存在としての公園 第86回

実践あるのみ!ありがとう、豊岡演劇祭2026

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概要

借り物の言葉がしっくり来ないなら、せめてコンセプトは言葉にして、あとは実践し続ける。閾値を超えたとき、きっと誰かが言葉にしてくれる。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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9月25日金曜日、夕方4時53分です。東京に昨日の夜帰ってきました。丸1週間、兵庫県豊岡市に滞在してですね、豊岡演劇祭2026に参加してきたわけですけども、本当に素晴らしい、素敵な演劇祭ですね。参加させていただけて感謝感激という、それに尽きますね。前回が確か月曜日の朝に収録して、その夜に公開っていう感じにしたと思うんで、土曜日、日曜日に実施した全4回の公演のお話はしたのかなと思うんで、今日は月曜日以降どんな感じだったか、帰ってくるまでのお話をしようかなと思ってます。

で、月曜日はショッピングセンターの中でレジャーシートを敷くっていう、結構チャレンジングな場所でやらせてもらえることになってました。コープデイズ豊岡さんですね。しかも場所がめちゃくちゃ良くて、入り口入ってすぐの広場みたいなところで、広場というかちょっとしたスペースでレジャーシートを敷かせてもらえるということで、めちゃくちゃ目立つ位置でやらせてもらいました。面白すぎましたね。めちゃくちゃシュール。ここにレジャーシートを敷いてるって、許可ないと絶対できないから、それだけで面白いなって感じですけど、別に面白いで終わっちゃダメなんで、どうなるかなってちょっと不安もありました。やっぱり人通りが多いから、目線が気になるみたいなこともあるみたいで。僕は慣れっ子なので、道行く人がどんな目で見てるかということはあんまり気にならないんですけど、その辺の神経が麻痺しちゃってるんで全然気にならないんですけど、やっぱり参加されている方とかは、こういうところに座ることがないんで、周りの目が気になりますね、みたいな。すごく落ち着かない様子だったみたいですね。

色んな方に来ていただきました。前回も言ったんですけど、これまでの4回は割と、演目と演目の隙間に立ち寄ろうかなと思ったら、5分とか10分以内ですよね、徒歩10分以内のところにレジャーシートを敷いている場所があったんで、プログラムとプログラムの合間に、自分が次の目的にしているプログラムまでの時間つぶしに公園に来るみたいな使い方が割としやすかったんですけど、コープデイズ豊岡は少しだけ離れていて、15分くらいかな、歩いて。なので15分とはいえですよ、やっぱり隙間に来るには往復30分ですよね。わざわざ感があるかなというのがあって、公園めがけてというか、この僕たちの演目めがけてわざわざ来る人いるかなというのを、ちょっと心配してたんですけど、蓋を開けてみれば、本当にいろんな方に来ていただきましたね。

出演されているアーティストの方もいらっしゃったし、関係者、うっすら関係者なのかな、豊岡演劇祭の、がっつりではないけどうっすら関係しているという人とか、お客さんとして2日間滞在してますとかいう方とか、近くの演劇の大学のCATの、1期生だったかな、卒業生の方が、大学近辺のいろいろ懐かしいじゃないですか、演劇祭の時には来てるんだということで戻ってきていたりとか。あとは、初日の図書館の公園に来てくれた方がもう一回来てくださったりとか、前日にやった場所で偶然通りかかって参加してくださった方がもう一回来てくれたりとか、本当にいろんな方が来てくれました。

しかも嬉しかったのが、演目と演目の間の時間に「公園やってないかなって探してしまう自分がいました」みたいな、そして探したらあったんで来ました、とかね、言ってくださって。その方は親子で、お母さんと息子さんで来られてたんですけど、息子さんがそこの演劇の大学に行こうかどうしようかなって迷ってるってことだったんで、豊岡演劇祭を遊びに来てですね、その雰囲気を感じに来たというような、そんな親子だったんですけど。前日は本当に、そういうちょっと視察みたいな側面もあったかなと思うんで、結構大学生とかにインタビューすごいしてたんですよ。この大学どうですか、みたいな話とかね。まあ、そういう場が提供できてよかったなと思ったんですけど、今回はね、そういう感じじゃなくて、本当に公園活動みたいなことに少し意識を向けて参加してくださって。

そのお母さんがすごい嬉しいことを言ってたんですけど、「やっぱりこういう無目的な場ってすごく大事ですよね」っていうね。無目的で集まるからこそ会話に制限がなくて、好きな話ができるっていうか、自由な会話ができるし、偶然居合わせた人同士だから、緊張感はもちろんあるでしょうけど、知らない人と話すっていう。ただ利害関係がないですから、一度話し始めると、日頃の何者かであるというか、機能を果たさなければいけない自分ではなくて、何者でもない自分としてというか、ありのままの自分として話したいことが話せるみたいな、すごく自由な感じで話せてよかったと。

お仕事でね、子供たちが集まるような、保育園ではないんですけど、子供たちが集まるような施設だったりとか、老人ホームみたいなところとかの、なんて言ったらいいんですかね、おしゃれなオブジェみたいなものを作ってるっていう、そういうお仕事されてるらしいんですけど、ぜひ公園に来てほしいと、呼んだら来てくれますか、とか言ってくれるぐらい、すごく興味を持ってくださいましたね。僕の活動の意図っていうか、本当に無目的な人が集まることの意義みたいなことを掴んでいただいて、すごい興奮気味にこの価値を語ってくれて、すごくそれが嬉しかったですね。初日からの変化みたいなものをすごく感じて嬉しかったし、初日の図書館にいて、そこからまた来てくださった方は、初日はすごい警戒心を持って来られたかなという感じがあったんですけど、「よっ」て感じで来てくれて。結構年齢が上の方なんで、友達ってちょっと失礼かもですけど、でも友達ぐらいの感じで、なんかやってるって感じで来てくれて、そういうのも嬉しかったですよね。

そして、そういう人たちが一つのレジャーシートの上で混ざり合う。あとは、テナントの方も来てくれましたね。レジャーシートを敷いていた隣のスペースのテナントの方がお弁当を持ってきて、「これ公園ですよね? お弁当食べていいですか?」って言ってきて、最高でしたね。「どうぞどうぞ」って、お弁当を食べながら一緒にお話したりとか。公園だなぁって。まさかこのショッピングセンターの1階に公園が立ち上がるとはなぁっていう、とてもピースフルというかね、平和な感じでしたよ。すごく良かった。

コープでの実施を終えて、午後は市役所前でレジャーシートを敷くと。直前まで市役所で別の演目があっているので、いつもみたいに2、30分前からゆっくり準備することができなくて、バタバタ、3時開始の5分前ぐらいから準備するみたいな回だったんですけど、こちらも場所が一番来やすいといえば来やすい感じだったと思う。あと外から見ても開けてるんで、なんかやってんなーっていう風にも見えるんで、パーっと人がいらっしゃいましたね。これもいろんな方がいらっしゃって、直前の演目を見たついでにというか、流れてきてくださった方もいれば、お子さん連れでいらして、子供が小さいから劇場とかだと大きい声出しちゃったりとか、まだ道数あんまりじっと捨てられるか分からないから、なかなか他の演目は行けなかったんですけど、みたいな。この公演だったら途中で来て途中で帰ったりとか自由度高そうだったんで、この演目のために来たんですって、京都から来たか分からないけど、京都で働いてる方がご家族でいらっしゃったりだとか。

