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概要
春の朝、知らない方向に25分走った。方向音痴で迷子になりながら、さびれたスナック街に出くわす。変わらないことの美しさと、変わらなければ滅びるという現実。そのバランスの中に「コア」はあるのか。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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3月18日水曜日、朝7時20分です。珍しく、収録を配信日から数えて2日前の朝7時20分にしているという珍しい状況です。なんでこんなことになっているかというと、今朝からランニングを始めました。前も何度か始めてはやめ、始めてはやめみたいなことがあったんですけど、前回、一瞬習慣化されそうになったのが9月末ぐらいだったと思うんですよね。東京に来た新生活という、この勢いに乗じてやってたんですけど、なんでやめたんだろうな。ちょっと忘れたけど、すぐに走れなくなっちゃって、そのまま冬が来ると、もう朝、寒いじゃないですか。起きたら寒いし、布団から出れない。頑張って布団から出たと思ったら、家の外に出てめっちゃ寒いみたいな。もう地獄に地獄を重ねるみたいな感じになっちゃうんで。
強制的に出ないといけないタイミング、朝礼でしょうね、僕の場合だと。朝7時の朝礼は絶対なので、そこに頑張って、ああ、もう寒いなあとか思いながら家を出るっていう冬だったわけですけども。それがようやく春になってきたなあって感じ。朝起きてもそんなに寒さはないし、家の外に出ても、まだ気温にばらつきはあるとはいえ、おおむね、そんな寒くない日が、もう10度以上ある日が朝から続いているというところで、そろそろ走れそうだなあと思って、今日から走っているんですね。
普段行かない方向に、家から出て走って、25分ぐらい走ったのかな、朝礼までの時間走ってたんですけど、25分間知らない方向に走っていくと、本当に知らない場所に着くということで。その見たことのない街並み、旅行に来たような気分ですよね。それを見てちょっとテンション上がったりとかしながら、朝礼を終えて今なんですが、一個問題があって。予定では、朝礼の時間、約15分間あるんですけど、その間、家に向かって歩くっていう。なので家から15分のところぐらいまでなんとなく意識して走って、朝礼の1分前にGoogleマップをパッと見て、だいたい15分ぐらいだな、よかったと思って、Googleマップを閉じて、Xのスペースを開いて喋ってると、15分経ってスマホを見ると自宅まで30分になってて、方向音痴が炸裂してしまいまして。15分で家に帰り着く予定が、家からさらに遠ざかってしまったという、そういう状況でございます。
方向音痴で困ることってこういうことなんですけど、あんまり僕自身は困ってなくて、だったら収録するかとか、知らない場所にたどり着いたなみたいな、そういう余裕、心の余裕がありますね。それもこれもGoogleマップのおかげというか。最悪Googleマップ見れば家に帰れるという安心感。これがないとめちゃくちゃ不安で怖いですよね。これがないともう人に聞くしかないですもんね。一番家の近所にある、誰もが知ってそうな何か目印っぽいやつを尋ねて、ああ、それはあっちの方向ですよと言ってね、あっちの方向に歩いていくと、見たことのある道に出てきたなみたいな感じでたどり着くんでしょうね。だからもう人とのコミュニケーションが強制的に発生するっていう感じか。だからそんなに困らないのか。聞かれた側は困るかもしれないですけど。突然人に話しかけられるみたいなことが、もうそんなに自然ではなくなっている時代で、道を尋ねられるのも、この人に道を尋ねられそうだなって人が尋ねられるのは、そこまであれですけども、僕みたいなのが急に来て道を尋ねるのは怪しいかもって思いますね。
ていうか今なんでこんなとこにいるんだろう、全然違うじゃん。やっと分かりましたね、今どこにいるか。なるほど。今ようやくその知っている道に出ました。ただ、知っている道を帰ろうとすると大通りになってしまうので、車通りが多くて、ちょっと収録的にはうるさいかなと思うので、裏道、つまり知らない道を通って帰ろうと。Googleマップを頼りに、今、手元で地図を見ながら、家の近所で地図を見ながら家に帰っていく、そんな朝でございます。
