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概要
意図の介在しない出来事の前でだけ、素直でいられる。作られたものは作った人の手が透けて見える。上手いなぁと思った瞬間に、もう入り込めない。このポッドキャストは、なるべく意図を介在させないように意図している(意図が介在している!)。逆説を、解消しないまま喋り続ける。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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4月6日月曜日、夕方4時57分です。この週末、ちょっとお酒を飲みすぎて大変なことになっていたんですけれども、無事、日曜日を台無しにすることによって完全復活しました。土曜日に久しぶりの友人と飲みに行きまして、久しぶりなんで、いろいろといろんなお話をしていたんですね。2人で飲みに行っていたんですけれども、結構こじんまりとしたお店で、テーブル席がいくつかと小さなカウンター席。カウンター席も2、2、2ですね、コの字になったようなカウンターテーブルで、6人しか座れないような、そんなカウンター席に2人で座って喋っていたんですけれども、途中でね、僕が一緒に飲みに行っていた友人、女性だったんですけれども、元恋人が友人と一緒にやってきたと。
カウンター席のね、向かいに元恋人と元恋人の友人が、男性、男性ですね、2人座ってあって。最初はね、挨拶をちょっとするぐらいね。関係性も分かりませんから、どういうことかなっていうのもあったんで、一定距離を置いてですね、別々に喋ってたんですけど、どうやらね、そんなに別れてからも関係が悪いわけではなさそうだったので、ひと安心ということで。
そうこうしてたら、どれぐらいですかね。そもそも2人で飲み始めたのは4時で、ずっと飲んでたんですよ。7時半ぐらいに彼らが来たんで、もうすでに僕たちも飲み始めて3時間とか経過して、結構酔っ払ってると。で、彼らも来てしばらくして、多分8時半とかだったのかな。向こうの、5時ですね、5時のチャイムが鳴ってる中、喋って聞こえるものか分かりませんけども、続けていきますね。
元恋人の友人が結構積極的なというか、かなり社交的な感じの方で、ちょいちょいこっちに話しかけてくるみたいな感じで、だんだんね、いつの間にか4人で会話するような感じになって。元恋人と、友人と、元恋人の友人と、僕の4人かな。いつの間にかカウンター越しに4人で喋るようになって、まあ、なんということもない、2人のいろんな関係性についての話。それに対して、その元恋人の友人は、その当時、付き合ってる当時から知ってたみたいなんで、結構間に入ってですね、両方を繋ぐようなトークをするわけですね。僕はもう何のこっちゃ分からないので、ひたすら聞いてて、時々気になった時だけ質問を投げかけるという、そういう感じで討論会がね、繰り広げられていたわけですね。
そうすると結構、深いところにまで話が展開してきて。最初はね、馬が好きなんだっていうのと、競馬はギャンブルだっていうふうになって、対立とかね、そういう、ギャンブルじゃない、これは推し活なんだみたいな話とか、そういう話で結構ね、爽やかだったんですけど、だんだんこうね、深い部分に入っていき、なんかドライブ・マイ・カーみたいな感じの展開になってきたんで、ちょっとちょっと重たいぞっていう。重たいって言ってもね、そんなに嫌な空気の重さじゃなくて、より真剣な、向き合うべき課題みたいな話になってきたなーっていう感じだったんですけど。
元恋人の友人がそれを察しておらず、ずっとですね、最初の頃の軽快な感じで、分かってもいないのに「分かるよ、分かる、そうだね、こいつこうだもんね」みたいな感じで、すごくね、浅はかなリアクションを繰り広げていたら、元恋人の方が「いやいや、ちょっと本当に、本当にやめて、本当にやめて」みたいな感じになって。でも、気づいてなくて、ずっとね、「いやー、分かるよ、こいつこんな感じだもんね」みたいな感じのをずーっと続けていて。
