存在としての公園 第43回

語りえないものを色んな言い方で語る

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概要

「その時間は人間じゃないんです。公園なんです」「腑に落ちた気がします」外部の人に初めて、助走なしに言葉が届いた。翻訳してくれたのはチームメンバーだった。語れないことを無理して自分で語る必要はないのかもしれない。


全文

機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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4月27日月曜日、夕方6時33分ですね。今日は久しぶりに、しっかり雨が降ったなという感じの一日でしたね。毎日太極拳、毎朝5時40分に行って15日目とかになるんですけど、この2週間で初めてしっかり雨が降った。もう一回あったけど、本当に降ってるか降ってないか分かんないみたいな日が1日あったくらいで、かなりしっかりザーザー降りだったのが久しぶりだなという感じですね。太極拳の日に大雨だったのは初めてで、雨対策をしていろいろ準備をするのが、なかなか大変でしたね、朝から。いろいろ着替えを持って行ったりだとか。なんだかんだ、もう着いたらびしょ濡れだしみたいな感じで。

僕からすると、目的が自分のやりたいことをやることなので、その日が雨だったみたいなことはあんまり、いやだけども、晴れてるに越したことはないんだけども、どうせやるしなっていう感じで、雨だろうが風だろうが関係ないっていう感じなんですけど。逆に、あんまり自分がコミットしてないことに関しては、雨とか降るともう途端になしの方向にしちゃうみたいな。高校とかは雨が降ったら休んでましたんで。自分がコミットしてないものに対しては、雨が降ったらもうおしまいって感じなんですが、やろう、やりたいって思ってることに関しては、雨だろうが、人との約束とかじゃなくても、やりたいなと思ってたらやるっていう感じですね。

だからこの太極拳も自由参加なんですけど、大雨の中、自転車を漕いで行ってきました。すると先生方からすごく喜ばれて、というか、よく来たねっていう感じの、一段ウェルカム体制が、ウェルカムレベルが上がった感じがしましたね。いつもと同じ、ただ朝その時間に行くっていうことには何の変わりもないんだけども、環境が大雨というか、少し厳しい中で、それでも来たってことが、ある意味その、太極拳に対するコミットメントを示す機会になったという。面白いですよね。自分の行動は2週間何も変わってないんだけども、天候が変わったことによって、そこに行くということの意味が変わるみたいな。

自分は行く側だから、そんなにピンとこないんですけど、逆を想像したら確かにそうだよなとは思うんですよね。公園活動をやってて、めちゃくちゃ快適な気候の日に人が来てくださって、そうすると、ああ今日はやっぱり気候もいいし来やすいよな、なんて思いながら、それはそれで嬉しいんですけど、今日やっぱりいい天気ですね、なんて言いながら過ごすんですけど、極寒の中来てくれるとか、雨の中来てくれるとか、そういうのは、なんでしょうね、本人からすると、僕の今日の太極拳と一緒で、別に雨だからどうというわけではないんだけど、ってことかもしれないんですけど、特別に、こんな中来てくれてありがとうみたいな気持ちが芽生えてしまいますよね。不思議なもんですけど。

今ハイボール飲んでますね。サントリーの、なんだこれは、香る匠のハイボール。アルコール8%ってことで、飲んだことないハイボールだったんで飲んでますけど、8%の割には8%感ないですね。あっさりしてる。21世紀の食いしん坊じゃないんだぞっていう感じですね。ハイボールのレビューをしてる場合じゃない。

今日すごい雨が降ってたんで、びしょ濡れに早朝からなって、太極拳が終わって、その後に朝礼が待ってるわけですね。僕のルーティンで言うと、6時40分に太極拳が終わって、7時から朝礼暮快、Xのスペースで毎朝配信してるんですけど。この2週間、雨が降ってなかったんで、そのまま7時から公園のテーブル席とかに座って配信をしてたんですけど、今日はザーザー降りですから、なかなか公園でやるって言っても難しい。屋根がある場所ないかなと思っていろいろ探したんですけど、屋根風のやつはありますよね。あれ、なんなんですかね。公園で天井が抜けてる屋根みたいなのがあるじゃないですか。あれは何なんだろう。調べればちょっと分かるんですけど、調べるほど興味はないが気になってるって意味で言うと、ベンチとかの上に屋根風のがあるんですけど、でもすっかすかで雨は通ると。

