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概要
ひょんな「鼻歌」がきっかけで、劇団四季の『ライオンキング』を観劇。前から3列目という至近距離で浴びた役者たちの息遣いや汗まで伝わってくるほどの熱量 。アスリートの祭典のような圧倒的なクオリティとアナログな舞台美術に感動しつつも、終演後の中華料理屋での感想戦で浮かび上がってきたのは、光ゆえの闇だった 。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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4月10日金曜日、2時54分です。お昼に近所のカレー屋でカレーを食べて、今その帰り道ですね。雨が降り始めました。雨が今にも降りそうな天気だったんで、レインコートを着て家を出ましたので、雨が降ってもなんてことはないという感じですね。雨の中、散歩しながら収録していきたいなと思っています。家の近所は駅前の、駅に向かう途中にそのカレー屋があるんですけど、そこはめちゃくちゃ人通りが多いし、かといって収録をするために人がいない路地裏というか住宅街を歩くと、それはそれでたまにすれ違う人に脅威を与えてしまうという、外で収録する難しさはありますよね。
昨日、劇団四季のライオンキングを見てきましたね。なんで、って感じだと思うんですけど。前回それこそ、どういう言い方をしたか忘れましたけど、完成されたものというか、意図をして組み立てた、プロが作ったものみたいなものに対して、上手いなとかすごいなとは思うけど、むしろ上手いなとかすごいなとか思いたくないんだ、という話をしたばかりでありながら、劇団四季のライオンキングなんて、もう作り上げられたものの最たるものじゃないか、ということなわけですけども。社会科見学ですね。
これは東京に去年の9月に来てから、今まで福岡では絶対やらなかったようなことを積極的にやっていこうという方針で。新しい環境になると、今までの殻を破る、行動の殻を破るみたいなのはすごくハードルが下がる。新しい環境だから。海外旅行先で普段やらないことをやっちゃうみたいなのと一緒ですよね。新しい生活になると基本みたいなものがないから、今までの当たり前を壊すような行動を積極的にしやすい時期だなと思って。で、去年の9月に東京に来てから、なるべくそういう新しい、自分が今までだったら毛嫌いというか興味を全く持たずに断っていたようなものを、積極的に社会科見学に、人生経験として引き受けていく、というようなことをやっているわけですね。
プロジェクト単位でそういうのをやるっていうのは、もうやめてるんですけど。結構しんどくなるんで。単発のイベントで参加するとかだったら、本当にその日そういうモードで臨めばいいだけなので、そういう1日限りの体験みたいなのをどんどんやっていこうかなと思ってやってますよね。何やったんですかね。太極拳を始めたのとかは、いきなり1日限りではないですけども。単発のもので言うと、ポッドキャスターの方のイベント、番組のオフ会みたいなやつに参加してみるとかね。全然僕は熱心なファンではないんですけど、でもポッドキャスターの方がやるイベントってどうなんだろうみたいな、ちょっとリサーチも兼ねて体験してみたっていうのがあったりとか。正月でいうと高校サッカーを見に行くとか、あと箱根駅伝を見に行くとかね、明治神宮にわざわざ元旦に行くとか。っていうのは、絶対自分の行動パターンではありえないようなことをやってみることで、自分の何か感じるセンサーみたいなものの閉じてる部分っていうのを開くような、未知の体験としてやろうと思ってやってるんですね。
久しぶりに、ちょっと2月以降はもうAI三昧だったんで、あまり体験ってのはおろそかだったっていうのもあったんですが、この4月、劇団四季のライオンキングを見に行ってきました。そういうクオリティのミュージカルっていうのを、僕は見たことがないですね。演劇っていう意味では、結構最近ちょくちょく見に行くことはあるんですけど。でも、そういうエンタメ全開に振り切ってますっていうような感じよりは、どちらかというとアート寄りのというか。パッと見て一瞬で分かるみたいなエンタメ路線の、そういうショーみたいなものを見に行くことって本当になくて、ある意味楽しみにしていた公演でした。