で、なんか10時過ぎてからかなー、結局10時半くらいまでいたのかな、その店に。会計を済ませて、そして、どうなったんだろう、僕もかなり酔っ払ってたからな。とにかく2軒目に、なぜか4人で行ったんですよね。4人で2軒目に行って、そこでも……あ、そうだ、その2軒目に行った時に、元恋人が元恋人の友人のLINEをブロックするという事件が発生しましたね。
それはさっきのお店で、真剣な話がしたいのに、こう、変な感じでチャチャ入れるから、やめてくれって明確に言っているのに、そういう感じで来るから、もうLINEをブロックしました、っていう感じでね。目の前でこう、友人同士が仲違いする。喧嘩っていう感じでもないですよね。なんか「この野郎」っていうような激しさもなくて、「いや、もうちょっと一線超えてるんでね、LINEはブロックします」みたいな感じの、一つの友情が決裂する瞬間に立ち会って、すごく面白かったなと思いました。
まあ、友人も友人でかなり酔っ払ってましたし、僕もね、テンションはそんな、今と変わんないと思うんですけど、そんなハイテンションってわけでもなければ、低くもなかったような。ちょっとね、酔っ払ってるんで自分のことは分かりませんけども、そういう自己認識なんですが。でも結構飲んでてね、これ終わりがないやつだなっていうふうに思ったわけですね。
で、2軒目もお店が閉まるということで出て、そして帰ろっかなって思ったら、あれ、もう電車ねえじゃんっていうことで、電車、終電を逃してしまいました。歩いて帰れるような場所でもなかったんで、これはタクシーかなって思っていたら、「もう朝まで行きましょう」とかって言ってね、絶交された友人がね、「朝まで行くしかないですね」とかって言って、友人と、友人の元恋人と、元恋人の友人と僕の4人でですね、3軒目に移動すると。12時過ぎてましたかね。それで、3軒目に移動する途中で僕はタクシーに乗って帰るという、なんかそういう回でした。
なかなかヒューマンドラマでしたよね。別れた恋人と約10年ぶりに、まあ、会うのは10年ぶりとかじゃないやつですけど、10年前に別れた恋人と偶然居酒屋で再会して、そこで「あの頃は」みたいな話をね、思い切りお互いぶつけ合うみたいな。そして間に入った友人が絶交されてしまうみたいなね。もうヒューマンドラマを最前線で目の当たりにして、良かったですね。すごく人間、人間がいるっていう感じでした。
で、次の日、朝礼で目が覚めるわけですけども、7時から朝礼ということで。前日タクシーで帰って、何時なんでしょうね、あれは。2時とか3時とかに寝たと思うんですけど、7時の朝礼、これがね、本当に地獄でね。朝起きてもう早速、ちょっと汚い話ですけど吐きまして、そこから朝礼。で、朝礼の音声残ってますんで、そのね、グダグダ配信も、ぜひ良かったら。メンバーシップ限定でしか聞けないんですが、先週土曜日の配信分です。
泥酔し……泥酔……え? 二日酔いか。二日酔いの朝礼ということで。二日酔いとかのレベルじゃないんですよね。本当に歩けなくなってる。家の下でですね、ほぼしゃがみ込んで喋っているっていう15分間ですね。15分がもう永遠の長さに感じられて、しんどい、ひたすらしんどいって言ってるだけの15分なんですけども。
で、また朝礼が終わって、家に帰って、そして9時、朝9時からね、打ち合わせがあったんですね。ポッドキャスト、メイメイの。あの、5月にですね、Podcast Weekendに出展するんですね、メイメイで。その企画についてとか、準備物についてとか、ちょっと打ち合わせしましょうということで、9時からオンラインでね、ミーティングする予定があったんで。朝礼が7時半に終わって、そっからね、もう1回ベッドに入って、8時50分ぐらいに起きて、で、また吐いて、そしてメイメイのミーティングに入ると。
ちょっとほんと申し訳なかったですね、カンタさんとソーアさんには。僕がもう完全にグロッキーで、ほとんどいるだけっていう感じでしたね。一応話はね、聞いてましたんでちゃんと把握しておりますが、あまり意見も出せず、すみませんでした。会議中ですね、ビデオオフ、オーディオオフにして2回ぐらい吐きました。そして会議が10時前に終わって、そっからね、またベッドに入りまして、12時半ぐらいに起きたのかな。日曜日か、日曜日の12時半ぐらいに起きて。