僕の想像では、そこに宿泊されては困るみたいなことなのかなとか。雨がしのげちゃうと朝までそこにいられるから、ホテルとして使われては困るなっていうことなのかなと勝手に思ってるんですけど。とはいえ、そういう対策、そうじゃないかもしれないからあれだけど、もしそうだったとしたら、僕みたいに今日15分間だけ雨宿りしたいなっていう人間が、この公園でどこにも雨宿りできない。屋根があるところって結局、公園の中でいうと1箇所しかなくて、トイレですね。トイレしかなかったです。でもトイレでXのスペースを配信するわけにもいきませんし、どうしようかなと思って。そうすると見つけたんですね、公衆電話。公衆電話ボックスが公園を出たすぐそこにあったんで、ちょっと今日はもうここでやらせてもらうしかないなってことで。ある意味Xのスペースも通話ですから、公衆電話ボックスからXのスペースを配信するっていうような、そんな朝を迎えました。

屋根がないもんだよ。結構困ってますね。割と困ってる。雨の日に行くのはいいんだけどね、太極拳まではいいんですけどね。その後の朝礼の時のびしょ濡れをどうしたらいいのかっていうのが、ちょっと一つ課題ですね。屋根がある場所がない。思いのほか屋根がないって感じですね。

先週末、土曜日かな、「地に足」、公園活動をアートとして提案していくと。そこでアート的に考えるとこういう意義があるよねということで、その切り口で芸術祭とか、いろんなアートに関わる場所に提案していくっていう活動を、去年の11月ぐらいからかな、やってるんですけど。文化人類学実践者の水上優さんと、演劇の制作管理とか、ディレクター的なことをやっているマキコさんと僕の3人でやってるんですけどね。土曜日は外部の人に、あなた方の活動にちょっと興味があるんで聞かせてくれってことで、インタビューというか、お話する機会がありました。

その方は別に僕のポッドキャストを聞いているわけでもなくて。大体、僕の公園活動をしている方は何らかポッドキャストが入り口になって、そこから最終的にこの「存在としての公園」でポッドキャストにたどり着いて、公園って言ってなんかやってるんだなっていうふうに理解してもらえるという、その内容を詳細に理解してもらえてるかさておき、公園活動をやっているんだなっていうことは理解してもらってる、そういうパターンが多いんですけど。ポッドキャストもまた聞いてなくて、本当に「地に足」っていう活動として、公園するって何なんだっけみたいな話で、ちょっと一回話しましょうということでお話ししたんですが。

いいチームだなって改めて思いましたね。専門性があるみたいなことって、こういう良さがあるんだなって改めて思いました。まず、人文知的な観点から、人文学ではこう言われてるんですよみたいなことを水上さんが伝えるし、マキコさんは、今演劇界ではこういうようなことがトレンドで、こういうことを言われてるけれども、こういった公園活動ってここにこういう意味があって、みたいなことを語る。だからそれぞれの業界の、業界というか、それぞれの視点からその公園活動の有用性みたいなものを言語化して、なるほどってなるわけですよね。

で、肝心の僕が喋らない。なんで喋らないかっていうと、もう「存在としての公園」っていう言葉に全て詰まっているので、何か説明することは今の中で何もないっていう感じなんですよね。例え話しかできないっていうか。この社会は、何者かであらねばならない、何者かであらねば人と人は関われない、それぐらい全てにラベルが付いてしまっている。役割にある意味埋没してしまっている。私は私、というその存在みたいなものとか、要は何者でもないんだけど私は私、その一つでくくれない。母親でもあり、会社の課長でもあり、なんとかサークルの一員でもあり、そしてどこどこ大学の南紀のここのなんとか学部の同級生もいてとか、とにかくそういう多様な中のいろんなものを背負っているというか、いろんな中に位置付けられた、すごく多面的な私なはずなのに、社会に出るとどこどこ会社の部長ですとか、二児の母ですとか、そういうラベルで、じゃああなたはお母さんなんですねとか、じゃああなたは部長なんですねっていう。もうそこには私なんてものはもうないというか、役しかないわけですよね、極端に言うと。その役の中にも私の成分あるだろうって、それはそうなんだけども、でも人が求めているのは部長の部分であり、お母さんの部分であり、あなたではないという。そんな社会になってませんかってことが、僕の課題意識なわけですよね。