あとは、今回ポッドキャスト聞いてきましたっていう方が、何人いらっしゃったかな、4人ぐらいいらっしゃったんですよ。それが多いか少ないかで言うと、ちょっとまだ正式にカウントはしてないんですけど、今回4日間7公演で100名以上の方にお越しいただいてるんですね。だから4人って、割合で言うとかなり少なくって。だからポッドキャスト聞いてきましたって人がアウェイになるというか、ポッドキャストが通じないみたいな状況なのはちょっと面白い。僕も含め面白いなと思いました。本当に出たとこ勝負で、何の文脈も共有していない感じで、共通点はこの演劇祭に来たということだけみたいな、それ以外はもう本当にバラバラみたいな。しかもそこも濃淡があって、演劇祭毎年来てますみたいな人とか、そもそも演劇がすごく好きでって方もいれば、豊岡演劇祭は地元だから、この演劇祭だけは来てるんですって方とか、初めて来ましたって方とか。今回ポッドキャスト聞いていらっしゃった方とかは、正直豊岡演劇祭っていうのはよくわかってないけど、僕があまり関西の方に来ることっていうのがないからっていうので、この機会にわざわざ京都の方からお越しいただいたと。京都じゃないのかな、あそこは。兵庫なのかな。京都と兵庫の境目とかなのかな。そのあたりから来てくださったという感じ。

でも本当にいろんな方が市役所前も来てくれて、ここはめちゃくちゃ化学反応が起こってた回でしたかね。アーティストの方が多かったかな。割と出演されてる方が空き時間に立ち寄ってくれたりとか、25日、今日から本番が始まる方とか、割と豊岡演劇祭の後半戦ですよね、後半から公演される方とかが、ちょうど21日ぐらいに入って、ちょっと稽古して本番に臨もうみたいな感じで、さっき着きましたみたいな方とかが来たりとかして、もう本当割とカオスな感じでした。

開始早々ですね、ノッポさんみたいないでたちのおじさんがいらっしゃって、右耳から黒いコードが、くねくねってなったタイプのコードが垂れてたんで、音楽とか聞いてるんですかって言ったら、ラジオ聞いてますって。ラジオ聞きながら公園に参加するとか新しいなとか思いましたね。後に分かったんですけど、阪神タイガース命みたいな感じで、タイガースの試合の中継を聞きながら、左耳で公園に参加するみたいな感じの、ちょっと面白いおじさまもいらっしゃって。その方、帰り際に突然、ロボットの絵を描かれたポストカードと、カーネーションの花をですね、僕と水上さんにくれました。全くどういうことなのか分かんないですけど、多分ウェルカムしていただいたのかなということで、ありがたくいただいて。本当にそういう面白い方もいらっしゃった回でしたね。

そう、ポッドキャストを聞いていらっしゃった方は、絵描きさんで、ご自身の画集を持って来てくださったんですよ。僕は普段ポッドキャストで、そんな人でごった返してないですよみたいな、僕一人の日とかもあるしとか、一人だけ来て一対一で喋ってる日もあるしとか、すごい盛り上がってるわけでもなくて静かにやってるんで、みたいなことを普段ポッドキャストでやってるから、そのイメージで来られたみたいで。地に足のメンバーが3人いるから、画集を3冊、僕たちそれぞれに、自己紹介がてらプレゼントみたいな感じで持ってきてくれたんですけど、せっかくじゃないですか。だからその画集をいただいて、僕はもう他の皆さんに、ハタさんという方なんですけど、ハタさんがご自身で描かれた絵みたいですよとか、画集を渡していったら、この画集ちょっと売ってもらえませんかとか、画集が売れるとか。その画集の後ろの方にグッズとして、植木鉢にペイントしてるみたいなグッズがあったんですよ。これかわいいですね、これ植木鉢売っていただけませんか、みたいな感じで、その場で画集が売れたり、植木鉢が売れたりしてました。そういうのも面白かったですね。売りに来られると困るんですけど、でも本当にそういうことじゃなくて、純粋にただ画集を持ってきたら、自然発生的にそういうことが起こったのは、うん、良かったなっていう。欲を持ってない人がそうやって、棚ぼた的にというか、偶然、今まで積み重ねてきたことに光が当たるみたいな瞬間っていうのは、結構僕も嬉しいなって思って、いい時間になりましたね。

あとは、すごい人生相談をされたりとかね。会社をずっと経営してるけど、このまま続けていっていいのか、みたいな。初対面だったんですけど、すごい重たいですよね、とか言われて、重たいです、みたいなことを言いながら楽しくやりました。結構でも本当、演者さんが多かったかな。だからスヌーヌの演出助手の方とかも、公演と公演の合間の忙しい時間に参加してくださったりだとか、いろんな方が来てくださいました。ダンサーの方とか。

あとは龍太郎さんですね。いきなりこういう名前出してるんですけど、龍太郎さんっていう福岡からいらっしゃった方。今回メロミスに帯同されている、メロミスってアーティストに、メンバーなのかな、帯同してるのかな、ちょっと分かんないですけど、メロミスでいらっしゃってて。25日からドリームタイムっていう演劇を、今日からか、今日からおそらく、今日、明日、明後日まであるのかな。その入りで21日にいらっしゃってたんですけど、初めましてとか言って、福岡なんですねみたいな感じで、すごい盛り上がって、「なんもしないのいいっすね」みたいな感じで、もう瞬時にこの公園の意図みたいなものを汲み取っていただいて、ひときわ自由に楽しんでいただきました。レジャーシートに横になったりとか、うろついたりとか、すごく自由に過ごされているのが印象的でした。

結構それもいい出会いで、これから27日までかな、滞在するにあたって、すでに僕たちが先に来てたから、どこでご飯とか食べてますとか、結構エリア情報とか食事情報みたいなことを共有しながら、じゃあちょっと今日、台所研究所という、素敵なバーというか、食事も食べれるところなんですけど、バーですね、バーカウンターがあって、そこ行くんで一緒に行きますか、とか言って、夜は龍太郎さんと、画集をくださったハタさんと、地に足のメンバーで、台所研究所っていう、結構ディープスポットだと思いますね、あれは。結構演劇祭の方々、スタッフの方御用達の場所なんですけど、知らないと気づかない、結構裏通りに行く途中みたいな、裏通りですね。そこで楽しくお酒を飲んでというか、僕はお酒飲んでないですけど、皆さんお酒飲んで楽しく過ごしたっていう感じでしたね。

