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概要
あの歌を聞いたのは僕だけだ。道端で少女が歌うオリジナルソングに出会い、内側から湧き起こる創造性の枯渇や、世界との相互作用で立ち上がるものの違いについて考えた。偶然の記録、奇跡に立ち会うということ。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
全文を読む(約14000字)
3月23日、月曜日、夕方5時46分です。また配信ギリギリに収録しているという状況なんですけども、この週末は割と忙しくて収録するタイミングがなくて、今に至るという感じです。金土日と、世の中的には3連休ということで、金曜日は代々木公園で公園をしました。午前中、昼まで雨がパラパラと降ってて、公園が2時からだったんで、ちょうどね、公園の2時間、前後15分も含め2時間半ぐらいですね、ちょうど雨が止んで、公園の時間帯は雨が降ることもなく実施できて。
直前まで雨が降っていたので、武術らしくですね、代々木公園の丘の広場といって、ちょっとなんかね、丘になっているところがあるんですけども、その丘の広場に陣取ったんですが、誰もいないと。代々木公園に誰もいないなんて景色は、思えば見たことがない。夜とかだとねあったのかもしれないですけど、暗いからね、あたりを見渡せるわけでもなく。日中の代々木公園で誰もいないエリアっていうのは、新鮮で良かったですね。
そこに参加者の方もいらっしゃって、「こんな代々木公園見たことないですね」とか言いながら、誰もいない、だだっ広い、なんかゴルフ場みたいになった代々木公園を見ながら、楽しい一時を過ごしたという感じですね。雨の影響もあって、すごくね、気温は春らしくない、ちょっと寒いなって感じだったんですけども、でも楽しくね、お話をして過ごせたかなと思っています。いい時間でしたね。
土曜日は、公園活動で芸術祭を目指そうというプロジェクトの会議。グループ名がね、「地に足がついている」とかの「地に足」ですけども、市民団体として登録をしてくれたみたいで。水上さんがね、そろそろ東京ネイティブっていうポッドキャストをやっている水上さん、もうプロジェクトメンバーなんですけども、水上さんが地に足を団体登録してくれてて。
結構ね、公民館を借りてやってるんですね、僕たちはね。結構レンタルスペースとか流行ってますよね。僕もインスタベースとか使ってスペースをレンタルするし、なんなら晩餐会とかもそうですよね。晩餐会とかもレンタルスペースを借りてやってるんですけども、地に足はですね、公民館を借りて会議をしています。公民館はね、東京いいですよ、何気に。結構いいとこがあります。
過去3回か4回、このプロジェクト抜きにすると4回ぐらい借りたんですけど、どこもなんか味わいがあって良い。すごい綺麗な公民館とかもあるし、ちょっと年季入ってる和室とか、もうそれぞれ落ち着く。今回すごく昭和な感じの和室で、結構狭い、いい感じに狭くて、もう家みたいな、古民家で会議するような落ち着きもあって、すごい良かったですね。前回はできたばっかりの武蔵小山の公民館で、めっちゃ綺麗な、何畳あるんだろうか、十何畳かある広い畳部屋でとか。そういう綺麗な部屋もあれば、今回みたいに歴史を感じるような場所であったりとか。
結構ね、公民館は穴場だなぁと思うので。イメージがね、僕も公民館ってどうなのって思ったけど、公民館、集会所? 公民館、いいなぁって、借りてみて思いました。値段が安いんですよ。今回もね、いくらだったっけなぁ、4時間くらい借りて1600円とか。プロジェクト3人だから1人400円とか、500何十円かですね。4時間ですよ。4時間部屋借りて1000いくらってヤバいなっていう、って感じで。
なのでね、キラキラしたレンタルスペースとかじゃないとダメっていう、とにかくそのスペースでなければならないという理由があるときには、ドンピシャのレンタルスペースを借りたらいいと思うんですけど、まずね、公民館に当たってみるっていうのはおすすめですね。ぜひレンタルしてみてください。
