存在としての公園 第35回

加速から降りる場所

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概要

世界は混沌を加速させる。しゃべることがますます危険になっていく。インパクトのあるトピックが、人それぞれに(生死に関わるレベルの)全く異なる現実を作り出す。コントロール不能なサイコロに踊らされる人類。加速から降りる場所を作るべく、今日も公園活動を模索し続ける。


全文

機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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3月30日月曜日、朝7時18分です。朝の朝礼暮快の生配信を終えて、そのまま収録しているんですけれども、本当は土曜日の夕方に今回、今夜配信分のエピソードを収録したんですけども、ちょっと没ということで撮り直しております。

先週土曜日はすごく花見客の方が多かったですね。めちゃくちゃ多かった。多いだろうとは思ってましたけど、通路を通りづらくなるぐらいいるとは思ってなかったですね。あんな広い公園に、あんなに人が集まるんだなっていう感じでした。僕はそれがしんどくて、桜がないエリアまで行って、この花見シーズンの中、桜のない場所でレジャーシートを敷いていたという、そんな上水公園でしたね。

その後、公園収録ですね、ゴミ拾いをしながら収録するっていうのを予定してたんですけど、公園がそんな状況ですから、ちょっとゴミ拾いできない。それをしようとすると人に迷惑かかっちゃうみたいな状況だったんで、中止して、そのまま自転車で帰ってくる途中に収録をしたというような感じなんですけど、その日は謎に睡眠不足で、3時間ぐらいしか寝てなくて。忙しくしてたわけでもないんですけど、寝るタイミングを見失って睡眠不足っていう。

ちょっと今ごめんなさい。僕、公園にいるんですけど、突然懸垂を始めたんで、ちょっと驚いてしまって喋りが。懸垂2回して終わって、またベンチに戻って行ったんですけど、ちょっと謎でびっくりしたっていう。ごめんなさい、何の話をしてたんだっけ。

3時間睡眠で頭が働いてなかったみたいですね。元気だったんですけど、頭が働いてないなということを収録して分かりましたね。寝てないと、もう言葉が出てこなくなる。ほとんど沈黙みたいな回で。しかも散歩とかしてて、その鳥の声とか、心地の良い環境音が鳴っているのは、私は自転車に乗ってたんで、割と車の音メイン。もううるさい感じの、トークもない、ただ車のうるさい音だけが入っている謎のエピソードっていうのが録音されたので、没ということで、今撮り直しております。

世界は本当に混沌としていて、今までもそれなりに多様だったと思うんですけど、世界全体として、結構死に直結するレベルの多様さがあるっていうか。分かりやすいのはやっぱり、戦争がいろんなところで起こっているっていうのもそうだし、そこが一番大きいですよね。直接的に人の命が奪われるようなことが、いろんな場所で起こっていると。それから連動して、経済にどう影響するのかみたいなものもありますよね。ホルムズ海峡は通れないみたいなので、じゃあどうなるんだっけ、物を運べないと物価高騰しますよねとか。物価高騰もそうだけど、そもそも物が手に入りませんよねみたいなこともあるんだろうし、みたいな流通とか経済みたいな話もあるだろうし。

AIは僕最近ずっと遊んでますけど、遊んでますっていうか仕事に使いつつ、ちょっと過剰にやってるという意味では遊んでるとも言えるんですが、AIで仕事をしたり遊んだりしてると、時々、仕事の仕方の話とか他の人とすると、ファックスでお客さんの連絡やってますよみたいな話を聞いてるみたいな感覚になる時はあって。別にこれは優劣の話というよりは、単純にトレンドが移っていっているという中での、どの辺を走ってるのかみたいな、たまたま見えてる景色が違うみたいな感じなのかなと思ったりはしています。

AIは一番自分が肌感覚を持って語れるところなので、どうしてもそういう例題になっちゃうんですけど、戦争の話とか経済の話は分かんないから、ちょっと例題で出せないんですけど。AIの話でいくと、例えば今、全然生成AI触ったことがないっていう人と、がっつり触って可能性をずっと模索するというか、遊びに近い形で没頭して、AIにかなり時間を割いている人、僕も多分ここに入ると思うんですけど、中間でチャット機能ぐらいを使って仕事を効率化する、役に立つ範囲で使い回すみたいな、部分的にAIを採用して回すみたいな人。分けていくともっと細かくなっていくけど、すごいざっくりその三層があった時に。