このライオンキングに行くことになった経緯としては、僕が鼻歌というか、鼻歌? みたいな感じで、キャッツの歌を口ずさんでたんですね。劇団四季のキャッツっていうか、高校生の時に音楽の先生が、多分キャッツが大好きだったんでしょうね、音楽の教科書にキャッツの曲が1曲載ってあったんですよ。ちょっと曲名を忘れたんですけど、バラードみたいな曲で、すごくいい曲だったんですが。その曲が載ってるのをいいことに、先生がですね、ある学期、多分2学期とか3学期とかだったと思うんですけど、その1つの学期を期間丸々使って、ひたすらキャッツの歌を歌わせるっていう授業をやってて、僕はその被害者だったんですね。だからキャッツを見たこともないのに、キャッツの曲をいろいろとあれこれ歌わされて。テストの時には、その中から自分が好きな曲を選んでみんなの前で歌ってくださいみたいなテストで、スキンブルシャンクスの歌を歌ったような気がしますよね。そいつが誰なのかもいまだに分かってないんですけども。
とにかくそういうスパルタ教育の結果、キャッツの歌を時々鼻歌で歌ってしまう時があると。それを聞いたキャッツファンの方が、今キャッツですよねっていう感じで、キャッツですよねってキャッツしてですね、劇団四季とか好きなんですかとか言われて。全然好きじゃない、好きじゃないとか言ったらあれだけど、行ったこともないし分かんないけど、高校の時にそういう事情でキャッツの歌だけは知っているんだけども、見たことがないから、キャッツは見てみたいな、みたいな話をしてたら、調べてくれて、今東京でキャッツはやってないんですけど、ライオンキングだったらやってますねっていう話で。ちょっと行きましょうってことで、ライオンキングに行くことになったので、そういう経緯ですね。だから本当に、ふとした鼻歌がきっかけで、そこからライオンキングに至ったというところでございます。
有明の劇団四季の劇場であってる公演だったんですけど、平日なんですけどね、結構たくさん人が入ってるなっていう感じでしたね。すごく多かったんですけど、パッと見たら高校生とかがすごく多かったんで、学生のああいう演劇鑑賞の機会とかありますよね。僕も高校生の時に演劇を見たのかな、ちょっと覚えてないな。和太鼓のショーは見ましたね。太鼓の公演みたいなのを、田川市民文化センターみたいなところでやってるのに、高校で学年で見に行ったみたいなのはあったんですけど。そういう一環でしょうね。学生がめちゃくちゃ多かったですけど。3分の2は言い過ぎか、半分以上はでも学生だったかな。
僕は前から3列目の席に座ってましたね。めちゃくちゃ近い。こんな距離感で、ただでさえ見たことがないのに、こんな距離感で見ることはないなっていう感じの、すごい至近距離でした。だから俳優さんの息遣いとか汗とか、そういうのまで見えてくる、すごく臨場感のある感じでしたよね。ライオンキングはお話を説明するまでもなくライオンキングって感じで、ディズニーのライオンキングは見たことがあったので、忠実にというか、再現されてる感じでしたよね。僕がおぼろげながら記憶していたようなしてなかったようなライオンキングが、ああそういえばこうだったな、こんなキャラいたなみたいな感じで、再現度高く表現されてあったし。てかもう全部のクオリティが高すぎて、僕は言うことなんもないって感じですね。