今回は一言で言えないな。でも、芸術祭にいろいろちょっと募集が増えていて、時期的に3月末とか4月頭締め切りの芸術祭の募集があってですね。実施が秋とか、長いやつで言うと来年の春とか、実施時期はちょっと先なんだけども、審査というのがこの時点であるということで。富岡園劇祭祭だとか、暴走国際芸術祭とか、いろんな芸術祭の募集要項を読み込んだり、募集の説明会の動画を見たりとかして、こういう提案の仕方ってあるよなとか、なんだかんだって話だったりとかもそうだし。
そもそも前回、墨田5歳の芸術祭の提案の時には、とりあえずその時かける状態、公園にいるということを、うまく提案しようとしたんだけども、ちょっと弱いよねということで。今回はですね、公園にレジャーシートを敷くということの価値みたいなところにもう少し踏み込んで、会議をしたんですけど。てかちょっと、花粉なのか知らんけど喉がヤバいですね。めっちゃ喋りづらい。
公園にレジャーシートを敷くということの価値みたいなことを話していく中に、僕が何気なく使っている「公園する」という話に行き着いて。公園するって話っていうのは、その公園っていうのは公園なんだけど、名詞なんだけど、公園するっていう動詞として活用していると。だから、公園という場だけあっても、なんというか、その物理的な公園の話ですよね、場だけあっても、確かに多様な人は包摂されているんだが、そこの交流とか交わりみたいなものが発生していなくて。
この僕の公園活動は、僕というその職場みたいなものが、もしくは、そこの集合場所としてのシンボル性みたいなものがあることによって、そこに人が集い、そこでは公園特有の多様な人が集まっている場所、公設された場所の中で、人が交流するというようなところまで発生しているよねみたいな話で。それを含めて、公園が公園するというところまで行ってるんじゃないかと。だからやってることって、やっぱり公園っていうよりは、公園するってことを提供するよねみたいな。ちょっとややこしい話をしていたわけですね。
でその辺を芸術祭、僕のことを何にも知らない人に向けて、A4数枚の限られた情報の中で、文章で、画像も使っていいと思いますが、その文章、画像とかで、何をする人たちなのかっていうこと、どういう背景で、どういうコンセプトで、どのように何をする人たちなのかっていうことを、しっかり魅力を伝えていかなければいけないというところで、今ですね、3人で準備していると。厳密には僕は、ほとんどその辺の言語化に失敗して今2年経ってますから、水上さんと牧子さんの言語化みたいなところにかなり頼っているところはあるんですけども。今そこら辺の精査をしているという今日この頃でございます。
今5時56分。お酒飲みます。セブンイレブンに今来ましたね。生ビールはね美味しいなと思うんですけど、あんまり缶ビールは飲む気にならない。なぜかね、宅飲みとかだといけるんですけど、こういう時に缶ビールを飲む気にならない。ちょっとコンビニでしゃべり飲めたほうがいいね。
ただ今、電話機のように、スマートフォンを耳に当ててしゃべることによって、なんとか、自然な状況であるかのようにしている次第でございます。何を飲もうかな。結局迷ったらハイボールみたいになるんですよね。迷ったらハイボールだな。いや違うな。今日は氷結無糖レモンで行きたいと思います。タイミングがタイミングで、ちょっとレジにたどり着けないですね。お願いします。年齢確認をお願いした身分証明書の提示を。押し払うバーコードを従業員。ありがとうございます。
スクラッチチャンス。このペイペイのスクラッチチャンスっていうやつ、すごいね、腹立つんですよね。スクラッチしたい人みたいになってるのが嫌ですよね。勝手にスクラッチして、勝手に結果だけ通達してくれればいいなって思うんですけど、「チャンスきたよ」みたいにすることで、求めてもいないチャンスを与えることで、僕がそれに反応せねばならないような、もしくは反応せねばならないことを無視しているという、一つ注意を向けさせられてアクションさせられるみたいな。注意を奪われることのね、憤りがありますね。だったらペイペイ使うなよって話なんですけど、結構ねみんな使ってて。最近は飲み会とかで数人でね、食事するとだいたいもうペイペイで割り勘っていうか、「ペイペイで払いますね」みたいなことはありますよね。とりあえず飲みます。