まず使ってないっていう人は、もうそれでいいんじゃないかなっていうか、一周回って、そのうちAIが全部やるようになったらAIを触るみたいなこともないから、変にこのレースに参加せずに触らないでおく。AIとは無関係のところで、自分のこの体を使ってやれることにフォーカスしていくっていうのが、すごく良さそうだなっていうふうに思うんですけど。この中間の、部分的に導入してますっていう人のAI評価の低さみたいなのが、やっぱり気になりますよね。

メッセージの手段とかで考えると、置き換えるとすごくイメージ湧くと思うんですけど、今僕たちは例えば、仕事でスラックを使ったり、友達にLINE送ったりっていう感じで、すぐ目の前にあるこのスマートフォンを手に取って、友達をタップしてメッセージを送れば、すぐにそのメッセージが届くけど、結構昔は手紙ですよね。手紙を書いて、ポストに投函して、それが届くまでに時間がかかるっていうような時代だったわけですよね。それが電話、ファックスとか、メールとか、そしてチャットみたいな感じで、だんだん移行してるわけですよね。

プライベートの人間関係ってなると、生産性とか効率化みたいなことは求められないから、全然手紙を書いたりしたらいいと思うんですけど、今の時代でもね。仕事ってなると、資本主義ゲームみたいな、効率化ゲームみたいなところがあり、じゃあちょっと部下への指示、手紙書いてみようかとはならないじゃないですか。東京支社に手紙を書いてみよう、なんてことにはならなくて、今すぐ電話をしたり、スラックを送ったりするわけですよね。電話もしないですよね、会社によっては。最近の会社だと、電話に人が出てるみたいなこと自体がもう非効率というか。それもだから価値観ね、電話には人が出た方がいいよねって言って、代表電話の前に座ってる総務の人がいるみたいな会社もあるかもしれないし。そういうグラデーションあるわけですよね。

全力でファックス使ってますみたいな、そうですかみたいなことはあるわけじゃないですか。それでファックスが最先端だと思って、いやコミュニケーションって、もう紙が、紙が命ですよみたいなことを言い出したりとかすると、ちょっとそれが危ないなと思ってるっていう。AIにおいては今それが起こってる気がしますよね。誰もがアクセスできるけれども、情報の差とか、時間の差とか、興味の差とか、いろんな差があって、何度も言うように、これは優劣ではなくて、全然違う現実を見ているっていう一例ですよね。

AIっていう一つの現実に対して、全然違うものを感じて。これが桜の花を綺麗だと思うか思わないかとか、桜の花が持つ意味がどうかみたいなことの多様さであれば、面白いねって終わりなんですけど、AIは現実的に、目の前のことを動かしてくれる、少なくとも情報を操作してくれるわけですよね。ウェブサイトに何かをアップするとか、そもそもウェブサイトを作るとか、文章を書くとかっていう、その生産を代替してくれるツールだったりするから、これ、見てる現実が違うと、生産手段に差が出るということですよね。

会社を持っているとか、工場を持っているとか、明らかに生産手段が物理的に違いますねみたいなのは見たら分かるんですけど、このAIに関しては見えないところで、日々生活の中の見えないところで起こっていることなので、この差みたいなものが見えづらくて。ふとAIトークみたいなときに、全く共有できないことが多いですよね。興味もない人が多いから、そんなこともできるんですねみたいな反応でもなくて、すごく懐疑的な人が多くて。性懲りもなくまたここでAIの話してますけど、嫌悪感を示す方が多いなという印象ですね。それも含めてという感じですね。

今AIを例にしましたけども、例えばイラン情勢のこととか、ウクライナのこととか、ガザのこととか、全然違う現実をみんな見ているし、それは物理的にその影響にさらされている人と、情報的にそれにかなりさらされている人と、そんな情報を得ていない人と、とにかく差がありすぎて、イラン情勢についてどう思うかなんてことを、口走れないっていうね。

AIも多分そうなんですよね。僕はポロッというか、普通に喋っちゃってるからあれなんですけど、仕事にしてね、AIを普及させる仕事をしていて、もうそのポジションをガッツリとってて、それで自分に利があるとかだったら、嫌われてもいいんでしょうけどね。こういう影響がでかいもので、かつ現実がみんなバラバラになっているもので、何か見解を述べるっていうことが、すごく人と人をバラバラにしちゃうというか、いがみ合わせてしまうなという気はしますよね。