社会、それでいいんだっけっていうことを、究極、僕は10代の頃からずっと言ってるって感じなんですけども。それを10代20代の頃は音楽という形でメッセージにしてきましたが、数人にしか届かず、音楽を生業にしてやっていくっていうのはちょっと無理だなというふうに諦めたんですけども。とにかく言ってることはずっと変わらなくて。それが音楽から別の手段に移り変わっていく中で、今は公園活動という形で。そもそも何者かであらねばならない社会、何者かでなければ、何者でもないくせして、何者かであるかのように振る舞うことでしか人と関われないこの社会に、どうかしてんじゃねえかっていう、その問題意識で、何者でもなくても関わったらいいじゃないっていう、そういう考え方なんだけども。じゃあそんな場所ないじゃんって。それを自分の気合と根性で、勇気を持って何者でもない自分で、何者でもない人として相手と接するなんてことを個人個人が頑張ってね、なんてのはちょっとハードコアすぎるなと思うので、だったら僕が公園を作るので、この公園の中では肩書きも年齢も、そういういろんな社会的に付与されているラベルみたいなものを無効にして、人と人で関われる場を、僕自身が場を担保する形で作っていきますねっていうのが、この公園活動なわけですよね。

なんでそれは公園なのかっていうと、公園を想像していただけると分かると思うんですけど、お父さんも息子もおじいさんも、わかんないけども、一人ぼっちで友達がいない人もカップルも、学校帰りにちょっと公園で遊んでいる小学生たちも、みんなそこに優劣はないですよね。その公園の中で包摂されていて、みんながそれぞれお互いを別に邪魔するわけでもなく、攻撃するわけでもなく、俺は偉いんだぞみたいなマウンティングを取るわけでもなく、その公園の中に共存していると。それが公園の素晴らしさだなと思っていて。公園みたいな場所っていうのは、公園以外にないなっていう、なかなかこの社会の中に。なので公園を作ろうとやっているわけですね。

物理的な公園がそのように、引いてみたときにいろんな人たちを包摂しているんだけども、じゃあその人と人が交わっているかというと、やっぱりそういうわけでもなくて。小学生と大人が関わるわけでもなければ、隣のグループと挨拶を交わして、そこからじゃあ一緒に花見でもしませんかなんてことにもならないわけで。やっぱり一つの場の中に包摂はされているんだけども、一方で交流が発生するほどではないと。そこでその場をもっとドライブさせるというか、その公園がもっとインタラクティブになっていくと、まさに公園するということなんですけども、それを僕のレジャーシートの中では起こせるんじゃないかってことをやってますね。だからそのレジャーシートにやってきた人たちが知らない人同士だとしても、僕が仲介する形でというか、僕という装置を通して、だったらきっと変な目に遭わないだろうという、ある種の何ですかね、ボディーガードでありつつ、雷が落ちたら僕のところに落ちてくるみたいな、避雷針でありつつみたいな、何かコミュニケーションの難しい部分みたいなのを一手に引き受ける立場として僕がそこにいて、何も考えずに、何者でもないままそこに来てもらったらいいよっていう場所を作るってことをやってるわけですね。

この説明をする気はなかったんですけど、こんなふうに、ちょっと自分は公園活動をなんでやってるかみたいな話をすると、結構長くなっちゃうんですよね。ないものをやっている。公園だからあるものをやってるんだけども、公園という物理的なものではなくて、存在として公園であるということ、そして存在として公園であるということはどういうことであるかみたいなことを一から説明しようとすると、やっぱり長くなっちゃうんですよね。だからあんまり、じゃあどういう活動をされてるんですかみたいな話をするときに、今みたいな話を一からするのはちょっと講義みたいになるというか、長くなっちゃうから、あんまり喋らないでおこうというふうに思っちゃうわけですよね。