土曜日、地に足の会議をして、その日は、っていうか毎回そうか、会議が夕方に終わってそこから飲みに行って、またお互いの近況とかね、最近どうだこうだって話をして。水上さんも表で言ってるから言ってもいいような気もするけど、人のことはあんまり言わないでおきますか。結構今、転機みたいで、いろいろねチャレンジをされているようですね。いろんなことにチャレンジされてるんで。すごくね、みんな変化の時だなっていう気がしますね。
しかもなんか、その変化が、水上さんに限らずね、僕の周りでなんかみんな今、今までのやり方を変えようとしているみたいな人が結構多くて。その変化が、いわゆる高校卒業して大学に行きますみたいな、外部的に与えられた変化ではなくて、自分の中で最適なバランスを模索して、答えのない、AからBに行きますみたいなシンプルなものではない何かカスタマイズをして、オリジナルの自分の生活のちょうどいいを模索しているっていう人がね、すごく多くて。それはちょっと苦しそうではあるんだけども、一方でね、何かを決めていくっていうのは苦しいことだと思うんですけど、決めた先でねバランスができていければいいよなぁとも思うので。一緒に支え合いながらですね、お互いのいいバランスで人生が歩んでいけるようになったらいいな、なんてことを思っていますね。
まだまだね、この社会から、社会のレールが崩れてきたと言いつつも、主流みたいなものはやっぱあるなぁと思うんですよね。なんだかんだ大企業に勤めてた方が安泰だと思うし、20年とかいうスパンで見たら分かんないけども、10年スパンぐらいでいくと、まだ全然大企業にいた方が、みたいなこともあるから。女性大企業で勤めようと思うと、そこの切符を手に入れるためには、もう10代からやり直さないといけないけど、10代からはもう人間やり直せないから、大企業に新卒で勤めるというカードはもう持っていないわけで。
そうすると、一定の大企業に勤めている何十パーセントかの人の安定感みたいなものを手に入れられなかった多数派みたいな人がおり、またその中でも、中規模の会社、小規模の会社と、だんだん安定感でいうとばらつきがある中、いろんなところでやっていく。中には野心を持って、自分で船を作るような人もいたりするみたいなことで、いろんなね。
そう、なんで今この話をしているかっていうと、今日その話をしたんだった。ちょうど、時系列ちょっとぐちゃぐちゃになってるんで、もう一回時系列戻していこうかなと思うと、土曜日、地に足のミーティングをして、夜飲み会をして、そして日曜日は今度、討論カフェですね。ポッドキャスト討論カフェ、イベント討論カフェやっておりますけども、僕もですね、メンバーとしてやっておりますけども、日曜日、東京でね、対面の討論カフェのイベントを開催しました。
お題について、みんなで語り合う、価値観の交換の場として。みんな価値観が違うよねと。別に何か一つの答えを出すわけでもなく、それぞれの価値観を思いっきり出し合って、そんな考え方もあるんですねと、そんな物の見方もあるんだなと、自分自身もこんなこと考えてたんだなみたいな、いろんな発見のある場かなと思ってるんですけども。それがね、安全にできる。このご時世で、価値観の交換が安全にできるかなりレアな場所かなと個人的には思っておりますけども。実際今回も、それぞれ、結構奥深く思っているところみたいなのが、「本当は?」とか「ぶっちゃけ?」みたいなことが聞けて、すごくいい回だったなと思っています。
で、討論カフェののぞみさんが福岡から来ていますんで、今日月曜日は対面でね、会議をしました。のぞみさんとは、討論カフェもやっているビッグトゥリーという会社で一緒に経営をしているんですけども、のぞみさんが社長で、僕は一応取締役という形で、2人で経営している会社があるんですけども。その会社のミーティングと、プラスで、討論カフェの番外編というか、よくそののぞみさんと2人でやる企画があって、その2人で喋る回っていうのを収録したっていう感じですね。