俳優さんも、すごくまだ10歳にも満たないような男の子と女の子、男の子はシンバですね、役で、それが青年になっていってみたいなこともあるんですけど、お父さんとか、いろんな役周りの人がいるわけじゃないですか。選手層がまずめちゃくちゃ厚いよね。若手からベテランまでの選手層も厚いし。サバンナの感じを演出するために、たくさんの動物に扮した役者さんたちがステージを埋め尽くすわけですけども、その物量というか、俳優さんの数もすごいし、その人一人の本気感もやっぱすごいし。ビジュアルも美しければ、声もよく通るし、滑舌すごいし、歌うまいし、ダンスはうまいしみたいな。舞台美術みたいなものも、アナログにこだわってるんでしょうね、すごくね。いかようにもデジタルにできそうな時代ですけど、全部その小道具で演出していくっていう。そこがね、僕はすごく一番良かったかな。アナログでわざわざこの舞台を見に来てるから、デジタルにせずに、人間の知恵で、道具で成立させていこうみたいな感じとかは、見てて面白かったですかね。
とにかくそのハイクオリティを、訓練されまくった人たちによる、アスリートによる、オリンピックですよね。アスリートたちの祭典として見たという感じでしたね。もう訓練に訓練を重ねた人たちが織りなす舞台という感じで、もう見てて非のつけどころがない。というか、非をつけようとすればつけれるけど、つけたところでどうしようもないというか。みんな頑張ってんなっていう感じで。頑張っている姿に胸を打たれるというか、あらゆる方面でね。そういう感じで、行ってよかったですね。見に行くっていうスタンスで見てるから、そんなひねくれた目線で見たわけでもなくて、しかも前から3列目の臨場感っていうのはすごく良かった。
遠いとね、もう本当に、俯瞰しちゃってひねくれ視点で見ちゃうなって。だから今まではずっとそうだった気がしますね。フェスというフェスにがっつり行ったことはないけど、フジロックみたいなね、ああいうのに行ったことないけど。でも屋外でライブやってるやつとか、ミュージックシティ天神とかですね、福岡で屋外で、街のど真ん中でライブやってたりとかするんですけど、遠目から見てると、なんかすごいひねくれジジイみたいな感じで見ちゃうんですけど。あれ、前から3列目とかで見ると没入感があって、違いますよね。批判的に見る意味がないっていうかね。没入したりとか、没入できなくても、一人一人に思いを馳せるみたいなこと。全体を見ないってことですよね。あえて全体を見ずに、その部分にフォーカスすることで、しかも技術的にじゃなくて、ただただ感じるみたいなことにフォーカスしていくと、割と楽しめるものがあるなと思いました。
余談ですけど、映画館も僕は、東京に来てるからかな、割と行くようになって、なるべく前で見るようにしてるんですね。それがもう同じ理由で。後ろで見ちゃうと全体感は見れるんですけど、すごいひねくれジジイとして見ちゃうので。前列で見ると没入感みたいなのがあって、あんまり批判的にものを見るんじゃなくて、圧倒される感じで見れるんでいいなと思って。あえて俯瞰しない努力をするみたいなことをやってますね。
はい。ライオンキングはそんな感じで、とにかくプロによるエンタメの最高峰って感じですよね。楽しませてもらいました。で、9時半ぐらいに公演が終わって、お腹が空いちゃったんで、帰りに有明ガーデンですかね、平日の夜9時半っていうのもあるんでしょうか、すごくガラガラの、でもすごく綺麗な商業施設。1階にスーパーがあってみたいなね。5階にレストランフロアみたいなのがあるんですけど、ほぼ誰もいなくて、そこの中華料理屋で友人と感想戦をしながら食事をしたんですけども。そうなってくるとまた、もう今度は頭が切り替わって、ひねくれジジイ視点になってくるわけですよね。悪く言おうとしてるわけじゃないし、なんていうのかな、分析的に、ただあの体験は何だったのかってことを振り返っているっていう感じなんですよね。悪口を言いたいわけでもないし、何かダメ出しをしたいわけではないんだけども、どのようなことが自分はそこから言えただろうかという分析モードに入るという中華料理屋でした。
光と闇っていう感じがしましたね。まずその、僕が振り返ってみて思ったのは、あの時間を、みんなが一生懸命であるっていうことは結局良かったんですよね。一生懸命汗をかき、日頃の練習の成果をここで出し切るという緊張感とか気迫みたいなものがあって、ここにかけているみたいな思いが届いてくるっていう。一生懸命さとか思いとか、日頃の積み重ねによる爆発力みたいな。あとは日頃の積み重ねがあるから、それがうまく表現できている、技術的にも高いっていう。いろんな要素があるんですけど、特に感動したのは思いみたいなところですよね。一生懸命さで。