経済のこともそうですよね。なんでもそうか。とにかく自分の生活に直接、プラスにもマイナスにも影響が出ること。戦争なんかもう本当、最たるものですよね。命の危険に晒されるか晒されないかが、正直、自分の努力でどうにかできるわけでもなく。もちろん声を上げることはできますよ。希望の部分で言えば、民主主義は一人一人が声を上げて、それはそれで分かるんですけど、でも今、自分個人が動いて戦争を止められるかとか、戦争から免れるかっていうのは分からない。

例えば突然、戦争に日本が巻き込まれたってなった時に、僕はそのまま巻き込まれちゃいますよね。ウルトラCみたいなことはあるかもしれないけども、普通に生きてると普通に巻き込まれるってことになりますよね。その時に莫大な資産があれば、なんか分かんないですけど、その状況をコントロールしやすいってことがあるかもしれないけども、99%の富を持っていない人たちは、何か戦争があったり、ものすごく経済的に情勢が変わったり、技術的に進歩したりとかすると、一気に詰んでしまう可能性があると。

ほぼサイコロと一緒。自分の目は5ですってなってると、5が出た瞬間、あ、終わりましたみたいなことが、終わっちゃうっていうね。もう世界はサイコロを振ってて、自分の目がプラスの時は出てほしいし、マイナスの時は出ないでほしいっていう、その確率ゲームの中に、いよいよ、ずっとそうだったと思うんですけど、これが命に関わるレベルのサイコロが今振られてるなーっていう感じが。別に個人が振ってる部分も、どっかの大統領が振ってる部分とかもあるかもしれないけども、そういう個人だけじゃなくて、すごく複雑な、いろんな人が関わり合う中で振られているサイコロみたいなイメージですよね。

このようなコントロール不能な、かつ生死に関わるような時代において、自分を保っていくっていうのは結構難しいことだよなーって思いますよね。だからさっきのAI全く触らないじゃないですけども、全ての情報に触れない、今目の前の物理的に自分が触れている、手触りがあるとか言いますけども、自分のその半径何十メートルかの世界にフルコミットした方が、よっぽど生きている実感が得られそうな気がしますよね。

もちろんそれって、手元しか見えてないから、それが現実です、いやいや世界広いよみたいなことを思うかもだけど、今起こっていることを考えると、もう別に誰もこの状態に対応できるような、何が起こっているかを理解し、効果的な何かソリューションを考え、そしてその選択肢を取りうるかっていうと、どこかでつまずくっていうことになると思うんで、何もわからない中で生きているということで。自分が生きている実感を持てるようなところにフォーカスするっていうのは、周りもあって大事なんだろうなと思いますね。

僕も生活を改めなければならないなと思っていますね。ちょっとAIに過熱しすぎているので、早いところ実務レベルでこんなとこかなっていうのを、ある程度決めて、時間を減らしていきたいですよね。新しいゲームが出てきたからやりこんでるみたいな感じもあって、楽しくやってるんで、睡眠だけちゃんと取ればいいかなと思ってますね。睡眠がちゃんと取れてないんで、そこはちょっと問題だなと思ってますけど、睡眠だけ取れたらいいかなと。

慣れて当たり前になっていくと飽きて、当たり前のことに過熱、熱中するってことはあんまりないから、当たり前にしてしまうっていうのは近道な気がしますよね。意思の力で利用制限をかけるよりは、飽きるところまでやるっていう、加速して飽きるところまでやりきるっていうのは近道かなと思って、今、日々AIを触りまくっているというところですね。

そうすると、それがやっぱり現実になってくる。そこでできることっていうのが現実になってくるから、割とその使ってる人、使ってない人、ちょっと使ってる人とかとの現実が違いますよね。車がある世界とない世界とかに近いっていうか、そんな時間でそこまで移動できるんでしょうみたいなこと言われるみたいな。いやいや車乗ったら移動できるよみたいな、いや車とか危ないでしょみたいな、そんなこと言われてる感じがしますよね。