その2人で話している回の中で、社会に出るというときにレールってあるよねみたいな話から、のぞみさんは「レールなんてものはないんだ」と。そこを譲らないので、じゃあ何だったら、ということで聞いていったら、「船に例えましょう」ということになりましたね。のぞみさん的には、この社会に出るということは、この大海原に船に乗って出ていくということなんだという例え。
大企業に勤めるっていうのは豪華客船みたいな大きな船に乗るということで、中規模の会社であれば中規模の船。小規模、50人以下とか100人未満かな、100人未満の会社とかだと小規模の船みたいな。でも数人の会社とかだとボートみたいな、数人というか10人とかだとねボートみたいな。もう1人2人とか、もう5人以下みたいな会社はいかだに乗っているみたいな。そんなイメージで、船のサイズに例えてもらえれば分かりますって言われて。
でもそれってまとめているというか。今の時代って本当にレールが壊れた社会だっていう話ってありますよね。例えば大企業に勤めても、定年まで安定して給料が上がり続けてとか、地位が安定し続けてやっていけるかって言うと、それはちょっと、ちょっとそこまではさすがに保証されないよな、とかって思うんですよね。向こう5年10年とか、その単位で見れば、小規模な会社よりも大企業の方が生存確率高そうとかは思いますけども、20年スパンとかで見ていくと分からないよね、レールっていう感じでもないよねっていうのは思うんで。大海原に出ているというぐらいの比喩の方がしっくりくるなと思いました。
ただその時に話してたのは、一方で大企業、じゃないや、大きな船に乗るとかいう手前のところは、やっぱりレールがある。その豪華客船に乗るためのレールがある。例えば中学生で、学校に納得できず、大人たちに納得できず、盗んだバイクで走り出して、騒音を鳴らしながらパトカーを煽り散らかすということを例えばして、何回か警察のお世話になり、中学校を卒業するタイミングで「いやー、ちょっと改心しました。自分はマッキンゼーに勤めます」って、無理ですよね。
それはやっぱり、ちゃんと高校卒業相当の資格を取り、大学を出てということをしないと、マッキンゼーはちょっと微妙だな、日本の大企業に勤めようとすると難しいですよね。ドコモに勤めようとか。ちょっと大企業が分からないな、大企業がいっぱいあると思うんですけど、入って行こうとしたときに、一定の大学を出ているみたいなところが、もう書類選考の時点で結構重要視され、もうほぼ、中卒だと切り捨てられるみたいな。中卒だと応募資格がないとかありますよね。大卒以上とかっていう時点で、まず応募する資格すらないみたいなことってありますよね。
だから、そんな感じで、船に乗る乗らないみたいなときに、やっぱりレールがあって。乗った後は確かに、大きい船乗ったかもしれないけど、その船が沈むなんてこともあるから、とかどこにも向かえなくて嵐の中くるくる回ってる大きな船みたいなのもあったりするから。船に乗った後のことは大海原に出たっていう感じはするんですけども、乗るまでのプロセスで、そのレールはまだ生きてるな、なんてことを二人で話したんですけども。
その回がね、おそらくは4月、5月ぐらいにアップされるかなと思いますんで、よかったら討論カフェね、ポッドキャスト聞いてみてください。のぞみさんと僕のね、結構激論をしてますね。レールがあるないみたいな、船、船なんだ、そうですかって話をね、二人で結構な強度で議論してるんじゃないかなと思いますね。
テーマが確かね、受験に向かっていく、その子供が、本人がね、受験しなきゃいけないことも自分の中で分かっているし、要はそれ自体には納得してるけども、一方で今この瞬間勉強する気が起きない、だるいって思っている。この気持ちにもっと共感してくれてもいいじゃないかと。「勉強しなさい、勉強しなさい」って言われても、もうしんどいんだっていう、そういう声に対していろいろ検討していったっていう回だったんですけどね。なかなか、教育とか養育のことはね、子育てしていない身としては、なかなか難しいものがあるっていうか、思うことはあるんですけど。
ちょっと小学生が熱唱してますね。熱唱しながら一人で帰っていて、今目の前を通過しようかなというところなんですけども。僕も小学校1年生とか2年生の時はこんな感じでしたね。オリジナルソングっぽいんですけど、そういうのを歌って、歌いながら一人で歩いてるみたいな感じでしたね。周りに聞こえてないって思って歌ってたけど、多分こんな感じでめっちゃ聞こえてたんだろうな、なんて思いますね。