こだわりのマスターがもう本当にすごい職人で、昼は1階、2階でおさらぎっていう飲食店をやられてるんですけど、夜9時から、同じ建物の3階にある台所研究所というバーを営業するっていう。どんだけ働くんよっていう感じなんですけど、どんだけ働くんよって思ったら、その料理に使う野菜とかは自分が育てた野菜じゃないと出さないとか、カクテルとかも、ジンジャーとかトマトとか、あれなんだったっけな、ザクロか、あの日はザクロとかも自分で育てたやつを液体にして、それを使ったカクテルを作るって感じで、こだわりの塊みたいな感じで、しかも相当美味しかったですね。僕はもうジンジャー、ジンジャーソーダではあって、ジンジャーエールみたいな感じの味の、喉をいたわるというか。喉が死んでましたとか、今もだいぶやばいんですけど、声が出なくなってたんで、ジンジャーをずっと飲むっていう感じでしたね。

そして翌日の9月22日は城崎温泉ですね。ザ・ジャパンみたいな感じのロケーションの街並みで、そこで温泉が7カ所あるのかな、みたいなところの途中にある、木屋町小路っていう、ちょっとしたショッピングモールじゃないけど、何店舗かが入っているような場所なんですけど、そこの通りに面している場所でレジャーシートを敷かせてもらいました。最終回だったんですけどね。ここが一番苦戦しましたね。やっぱり城崎温泉に来てる方、連休で、しかもその日は城崎であんまり演劇祭の演目がなくて、だからめちゃくちゃ人はいるんだけども、みんな温泉旅行に来てる人たちとか、城崎の街をぶらぶらしに来た人たちだから、城崎の街をぶらぶらするという目的とか、温泉に入るという目的を持ってそこにいるから、何もしないことをする時間はないっていう感じでしたよね。

それでも何組か、何やってるんですかみたいな感じで、家族連れで入ってくださる方とかもいたんですけど、大体時間的には10分とか、家族が待ってるんでとか出て、すぐ帰られていく感じでしたかね。始まりの時間にわざわざ公園するために城崎まで来てくださった方も、お二人組の方がいらっしゃったりとかして、そういうのは本当にありがたい限り。ここをめがけて、わざわざ時間を使っていただいて感謝って感じだったんですけども、比較的城崎は苦戦したかなという印象でした。観光客の方の短時間の数組と、めがけてきてくださった方はお二人だったかな。あとはアーティストの方が、城崎でパフォーマンスする下見に来たついでにちょっと立ち寄っていただいたりとか。

それこそ前日、夜まで台所研究所で一緒に飲んでた龍太郎さんが、コハルさんっていうね、メロミス一緒にやってるハルさんと一緒に来てくださって、最後は身内でレジャーシート、変な場所でレジャーシートを敷いて過ごしている身内みたいな感じで、楽しく喋って終わったっていう。あと、この演劇祭出演が決まる前、面接の時からずっと僕たちをコーディネートしてくださってた、佐藤玲奈さんっていうコーディネーターの方が、最後の日はちょっと時間があったみたいで、一緒にレジャーシートに座ってお話できたんで。佐藤さんとゆっくり話す時間もなかなかなかったから、最後は非日常的な空間で、でも身内とゆっくりレジャーシートでまったりしてるみたいな、そんな時間になって、それはそれですごく東京でレジャーシートを敷いてる時の感覚に近かったですかね。ポッドキャスト聞いて来てくださった方って、結構文脈を持って、すでになんとなく僕のことを知って来てくださるんで、その感じ。みんな僕のことを知って、活動のことを知った上でその場で過ごしてるっていう安心感のもと、最後活動を終えたっていう感じでした。

で、温泉に入って豊岡の方に戻ったんですけども、そうですね、それで翌日に発表会か。公園は22日で終わって、7公演ですね。公演が7公演終わったって、公演と公園でややこしいですけども、公園するという演目、7公演が終わって、翌日23日には、まちの基地ANTENNAでですね、その全7回、4日間の実践の振り返りトークイベントを企画していました。そこのアウトプットは、トークが一つ。そしてポッドキャストで録音して出すっていうやつが一つと、もう一つは、いつも僕がポッドキャストで流しているみたいな映像ですよね。公園の風景、どんなことが行われていたかというのを映像で残すということ。そして今回、水上さんが地に足にいますので、人類学実践者として公園で起こったことをフィールドノートにまとめるという、そんなことをやってくれたので、フィールドノートと映像とトークとっていうのを交えたようなことをやろうかとなってました。ただフィールドノートだけじゃなくて、僕とかまきこさんの文章も載せなきゃねとか、あとはフィールドノートが唐突に始まってもあれだから、「はじめに」みたいなやつとかね、「終わりに」とか分かんないけど、どんなふうにその資料をまとめるのかみたいな、資料作りっていうのが残ってたんですよね。だから城崎で公園を終えて温泉に入って、よし、じゃあもう今日はスーパーでご飯を買って、その資料作りの打ち合わせをしようというやつ。

あとはメロミスがですね、25日から公演ってことで、僕、今日もうすでに東京にいますけど、ちょうど入れ違いで見れなかったんで、ドリームタイム。ちょっと残念だって話をしてたら、龍太郎さんがですね、稽古見ますかって言ってくれて、見れるタイミングがそこしかなかったんで、22日の夜に、コザキっていうね、カフェ、演劇とかイベントとか結構盛りだくさんやってる面白いカフェがあるんですけども、コザキで夜10時からですね、メロミスのドリームタイムの稽古を見せていただきました。稽古を見せていただくなんてこともあんまり経験がなかったから、逆に本番見るより緊張しましたね。本番見るより緊張感がありましたね。でもすごく好みの、本番を見てないから、どういう作品だったってあんまり言うのもあれですけど、僕好みの、ちょっとサイケデリックというか、サイケデリックな世界観と、あまり言葉で説明しすぎない感じ。ロジックで分かりましたみたいな話じゃなくて、感覚的に受け取ってよさそうな感じがいいなって思って。余韻が残るような、一人芝居なんですけどね、すごく余韻が残るし、その余韻に浸っていたいような作品でしたね。まさにドリームタイムって感じでしたよね。結構おすすめなんで、これを25日に配信されてすぐ聞いてる方とか、明日も急いで豊岡に行って、ドリームタイムぜひ鑑賞されてみてください。