そこで言うと、ひねくれ視点でいくと、別にミュージカルとかライブとか、何があるかな、スポーツの試合とか、そんなの見なくても、道を歩いてたらそこで家を建てている大工さんだったりとか、レストランに行けば料理人の方だったりとか。なかなか覗くことはできませんけども、家庭の中で子育てとか家事をしてる人だったりとか、職場で頑張って、一生懸命頑張ったがゆえの残業で、なんとか明日の準備で頑張ってますみたいな、仕事で遅くまで頑張ってる人とか。分かんないけど、どんなシーンにもその一生懸命みたいなものがあるし、その一生懸命みたいなものが垣間見えた時って、グッときますよね。だから、わざわざミュージカルで見る必要はないかなっていう気がしたというか。野球の試合会場に行かなくても、球場に行かなくても、高校の近くを夕方通れば部活生が甲子園を目指して頑張ってるとかね、そんな姿でも十分感動はできるから。一生懸命な人から、一生懸命さ、ひたむきさに心を打たれるみたいなことは日常の中にたくさん潜んでいるから、何も舞台と観客席で見る必要はないかなって思った。座席が指定されている場所で見なくても、普段の生活だと座席を常に移動できるわけですから。それは、日常の方がよっぽど感動できるんじゃないかって思いましたね。
これも余談ですけど、2020年にニューヨークに行かされたことがあって、会社からですね、行かせていただいたんですけども、望んでいたというよりは行ってこいということで、半強制的に行ってきたニューヨークで、ニューヨークの友達の勧めでスリープノーモアっていう演劇を見たんですよね。スリープノーモアっていうやつは、潰れたホテルなのかな、丸々劇場として使っていて、そのホテル全体が舞台になっていると。だから役者さんと観客のいる場所が一緒っていうね。そのホテル自体が舞台だから、その舞台の中で各フロアでずっとシーンが進行していっているので、観客は仮面をつけて、どのフロア、どの時間、どのフロアに移動してもいいっていう感じで、移動型の観劇スタイルっていう感じで。あれはすごく面白かったですよね。物語がずっと何周かループしてるんで、え、あの時のこの部屋では何が起こってるんだっけみたいなことを、何周かしながらいろんなフロアでいろんなシーンを目撃するっていうようなね。全部を見るためには多分1回じゃ無理で、何回も通って、各部屋でどんなことが起こってて、全体の整合性がどう取れているのかみたいなことを、整合性が取れてなくてもいいんだけど、自分が見た中でその断片を繋ぎ合わせていって楽しむみたいな観劇があって。あれはすごく楽しかったし、僕がさっき言った日常の中にいろいろ潜んでる、その感動みたいなものはそれに近いっていうか。
僕が今この通りを歩いてるのは偶然なんですけども、この通りをこのタイミングで歩いてるからしか見えない景色というのがやっぱりあるから、そこから感動できる方が、その日その時間3時間やりますってやられたものに感動するよりも尊い。感動の尊さというよりは、見える景色として僕が、そっちの方が尊いと思っているっていうのがあって。この日この時間舞台頑張ります、だけだと、それはそれでいいんですけど、舞台感が強ければ強いほど、ちょっと冷めちゃうみたいなところがやっぱりありますよね。そこに今度、俳優の知り合いがいるとか、自分が接続していれば、関係性的に物語的に、そうするとまた没入感とか見え方が変わってくるんでしょうけど。本当に全く文脈が切断された関係の中で、つまり無関係な人がステージの上でパッとやってるっていうのは、やっぱり上手いなぁ、すごいなぁの域を出ないですよね。とか感動して、あ、感動じゃない、一生懸命やってる姿に感動するな、みたいなのはあるんだけども、それはテレビで甲子園を見るのとあんま変わらない感じだったですかね。感動はしたんですけどね。そういう感じです。