そうするとね、だいぶ良くなってきて、酔いの方はね。体はもうめっちゃきついんですけど、だいぶ頭痛も、頭痛薬が効いてきたし、もう吐き切ったし、二日酔いらしき症状はもうなくなって。お昼2時からシャワーを浴びて、そしてお昼2時から代々木公園で上水公園っていうスケジュールでした。
上水公園でお二方来ていただいて、いろんなお話ししてたんですけど。なんでそういう話だったか忘れてたんですが、続けることが苦手だから、苦手という自己認識があるから、気合と根性で義務化して頑張るみたいな感じの目標設定をしちゃうんです、ということを言ってて。すごい分かりますよって。僕も結構そのタイプですよね。朝礼とかも365日休まずやりますみたいな、かなりハードな感じで設定しないと、緩やかにやろうとしたら絶対何もできないっていうところがあるんで。やると決めたらやるみたいな感じのやり方をされる方で。
その方はですね、ある年、映画を週5本見ると。年間200本以上見るという。明確にそう立てたわけじゃないらしいんですけど、週5見るっていう感じでやってたと。だから平日もね、見ないといけないし、見れなかった週とかは週末に、土曜日2本、日曜日2本みたいな感じで、その負債を消化して、年間ね、200本以上の映画を見たんだっていう、ようなお話をされてあって。
それで、続けられなかった人が、その1年間、映画200本見るって続けられたけど、「自信つきましたか?」とか。「全然つきませんでしたね」みたいな話とか。「でも200本映画見たら何か変わったんじゃないですか?」って言ってもね、「200本見たくらいじゃ何も変わりませんね」とか、「むしろ全然、200本じゃどうしようもないってことが分かった」みたいなこととか。結構面白い話が聞けましたね。
そこからコンテンツのお話になって、どういうコンテンツを見るのか。その方はね、映画が好きで見てるという話だったし、もう一方は、特に年に2回、大型連休というか、4日以上の連休を年に2回取るようにしていると、仕事のね。その連休の初日しかコンテンツを見ないというルールを設定されてあるみたいで。それはそれでストイックだなって。年に2回しかコンテンツを摂取しないってすごい。それはそれで、両極ですよね。年間200本映画見るか、年に2回しかコンテンツを摂取しないか、っていう。
面白い話を聞かせてもらって、僕はその時に、コンテンツでは決してないけど、やっぱりよりリアルなものが好きだという話をしました。やっぱりいわゆるコンテンツというか、何かドラマだったり、YouTubeのね、動画だったりとか、何でもいいんですけど、そういうものっていうのは、人が意図して、掴みでこういうことやろうかとか、こういう感じにちょっとやってみようかとか、こんな伏線を引いて、ここで回収しようかとかっていうことを、人が意識して、意図して作っているっていうものだと思うんですけど。
僕はその、意図が介入した時点で何か……意図が介入した時点でってのはちょっと言い過ぎだけど、よくできたコンテンツって、なんかその辺が上手いなーみたいな感じになることが多いんですよね。その「上手いなー」ってあまり思いたくないっていうのがあって。上手いなーって思うコンテンツは、よくできたコンテンツなんだけども、僕の中でね。でも、よくできたコンテンツはあまり好きじゃない。なぜなら「よくできてるなー、上手いなー」って思いたくないから、なんですね。
もうちょっと、誰も意図しない形で起こっている、なんか平衡というか、それはカオスなのかもしれないけれども、よく分からない状態でバランスしているみたいなものが、僕は好きですね。だから、なんでしょう、その公園での会話とか、土曜日の、友人と飲みに行ってたら偶然友人の元恋人が現れて、そして一緒にコミュニケーションを取って、そして友情が決裂する瞬間に立ち会うとか。そういうものはやっぱり脚本がないですよね。その場で起こった偶然の出来事。そういったものが最も僕の中でコンテンツ性があるというか、最も楽しい、最も心が動かされるコンテンツだなと思っているので、好きなコンテンツはないっていう感じですかね。
