存在としての公園 第16回

レジャーシートはつらいよ/心理的距離/タヌキじじい/物語と論理/会社はつらいよ

/ 40分35秒

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概要

録音ミスで急遽、散歩しながら再収録(マイク二刀流)。福岡から東京に戻り、日常のリズムを取り戻しつつある。雑談から生まれたアイデアとそれうを実行に移せる軽やかな状態について。話は変わって、中小企業経営者に見る「物語とロジックのバランス問題」について、など。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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1月23日金曜日、午前10時22分です。今朝7時18分から録音したんですけれども、録音できてなかったって感じですかね。30分で分割されて、知らんけど、後半のファイルは残ってたんですけど、前半のファイルが存在してなくて。だから録音ボタンを押し忘れたとかではなさそうなんですけどね。マイクのトラブルで録音が失敗、保存に失敗したという感じ。今、緊急で録音しております。今日の夜9時配信ということなんで、ちょっと急いでるって感じですね。仕事が立て込んでて、無理やりちょっと時間を作って、外を散歩しながら喋っているという、よく分からない状況です。

先週まで福岡にいて、今週から東京での日常生活に戻ってきたんですけど、だいぶ生活リズムとしては、前回話したみたいなイレギュラーの状態からレギュラーの状態に戻ってきたかなっていう感じで、めちゃくちゃいいなっていう感じなんですけど。一方でやっぱり福岡にいた時にさばききれなかった通常タスクみたいなのが繰り越しで、夏休みの宿題の最後の日みたいな、そういう日々が続いてますね。そんな中、録音ミスでもう一回この日中に散歩してるっていうのは結構致命的なんですけれども、そんな感じで忙しいながら日常に戻りつつあるという今日この頃です。

日常のペースに戻ってきたなって感じたのは、昨日の夜ですかね。木曜日の夜にオンライン上水公園、上水公園のオンライン版をDiscordで、毎週1回1時間、メンバーシップの方限定でやっている集まりがあるんですけど。そこで特に何かテーマがあるわけでもなく、1時間毎週喋る。喋ってる中で「ちょっとこのテーマで喋りましょうよ」っていうテーマ設定することもあるし、なんとなく話題提供いただいたところからその話になっていくみたいな感じで、あまり形式を持たず、1時間って時間だけ決めてやってるっていうような場があるんですけど。昨日の夜それをやってて、基本的には日常会話、最近こんなことがあってとかっていう話をしてるんですけど。

その中で出てきたことに自分自身が影響を受けてというか、それに反応して自分のアクションが変わるみたいな、つまりちょっとした会話をしっかりと、そこからただの情報ではなくて、栄養を吸収してというか。情報が右から左に流れていくんじゃなくて、情報をちゃんと摂取して、それを踏まえて自分自身が変容していくみたいな、そういう感覚が持てたのはすごく良かったですね。

先週までの課題感がやっぱり、せっかくいろんな人に会って、いろんなお話をして、いろんな体験をしてるのに、面白かったな楽しかったなってなってんのに、右から左にそれが流れていってしまって。大事な体験が、最近はデジタル年次としてNotion上に記録が残っていくんですけども、それはデジタルデータとしての記録であって、僕の心に記憶として刻まれるという感じがあんまりない。それはとても課題だなと思ってました。せっかく今その瞬間その人といるのに、それを印象にそこまで刻めないまま、そういうこともあったなあみたいな感じで流れていっちゃうのは、せっかくの体験が薄まってしまってもったいないなっていう、そういう課題感があったんですけど。

なんで東京に戻ってきてからは、通常運転に戻ってそういうことがあまりないようにというか。一個一個の体験、一個一個の予定とか、一個一個の読み物とか映画鑑賞とか、そういうあらゆる情報を右から左に流すんじゃなくて、しっかりと栄養を吸収すると。一個一個の情報とちゃんと向き合うと。その代わり情報量は絞る。そんな感じでやっていきたいなあと思っているんですね。1000個の情報に触れて2、3個記憶に残るよりは、10個しか情報を取ってなくても5個記憶に残れば、そっちの方が結果いいんじゃないかなっていうのが最近の僕の考え方ですね。