歩いているだけでオリジナルソングが降ってくる時代はね、年々年々失われていく創造性かと思うので。ぜひね、今6歳か7歳か8歳か分かりませんけども、溢れ出るメロディー、自然と湧き出る泉のようなメロディーを、どこかに録音しておいたらいいんじゃないかな、なんて思ったりしますね。
本当にもう曲書けないですね。僕、バンドをずっと高校生、中3からですね、サッカー部引退してからやってて、今も辞めてはいないので、バンドをやっていると言えるのかもしれないですけども、真剣にやったのは20半ばとか30ぐらいまでかなと思いますけど。この15年間思うと、やっぱり高校生から20代前半までの間のね、もう歌いたいこと、言いたいことが無限に出てくる、そしてそれと共にメロディーが出てくるみたいな、あの感じはもう二度と来ない感じがしますね。
もう曲は作れないね。作ろうとしても、どこか頭で作っちゃって、別に湧き出てきたみたいな気持ちはもうないっていうか、テクニカルに作っちゃうみたいなところがあって、初期衝動を失ってて、そんな曲を作る意味があるのかって、もう思っちゃいますね。AIも曲を作れる時代ですから、よっぽど完成度で言えばAIの方が高いわけで、テクニカルに作るとかって言っても、そんなものをAIが作った方がよっぽどバリエーションもあるしクオリティも高い。クオリティとかバリエーションじゃなくて、自分の内側から湧き出てくるものを作るからこそ、唯一無二の、その人の中からしか出てこなかった何かってことになるんじゃないかなと僕は思ってるんですけど。そういうものが明らかに枯れてきてますよね。曲は作れる気配がない。
こうして歩きながら喋っている、歩いてすら居ないから今、座ってるんですけど、疲れちゃって。こうやって外で喋っているのも、いわば自分自身の創造性がもう枯れてしまっているので、世界との相互作用でね。街を歩いて、今車が通過しましたけど、車が通過したということとか、目の前をね自転車が通過したということとか、そういったことの影響を受けながら湧き出てくるもの、その瞬間にしか湧き起こらなかった偶然の中の何かですよね。
だって今日はこんな話を僕はするつもりで外に出てきたわけじゃないんだけども、たまたま適当に歩いてたら疲れて座り込んで、座り込んでたら歌を歌ってる少女が目の前を通ったりして、少女がきっと、あれはオリジナルソングだろうな、なんて思った時に、自分はオリジナルソングをもう作り出すことはできないんじゃないか、なんて話をしてる。これ全部、目の前で起こってることから偶然起こってる会話であるということですよね。
だから世界とともに、こう相互作用でね、何か立ち上がってくるものってのを、その時その瞬間にしか湧き起こってこないものを、こうして記録して残し続けるという活動がね、この「存在としての公園」っていうポッドキャストのやり方だったりする。趣旨ってわけではないけどね、やり方だったりしますね。この作為の無さというか、何が起こるか分からない偶然性みたいなものが、いわば公園的であるというふうに思っているというわけでございます。
公園に行って怖くないんですかって言われるんですよね。レジャーシート敷いて誰でもどうぞって言っていると、誰でもって言ってるから全然面識のない人も来るじゃないですかって言われるんですけど、本当にランダムかっていったらそうじゃないんですよね。ポッドキャストをやっぱり聴いて来られたりするわけなので、その時点でかなりフィルタリングされているので、そこまで怖いなんてことはないですね。
海外とかではやっぱり怖いですよね。治安の悪い国の治安の悪い公園とかでレジャーシート敷いてたら、本当にこう身ぐるみ全部剥がされるんじゃないかって、そういう怖さはやっぱあるんで、怖くないというのは嘘だけども。でも日本の、まだ今この治安で、今レジャーシート敷いてても、日本人の国民性から言っても、「あ、レジャーシートあるから入ろうかな」とはならないっていうかね。やっぱどこか僕のことを知っていて、その日その場所にレジャーシート敷いてるってことを知っていて来られる方が多いから、そういう意味では全然怖くないですね。
