるっていうことになってたのにやれてないんだろうとか、なんでこれはこの数字を目標にしたのにこの数字になってんだろうみたいなこと。例えば2月、目標に僕は毎月晩餐会を開催するっていうのが1個書かれてたと思うんですよね。書かれてたと思うというか、書いてるんですよね、その行動の計画みたいなところに、月1回の晩餐会みたいな。で、今年はその1月にまず福岡でやろうとして、失敗というか計画が間に合わなくて、あと1月が全部予定埋まっちゃってできないやってなっちゃって。1月バタバタしてると2月の開催も準備できなくて、1、2月っていうのは開催できなくて、今年最初の開催はこの間の3月1日だったんですよね。だから2月の振り返りの時に、AIからなんで晩餐会開催してねえんだよっていう、そんな言い方じゃないけど、どうしてその晩餐会は大事なのにやってないんですかみたいなことを言われると、その時にちょっとうって、だって忙しかったんだもんみたいな気持ちっていうのがやっぱり起こってきたし。でも、なぜできなかったかは別に聞かれてるだけだからそれを答えればいいし、できなかったことで人格否定されるとかでもなくて、計画はそうなっているし、それはこういう理由で大事だから3月以降はやったほうがいいよねっていう、ただその確認がなされるだけなんですよね。単純に現状を把握しようとしている。

これがどうなんですかね、対人間だともう少しムカつくのかな。わかんないですね、ちょっとそういう感じでやったことがないのでわかんないんですけど。でもAIに言われただけでちょっと詰められてるなっていう気持ちになっちゃったくらいなので、やっぱり自分ができてないことっていうのは自分が一番わかってて、そこを明るみにされること、なんとなく感覚的にわかっていることを、ぐうの音も出ない事実として晒されるっていうことが、とても負荷がかかるということだなと思うんですよね。その負荷を与えた張本人として、嫌な人間だと思われるみたいなことかなと思いますね。

だからそういう意味でね、そんなものはできてないですよねっていうか、あら、この数字がちょっとおかしいけど、なんでこの数字ってこうなってるんだっけなんてことを確認した人は、確認してくれてありがとうってよりは、なんでそんなことを詰めてくんだよこいつみたいに思われちゃうってことで。いろいろ察していろいろうやむやにしていく方が、社会の中ではうまくやっていけるということがあり。今のいろんな職場、もちろんいろんな職場があるから一緒くたにはできないですけども、結構僕が見てきたいろんな会社の中っていうのは、だいたいそうやって、まあまあまあと、まあまあまあまあまあ、まあまあまあまあ、まあまあまあまあまあ、まあみたいなね、そういう感じがありましたよね。それが仕事みたいになってるところは、それが会社で働くということなんだみたいな、そういう感じはやっぱりありましたね。

人が集まるとそんなもんなんでしょうね。まあまあまあじゃないと、人と人が一緒に何かやり続けるってことは難しい。そのまあみたいなことを一個一個解消していこうとすると、すぐに空中分解しちゃうということかなと思うんで。まあまあまあを積み重ねた結果、あれをまあまあまあでしたかね、これもまあまあまあであり、これもまあまあまあだな、それもまあまあまあだなみたいな、じゃあもう全部まあまあまあで、まあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあってことなのかなっていうふうには思う。まあまあやっていくにしても、慣れると何にも違和感ないのかもしれないですけどね。僕はどうしても気になっちゃいますね。それまあまあでいいんだっけな、今日これの配信でまあって何回言ったんだっけなとか、そういうことをやっぱり気になってしまいますよね。

せいぜい、一人でやってると気づかないことがたくさんあって、暗黙のまあまあまあみたいな感じで、本人はそのつもりはないんだけどもまあまあまあになっちゃってることっていうのはたくさんあったりとかして、っていうことなのかなとも思うんで。一人でやるとね、気づかないという形でまあまあまあができちゃうんだと思うんですけど。複数でやると、本人は気づいてなくても、社長は気づいてなくても実は部長は気づいてて、気づいてるけどまあまあまあって感じでやって、部長がなんかやらないことに対して、課長はなんでこの人やらないんだろうか、ちょっとムカつくなと思いながらも、まあでもいろいろあるんだろうな、まあまあまあみたいな感じでっていう。まあまあまあなんだよね、いろんなことが、いろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろ。

まあまあまあに耐えられるのかどうか、もしくはまあまあまあに気づかないぐらい鈍感でいられるか、もしくはそこの脳の回路みたいなものを焼き切ってしまって、何も感じないようにしてしまうかっていうことですよね。ここの感受性を残したまま、しかも耐えきれないタイプの人がまあまあまあに晒されると、やっぱりちょっとうつになってしまうみたいな、うつっぽくなってしまうと思うので。ここは社会人として生存するための一つ大きな分け目となるポイントな気がしてますね。