ルポが好きですって一時期言ってたんですけど、ディストピアチャンネルという番組でルポをね、読んで、読書会みたいな感じでやるのを何回やったのかな、多分5、6回やったんですけど、5、6冊ですね。ちょっと飽きてきちゃったっていうのがありますね。やっぱりルポも、当たり前ですけども、著者の視点で、どうまとめると読みやすくなるかとか、ちょっと物語チックになるかとか、どうまとめると、起承転結じゃないですけども、収まりが良いかみたいな観点でまとめられてあって。なんか「上手いな」とか、「なんか読みづらいな」とか、「なんかこれ、ちょっと独善的だな」とか、やっぱり編集された感じにいまいち入り込めなくなっちゃう。
編集されたものは、なんか全てその編集の観点で見ちゃうというか、「こう編集するんだ」みたいな、分析的に見ちゃうんですけど。やっぱり先に例に出した、その公園での会話とか飲み会での会話だったりとかは、分析したってしょうがないというか。その時その状況でもうそうなってしまったものはしょうがないというか、もうそうだったなというものを、ただそのまま受け止めるというような、そういう生々しいものがやっぱり僕はいいですよね。
作られたものはやっぱり、何度も何度も考えて「これで行こう」って言って決めている、もしくはあんまり考えられてなくて「これで行こう」と決めている、もしくは決めているという自覚もないまま決めている、みたいなことがあり。じゃあそれって何なんだっけ、みたいなことは考えちゃうんですよね。それがそのように切り取られて、そのように発信されたということがどういうことなのかということを、やっぱりすごく考えてしまう。だからなかなか難しいところがある。
最高のコンテンツは、作られてないもの。何も作られてないものっていうのが最高のコンテンツですね。作られてないって言ったら難しいですよね。その、人が人と接するときには、作られた自分で望んでいる部分っていうのがありますから、作られてないって言えば嘘だけども。でも、一人の手とか、その作り手の手で作られてるわけじゃなくて、その場、環境との相互作用でこう偶然出来上がっていくみたいな、意図通り動かないみたいな感じ、方向性を持たない感じみたいなのは、好きなんだなって思いますね。
だから、このポッドキャストですね。僕の、存在としての、このポッドキャストも、最近は限りなくね、それに近い形っていうのを目指してやってます。もうどうしても、若干の編集はあったりもするんですけど、でも何を喋るか特に決めずに録音ボタンを押すし、カレンダーにね、この日この時間収録しようとか、それさえも決めずに。配信日は決まってますから、タイムリミットはある中で、どこで収録するかも気分で決めるとか、スケジュールの隙間を見て決めるとかしてると、今もう夕方5時何分だ、5時20分ですけど、これが9時に公開されると思うと、結局はギリギリ当日の夕方とかになっちゃったりしてるんですけども。
でも、夕方に撮るぞと決めてるわけでもなく、撮るぞと思って撮る。別に何か話そう、これこれを話そうと決めてるわけでもなく、録音ボタンを押してから考えるっていう。もう、意図がなるべく介在しない、その時その瞬間に頭に浮かぶものを喋るということを心がけてですね、やっております。
なので、作り込まれたコンテンツが好きだって方もたくさんね、いらっしゃると思うんですよ。上手いものが好き、上手いこと、こう、なんか振りがあって、なんかオチがあるみたいな、「上手いなー」みたいなのが好きな人もね、いると思うんですよ。そういう人には刺さらない、全く刺さらない番組になってるかなと思うんですけども、自然派の皆さんにですね、ぜひ届いたらいいなと思っています。
なぜこのタイミングでこんな話をこの人はしたんだろうか、という問いが回収されないまま、なんでここでこんな感じで盛り上がってんだろうとか、盛り下がってんだろうみたいなことが、意図されていないので。意図されていないけども、その深層心理みたいなものがきっとあるのかないのか分かりませんけれども、そんなものをですね、答えがないまま、伏線回収されないままですね。伏線ですらないですよね。何か分からない、回収されないまま話が進んでいく。この、なんていうんですかね、答えのなさみたいなものを、そのまま受け止められる方に聞いていただけたらね、嬉しいなと思っています。