そして10時から稽古を見たんで、11時半くらいかな、そこからようやく冊子作りが始まるというところで。ご飯食べて、ちょっとはやってたんですけど、まだ全然まとまってなくて。最初、冊子作る前というか豊岡に来る前は、水上さんが100字とか200字、ちょっと感想みたいな感じで書いてくれたらいいですよって言ってたから、すげえ気楽な気持ちでいたんですけど、ここに来てですね、なんかテンション上がっちゃって、「上水さん、公園の原点と今後の展望をテーマに書いてください」とか言い出して、そんな100字じゃ書けんわって。結局2000字ぐらい書いたのかな。でも、その場で考えて書けるかなと思ったんですけど、さすがは人類学者、ちょっとやることは違うなと思うんですけど、その手前の、城崎は、今回下見で行った時と、市原さと子さんのキティという演目を見に行ったときと、公園をしたときの3回行ったんですけど、2回温泉に行ったんですけど、温泉で結構語り合ったんですよね、水上さんと。あれは実はインタビューだったんだろうなという感じで。そこで結構僕が、なんでこの公園活動をしているのかとか、個人的な思いだけじゃなくて、じゃあこれを社会にどう訴えていくというか、社会の中でどうこの公園活動を影響させていくのか、発展させていくのかみたいなことを、自然に引き出されていたような気がしますよね。だからいざ書こうと思った時に、そのフローで、全裸で二人でいろいろ語り合ったこととかから、そういえば自分の原点ってここだなとか、そういう話を書いたりとか。

やっぱ突き詰めていくと、僕はよく序列、序列って言うんですけど、その広い意味での権力。誰かに何かをさせるみたいな権力にもまたいろいろ種類があると思うんですけどね。正当な、例えば上司から部下に指示するみたいな意味で正当な権力、公私とかもあったりするけども、弱みを握ってるから言うこと聞かせるみたいな権力もあれば、社会に埋め込まれた、なんだろうな、年長者だからどうだとか、なんだかんだとか。とにかく、今日は権力の話を深掘るあれはないんですけども、広い意味での権力、人に何かをさせる、その人が別に望んでいるかどうか、何なら望んでいなくてもさせる力みたいなことを権力だと僕は思っているんですけども、その権力を行使するということに無自覚なやつ多すぎだろう問題に、僕はずっと怒っていて。それは原体験としては中学校の、もっといろいろあるけどね、小学校でもいろいろあるけど、一番強烈なのは中学校のサッカー部の顧問から受けた体罰となんやかんやという理不尽な権力行使を筆頭に、その後の人生、中学校の理不尽ほどではないにせよ、あらゆる無自覚な権力行使に疲弊してきたということがあるし。

逆に僕自身が無自覚に誰かに強いてしまったなみたいな。例えば20代前半の頃バンドをやってた時に、バンドメンバーのこと、僕はフラットだって勝手に思ってたんだけど、やっぱりバンドの発起人であり、中心人物であり、曲を作っていて、フロントマン、ボーカルだったりするっていうことで、メンバーからすると僕のバンドであり、みんなはそれをサポートしてるみたいな感覚だったのに、過度に主体性を求めてしまうみたいなことが、メンバーからするとやっぱり窮屈だったというか、苦しくなっちゃったみたいなこともあっただろうし。その時に僕はそれは当然のことだみたいなことで思っちゃってた。つまり自分の権力に無自覚だったから、フラットだと思っていろんなこと言ってるんだけど、一個一個が重たいみたいな、僕から言われるとちょっと重たいみたいなこととかあっただろうし。そういうことはいっぱいお互いにあるというか、僕自身もそうやって無自覚さから人を傷つけてきたと思うし、傷つけられてきたし、いろんな状況の中で。

っていう個別の関係だけじゃなくて、コミュニティとか、人間集団の中に入っていくとなると、おおよそ全てというとちょっとあれだけど、でも限りなく全てに近い集団で、結局その猿山構造というか、権力者みたいな人を中心にして序列が形成されていくみたいな。特に固定された関係の場だと、その序列関係みたいなものが、僕はすごく気持ち悪いと思っているって感じですかね。なるべく人とフラットに接したいという気持ちがあるのに、自分自身が権力側に立つこともあれば、逆によくわからないヒエラルキーに取り込まれて、お伺いを立てないと話を聞いてもらえないという場面もあるみたいな。それが基本的な社会だということなんだと思うんですけど、僕はその社会に対する抵抗として、単なる抵抗ではないんですけども、一つの抵抗としてやっていると。

それによって、公園活動によって序列的でない時間を過ごすことによって、なんというか、日常とはそれは違うわけですよね。家族の中でもほとんどの家族が序列関係にある。誰が権力を持っているかは家庭によると思うんですけど、力関係みたいなのがはっきりしている家族が多いと思うし、会社に勤めてもそうだと思う。だいたいサークル活動、習い事とかやっててもそういうのありますよね。僕、今太極拳やってますけど、相当な序列構造ありますから、やっぱり。フラット風でいながら、やっぱり先生方はじめ、ベテランの方とか、ちょっと声が大きい方とか、やっぱ力強くて、新参者がやっぱりちょっと周辺にいるとか。とにかく人間が集まると基本的には序列を形成するというのが、悪いことというよりは、そういうものだなと思うんですよ。ただ僕はそこに個人としては息苦しさを感じるし、もっと言うと、この社会がそれによって停滞しているんじゃないかなと思うんですね。従わなくていい常識というか、上のものがそう言ってるからそうしてるとか、今までそうだったからそうしてるみたいな、それによって社会が停滞してるところってめちゃくちゃあると思うから、やっぱり本当にそうなんだっけってことはクリティカルに考えていかないといけないって思うんですよ。それをみんなちょっとよく考えて、本当に目の前に起こっているいろんな現象が、それはそういうもんだからそうなんてもんじゃなくて、本当にそれでいいんだっけって、それって変えられるもんなんじゃないんだっけってこととかを、もっと考えたらって思うんですよ。

でもそんなこと言って、もうね、そんなこと言われてもさって話じゃないですか。そういうのが好きな人はやるだろうけど、めんどくせえって感じですよね。そんな説教みたいなこと言われたくないわって。一生懸命生きてるし、それどころじゃないんだわっていう人がほとんどなんじゃないかなって思うんですよね。だから僕はそうやって、もっと捉え直してみようよと、今のこの社会を。捉え直すことでちょっとだけ変われば、一人ずつがちょっとだけ変われば、社会は結構変わると僕は思ってるんですけど、でもその変わるってやっぱ、個人の責任というか、個人に委ねるのはちょっと酷だなというのは、この40年生きてきて思う。現状でないものを思考実験して、その仮定の世界、もしそうだったらこうかもしれないという、その中小空間に臨場感を持ってイメージできる人って限られていると思うんですよね。そういうの考えるのが嫌いな人もいるし、苦手な人もいるしとか、考えたところで、頭ではわかるけど実感が湧かないという人もいるかもしれないしとか、とにかくいろんなハードルがあるなと思っている時に。