なので、現状がどうなのとかね、そんな話はもうしちゃいけないんだっていうこと。そして分析して未来がどうなるんだって話は、少なくとも目の前の相手にはしてはいけないんだなっていうことをね。してはいけない、絶対ではないですよ。もちろん信頼できて、そういうことを言っても僕が悪意を持ってそんなこと言ってるわけではないということをきちんと理解して受け止めてくれる相手の目の前ではですね、実は未来ってこうなっていくんじゃないかなと僕は思っててとか、実はこの件は僕はこういう風に分析していてとかいう話はできるんですけど。迂闊にするとね、それがやっぱり相手の心の、すごく脆い部分に突き刺さってしまうみたいなことがあるなーって思ってて、あんまり聞かれたからといって答えちゃダメだなと思いますね。

聞かれたから答えたみたいなこともよくありますよね。聞かれたから答えたんだけど、なんか答えたらすげえ嫌そうにされたなみたいなこともあって、そういう時は驚きますよね。むしろ、そういうのがあると、じゃあもう聞かれたことに答えへんけどなみたいな気持ちにもなってしまい。難しいよね、人間関係ってね。

ゴッドファーザーっていう映画をね、この間映画感想会があって。毎月映画感想会をやってるんですね、パーフェクトタイムっていう会なんですけど。課題映画を見てきて、その見てきたメンバーでズームで90分ぐらい、映画の感想をそれぞれ語り合うっていうような。これ今も毎月やってるんで、よかったらぜひ遊びに来てほしいんですけど。今度3月14ですね、3月14日土曜日の朝9時半から11時までパーフェクトタイム開催します。そちらまでね、ぜひ遊びに来ていただきたいんですけど。今回の映画は大島渚監督の少年っていう映画ですね。当たり屋の映画ですね。当たり屋をしながら全国を移動していっているみたいな家族のお話だという風にあらすじを聞いておりますが、まだ見てないのでちょっと内容わかりませんが、そういう当たり屋の映画ということで、ちょっとよかったらぜひご参加ください。申し込みは必要ないんですけど、概要欄の方にですね、そのパーフェクトタイムのページを貼っておきますので、そちらにZoomリンク貼ってます。当日お時間になったらお入りいただけたらと思います。注意事項とか概要等はですね、そのページをご覧ください。

というパーフェクトタイムという映画感想会をやってるんですけども、2月の映画はゴッドファーザーだったんですね。ゴッドファーザー、アメリカに移民で入ってきたイタリア系の方々の、マフィアのドンみたいな人の世代交代みたいなお話だったかなと。お父さんの代から息子の代に引き継がれていくようなストーリーだったかなと思うんですけど。そのラストシーンとかで妻から、セリフはちょっと忘れちゃったんですけど、なんか、あなた悪いことしてないよねって、悪いことしたの?みたいな、悪いことしてたらちょっとドン引きだわくらいのニュアンスで悪いことしてないよねって聞いて、正直に答えるって言って、してないよ、悪いことしてないよって答えて、妻が安心して映画終わるっていう感じなんですけど。

悪いことしかしてないんですよね。悪いことっていうか、社会から見て悪いこと、社会のルールからすれば全部ルール違反みたいなことしかしてないみたいな感じなんだけど、してないよって言って終わるっていうね。分かりましたけど。でもその、悪いことしてないの?って、本当のことが知りたいって言って、本当のことが知りたい、悪いことしてないの?っていう問いなのに、例えば僕が本当のこと知りたいのかと思って、本当のこと言うねって言って本当のこと言ったら、ドン引きして終わりになっちゃうから。結局質問に真摯に向き合うんじゃなくて、相手の気持ちにとって何がいいかという回答をするという、究極的な嘘つきってことになるんですけど。ゴッドファーザーのラストシーンっていうのは、サイコパスの極みみたいな表現だと思うんです。でも実際の人間関係でも結局はそうならざるを得ないよねっていう風に。ちょっとその日常の会話の中でも、聞かれたことに素直に答えたらなんか怒りだすとかっていうことが起こると、じゃあ聞くなよって逆切れするのもちょっと違うなと思うんで、答えて欲しいことを答えるみたいなことになりかねんよなぁと思うので。

コミュニケーションって考えますよね。負荷の高いコミュニケーションを、その望まない相手としたくないなっていうのが最近思うところではございますね。リスキーだなぁと思う。あんまり本音で語るキャラみたいな感じにならないように気をつけないといけないなと。会うとあんまり喋らないねくらいの感じがちょうどいいかなと思ってますね。僕はあんまりあれこれペラペラ喋らないように気をつけたいなぁと思いました。あれこれペラペラ喋るのはこのポッドキャストと自分の個人の発信としてね、自分が自分のタイミングで言いたいと思ったことは言うけど。相手が聞きたいタイミングで、自由回答だと、その自由回答で目の前にいる逃げられない相手に被弾するみたいなことがやっぱありますから。別に、聞かれたことに答えただけで打ち抜きたいわけではないですから、やっぱり目の前に人がいるときには気をつけないといけないなということを思いますね。本当にそれはちょっと気をつけなきゃなと思う。