実際危ないんですけどね、車は。危ないんだけども移動もできるという、両方事実であるというところを見落としてはいけないという気がしますし、逆に車がない世界で、車に乗る気が起きないという事実というか、そのような現実もあるだろうなとも思うというか。確かに怖くて乗りたくないよね、あんな鉄の塊にって。最初に車乗った人すごいなっていうね。当たり前になっていくと、もうみんな当たり前に乗るんだけども、当たり前になるまでやっぱり難しい。AIもそうで、当たり前になるまでが難しくて、当たり前になってしまえば、みんな今スマートフォンを当たり前のように使っているように、当たり前に使っていくということなんだと思うので、この当たり前か当たり前じゃないかみたいなところの話なのかなって思いますよね、その人にとっての。

で、この戦争みたいなものにとってもそうだと思う。それが当たり前になってほしくないけど、当たり前だよねって思っている感覚の人と、そんなのはもうあってはならんことだというふうに思っているかっていうのでも、また生きている現実は違うし。当たり前の違いが、面白い領域と危険な領域っていうのがあって、今はその危険な領域っていうのが、かなり活発に世界全体で動いているので、よりコミュニケーションが難しい時代になってきてるなと思いますね。しゃべるのが危険っていうね。もうしゃべってはいけない、関わってはいけないっていう時代になってきてる気がします。

そこでね、ぜひ公園活動ってことですね。その時、その場所は、いろんな思想の違いとか、置かれてる背景は違いますけども、肩書きが違うとか、社会的属性が違うとか、そういったいろんな違いを、いったん、その時間、その場所では脇において、今この身体を持った、何物でもない自分と、あなたということで対峙するという、そういう時間を提供できたらと思って、そういう場を作りたいと思って公園活動をやってますんで。

ちょっと今の社会の状況に疲れた、しかもその社会の中の自分は、何か役を持った人として、その社会の中に晒されてるわけですから、時にはそれを一旦脱ぎ捨てて、何物でもない、今目の前の人間と対峙して、その存在が、言葉でとかではなくて、非言語で、そこで一緒にいて、お互いの存在を承認しているということで得られる、なんか栄誉音ペアのってあると思うから、ぜひ公園に気軽に遊んでみてください。

最近、自分の中にも多様性みたいなのがあって、今言ったみたいな社会にすごく危機感っていうか、結構危険だなっていう、怖いなって思ってる気持ちもあるけど、一方で、公園という場、自分が活動しているその場において、いろんな方がいろんなタイミングで来てくださる。

この間の花見の時も、花見の時もって、僕は花見線に出るの、この間の代々木公園での上水公園の時も、来ましたって言って、別の用事があって東京に来てたんですけど、その限られた短い時間の中で、代々木公園に来て、僕の所に来て過ごす時間っていうのは、かなり貴重なわけですよね。すごく短い時間しか東京にいられないのに、その中でこの場所を選んでくれて、一緒に少しお話をしたりとかした時間。こういうものにすごく勇気ももらうし、癒されるし、出会えてよかったなと思うしっていう、何かすごく喜びがありますよね。人間と人間が、利害を超えて出会ったみたいな、それはすごく尊いことだなと思って、嬉しい気持ちになります。

そして既に出会っている方が、その日花見をしてたらしくて、代々木にいるから、ちょっと声かけに来ましたって言って、立ち寄ってくれたりとか。そういう、それこそ一つの当たり前みたいな風景になっていったらいいなと思ってますね。そういう平和なシーンっていうのは、もっと世界に増えていってほしいと思ってますけど、それがマクロンに対して物申しても、ちょっと僕はそこにエネルギーがあまり割けないなっていう感じがあるので、自分が活動して、少しでもそういう平和な場みたいなものを作り続けるということが、僕にできる、僕のやりたいことでもあり、できることかなと思うので、やっていきたいなって改めて思いますね。

世界の危なさ、激しさとは裏腹に、公園は静かに、穏やかに、そういう場所を提供し続けられたらなと思っています。何に臨場感を感じているか、何に危機を感じているか、全く危機を感じていないか、なんてこととかの多様さが、今結構生まれているので、コミュニケーションがより難しい時代になってきているかなと思うので、くれぐれもお気を付けください。そういった、気を付けたコミュニケーションに疲れた方は、ぜひ公園に遊びに来てください。

というわけで、本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。