なんかそんな変な人が来たっていうことがないですよね。新興宗教の勧誘でビラを配っている人がこう勧誘しに来たみたいなのがありますけども、それは別にレジャーシートに来たってよりは、もう誰彼構わず声かけてるから、また別の話っていうかね。レジャーシートに入ってきた人で変な人がいなかったかなと思いますね。皆さんとてもいい人だった。
そう、だからそこの、誰がいつどのタイミングで来るかなんてことも計算されていなくて、誰も来ない日だってあるし全然。来て2人きりの時もあれば、5人6人来る時もあるし、それはもう分からない。分からないけど、その時起こる、そのメンバーで、その時の気候とか、それぞれの体調だとか。体調だけじゃないよね、ある職場で嫌なことがあったとか、場合によっては失業したとか、場合によっては就職したとか、めでたいことも辛いこともそれぞれあって。そんないろんな人たちが、そこでその瞬間、同期して、そこぐらいのお金を過ごすと。
その偶然性、一回性みたいなものっていうのは、この「存在としての公園」、ポッドキャストで今、僕がまさかここに座るとは思ってなかった、この時間っていう。毎日ここを通ってる人もいるだろうし、たまたま今日この道を通った人もいるだろうし、たまたまこの時間だった人もいるだろうし、とかね。そういういろんな掛け算を考えていくと、今この瞬間に起こっていることっていうのは奇跡なわけですよね。この奇跡みたいなものをレコーディングして配信しているのが「存在としての公園」というわけでございます。
氷結無糖レモンを飲みたくて外に出たわけじゃないですからね。収録しながら、ちょっとこれお酒飲んでみようかなって思ったっていう話ですから。お酒飲んでみようかなって思ってたけど、このお酒を飲もうとは思ってなかったんで。やっぱりそういう一個一個は、やっぱり人間って意思を持っていろんなことを決めているようで、ほとんど決めてないんですよね。決めてないというか、計画されてたわけではなくて、瞬間的に立ち上がっているものの連続で何か意思決定がされて、その意思決定のもとを起こした行動によって、また偶然起こるいろんな現象があり、その現象にさらされながらまた、それに反応しながらまた次の意思決定をしていくっていう感じで。やっぱりこの世界をコントロールするとか、そういうことがいかに非現実的な話かってことですよね。
もちろん意思を強く持とうとすれば、「いや、酒は飲まんぞ」とか「座らずに歩き続けるぞ」とかはできるわけですけども。でも酒を飲まなかった先の世界線、座らなかった先の世界線で、結局また偶然が起こって、その偶然にさらされて、そこに反応して意思決定みたいなものが出てくると思うと、何をどれぐらい意思を持ったとしても、全てにおいて意識をして、意思を持って意思決定するってことはできないですから。やっぱり偶然が偶然を呼び、偶然の中にさらされ、その偶然のまた先で偶然が起こるというようなことなんだろうなとは思いますよね。
いろんなことがうまくいっている人は、運がいいだけの可能性も全然あるから、やっぱり調子に乗るのは良くない。そう思いますね。もしくは、うまくいってない人をこう、なんていうんですかね、あまり、自己責任の領域もあるだろうけども、部分的にね、けども、何もかも全てが自己責任だみたいに切り捨てるのは本当に良くないと思いますね。この範囲は動きできた可能性があったんじゃないかっていう、そこはやっぱり検討の余地がありますけども、全部が意思によってとか、その管理によって、自分のね、自己管理によって未来を全然違う方向に持ってこれたかっていうと、それは分からないですよ。
だから、全てが決まってるっていうのもどうかと僕は思うし、全てを変えられるっていうのもどうかと思う。狙った方向に、ほとんど変えられないかもしれないけども、角度で言うと2度か3度ぐらいでも、目指してる方向に軌道修正できる、軌道修正というか、目指してる方向に軌道を持っていけるぐらいの、そんなもんかなって思いますね。そんなにコントロールできない。でも全部100%コントロールできないかって言うと、そんなことはない。ほとんどコントロールは難しいんだけども、それでも挑戦するかしないかみたいな、そんな感じですよね。挑戦したとてコントロールできないんだけども、でも2%コントロールできたなみたいな、もしくは何にもコントロールできなかったんだけども、頑張ってやったから納得だなって、納得感みたいな話もありますよね。