量より質。量はもうこの40年間浴びてきたかなとも思うんで。量ばっかり追って新しいパターンを見出すみたいな、1000個の情報の中から新しいパターンを見つけるよりも、10個の中から過去膨大に摂取した情報と結びつけて新しいパターンを作り出すっていう方法が、もう新しい発見がありそうだなという風に思っているので、量より質ということで。だからあんまりイレギュラーとか、新しいこと新しいことっていうよりも、日常をしっかりと整えるってことに7割8割フォーカスして、残りの2割で新規性のあるものを取り入れていって、自分を変容させていくという意識で生活したいと思ってですね。

でもそれは大枠のところで、別に7割8割のその日常の中でも、例えば昨日の雑談の中で「それいいな、取り入れてみよう」って思えたりとかっていう軽やかさというか柔軟性みたいなものもあれば、全然日常生活の中でも変化ってしていけるなと思うし。その小さな変化の積み重ねで、3年5年10年と見ていたときに大きな変化になっていると。そういう世界観で生きていきたいなと思っているわけですね。

昨日具体的にはどんな変化があったかというと、些細なことではあるんですけども、公園活動のレジャーシートを敷いてる、上水公園という活動は、冬場は寒すぎてちょっとレジャーシートに座れないよねと。実際おととしの12月に、滋賀県長浜市で開催された長山芸術祭っていう芸術祭に、ディレクションを担当していたカモスハウスのお二人からお声がけいただいて、現象として上水公園とゴミラジオという形で出展させてもらったんですね。すごいな、これ工事してるから音きっついかもね。ちょっと曲がろう。

その時に12月の琵琶湖のそばの広場でレジャーシートを敷く。気温が本当、マイナスまでは行ってなかった、夜中はマイナス行ってましたけど、夕方ぐらいは多分1度とか2度とか、そんなだろうと思うんですけどね。ちょっとしんどかったんですよね、寒さが。レジャーシートの下に、一応寒さ対策として一個マットみたいなの持って行って、その上にレジャーシートを敷けば幾分かマシかなと思ってやってみたんですけど、幾分かマシだけど全然寒くて座れないっていう。でもやると決めたからにはやるしかないってことで、その日はやったんですが。

やっぱり参加者の方がもう長時間座れないので、本当に参加型の場というよりは、公園にレジャーシートを敷いて座っているサムウェイという展示物みたいになってやってたんですよね。それだとちょっと、自分を展示物としてやっていきたいわけではないので。そういう側面もあるかもしれないけども、別に展示物で完成というよりは、やっぱり参加型の、みんなでレジャーシートに入ってきてくれた方とはコミュニケーションを取るというようなこともやりたいと思ってるんで、あまりにも滞在が難しい環境というのは良くないなと思って。それ以降はレジャーシートではなくて、冬場というか寒い日は椅子を用意したりとか、テーブル席があるような場所だったらそのテーブルに着いたりとかってことをこの1年ぐらいやってきました。

ただ昨年末、割と気候が良くて、12月なんだけどレジャーシートが敷ける日とか敷けない日とかっていうのが結構交互にあったりとかして。その時に交互にやったりとかしたから比べられたんですけど、やっぱりレジャーシートの方がいいなっていう。いいなっていうのは、テーブルって思ったよりも人を分け隔てているというか。テーブルを囲ってるから一体感あるように感じますけど、なんもないところよりはいいかもしれないですけども、レジャーシートと比較した時にはレジャーシートの方が一体感が出るんですよね。

それはなんでなのかなっていう風に考えた時に、テーブルって言うてもその机を挟んでいますから隔てられているし、椅子は別々で隔てられているんですけど。レジャーシートだと、枠組みの中は一つみたいな感じじゃないですか。四角の外側か内側かみたいな、そういう認識の枠みたいなのができて、レジャーシートの中は何か一緒だよねと。レジャーシートの中と外で違うよねみたいなのが、その瞬間だけ出来上がる。だからレジャーシートの中に隔たりがないので、心理的な距離がすごく近くなるような感覚がありますね。僕だけかもしれませんけども、ありますね。

実際レジャーシートは結構、僕のやつは大きいんですよね。ちっちゃいレジャーシートというよりはやや大きめの、2.5とか3メートルぐらいあるようなやつを使っているので。日によって使い分けているんですけどね、2メートルから3メートルまでですね、使い分けているんですが。レジャーシートは多分テーブル席に座るよりも、物理的な距離としては遠いんですけど、一体感が出るなっていうのをやってみてすごく感じている。なのでせっかく上水公園をやるからには、冬場でもレジャーシートの方がいいよな、なんてことを今言語化してますけども、これにたどり着くために必要な雑談が機能したっていう感じですね。別にこういう話を直接とうとうとしたわけではなくて、すごい色んな、曲がりくねったいろんな雑談をしていく中で今この認識に至っていると。