やっぱり朝走ると気持ちがいいですね。体がシャキッと目覚めるし、朝礼も相まって頭もパキッと目覚めて、もう今すぐ全力で仕事できますみたいな、そういうシャキッと感がある。運動する人には、日頃走ってるとか、運動してます、ジムに行ってますとかっていう人には、もう釈迦に説法みたいな感じになっちゃいますけども、中には、運動をしなきゃな、健康が気になる年になってきたなと思いながら、なかなか運動ができないという、僕のような人も聞いているかもしれないので、同じような状況の人にお伝えしておきたいのは、走るとかってね、2つありますよね。まず1つ、走るってきつくて走れませんっていうのが1つ。もう1つは、走ったら疲れませんっていうやつですね。
つまり、1つ目は気持ちの問題ですよね。きついっていう、拷問みたいな状況をやりたくないっていうのが1つ。もう1つは、結果として、気持ちの問題だけじゃなくて、身体がヘトヘトになって、疲れちゃったら嫌じゃないかっていう話。もったいないというか、残された体力がそうやって奪われて、どうなのって思うんじゃないかなと。僕もかつてそう思ってたんですけど、これは去年しばらく走ってみて気づいたんですけど、走るとかえってエネルギー回復しますね。これ不思議なもんでね、むしろ、25分走ってもう疲れた、ヘトヘトじゃなくて、25分走って、ほら元気になってきたなみたいな、そういう感じがある。
で、きつい問題に関しては、速く走んなきゃいいんですよね。25分歩けないっていうぐらい体力がない人は、確かに歩くところからやった方がいいのかもしれないですけども、歩けはするけど走るのしんどいっていう、僕もそうでしたが、走るって思わずに、走ってるみたいなフォームで、すごいスローに走るみたいなことをすると、嘘だろっていう遅いペースで、それでも十分、心拍数上がるとか、走った感じになるんですよね。だからさっき言った2つ、きつい、疲れるっていうこの2つは、きつくないペースで走ればよくて、走ったら疲れるどころか回復するんですっていう話なんですね。これ騙されたと思って、ぜひやってみてほしいですね。
プライドを捨ててください。僕も、走るって言ったら、その辺の街を走ってる、すごいちゃんと走ってる人のイメージが「走る」ってことになっちゃって。たまに見かけますよね、これもう歩いてるのと変わらないなみたいな人、いるじゃないですか。走れてないなみたいな感じの人。でもあれでいいんですよね。何してんだろうって昔は、やってみるまで思ってたんですけど、やってみると、あれでいいんだなあっていうことが分かってきました。
なんで僕は最近はもう、ペースめちゃめちゃゆっくり走ってますね。で、自分の気分が乗ってきたらだんだんペースアップするっていう感じで、きつくならないように走るっていうのをやるといいかなと思います。だから最初はそのペースみたいなのがつかめないから、とにかく歩いてるのと走ってるのの境目が分からんぐらい遅いペースで走るっていう意識で走ってみるっていうのは、これおすすめですね。そうすると全然30分でも40分でもいけちゃうから、そういうのからやってみる。そうすると15分ぐらいするとやっぱり心拍数も上がってくるし、汗もかいてくるし、あれ、運動してるなみたいな感じになってくるんですよね、面白いことに。なのでちょっと騙されたと思ってやってみてください。
朝礼を始めてもう2年ぐらいになるのかな。朝起きるってことはし始めたんですけど、なかなかこの朝の時間を有効活用するっていうところって難しくて。もうちょっと朝、こういうこともやりたい、ああいうこともやりたいみたいな、理想の朝があって、その一つがランニングだったりするんですけど、それがやりたいなと思いながらずっとできてない。夜走るとかいう手もあるんですけど、夜は夜で予定が入りがちなので、なかなか習慣化するには、今日は走れない日だなとかが発生すると、僕もやらなくなっちゃうんで。毎日やらないとやっぱりダメ、僕の性格上ね。そうするとやっぱり朝の時間が一番、朝だったら習慣的に走ることができるかなっていうので、ここしかないって思ってるんだけど、ずっと起きれなくてっていう、そんな感じです。今日ようやく久しぶりに走れて、すごく気持ちいいなっていう感じがあったんで、これを習慣化していきたいなというふうに思っています。