僕は割とそっちかもしれないですね。納得したいだけなのかもしれない。この人生に納得して死ぬための準備をしているだけかもしれないですね。ずーっと末永く生きていきたいみたいな願望はあんまりない。早く死にたいなんて願望もないけど、あんまりそこのビジョンがなくて、どっちかというと納得して、納得のいく形で死にたいなって思ってるって感じですかね。
でも死に際というか、死ぬタイミングは選べないから、今納得してる、今死のうとはやっぱりできないから、生き続けるってことが大事な気がしますよね。納得し続けていたら、いつ死んでも納得して死ねるから、なるべく納得してる状態を維持するっていうのが重要だなって思ってます。
で、納得している状態っていうのは結構抽象的で、あんまり、お金が潤沢になったら納得ですよね、なんてことではないと思うんですよ。そういう具体的な条件は時と場によって変わり続けて、もうちょっと抽象的なところが満たされることによって納得した、っていうのがあると思うから。
それをし続けるっていうのは、やっぱりこの今の社会で安全に生存する、誰からも馬鹿にされずに、そして選択肢が、とかっていうことを考えたら、多分具体的な項目になると思う。お金がいっぱいあるとか、地位や名誉があるとか、そういったコネクションがあるとかっていう、その上で自分自身の環境を整えることができているっていうことのような、割とパッと誰でも思いつくような要素が整っていると安全に生存しやすいとは思うんですけども。じゃあそれが自分にとっての納得なのかっていうと、僕の場合はやっぱりそれがねイコールじゃないから、ややこしいんですよね。
自分自身だったら、それはもうお金を稼ぐために何をすればいいかとか、いかに価値があるとされて、市場価値があるとつながれる場所に行くかとか、そうした人たちに気になるために何をすればいいかみたいな観点で動いていけばいいと思うんですけども、全くそこにね興味を持てないですよね。なんなら偉い人嫌いですからね。
立派な人ってすごく少ない。僕の言う立派な人っていうのは、人を単純な評価軸で評価しない人のことを立派な人って思ってますけども。何も考えてない人じゃなくてね、よく考えていながらも多様な評価軸を持っていて、あんまり単純に人を評価しない人、単純な軸でね。ある観点から見ればこの人はすごいし、ある観点から見ればすごくないっていう、常に誰もがすごくてすごくないっていうことを見れるような、すごく深陸で世界を見れる人を、僕は立派な人だと思ってるんですけども。
そういう人はまず、別にお金持ってる持ってないとか、学歴あるないとか、そんな軸抜きにして、今言った僕の定義の立派な人っていうのは、人口の何パーセントいるんだっていう感じがありますよね。この立派な人みたいなのが必ずしもお金持ってるわけでもなければ、みたいな話になってくるので。例えば立派な、名誉のある人とかね、役職のある人とは限らないので。めっちゃ役職があって影響力があって権力を持ってるのに、全然立派じゃねえなっていうときに、すごい嫌悪感があるんですよね。影響力があるんだから、例えば単純な評価軸で評価してますみたいな人が影響力があると、それが社会に浸透しちゃうから、やめてくれっていう感じですよね。
僕としては、立派な人に、僕が言う立派な人に権力とか名誉とか富が集まってくれたら、そういった人たちがね、分配をしたりだとか、社会に対して問題提起をしてくれたりとかっていうのがよりね、良いほっぽに、僕が思う意味で、いい意味で社会に広がっていくんだろうなと思うので。やっぱり権力を持つ人間っていうのはね、もうちょっとその、立派であってほしいなっていうのは思いますね。