光と闇って言っても、そこの説明を全くしてないけど。そういう舞台があるものって、スポーツの試合でもいいし、ミュージカルの、その日公演するとかでもいいんですけど、その舞台にやっぱり出れる人、出れない人っていう、ものすごい淘汰が行われてるわけですね、選別みたいなものは。だから、その日の舞台一つとっても、勝ち上がった少数の強者たちによるパフォーマンスであるということで。最高峰を見るって意味では、それでいいのかもしれないですけども、結局そこの光みたいな、最高峰の戦いの裏には、その100倍も数千倍も人が犠牲になっているという感じはするので。その舞台が切り取られて、それは時間的にも空間的にも切り取られて、そして光を放てば放つほど、その影に埋もれた屍の山みたいなものに対しての思いを馳せる部分があって、光の分だけ闇だなと思って見ちゃうって。
だからエンタメ業界とか、僕はその闇を感じちゃうんですよね。そんなもん見なくていいじゃんっていう考え方もあると思うんですけど。その舞台で頑張ってるその人たちだけは見ようよっていう考え方はあると思うんですけど、確かに僕は昨日そうやって、その2時間3時間ぐらいの間はそのように努めましたけども。やっぱ終わってみれば、とはいえ、じゃあ彼ら、僕は確かに主役とかそういう人たちに目を取られて、もちろん主役だからそこに目が行くようにできてるからね、目が行ってたんだけど、じゃああの雑草の人はどうなんだっけと。あの雑草の人の中でも、演劇を始めてまだ1年目ですとかだったら、何百人何千人ぐらいだろうかな、分かんないけど、見てる前で雑草役でも舞台に立ててよかったっていう感想になるんだろうけど、20年やってて雑草だったら、20年やってるのに雑草か自分は、ってなっちゃうし。もっと言うと、その人が劇団四季に関われるだけでハッピーなんですって言って、なんて言うんですかね、それで存在意義を感じるタイプだったらいいけど、役者としてどんどん活躍を広げていきたいっていう野心を持ってる人だったりすると、20年やって自分は雑草かってことになるわけですよね。向いてない、才能がない、で切り捨てることは簡単なんですけど、そういう悲しみみたいなものも、そこにはやっぱり事実あるなと思いますね。勝てなかった弱い者は滅びればいいっていう考え方はできますよ。けども、それはちょっとやっぱ悲しすぎる気もするなっていう感じですかね。
だから僕は、その洗練されたプロの作品よりも、アマチュアが楽しくやっている作品の方が好き。その人の人生とか生活とか価値観がそこに出てて。クオリティは千差万別、全然低いなみたいなものもあるかもしれないけども。だから、そのクオリティの低さが、サボって適当にやって下手なのか、一生懸命準備してきたけどこれなのかっていうのでも意味が変わってくる。要は一生懸命さみたいなものに、ひたむきさみたいなものに胸を打たれるのであって、そこはやっぱり必ずしも技術とかに裏付けられてるものではないなと思うんですよね。
高校生の時に、僕は青春パンクとかが流行ってて、初期衝動ですよね、衝動あふれる感情を爆発させてライブをしてるっていうようなバンドがすごい多かったし、僕もそういうバンドの影響を受けたんですけど。青春パンクっぽいやつらみたいなのがいるんですよね。初期衝動っぽいみたいな、感情むき出しっぽいみたいな、ファッション青春パンクみたいなやつらがやっぱり湧いてきてて。それは青春パンクが流行ったから、そういうのに便乗して、そういう感じだよねって型を真似るやつらがいたんですけど。やっぱり青春パンクっていうのは僕の中ではゴーイングステディーですよね。あれはやっぱりその恋とかじゃない、やっぱその一生懸命さ、ひたむきさ、そして衝動を出し切るんだという純粋さみたいなものが、やっぱりしっかりと表現されていたっていう。で、上手いかって言うとめちゃくちゃ下手なんだけど、でもその溢れ出る衝動、純度の高い衝動みたいなものに胸を打たれたみたいなところもあったんで。僕の原点はやっぱりそこにあって、一生懸命風とかひたむき風とかは一番嫌いなんですけど、一生懸命やってんなみたいなものであれば、上手いか下手かっていうよりも、その心意気みたいなものにすごく感動するところがありますよね、好みとして。