で、ふとその中で、やっぱり寒さ対策どういうのがいいですかねとか、いろいろ考えていく中で。マット1回敷いて寒かったけど、ちょっとまた別の断熱シートがどうかとか、あれはどうだみたいな。色々ちょっとお金がかかるんですけど、実験してみようかなと。一回やってダメだったからもうやめた、じゃなくて、この道具だったらどれぐらい寒さしのげるのかなみたいなのをいくつか試したりとかして、なんとかレジャーシートを敷ける方法はないかっていうのを模索するっていうのが1点と。

もう1つは、これもチラッと朝礼とかでアイディアで話してたと思うんですが、公民館とかちょっと場所を借りて、その場所でレジャーシートを敷くっていうね。例えば公民館の和室とか借りて、和室にレジャーシートを敷くとかしたらちょっと面白いかもなみたいな。ライトアップっていうか、電気を真っ暗にしてランタンとかで明かりを灯してってやると、例えば昼なのに夜の、すごい夜の場所に来たような感じになって。で、公園が、その上水公園が終わって公民館の外に出たらまだ昼じゃんみたいな体験ができるとかね。別に物理的に公園じゃなくても存在としての公園なので、そこがレジャーシートを敷いた、そこが公園のような場になっていれば、それは存在としての公園ですよねっていう風に昨日言っていただいて。

僕もそのように考えているんですけども、でも僕がそのように言うわけでもなく、メンバーシップの方にそのように提案していただいたことで、やっぱそうだよねっていう風に自信も持てたし。なのでそういう場所を借りてというか、雨風しのげるような場所でレジャーシートを敷くみたいな方法も全然やっていきたいなっていう風な決定ができたし。そうやって、別に会議しましょうみたいな感じで「この件についてちょっと迷ってるんで相談させてください」みたいな、そういう業務的な話じゃなくて、すごい雑談の中でそういったところがポロッと出てきて、ポロッと決まっていくみたいなことがあって。

これってやっぱり、自分が情報に接していく中で、情報というか体験というか、目の前の状況に対してしっかりと向き合えているというか、情報を受け取る余裕がある状態なんだろうなって思ったんですよね。たぶん先週の自分だったら、まあそういう意見もあるかなぐらいの感じで、なるほどってなっても、やっぱり腑に落ちるというか、アクションにまで落とし込めないっていうか、なんとなく頭で理解した終わりになってたような気がするんですけど。今のこの日常に戻ってきた、余裕が出てきた自分の感覚からすると、そういった話を聞いて「それいいですね」って言って、もうその場ですぐ防寒対策のグッズをAmazonで検索し始めて、「これとかどうですかね」とかって話になって、もうアクションにそのまま移行していってるみたいな感じとか。その辺の、自分を変容させていけるというか、アクションまで変えていける余裕っていうのが生まれてきていて、それはとてもいいことだなと思ってます。この感じを目指してましたって感じですね。

だからちょっとまだ業務が立て込んでるんで、この業務負債みたいなものを1月のうちになんとか返しきりたいなという気持ちはあるんですが。これをしっかりと返済すると、本当にこの日常のルーティーン中心にしながら、意識的にイレギュラーみたいなもの、非日常みたいなものを取り入れていくっていうようなバランスに、いよいよ移行していけるのかなっていう感覚がありますね。なんで生活そのものがすごく期待感があって、伸びしろがあって、ワクワクしてるという、そんな今日この頃です。

全然どうでもいい話なんですけど、どうでもいい話じゃないか、全然関係ない話なんですけど。60オーバーぐらいの中小企業経営者の方とお会いして。それこそこの10年ぐらいですかね、こういうちょっとコンサルっぽい仕事をし始めて10年ぐらいになりますけども、思うのは物語語りすぎ問題ですね。自分の経営のビジョンみたいなものを物語で語るのはすごく大事だと。数字で語るよりも物語で語ってほしいなって思う、ビジョン的なものとかミッション的なものはね。けど、何もかも全て物語で語るっていうところがあるなと思いますね。それは業務のやり方も物語で語るし、業務でミスをした時のフィードバックも物語で語るみたいな。全部を物語で語るから、結果、分かったような分からんようなっていう状態が続いているっていう。僕がっていうよりは、社内のみんながっていう感じですかね。