権力を得るみたいなのも、やっぱりハックできちゃうっていうか、ゲームルールなので、どうしたら権力を得られるかっていう、そのハックみたいなものが発生しちゃうから。立派でいればいるほど、その権力に対してそこまで貪欲じゃないというか、評価軸が多様だから、権力もやっぱり相対化されちゃうみたいなことがあって、そんなに興味ないと思うんですよね。っていうか、権力にめっちゃ興味がある人に比べて相対的に見て、エネルギーが出てないとか、命がけで権力を取りに行けてないみたいなことがあると思うので。そうするとやっぱり権力を持つ人っていうのは権力に貪欲な人で、権力に貪欲な人っていうのは、やっぱり少ない評価軸で見たときに、権力っていうのはめちゃくちゃ重要で、そこにもうフルベットしてますみたいな人が権力を持つから、しょうがないことになると。
日本の政治家を見ると大体そうというか。100%全員政治家がクズかっていうと、そんな風には思いませんけども。志を持ってね、本当に丁寧にやってる政治家もいらっしゃるとは思うし、政治家志望の方も含めてね、いらっしゃると思うんですけど。でも、こいつクズかなみたいな政治家いっぱいいるんで、それはやっぱり今言ったような話なのかなと思ったりはしますね。
特にまとまりはありませんけども、いろんなことを日々感じながら生きております。僕はあんまり作為的である自分っていうのがそんなに好きじゃないので、完全な無作為は無理ですよ、人間はね無理なんだけども、なるべく作為を持たずに自然体で過ごして、そこで起こった偶然の現象みたいなものを楽しむ姿勢っていうのを大事にしながら生きていきたいなと思いますよね。
やっぱ作為の先には、より強度の高い刺激を求めてしまうみたいな、右肩上がりの世界観になっちゃうから。もっともっとになっちゃうから、あんまりね、その作為的にやりたくない、計画的にやりたくない。今この目の前で起こる偶然の現象っていうのは、今その時その瞬間にしか訪れないものだから、そこに優劣はなくて、でももう二度と現れない瞬間だから、そこにこうしっかり感じて、今この瞬間にしか得られないものに向き合えた自分のね、その体験みたいなことは、やっぱり今、今だからこそなわけだから。
それを積み重ねていく、その瞬間瞬間の奇跡だなって感じられる感覚を積み重ねていくと、もう日常そのものが美しいわけですから。日常の美しさみたいなものに感動するみたいな、その感度みたいなものを高めていく方が、僕は、僕の生きていく方向性としてはですね、そんな感じなのかなと思ってますね。
何も起こってないのに、少女が目の前を通ってオリジナルソングを歌っていたということに感動できる自分でいたいという、そんな感じかなと思います。なんとかドームで何十万人のライブを見に行ったとか、そんなにどうでもいいなってやっぱり思うというか。道端で誰にも聴かれてないオリジナルソングを歌っている少女がいて、あの歌は多分、あの瞬間あの場所でしか聴けなかったから、あの歌を聴いたのは僕だけで。何かそういう感動を感じて生きていきたいですよね。
そしてその歌を、このマイクに録音、きっとねされたと思うんで、その歌が残った唯一のメディアであるみたいなこともまた価値かなと思ってますんで。偶然、僕の喋りだけじゃなくて、僕の喋りももちろんポッドキャストですから聴いていただきたい、何か意図せず喋ってるから、なんでこんなことこのタイミングで喋ったんだろうみたいな、これに影響を受けてこんなこと話してるのかなとか、解釈が無限にできる、その幅を楽しんでいただきたいし。
さっきの少女が歌を歌ったみたいな、あの歌ってここにしか残ってないんですよねみたいな。スポティファイで検索しても出てこなくて、アーティスト名で検索しても、アルバム名で検索しても、曲名で検索しても出てこなくて、このエピソードの中の一部、バックグラウンドミュージック的に挿入されていると。この奇跡をね、一緒に感じてもらえたら何よりでございます。
ちょっと何言ってるか分かんないっていう感じかもしれないですけども、偶然の中でいろんなことが起こっていて、その起こっている偶然に立ち会っているってことは奇跡的であるという実感が持てれば、そんなに刺激が必要ない。その奇跡を感じる力があれば、日々ね、日々何でもない景色に感動できると。そういう話だったかなと思いました。
本日は以上です。現象の公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。