改めて自分の好みが分かったし、自分の好みを鑑賞しようとすると、強者たちだけが残った球場とか競技場、その舞台ではなくて、やっぱり日常のいろんな生活場面に、そういうシーンが潜んでいるなって思うので。僕はやっぱり生活の中でそれを感じたいなって改めて思いましたね。これからもいろんな舞台とか見ていくだろうし、そういうのも見ると思うんですけども、自分の好みとしてはやっぱり生活場面にあるなってことを改めて感じました。
これは決してエンタメ批判ではないですよね。昨日見て同時に思ったのは、こういう役者さんに雇用を生み出しているとか、活躍の場を生み出しているっていうのはすごいことだなってやっぱり思いましたよね。全国に何箇所か自前の劇場を持っていて、あとはすごい稽古場みたいなのを持っていて、そこでいろんな俳優さんを育成して、その育成された俳優さんがなるべく舞台に立てるようになるか分かりませんけども、演劇みたいなものがいろんな人に届くように、そしてその演劇文化が育っていくように、この社会の中にちゃんとそういった基盤を築いているっていうのは、すごいことだなと思いますよね。昨日も10歳未満の、めちゃくちゃ演技も歌もうまい、すごい子役みたいな子が、シンバ役の子とか言いましたけども、ああいう子が登場するのは、そういう育成する環境が整っているからできることだと思うし。そういった場があるってこと自体はとてもいいなと思ったんで。何か批判したいわけではなくて、僕の感想として思ったことをお話ししました。
だんだん自分の、エンタメがあまり好きじゃない理由みたいなのも深まってきてる気がしますね。洗練されたものって、例えば劇団四季の方の喋り方ってすごいんですよね。歌いながら踊りながらなのに全然ブレない。歌も音程もブレないし、滑舌もすっごい聴きやすいから、これ人間バナでした、やっぱ。どうやってこれ発声してるのとか、すごいなこの人って感じなんですよ。超人を見てるって意味ではすごさがあるんですけど、でも片や、それってなんか非人間的、AI的であるというか。AIって変な動きをしても多分完璧な音声で喋れるはずじゃないですか、みたいな。その人間離れしていくことによってAIに近づいていくみたいなところがあるなっていうのが、洗練されたエンターテイメントに思うところですね。
洗練されたというか、最適化されたか。市場に最適化されて、こういうパターンが勝ちパターンとしてありますよ、みたいなものを学習していけばいくほど型にはまっていく。型にはまった喋り方、型にはまった展開、型にはまった動きみたいなことが高度にできればできるほど技術が高い人ってことになるんだけども、それこそが再現性のあるものになってしまい、もちろん再現できる人間ってのは限られているんだけども、再現性のあるものになってしまい、AIでいいやんってことになっちゃうみたいな感じはする。やっぱ美しすぎる、綺麗に整いすぎている、秩序立ちすぎているから、AIでもいいかなって気がしてしまうっていうかね。それがAIじゃない人間だからいいじゃんって思えたのは、昨日3列目で見たから。これを人間がやってるんだな、人間が呼吸をしながら、汗をかきながらやってるんだなみたいなのが感じられたから感動できたけど、多分遠目から見たら、これAIでもいいなってなっちゃいそうな気がちょっとしちゃったんですよね。
まあでもね、舞台美術みたいなものも手作りでやってるとかは、そこはやっぱ人間っぽくていいなとか。人間っぽさを見に行ってるな自分は、ってのが改めて感じられたんで。自分の好みがどんどんクリアになってきてる感じがしてよかったですね。やっぱり普段見ないものを見るっていうのは、自分自身の外側に出るということであり、自分自身の価値観の外側に出るっていうことは、ある意味その価値観の境界線みたいなものがよりクリアになってくるみたいなところもあって。やっぱ普段やらないことをやるっていうのはとても重要だなって改めて思いました。今後もいろいろ体験できたらいいなと思ってます。
というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。