やっぱり日頃とは違う、序列関係ではない時間を過ごす。部長でもない、親でもない、年長者でもない、よくわからない体を持った自分がその場にいて、いろんな人たちと、偉そうにもできないし、偉そうにもされない場所でコミュニケーション、他者とつながる。そういう時間を、ましてや目的もない時間ですよね、経て初めてですね、目的のない時間を経て初めて、目的にまみれた日々を見つめることができる。序列的でない関係を持つことによって初めて、日頃の序列的な関係に自覚的になれる。やっぱり対象を見つめるためにはその外側に出ないといけないんだけども、その外側に出るってことが結構ハードルが高い。それはいろんなアート作品を見ることでインスピレーションを得られる方もいるかもしれないし、本を読んでそのようになる方もいるかもしれないし、自分で思考実験してたらたどり着く人もいるかもしれないんですけど、みんながみんな自力で外側にたどり着けるわけではないと思うので、場所として、そうやって日常の外にというか、序列の外で、社会の半歩外側で、ありのままの人間として過ごす時間みたいなのがあると、また自分を見つめ直すことができるし、自分を見つめ直した時に初めて、今のままでいいんだっけみたいな。今のままでいいと思える方は、改めて今の生活ありがたいなみたいなことに気づけるだろうし、今のままじゃ良くないって思う人は、何がどう良くないのかっていうのを少し見つめやすくなるっていうこともあるかなと思うんで、そういう効果が意外と僕は公園にはあるって、今回思ったんですよね。

人との関係の仕方が、もうやっぱりあまりにも目的化された社会の中では、序列がやっぱデフォルトになっているんだと思うんですよ。年上だから年上的に振る舞おうとするとかさ、こういう職業だから社会的に割と地位高めだとかっていう前提で人とコミュニケーションしようとしちゃうんだけど、公園じゃそれが通用しないっていう経験を経て、フラットな人と繋がるって結構新鮮だったみたいな、ちょっとね、新鮮なみんな顔を捨てたなって思います。もともとそういう感覚を持ってた人には、こんな場所があるんだって、ちょっと感動というか感激されてる方も中にはいらっしゃいましたし、その感覚として、数回来る中で、こういうことなのかもしれないみたいな感じで感覚をつかんでいく方もいらっしゃったし、やっぱりその公園の可能性みたいなのにもすごく気づけた回だったなと思いますね。

ちょっと話脱線しちゃいましたね。とにかくそういう話を文章に、膨大になっちゃうんで、無理やり1000字とかにまとめたっていう感じです。それを公園する宣言として文章にまとめましたので、これはどうするんだっけな、ちょっと今メンバーで話し合ってるんですけど、冊子自体は発表会に来た方のためのものなので、なかなか配布というのはできないんですけど、できないというか、あの場にいた人に共有するという趣旨でやっているので、無料では出せないんですけど、出版というか、何らかの形で手に取っていただけるような形にはしようかなということを、今メンバーで話しているところですね。フィールドノートの部分は水上さんの有料ノートで読めるんで、フィールドノートが見たい方は、ぜひ水上さんのノートのメンバーシップに入っていただけたらいいかなと思います。公園する宣言は、無料で出していいのかどうなのかなってちょっと分かんないんで、出していいっていうことになれば無料で出しますし、出せなかったら一旦メンバーシップ限定で公開するような感じにしようかなと、文章をね、しようと思ってます。

いずれにせよ、あとまきこさんが書いたのが何だったかな、公園活動をアートの文脈で芸術祭に提案するということがどういうことなのか、という文章をまきこさんが書いてくださいました。結構この辺質問が多いところですよね。公園活動の何がアートなんですかとか、なんで芸術祭に出るんですかみたいなことが気になる方とかは、ぜひまきこさんの文章を読んで、なるほどなっていうところになったらいいかなと思います。いずれにせよフルセットの冊子、30ページぐらいかな。一旦ちょっとバタバタ書いたんで、文章がおかしいところとかは直そうかなと思ってますけど、おそらく30ページぐらいの本というか冊子というか出版物になると思います。で、それをもう夜鍋して、結構まきこさんとか朝方まで帰ってたんじゃないかな。僕はもう2時ぐらいに限界来て、もうこれで行きますって言って、明日の朝最後もう一回読み直してチラッと直すだけで、もうこれで行きますって言って、2時ぐらいに寝て、朝起きてちょっと直して、で10時から会場設営。僕だけ会場設営に行って、2人は出来立てのデータを持って印刷しに行く。もうほんとドタバタですよ。なんで中1日開けなかったんだって今後悔してますけど、でも思い出ですね。すごいバタバタと仕上げていったという感じです。

で、発表会。これ他の演目と被ってたみたいで、最初、数名、何人いたのかな、あんまりいなかったんですよ。6人ぐらいの方が来てくださって、でもすごく、その公園に何回か来てくださった方が来てたりとか、その公園活動にものすごく興味を持ってくださってる方、住み開きをされてる方とかね、とか芸術関係者の方とか、結構この公園活動の、こうやってトークイベントで、つまりどういうことだったんだみたいな話を聞きたいっていう方が集まってくださってたんですよね。多分演目が終わって、途中からぞろぞろ人が入ってきて、結構最終的にはたくさんの人に聞いていただけたと思うんですけど、ありがたいですよね。その発表会の模様は、次回このポッドキャストで全部流そうと思ってます。もともとそのつもりでいたんで、トークイベントは録音してポッドキャストで流すっていうことを予定していたんで、次回、音声ですけど流したいと思ってます。

ただ、出すんですけど、正直出したくない気持ちがあります。というのも途中でですね、感極まってしまいまして、僕が柄にもなく泣いてしまったんですよね。ちょっと恥ずかしいですよね。トークイベントで泣いてるやつなんなんみたいなね。ちょっと恥ずかしい感じになっちゃってるんですけど、別に感動の押し売りみたいなことをしたいわけではないんですが、ちょっと涙が出てきてしまったので、その様子もそのままカットせずに流します。発表会の様子は、ぜひその時に聞いて頂けたらいいかなと思いますね。

そして、その日はもうお疲れちゃったんで、昼寝して。昼、発表が終わったと。夕方から最後の晩餐ですよね。最後何食べましょうかねとか言いながら、街を普段歩かない方向に歩いたりとかして散歩しながら、偶然見つけた韓国料理屋があって、水上さんがすごいそれに惹かれてですね、ちょっとここに行きましょうって言うから、まあまあじゃあ行きましょうかって言ったら、お客さん誰もいなかったんですよ、その日。誰もいなくて、僕たちの後に一人入ってきたぐらいで、すごい静かな感じで。「今日はもう連休の最終日だから、お客さんがおらんのよ」つってね。僕がポッドキャスト一緒にやってるカナプリさんっていらっしゃるんですけど、カナプリさんやんって感じのキャラの店員さんが、めちゃくちゃ面白かったですね。「あんた芸能人?」みたいな感じで言われて、そうですとか言ってね、適当なこと言いながら。宣伝しといてな、みたいな感じで言われて、その場で、じゃあちょっとGoogleマップに今からレビュー書きますとか、その場でSNS投稿したりとか、Googleマップに書いたりとかして、っていう。一方で料理めちゃくちゃ美味しかったし、量が多い。本当、韓国の、現地の韓国料理って感じで、韓国のお店って量が本当多いって言いますよね。安くて量が多くて美味しいみたいな言いますけど、そんな感じでしたね。めちゃくちゃ美味しかったし、お腹いっぱいになって、また豊岡に行きたいなと思っているんですけど、行くタイミングがあったらぜひ行きたいお店、そしてぜひ会いたい人の一人になったなという感じでした。美味しく、チヂミ、もつ鍋とかね、いろいろいただいて、まだそれでも8時半とかだったから、どっか行こうかねって言って歩いてたんですけど、僕たちが知っている台所研究所もまだ開いてなかったし、他のお店も多いしって感じで、じゃあもうちょっと宿で3人でしっぽり行きますかねって言って、夜はゆっくりしましたね。