実際、前回のねエピソードの最後に、僕は髪の毛を伸ばして気づいたことがある話をしようとしてたのに、髪を伸ばしている理由を話して終わったんですよね。その後、髪を伸ばして気づいたことがあるって話を本当はしようと思ってたんだけど、5時のチャイムが鳴ったことで、5時だから終わるかみたいな感じで終わったっていう。これ全部ね、やっぱりその場その場の流れでそうなっちゃったっていうことだったりしますね。
最後に、髪を伸ばして気づいたこと、前回お話しできなかったことをお話ししたいんですけど。髪をね、上に、頭のてっぺんで結ぶのあるじゃないですか。こう、ちょんまげみたいな感じのとか、なんか、さくらんぼみたいな感じの、頭の上の方で結ぶっていう。これはなんか、美しくないなっていうふうに僕はずっと思っていて。せいぜい、どうですかね、ごく一部、似合う人がやるといいんだと思うんですけど、なかなかね、美しいなぁと思うことが少ない、ですが。
僕がね、最近ね、人と会わない時は頭の上で結びがちなんですね。これ、気づいたんですよ。本当は後ろで結びたいけど、届かないから上で結ぶしかないっていうことにですね。ギリッギリ、まだ後ろで結ぶには結べないぐらいの長さで、上で結べば結べるっていう、この長さの時にここで結ぶんだな、人はっていう。それがめっちゃいいと思って結んでるわけでもなくて、髪の毛が邪魔だから束ねたい、でも後ろで束ねられない、妥協案として上で束ねるかっていう人が結構な割合でいるんじゃないかなっていうことをもって、今までその、頭の上の方でね、髪の毛束ねているという美意識について、少し、どうなんだろうと思ってたんですけども、仕方ないなっていうことに気づきました。
早く全部束ねて後ろで結ぶなどしたいなと思う今日この頃です。なんかね、自分が体験してみないと気づかないことってあるなって思います。多分その、髪を束ねるのも「後ろだと届かないからですよ」って、もし言われたら、僕が髪が伸びてない時にね、言われたら、「だからといって上で結ぶことないでしょうよ」って思ってたと思うんですけど。実際に自分が髪の毛が伸びてきた時に、邪魔だなって時に、じゃあ家で帽子被るかって言ったら、まあ被ってる時もあったんですけど、帽子もめんどくさいなって時に、結ぼうと思った時に、上でしか結べねえみたいな、そういう事情。
そしてそれを繰り返しやっていくうちに、落ち着いてくるっていうね。なんかオシャレだと思ってやってるわけじゃなくて、落ち着く、髪が落ち着く場所としてそうなってるみたいなのがあるなと思って。それがね、かっこいい、かわいいと思ってやってる人もいると思うんで、それはそれでその人の美意識としていいんですけど、僕はそれがね、あまり自分では良いものと思ってないんですが、結果そこに落ち着いてる自分がいるという、そんなお話でした。
高校生の時にね、スキー、修学旅行のスキーでね、こうジグザグに滑っているみたいな、インストラクターの方がね、ジグザグに滑って「私の後ろついてきてください」ってことで言って。ちょっとチャラいお兄さんがこうジグザグに滑ってるのを、みんなこうね、練習でジグザグ行くんですけど、カッコつけやがってと思ってですね、まっすぐ滑ったら、すさまじいスピードが出て転げ落ちたっていうようなこともあって。
なんかそれもね、ちゃんと言ってほしかった。あれはスピードを緩めてるんだということですね。カッコつけているんではなくて、これはスピードが出すぎて危ないのでジグザグ滑るから、ついてきてくださいって言ってほしかった。ついてきてくださいしか言わないから、カッコつけてると思ってまっすぐ滑ったら、大変なことになったっていう。そこではありますけども、それもやっぱね、自分でまっすぐ滑ってみて分かることがある。ジグザグに滑ろうって思える。
やっぱりこの体をね、通じて体験したことっていうのは結構腹落ちするなって思うんで。特に僕は、頭で分かっていることっていうのは、ほとんど分かっていないことだと思っているというか、うん、ずっと疑いみたいなものが残ったままになるので、ちゃんと腹落ちするためには、自分がそれを体験するってことが重要だなというふうに思ってますね。そんなことを、髪をね、頭のてっぺんで束ねて感じている夕暮れでございます。
桜もだいぶ散ってきましたね。もう終わりかなという。花見も、来週はもう花見できないでしょうね。本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。