で、うまくいってるうちはその物語の中で守られて、物語の中に生きていれば、要はうまくいってるんだからいいって話なんですけど。うまくいかなくなってきた時に難しいんですよね。うまくいかなくなってきたことに対して、リーダーがまた、そのうまくいかない状況を打破する物語を示して、みんながその物語を信じてやれるんだったらいいんですけど。60オーバーって今言ったのは、やっぱりもうご本人が高齢になって、次の代にバトンタッチしていくっていうタイミングなわけですよね。つまりそのピンチを乗り越えるのは次の世代。次の世代が次のピンチを乗り越えられるように引き継いでいくというミッションなわけですよね。それにもかかわらず、本人がいつまでも物語しか語らないから、もう次期、その継承者というか、事業を承継する人というのは「もう訳わからん」ってなってるパターンがよくありますよね。本当によくありますね。

その間に入って、次の世代のためにというか、次の世代の組織を作っていくというところでサポートをお願いされるような場面とかもよく見かける、よく出くわすんですけども。もうロジックがないんですよね。ないことはないけど、ないというか、超複雑なんですよね。超複雑なロジックなので、いわゆる組織図とか、いわゆるジョブディスクリプションとか、そういうものにもう落とせない。属人化の極みみたいなことになってたりするんで。それをコンサル屋みたいな人はね、僕もコンサル屋に片足突っ込んでますけども、「じゃあそれをそうやって定義して組織図作りましょう」とかやっぱりやるんですけど、それって本当にソリューションなのかっていうのは思いますよね。

再現性みたいな意味では正しいんですけど、もはやその組織、組織じゃないかな、その法人、属人化の極みみたいな感じの法人っていうのは一つの生命体として、別に機械仕掛けではないから、急に機械みたいな仕組みを導入しても機能しないし。移行期間みたいなものはもちろん設定するんですけど、その期間でも、やっぱ相当な脱落者が出てくるっていう感じがありますよね。物語に偏っていると。じゃあちょっとロジックが必要だよねってことでテコ入れをすると、そうするとバランスが変わって。わかんないけど、血中のpHがアルカリに傾いてるか酸性に傾いてるかみたいな、その血中の濃度が変わって住みづらくなった人たちがいるみたいな、そんなイメージですかね。生態系が変わっちゃうっていうやつですよね。大変だよねっていう感じがします。

で、その寓話ばっかり言ってる、その物語ばっかり語ってるご高齢の中小企業経営者の方、全員が全員じゃないけど結構割合としては本当に多くて。そういう方で僕がすごい問題だなって思うのは、いいところはあるんですよ。ビジョンとか、自分たちの存在意義みたいなものをしっかりと示せるっていう意味では、そんだけ物語で語れるっていうのは素晴らしいと思うんですが。一方で業務レベルのフィードバックとか、そういうところまで物語で語っちゃうことの恐ろしさっていうのは、再現性がないっていうか、定義された正解みたいなものがなくて、その時の気分で、気分ってあえて言いますけど、その時の気分で正解をねじ曲げていくっていう問題がありますよね。

すぐクイズ出してきますよね。「この時タヌキはどうしたと思う?」みたいなことを聞いてきて、「いやタヌキは、そうですね、まあ休んだんですかね?」「バカ野郎!」みたいな。回答に対して答えを考え始めるみたいなね。タヌキがどうあるべきだったかって、ぼんやりとした方向性はあるんだけど、タヌキの例えばお話をしてたとして、寓話をお話してたとして、正解をその場で生成していく感じがあって。最初からセンター試験みたいな、今はセンター試験じゃないのか、なんか試験みたいな感じで答えがあるわけじゃなくて、回答に対して答えをそこから考えるみたいなことをして、結局自分が言いたいことが答えだ、みたいな風にしていく感じっていうのがある。

そしてそれっていうのは、長らく機能していたと思うんですよね。転職も当たり前じゃない時代だったとか、終身雇用当たり前の時代だったとか。もしくは就職氷河期で、会社に所属すること自体もかなり難しかった、正社員として所属させてもらえること自体がありがたいことだったとか。そういうマクロな環境が、会社を続けるという、我慢してでも続けるという方に傾いていたから、ある種の理不尽さみたいな、意味の押し付けみたいなことにも耐えられたと思うんですけど。今は現代人の感覚からすると、タヌキの話で理不尽に生きられても知らんかなって感じですよね。何しても違うし、前回のタヌキの話を学習して、次にまた同じようなことを聞かれて、前回の答え、前回正解だった答えを言ってみようと言ったら「そういうところがダメなんだ」みたいなことを言われるみたいな感じで、正解が変わっていく。