そして結構嬉しいことがあって、2日目の公園、まちの基地ANTENNAという場所でやった公園の時に、本当に10分とか15分だけ来てくれた大学生の女性の方がいて、その方は、ただいるということ、まさに僕がやっているようなことですよね、ただいるということをパフォーマンスとしてやるっていうのを結構やってるんだけども、っていう方で、だからすごく今回この公園する場を楽しみに来ましたみたいな。ただ学生さんって実習という名目でですね、演劇祭のスタッフをずっとしてるんですよ。だから忙しくって、その子もちょうど入ってる現場が割と忙しい場所だったんで、合間の10分だけ来ましたとか言ってくれて、深く話はできなかったんですけど、ありがとうございましたとかってね。そんな近い感覚で活動してる人がいて嬉しいですみたいな話したのかな。そこまでもしてない気がしますね。すごく興味があってみたいなことは言ってくれたんだけど、ちょっと現場があるんですぐ行っちゃった子が、インスタグラムでDMをくれて。最終日かな、最終日っていうか発表会の日か、インスタグラムにDMくれて、すごく公園をいいなと思っているんで、ぜひ話をしたいっていう風にいただいたから、もう嬉しいですよね、そんな風に言ってもらって。だから、ちょっと明日東京に帰っちゃうんで、明日のこの時間までに少しタイミングがあったらお茶か何かしましょうかって言ったら、午前中行けますってことで、翌日、最終日ですね、帰る日。

昨日、宿をチェックアウトした後に大学生とランチをしました。話を聞いていると、本当に素敵な活動をされているし、まだ試行錯誤されていて、「これ」という形に定まってはないみたいですけども、根底には、ただいるということで自分を見つめ直すとか、自分の存在を、ここにいるということを実感するような何かことをやりたいと。実際じゃあ本当に何もしないっていうのじゃ難しいなと思っていて、ワークショップっぽくいろいろなことをやったりだとか、仕掛けをいろいろやったりとかしてるんですけど、とか言ってて。僕の活動は相当ハードコアですよね。レジャーシートを敷いているだけ、マジで何もしませんみたいなことやってたから、めちゃくちゃハードコアなんですけど、何もしないの極みみたいなことやってるんですけどね。そういういろいろ試行錯誤されながらやってると。ただ一方で、周りの学生さんとか先生方からは、じゃあそれが何なんだってことを、言語化をすごく求められると。でも本人は言語化することをすごく、なんか違うなと思うと。本当そこも僕と同じ悩みを抱えてますよね。

何て言うんですかね、紙一重なんですよね。やっぱりやってることを言葉にしないっていうことは、どこかで自分でも気づいている、僕もそうだから自分でも気づいているけど、どこかでそれって逃げなんじゃないかって思っているというか、説明しないことで何か突っ込まれないようにしているんじゃないかみたいな、そういう要素もあるのかなと思うし。でも一方で、本当にこの活動はあまりにも狙い撃ちしていないというか、存在ってそんな一言で言えるものではないから。例えばですけど公園活動で言うと、これは福祉の活動です、居場所がない人にこの居場所を作るんですとかって言ってるわけじゃないじゃないですか。そういうことを言うと、それはアートではないということになるし、それはエンターテインメントではないということになるしとかっていう感じで、何かであるっていうことは同時に何かでないっていうことを、特に本人がそれを言っちゃうと、何かであるということは何かでないっていうことを言っていることにもなるなって思うんですよ。矛盾するようなことをずっと言ってる人みたいになっちゃうっていうかね。だから結局、これは何々ですっていうことって、すごく難しいことだなって思うんですね。広がりがあるやつほど、ふわっとしてる活動ほど。コンセプトが先にあって、すごい具体的なことやってる人は、より言語化を研ぎ澄ませていけばいいと思うんですけど、言語化されてない、ふわっとした、でもそこに魂乗っかってますみたいな、ふわっとしたやつって、言葉にして削ぎ落とされることにすごく抵抗があるんですよね。だからその子も、どういう学校かって自分で分かってるし、どういう先生方かってのも分かってるから、どういう風に説明すれば、それ面白いねって言ってもらえるのかは分かると。分かるけど、例えばこれはアート、こうこうこういうアートですって言っちゃうってのがすごく抵抗があって、なんかこれって言えずにいるんですっておっしゃってて、わかるっていう感じでしたね。

でもそういう方に、僕は今なら、本当にこの豊岡演劇祭を終えた今なら言えることというか思うことなんですけど、やっぱ覚悟を決めて、もうじゃあ言葉にしないっていう。コンセプトだけはギリギリ言葉にした方がいいと思うんですけど、何やってるか分かんないって、周りから見て思われてもいいから、これはこういうコンセプトでやってるんですっていう、その一文だけ言えればいいと思うんで。例えば僕だと、存在としての公園というコンセプトでやってますっていう。その説明の仕方っていうのが、なんていうのかな、あんまり説明できてなくてもいいのかなって僕は思ってるんですけど、正直ね。存在としての公園というコンセプトでこれをやってるんですっていう、そこだけ言語化できれば、あとはどっちかっていうと実践あるのみっていう。そういうタイプの人はね、実践あるのみかなと思います、僕も含めね。そうするとその実践を通じていろんな人の目に触れ、するといろんな人がいろんなことを言ってくれる。僕のこの公園活動2年半はまさにそういうことを、迷いながら、ひたすらいろんな言い方をしてみたり、ああでもないこうでもないと迷いながら実践してきた結果、これはアートだっていう人がいたりだとか、これはやっぱり福祉だよねっていう人もいたりだとか、いろんな方がいる。そこで気づくんですよね。別に自分がこれですって言ってなかったら平気だってことですね。この人がこれをこう思っている、だから別にいいじゃんっていうね。そういうことでいっぱいありますよね。ドラマを見て、このドラマはすごいヒューマンドラマなんだっていう人がいてもいいし、これは全然ヒューマンドラマなんかじゃなくてっていう人がいてもいいっていうか、そのドラマをどう見るかは自由と一緒で、僕のこの活動、この作品を他者がどのように解釈するかは自由だなと思うから、人に言葉にしてもらうっていうのがやっぱりいいんだと思うんですよね。