今日走ってみて、いろんな街並みを見てたんですけど、結構、さびれた個人商店みたいなのとか、個人のスナックみたいなところとか、もっと飲み屋街として栄えてた形跡がある、潰れるまでは行ってないんだけど、もう割とボロボロになっているようなスナックみたいなのが立ち並んでる通りがあって、そこを見たときにちょっと思ったんですよね。時代の変化というか、それに乗れない、取り残されてしまったエリアというか。変わらないことの美しさみたいなのってあるけど、当たり前ですけど、変わっていかないと滅びていくという、この境目がやっぱ難しいなと思いますよね。
あの場所がどうして廃れていったのかっていうのは僕には分かりませんけど、想像では、やっぱり魅力的な娯楽があらゆる方面に増えていったってこともあるだろうし、次に都市も開発されて、物理的な場所、店とかにしても、いろいろ素敵な店がたくさんできていった。そしてそれが、ご近所だったらそのエリアだけでよかったんだけども、交通網が発達して、移動のハードルが下がったとか、もしくは職場自体が、ちょっと遠くまで、より中心地まで仕事に行って、家の近所の飲み屋じゃなくて職場の近くの飲み屋で飲んで帰るようになったとか。とにかく生活のパターンが変わってしまった中で、そこにそのスナックがあることの必然性というか、そこに行く理由というのがどんどんなくなってしまって、人が集まらなくなっていったみたいなことかなあとか思うわけですよね。家でいいじゃんとか、いや、もう仕事帰りでいいじゃんとか、あっちの街の方が面白いからいいじゃんとか、いろんな理由で、家の近所のスナックに、家の近所とは限らないけどね、そのエリアの飲み屋に行く必要ないじゃんってなっていったっていうことなのかなあとかって思うと。
変わらずにそこに居続けること、それ自体は、店を開いてる側の思いみたいなものもあったりするから、開き続けてること自体がどうってことではないんですけど、どっちかというと、廃れてしまっているということ自体は、やっぱり時代とのズレというか。だからやっぱり時代に乗る部分と変わってはいけない部分とっていう、バランス感覚を持って初めて、長い時間、いい状態で続けることができるっていうことなのかなと思うんで、変わり続けなければならないなって改めて思いました。
そして変わり続けるんだけども、原型がないというか、過去を引き継いだ上での新しい形じゃないと、その人の信頼、積み上げてきた信頼実績みたいなもの自体もなかったことになっちゃう気もするというか。一貫したその人性みたいなものがあるからこそ、変化していても、あの人がやるんだったらってことで、新しいことにその過去の信用が効いてくるっていうのがあると思うんですけど、ただただ流行りに乗っかってるだけの、思想がないみたいなのは、成果が出る場所にいるという意味では成果を出しているのかもしれないけども、そんなに好かれないというか、尊敬はされないですよね。尊敬されているような感じで人が集まっていたとしても、それは尊敬というよりは、この人の近くにいると何かもらえるかもみたいな、餌を狩りに来た動物たちという感じはしますよね。本当にその人をリスペクトしてその周りに集まっているというよりは、いいことあるかもみたいな、利用価値ありそうみたいな感じで、クズみたいなやつが集まってくるみたいな。つまりクズに対してクズが集まってきているみたいな状況になる。
ということを思うと、やっぱり変わってはいけない部分もあるなと。その人がその人であるという何かコアみたいなものは、変えてはいけない、変わってはいけないなって思いますね。そのコアみたいなものは、どんだけ無茶苦茶しても必然的に残るもの、残ったものがコアなんじゃないかみたいな考え方もあるから、別に意識して何か守る必要もないのかもしれないですけど。それもあるけど、それでも、周囲から見てこの人のコアってこれだなって観測できるって、結構クセ強い人だと思うんですよね。そんなに自分はクセ強系じゃないなって思う人は、意識的に自分が大事にしたいこと、ここは変えたくないというか、変えてはいけないことっていうものを、多少言語化、言語化できてなくてもいいけど、意識できている状態で守っていかないと、本当に、言ってることがコロコロ変わって、過去を全否定、過去の自分さえも全否定するようなことばかり日々言っていると、え、じゃあ、あなた誰なんだっけ、何だったっけみたいなことが起こっちゃうっていうね。