それは本質的には正しいと思うんですよ。正解というのはその場の状況に応じて、全ての変数を考えた上でどうかってことだから。本来マニュアルみたいなのも、マニュアルはそうなんだが臨機応変にやってくれっていうのが真実っていうか現実だと思うんですけど。でもとはいえ、そんなことさ、いつまでたっても標準レベルに誰も達しないから、基準みたいなのを作るっていうのは再現性があるというか、組織として100人いたら100人が最低レベルのことができる状況を作っていくっていう話だと思うんですけど。物語で語っちゃうと、足並みが全く揃わないっていうやつですよね。

そうやって意味を押し付けるみたいなことが理不尽に感じられる。要は公平性がないですからね。その場その場で毎回答えが変わっていくってことは、結局あなたが正解ってことなんでしょっていうのをみんな分かって、っていうことはそうやって理不尽じゃん、みたいになって。「あなたに絶対に服従するということが求められてるんですか」みたいなことを、そんなに良しとする人がいないっていうか。絶対に服従する対価を求めるようになったというかね。それ相応の対価があればやってもいいけど、この母級でそんな理不尽に耐える理由ないよねみたいに、やっぱりなっちゃう時代かなと思うんですよね。

そんな時に、まして事業を次の人に渡して組織を作り直すってなった時に、やっぱり2番手の方というか、次に引き継ぐ方っていうのは結構、課題山積みですよね。大変だなと思うんですよね。理不尽みたいなものって、今だったら無視してしまえばいい、仕事辞めてしまえばいいみたいな話になるんですけど。けど、当の本人は物語の中にいるから、「最近の若いもんは」みたいになっちゃうんですよね。最近の若いもんはっていうか、時代は変わるっていうか。時代どころか毎日、朝昼晩って様子は変わってるから、日々、瞬間瞬間変わり続けている。朝当たり前だったことが夜当たり前じゃない。それは世の中がというよりは、例えば朝だと明るいから普通に歩けたんだけど、夜だと真っ暗だからライトがないと歩けないよねとか。これも変化ですよね。最近の若いもんはライトがないと歩けんとか言ってもダメっていうか、それはもう夜なんだからライトいるでしょみたいな話。この変化みたいなものはやっぱりあるからね。物語に偏っていると正解が私になってて、結構辛いなと思う今日この頃ですね。

一方で、少し若い世代というか、今の30代40代とかの人たちを見てみると、そういう人を見ると、今度はロジック偏重というか。数字の整合性が取れていればOKとか、エビデンスがあればOKみたいな、そうなっていくんですけど。でも物語がない。それをやる切実さというか、そこの物語がないから、で何なんみたいなね。数字上整合してるし、数字上利益上がるし、お客様満足度は一応数字上高いことになっているけども、それで何なんっていう。何を目指してるのみたいなことが何にもない。無意味みたいな、数字遊びみたいになってるような人たちもたくさんいて。今度はそれで、物語偏重とまた種類は違うけども、結構地獄みたいな組織だなと思いますね。

経営は確かに数字でできているというか、数字によって形作られているなと思いますけども、でも物語によって魂が吹き込まれているというところもあり。結局やっぱり両輪必要で、会社を駆動するだけのエネルギー、魂みたいなものは物語が担保し、そしてそれをちゃんと形作っていくために、持続可能な形で形作っていくために数字とかロジックがあるということだと僕は思ってるんですけどね。そのバランスが本当に良くないなって思いますね。

だからそういうご高齢の経営者の、物語ばっか語ってるみたいなのにも全く共感できないし。30代40代の経営者の、割と過半数はそうだと思うんですが、論理ばっかり語ってる、ロジックばっか語って数字こねくり回してどうやってるみたいな人たち見ても全く共感できないしって感じで。基本的にピンとくる経営者っていうのがほとんどいないですね。知らないだけっていうのはあると思うんですけど。バランスを取れた人ほど多分地味で、そんな表に出てこないような人なのかなとも思ったりするんで、知らないだけっていうのはあると思うんですけど。でも僕が出会うような経営者の多くは、みんなが見るとは言わないですけどね、本当に経営者の方も何人か思い浮かびますけど、本当に僕の知ってる限りは数人という感じで。その他大勢の経営者全員バランスが悪すぎて、ちょっときついなっていう感じですね。