言葉がやっぱね、言葉じゃないな、言葉ですらないんだよな。僕の思っていることがちょっとやっぱずれてる、一般的な感覚からずれていることが多いので、結果として僕が思っていることを言うだけで人が傷つくということが割と起こっちゃう。これはこの人生ほとんどの場面でそうだった気がするというか、思っていることをちゃんと言って良かったことってあんまないっていうね。ただ、ポッドキャストで思っていることをちゃんと言って、それを聞いてきてくださった方と出会えたっていうことがあって、ここがやっぱりまたちょっと面白いところで。思ったことを絶対に言ってはいけないみたいな単純な話じゃないんですよね。この一対マスで自分が思ったことを言った時に、それを聞いて、この感覚面白いなとか、この意見割と賛同できるなとか、そういうものの見方もあるんだな、興味深いなと思って、その距離感だから受け止められたことっていうのはやっぱりあると思うんですけど。目の前で言われたらきついとかってあるんだと思いますよ。

もうメディアとかに出てる人って大体そうじゃないですかね。キャラ濃くて、メディアで見るとちょうどいいっていうか面白いみたいな。画面越しで見ても臨場感あるというか、濃いからね、すごい存在感だ、面白いとか、何でもいい、かっこいいでも何でもいいんですけど、そういうメディアに出てる人を見て思っても、じゃあ面と向かってその人とカフェでお茶するってなると、またちょっと話が変わってくるっていうか、ちょっと味濃いなみたいなことって起こりますよね。だから、メディアで受けたからといって目の前で同じテンションだと、それは良くないと思うし、そこはよく考えないといけない。だから僕のちょっとその、強烈になんか言っちゃってるみたいなことはメディアぐらいがちょうどよくて、面と向かってその濃さで話しちゃダメなんだなってことは、チューニングが必要だなっていうね。だから嘘をつくとかではなくて、強度というかね、出し方っていうのはしっかりと考えないといけないなーっていう、まあ反省ですよね。

単純にね、10代の頃みたいな激しさはもうさすがにないですけど、自分の中では結構丸くなったなーって思う反面、それは過去と今を比較したら相対的に丸くなったっていう話であって。サンプルね、100人連れてきて、誰がきついですかってなるときに、全然きつさ上位みたいになっちゃうから。丸くなったからOK、過去の自分と比べて丸くなったからOKみたいな話じゃなくて、社会一般から見てどうかみたいなこともまた同時にあるから、そこはね、もう少し気をつけていかないといけないなーって思います。

今日はこの後8時から、豊岡芸術祭ですかね、ちょっと名前が定かじゃないな、えーと、そこの芸術祭のフリンジ枠の応募の、募集の説明会みたいなのがあって、オンラインであるんですけど。説明会を聞いて、豊岡芸術祭にも出展の応募をしようと思っています。今年はどんどんそうやっていろんな芸術祭に応募してみて、一つも受からない可能性もありますけども。でもしっかりね、その各芸術祭のホームページとか、説明会とかになっちゃいますけどね、とか、あとは審査員の方を調べて、その方々がどういう人たちなのかとかっていうのを調べて、自分たちがやってる活動をどうプレゼンテーションするかみたいなことで、そこは頑張ってやってみて。全落ちしたとしてもですね、その1年ないし2年ないし3年ないしですね、そうやって芸術祭って枠組みの中で提案するって練習をしていくことで、見えてくるものもあるかなと思うんで、そこはそこで今年一つ目標なんで頑張っていきたいなと思っています。

でも落ちてもね、どこかの芸術祭ではその会期中に勝手にパフォーマンスしようと思ってますんで、どこかの芸術祭でお会いできたらと思ってます。東京以外の場所に行くとしたら、今年ね、福岡はその仕事で、出張で夏と冬には必然的に帰らないといけないので、夏冬は、具体的には7月と12月、1月は福岡でまた公園とか晩餐会やれたらと思ってますし、ぜひ福岡の方はそのタイミングでお会いできたらと思います。その他の県の方もですね、どの芸術祭に行けるかちょっとまだ分かんないですけども、何らかの芸術祭にはその会期中に公園活動をやろうかなと思ってますんで、なかなか普段東京、福岡に来れない方とかはですね、その芸術祭でお会いできたらいいなという風に思っています。

あとは、8、9ですね。次の配信が3月9日になると思うんですけど、3月9日からですね、前回お話ししていた3年、2月9日の日記の中にもですね、始まったらいいなという感じで準備を進めています。3年前、2年前、1年前のですね、同月同日の日記っていうのを公開していくというような試みです。ちょうど現象が第4期に突入したので、現象の第1期、2期、3期の時にその日どうだったのかみたいなことが、一気に読めるような、3年分の、3年前の今日、2年前の今日、1年前の今日の出来事みたいなのが見れるようなノートを毎日更新していきたいなというふうに思ってますんで。よかったらそちらもですね、さらっと読める文量になってるかなと思いますんで、よかったら見てもらえると嬉しいです。

それと先ほどご案内しました3月14日土曜日にですね、パーフェクトタイム映画感想会、次回は大島渚監督の少年という映画の感想会がありますんで、ぜひね、見て頂いた方は誰でもご参加できますんで、概要欄にあるフォームというか、概要欄にあるページからですね、ご参加頂けたらと思います。というわけで、本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録頂けると嬉しいです。それでは、ご安全に。