それって、劣化したAIみたいな感じじゃんみたいな。AIのほうがまだ、まだどころか、世界中の知識を持って質問には答えてくれるから。ただ思想がないから。思想がないこともないよね、リベラルに寄ってる感じがするから、ないことはないんだけど。何か核があるというよりは、ただ相手に合わせてカメレオンのように態度をコロコロ変えている。AIは道具だからそれでいいんですけど、現状ね、それでいいんですけど。カメレオンみたいな人っていうのは、ただのAIの劣化した何かみたいなことになってしまうので、思想がないですよね。徹底的にカメレオンであるという思想はあるかもしれないけども。
でもそれが気持ちいい人もやっぱりいるのかね。いますよね。よいしょしてくれる人大好きみたいな。カメレオンみたいな感じで、その日その場その場でその人に最適化して、すごいっすねーみたいな、社長いいっすねーみたいな。で、社長がいなくなったら「あの社長さぁ」と言ってる人、いるじゃないですか。そういうの、微妙ですよね。AIでいいやんっていう。だから一番、カメレオンこそAIでいいやんっていうことになっちゃうっていうかね。訳のわからない取り巻きを作らないっていうのは、やっぱり人生の満足度を上げていくことになるんじゃないかなと思いますよね。
懐かしい音が聞こえましたね。ピロピロピロって。そうだ、音で思い出したけど、鼻をかむ。今、花粉の時期ですからね、鼻水が出るんですけど、鼻をかんでズルズルと、その後に、時々鼻の中で音がするんですよね。変な音が。ピヤーみたいな音がその中で鳴って、今の音ちょっと変な音だし、結構大きかったし、ちょっと聞こえてたら嫌だなみたいな。特に僕、ポッドキャストとか収録するから。対面だとちょっとね、もう一人の人のマイクに入っちゃうから難しいんですけど、オンラインとかだと、みんな違う場所にいて録音してるから、自分の音をミュートしてると、その音はもちろん確認されないのできれいに済みます。だから鼻をかむときにミュートするんですけど、鼻をかみ終わってミュートを解除したときに、その鼻の奥でピヤーって音が鳴るときがあって、うわ、マイクに入っちゃってるんじゃないかなみたいって思うんですけど、入ってないんですよね。だから鼻の中で鳴ってるから、耳に近いからね、自分にはめっちゃ大きい音として聞こえてるけど、外には全然聞こえてないんだっていうことが分かって、びっくりしてますね。だから皆さんも、もし鼻の中でピヤーって音が鳴ってるとしたら、外には聞こえてないんで安心してください。これを最近気づいた真実です。
よかった、家に帰り着きそうです。というか、もう家が見えてますから、このまま家に帰りたいと思います。
最近、この存在としての公園の編集方針を少し変えました。もうノーカットで出すと、鼻をかむのとか、すごいトラブル、すごい不快な音、例えば通りかかったおじさんが痰を喉に絡めて、それで道端にペッて痰を吐いてる音とか、そんなのはちょっとあまりにもというときはカットしてますけど、原則、カットしないという方針でやってきたんですけど、ちょっとハードコアすぎるかなというふうに思ってきました。ポッドキャストを聴くときに、やっぱり2段階あると思うんですよね。番組と出会うということと、その出会った番組を聴き続けるというか、習慣的に聴くということ。後者、聴き続けるサイクルに入ると、このノーカット版っていうのは僕はすごく理想的。何も編集されていないリアルな世界、リアルさみたいなことを追求していくっていうのは、僕のまさにこの存在としての公園という活動を体現している、すごく一つになってるなと思うんですけど、一方で、初めて聴く人からすると、ちょっとさすがにこのままきついなとか、冗長に説明しているとか、そういう箇所についてはカットしようかなと思ってます。イメージ、10%から15%ぐらいカットするような感じでお届けしたいなと思ってますね。
っていう、ちょっと編集方針に切り替えて、ちゃんと一応ね、編集して、生っぽさというか、あんまり編集しまくってますよみたいな感じはしませんけども、編集を入れていこうかなと思ってます。少しだけ聴きやすくしたらいいかなと。もうちょっと、そういう初めましての方に対する親切さがあってもいいかなっていうような気がしてきたので、編集しようかなと思ってます。
はい、というわけで、本日は以上です。現象の公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。