だからコアの部分だけを言語化してコンセプトと、あとはその活動してきた、実践してきたものをどこかに記録としてまとめておくということ。地層のように積み重なっていってるっていう状況だけ作っておけば、どっかのタイミングで誰かが、これってこうですよねとか、これってこういう風に言えますよね、ってことを言ってくれる。僕の場合だと、2024年に、のぞみるきさんと塩田もたやさんがですね、長浜の芸術祭、滋賀県長浜市での第0回の、試しにやってみます、第0回のプロローグとしてやってみますっていう会に僕を呼んでくださって、つまりアートという文脈で僕の活動を捉えてくださって、それを知っていた水上さんが、やっぱり公園活動はアートの文脈で提案できると思いますよ、芸術祭出ませんか? 出ないんですか? って言ってくれて。僕も能動的に自ら出ようとするということができるんだってことを、その時に知って。呼ばれないと出れないと思ってたけど、そうやって公募があって、応募して通れば出れるみたいなことを知らなかったから。そうやって水上さんに誘われて、じゃあ一緒にやりましょうって言って、演劇界隈で、業界でお仕事されてるまきこさんも呼んで、3人で地に足っていうグループを結成して、それで公園活動をアートの文脈で提案するっていうユニットとしてやってますけども、それだと僕もやっぱり嫌じゃないんですよね。僕が別に言ってるわけじゃなくて地に足として言ってるし、それは公園活動という実践が元にはあるんだが、それをアートの文脈で提案するというプロジェクトだから、別に公園活動がアートですって言ってるわけじゃなくて、公園活動にはアートの側面がありますよねと、そのアートの側面からアプローチしていくプロジェクトですって話だから、全然嫌じゃないなと思って。あんまり僕は、言語化に、現役として僕の体験とか思いみたいなことを語るけど、最終仕上がっていく言語化の部分にはなるべくノータッチ。あんまり何か言ったりせずに、二人が、水上さんとまきこさんがしっくりきた形で言語化してもらって、それを演劇祭とか芸術祭に提案して。で、今回その豊岡のフリンジのスタッフの皆さんが、この企画書を読んで面接をして、これは採択してもいいということで、今回演劇祭の場に立つことができたと。本当にありがたいことですよ。

実践あるのみとかさらっと言いましたけど、実践もね、やっぱり僕の公園、海のものとも山のものともわからない何かに楽しそうって来てくれるとか、僕の活動興味あるって言って会いに来てくれたりとか、単純に僕に会いに来てくれるとかいう感じで、誰かがそこに来てくれたことで。180回やってますけど、誰も来なかったら多分やめてると思うんですよ。でもやっぱりそこに来てくれる、応援してくれるから、こういう場所をもうちょっと頑張ってみよう、もうちょっと続けてみようって思えたし、やっぱりメンバーシップ、そこでお金を出してまで応援してくださる方っていうのがいらっしゃることで、やっぱりこれをちゃんとやり切ろうっていう思いにもなれているから、本当いろんな人の支えがあってですね。そういうバトンが繋がれて場があったし、その場で現れた色んなアーティストの方、演劇関係者の方、来場者の方とか学生さんとか、色んな方々がそこで混ざって、またそこで出会いが生まれた。その出会いから化学反応が生まれて、また今度福祉施設に呼んでいいですかっていう、本当に呼ばれるかはさておき、そういう気持ちになっていただいたということとか。あと福岡で、まだこれ決定してないからあんまり話半分で聞いてほしいんですけど、福岡にマヌコーヒーっていうちょっと人気のカフェがあるんですけど、マヌコーヒーのオーナーが知り合いで、クジラ店っていう薬院にあるマヌコーヒーのクジラ店の屋上で公園しましょうよとかって提案してくれたりとか。面白いっすねみたいな。そういういろんな人のバトンでここに座って、レジャーシートでそれからまた新しい縁が生まれて、また次の場所につながっていくみたいな、回転し始めたなみたいなのがすごく実感としてあって、結構やっぱりそれはもう感激が極まっちゃいますよという感じでしたね。

あ、そうさ、はるちゃんまた脱線しちゃってるわ。そう、大学生の子にもその話をしました。だから、言葉にしなくてもコンセプトだけは言葉にした方がいいと思うけど、それが周りから意味わかんないと言われてもいいから、自分の中でしっくりくる言語化を最低限コンセプトだけやって、あとは試行錯誤、形が変わってもいいと思うし。僕も相当形変わってますからね。いろいろやってましたからね。本当にゴミ拾いをやったり、別に辞めたわけじゃないけど一旦休止してるゴミ拾いとか、自習室とか作ってたんですね。オンライン自習室、ガクチョクとかやってたし、いろんな活動やってたんですよ。けど今は、複雑だと分かりづらいだろうということで、レジャーシートを敷く活動と晩餐会の2つを公園活動とするということで、去年から一回整理してやってますけど、そうやってやりながら、広げたり縮めたりしながら実践を積み重ねていく中で、それを見ている人が、一緒に何かやろうよとか、これってこういう風に提案してみたらどうとか、そんな感じで言語化をサポートしてくれることってあると思うから、実践し続けてくださいって話をしましたね。

そのことが僕の中では結構ヒントというか、すごく重要だなと思っていて、ただあることをパフォーマンスでやるとか、パフォーマンスじゃなくてもいいけど、ただいるということ、ただあるということの価値みたいなことを何か提案したいと思っている人が、すごい説明の暴力に遭うんですよね。説明しろと、何の価値があるか言えと、何をするか言えと。いや、何もしないんですよ。何もしないわ、それ何もしないか何もしないだろうって、めっちゃ言われるんですよ。何もしないことをするってことは、やっぱり分かんないみたいなんですよね、多くの人には。だからすごく周りの人から、何もしないってなんだよってすごい突っ込まれて。みんな何かしてるから、何かしないのはそれは怠惰だとか、そういうふうに思われちゃうんですよね。けど何もしないってことをしてるんだと、しかもそれはよく考えた上でやってるんだと。その時に自分の言葉で説明すると、さっき言ったみたいに、これは何々ですっていうのが結構しっくりこない時ってあると思うから、ちょっと影響を受けている人たちで、地に足っていう人がいてですね、何もしないっていうことをやってる人がいるんですっていう。何かそれが、僕たちがちょっとでもですね、活動として認知されていけば、ああなんかそういう人たちがいるんだなみたいな、前例がちゃんとあるんだなと思うだけで、じゃあ何もしないということを捨てるんだね、よしって、なるのかもなぁとか思ったんですよ。だから参照できる参照点にならなきゃなっていう、そういう気持ちも芽生えてきましたね。

何もしないということをする、無目的な時間を過ごす。安全に他者と出会うということがどういうことかっていうことを、僕はすごく考えながらやってるんですけども、そのためには何もしない、無目的な時間でないといけない。目的的であった瞬間、それは序列関係に直結するから、無目的であることはとても重要なんだみたいなことを思っているんですけど、その実践がちゃんと社会に、ちょっと今回豊岡に行きたいという実績が一つできたと思いますけども、そういう実績を踏んでいって、地に足って人たちがいろいろやってるなとかいうところで、一からでもただいるってことをしようと思ってますと言いやすい、やりやすい環境っていうのを作れるというか、その一助になれるんじゃないかっていうような、そういう展望も出てきました。