でもちろん、一人で両方を持つっていうのはちょっと難しいと思うんですよ。僕は例えば株式会社ビッグトゥリーっていう、討論カフェでポッドキャストをやっている、ビッグトゥリーではいわゆるCOOというか、ナンバーツーみたいな感じで。物語全開ののぞみさんという社長を支える参謀としてというか、僕はロジックに結構振り切って、2人が協力し合って、物語担当とロジック担当みたいな感じで議論、結構強度の高い議論をして、バランス取ってるっていう感じで。割といいバランスかなと思ってたりするんですけどね。そこで2人でロジックと物語とっていうバランスを取ってるみたいなこともあるし。

今度は現象の公園活動になってくると、一人でやってるんでちょっとそこ難しいんですが、僕自身がかなり物語によっていく。存在としての公園っていうのを社会実装するという、この物語ですよね。この世界観をしっかりと形にしていくっていう上で、最低限の数字は抑えてはいますけども、でもあんまりロジックで計画されてどうのこうのってしちゃうと、一気にこの物語が、僕が思い描いている存在としての公園っていうのが味気ないものに感じてしまって。ロジックっていうのを割と無視して物語に振って、最低限だけ数字を抑えるって感じでやってたりするんで、やっぱ物語に偏ってるなとは思うわけですよ。

だから一人で両方のバランスを取るっていうのは難しいし、これが5対5とかになっても、それはそれで、なんていうかな、普通っていうかつまんなくなっちゃって。どっちかに振り切ってるからこそとんでもないことができるっていうのもあると思うから。まあここまで話しておいてなんですけど、経営者一人の問題とは思わないというか。どっちかというと、自分が物語に偏った経営をしているのか、ロジックに偏った経営をしているのかっていうものがまずあり、不足している視点を、ナンバー2とは限らないけどね、他のメンバー誰かになってもらって、協力してバランスを取るっていうのがやっぱり会社としていいんじゃないかなと思うんで。

物語によってる人が、物語では自分が正しいんだってロジック側を弾圧するようなことをしちゃいけないと思うし、逆もしかりですよね。ロジックに偏った社長が、物語みたいなものを提示してくれるメンバーに対して「ロジックがない」とか言ってブチ切れててもダメで。その間をやっぱり、視点をもらって最終的に統合するのが経営者の仕事かなと。無い視点は出してもらうんだけども、最後は統合するのは自分自身で統合して、結果、物語とロジックのバランスをいい感じで配合してやっていくっていう。これがいい経営者に求められる要素なんじゃないかなと。自分で全部持っている必要はないけども、最後そこの調整を自分で。どっちかにまず偏るということと、ないものを誰かにサポートしてもらうということを。そしてサポートしてもらった人をちゃんと、ないがしろにするんじゃなくて、無い視点をくれてありがとうというところで協力して、ただ最後そのバランスは自分で決めるよって決めて、会社に浸透させていくと。これがやっぱできる人ってほんと少ないよねって思いますね。僕もできるかっていうと多分できないから一人でやってるんですけど。

経営って大変ですよね。経営って大変ですよねって言ったけど、バランスが悪い組織で働く社員の方も本当に大変だと思う。ロジックに偏ってて、全然人間的なところを無視されて数字数字数字って、数字しか言わないみたいなのもメンタル崩壊しそうだし。物語ばっかり語られて、ハートフルなんだけども全然もう主観的でというか、時々で答えがコロコロ変わって、分かんないけどいつの間にか社長の世話ばっかさせられてるなみたいな状況になってる会社も見かけるし、機嫌取りに走り回ってるみたいな会社もよく見かけるし。どこも大変だなっていう感じがしてますね。人間がやっぱ集まって何かやるとロクなことにならないっていうのが結論ですかね。なので程よい距離感で関わっていける人間関係っていうのが一番健康的なんじゃないかなっていうのが、人生40年生きてきた現在の暫定的な所感でございます。

今回は録音が無事できてるといいなと思います。本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。概要欄にあるリンクからご確認ください。それではまた、ご安全に。