どういうことかというと、僕の活動ってやっぱりレジャーシートを敷いて僕がいるとか、晩餐会でもいいけど僕がいるっていう。そうするとその場には10人とか20人とかっていう人数がアッパーなわけじゃないですか、その1回においてはね。今回ちょっとハイペースで、あとお祭りでやれたんで、4日間で100人超えの人と交流できましたけども、それでも100人かよって思う人は思うわけじゃないですか。ライブに15万人動員しますみたいな人もいるわけだし、だからインパクトみたいなことを言う人からすると小さく見えるかもしれないんですけども、そんなことはないと僕は思っている。今回大学生と出会って確信に変わったんですけど、やっぱり深さはまず違うし、レジャーシートの上で長時間共に過ごすということは、一定時間共に過ごすとか、何回も顔を合わせるということの深さが圧倒的に違うし、そしてそういったただいるという活動をする人が、社会運動ですよね、別にレジャーシートを敷いてくださいと言ってるわけじゃないですよ、ただいることの、無目的な時間を誰かと共に過ごすことの価値みたいなことを感じて、そういう活動が広がっていくってことがあったら、それってやっぱり社会的にもインパクトあると思うんですよね。その時の一つの参照点として、地に足っていう人たちがレジャーシートを敷いて、上水という人が一人で居らしいとしているという活動があって、みたいなことが後ろ盾になれれば、自信を持ってただいることがしやすくなるんじゃないかなみたいな。そうすれば草の根的にやっぱり広がっていく可能性に満ちてるなって今回すごく思ったんで、もっともっといろんな場所で実践して、いろんな人たちと出会っていって、自分たちのこの活動を知ってもらうってことをしたいなーって、今回強く思いましたね。はい、すごく良かったです。

ってな感じで大学生とのランチを終えて、午後は出石を観光しました。国宝、映画「国宝」の中に出てくる永楽館でですね、いきなり本読みっていう、台本読むというか、俳優さんたちがその場で初めて見る台本を読むっていう、エンタメですよね。初めて見る台本で初めて見る役に、そのまま、読んだこともない台本で見たこともないキャラに入っていくっていうような。そして役も持ち回りで、どんどんシーンごとに役を変わりながらみたいな感じで、俳優さんのやっぱり凄さみたいなのと、いろんなキャラになりきる面白さみたいな、エンタメ劇ですよね、エンタメショーって感じかな、を見させていただいて、東京に帰ってきたという。本当に濃い1週間でしたね。本当に濃い1週間だった。

もうとにかく反省は、早々に声をやっちゃったことですよね。喉をちょっと痛めてしまって。まさかね、僕あんまり喉をやらかすってことがないんですけど、風邪もね、なんか数年ひいてない気がしますけどね、ちゃんとした風邪は。でも帰ってきてからね、鼻水出して、風邪かってなってるんですけど、とにかく滞在中に喉をやっちゃって、喋る活動なのに全力で喋れないっていうのは、だいぶ反省ですね。やっぱり環境が変わると崩しやすくなっちゃうし、疲れも溜まりますからね、忙しいからね。そういうところを見越して、早い段階から喉をケアすればよかったなとかっていう大反省もありつつ、次に活かしていきたいと思ってます。

色々イベントが目白押しなんですが、ちょっと今パッと分からないんで、今分かるやつだけ言うと、明日土曜日ですね、井の頭公園で、吉祥寺井の頭公園で線香花火大会をやります。夜7時から夜9時までレジャーシートを敷いています。そして多分8時前後ぐらいから線香花火に火をつけて鑑賞するっていうのをやります。あとは10月に京都、国際舞台芸術祭、京都エクスペリメントかな。10月16、17、18の3日間、金土日3日間ですね、京都にいます。関西に行く機会って本当僕は少なくて、基本東京か福岡にいることが多いから、この機会にもしタイミングが合う方がいらっしゃったら、ぜひ京都でお会いできたらと思います。16日は東本願寺、お東さん広場という芝生のところでやります。お昼1時半から3時半。17日土曜日は円山公園ですね。八坂神社の隣にある円山公園の電波塔の近くにレジャーシートを敷きます。こちらが2時半から4時半です。そして18日日曜日は鴨川でレジャーシートを敷きます。これはゲリラ的に、いつもの公園活動みたいに、勝手にやるっていうか、芸術祭、演劇祭のプログラムとしてではなくて、勝手に鴨川でレジャーシートを敷いて過ごそうかなと思ってます。こちらはまた追って時間と場所を案内させていただきたいなと思ってます。

というわけでですね、豊岡演劇祭、申し込んだのが春で、決定したのは確かゴールデンウィーク明けとかだったと思うんですけど、で6月から告知開始して、なんだかんだしてるうちに、あっという間に終えて今に至ると。でも本当この1週間の経験は、この公園活動にとって大きな転換点というか、転換点というのはちょっとわからないな、とにかく次のフェーズに行く感覚というのがすごくあって、視座が一段高まった感じがしていますね。あくまで僕の活動を僕の思うように実践する、それは変わらないんですけどね。それを必要だと思う人、重要だと思う人は応援してくださいっていう、結構個人的な活動として。もちろんそれが社会の中でどういう意味があるかってことは、一定の規模に達していかないと見えてこないけれども、その実践を応援してくださる方はメンバーシップになってくださいっていう、結構個人的な活動だったのかなって思ってるんですけど、でもそれが今回、公の場というか、ある意味僕個人だけじゃなくてチームで何か社会に提案し、そしてそれを受け入れてくださった団体がいて、という感じで、いろんな文脈が混ざり合うフェーズに来たなと思っているので、いろんな人たちともっとコラボレーションといいますか、いろんな人に呼ばれたら行くとか、いろんな場所にもっと出向いていくとか、そういうふうにもしていきたいと思うし。

さっきも言ったみたいに、何もしないということをするということの価値っていうのは、意外と伝わる人には伝わるんだなっていう手応えもあったんで、しっかりと届く、まずは優先的に届きそうだなと思う人たちがいる場所に行ってですね、この活動を知ってもらうというところから始めて、いるということの価値、存在するということ、ただいることを実践するみたいな人が、ただいるだけでいいんだよということを実践するような人がもっと増えてくるような、そういうところに向かってですね、しっかりと僕自身が活動を確立させていけたらなぁなんて思った次第でございます。とにかく感動しました。

次回、その発表会の様子を、1時間くらいの発表会だったんですけど、その様子をノンカットで流していきたいと思います。ほぼノーカットかな。ちょっとノイズがあったとことか、そこはカットしてますけど、原則ノーカットで出していきますんで、ちょっと聞き苦しい、見苦しい部分もあるかと思いますが、よかったらですね、この1週間の豊岡に滞在した報告会、聞いていただいて、こんな1週間だったんだなというのを一緒に感じていただけたらと思います。というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録いただけると嬉しいです。概要欄にリンクありますので、よかったら見ていってください。それではまた。ご安全に。