けど週末のその回では、僕が今みたいな話を、そんなに今みたいな尺で喋らずに、結構雑に喋ったんですよね。雑にというか、ざっくりというか。ざっくり言おうとすると結構強烈な物言いになっちゃうというか、極端な物言いになっちゃって。例えばその質問で言われたのは、公園をされるにあたって、ちょっと見た感じ僕の存在感がありすぎるように思うけどみたいな。そのサムウェイで、なんかでっかくて、めちゃめちゃクセ強いけども、見るからに、それでその公園みたいな感じになるんですっけみたいなことを言われたときに、その気配とか消すんですか? とか言われてですね。すごい面白かったですね。

晩餐会は今度、気配消せるといえば消してるんですけども、上水公園に関してはですね、気配を消すというよりかは、何ですかね、間に入って、人と人が繋がれるような仲介役としているっていうイメージなんで、存在感を消すとも違うしなとか思いながら。どう振る舞うかっていう話じゃなくて。そのときも言ったのは、その公園活動をしている時間は僕は人間じゃないんですみたいな話ですね。僕は人間じゃなくて、その時間、公園なので。公園に存在感がないかというと、ある。例えば噴水がある公園だとか、機関車の、東品川公園とかだとSLみたいな、機関車の模型みたいなのが置いてあったりとかするんですけど、存在感あるじゃんっていう。だから存在感の問題じゃなくて、存在感なら人じゃなくて、僕は公園なんですっていう話をしたら、すごく腑に落ちましたって言われて。腑に落ちるんだと思って、面白かったですよね。

とにかく公園のことを知らない人とか僕のことを知らない人が、公園活動にこんなに興味を持ってくださって、熱心にインタビューしてくださって、分かろうとしてくれて、そして腑に落ちたって言ってくれて。それが結構初めての体験だったなと思います。だいたいポッドキャストから入っていくので、そうすると長い時間をかけて、だんだん、なんか分かるような気がするっていうところに、ちょっとずつちょっとずつ理解度が深まっていくとか、理解はできないけどなんか大事なのかもねみたいな、応援してくれるとか、いろいろあるんですけど。今回は全くそういった助走期間がないまま、その場のコミュニケーションで結構伝わった感覚があったので、それはすごく嬉しかったです。

でもそれは何を隠そう、僕が今言ったような説明をしたからだってことでは決してなくて。それだけだと、この人ちょっと頭がおかしいのかもしれないって、多分ドン引きされてたと思うんですよ。けど、それを水上さんが、人類学ではこういうふうに言われていてみたいな話だとか、マキコさんが、今演劇界ではこう、場を開くということがなんとかかんとかで、とかって言って、そういったそれぞれの切り口から言ってくれることで、すごいかもしれんぞって、やっぱりなってたわけですよね。

だからいろんな言い方で言うっていうのは、やっぱり大事なことなんだなと思うし。いろんな言い方を、例えば僕が、今演劇界っていうのは、なんて語っても、お前誰だよってなるじゃないですか。僕が、人類学ではこのように言われていて、って言っても、何を学んだんだお前は、って言われるわけじゃないですか。だから、しっかりとそこに浸かって、実感としても知識としても、もちろんそうですし、いろんなものを持った、それを言っていい、ある意味、説得力のある立場の人がそれを言うということは、とっても効果的なんだなってことが分かりました。

この3人のチームのバランスが、やっぱりいいですよね。アートに何かやっていこうとするときに、変異界にすでにいるという人が言ってくれる言葉もあれば、ちょっとそこをアカデミックな立場から言ってくれる人もいれば、実践するその当事者として、その思いとか世界観みたいな切り口で、別に知識とかあんまりこじつけて言わなくても、どういう意図でやってるかってことを自分の言葉で説明すれば。何だろう、ちょっとわけわかんないぐらいがちょうどいいっていうか。わけわかんないけど何かあるんだろうなみたいなぐらいの方が、かえって面白いみたいなところもあると思うので。

僕が流暢にいろんな理論をこねくり回して説明しちゃうと、説明しちゃうとできないんですけどね、いっぱい勉強して、もしそれが言えたとて、何かきれいに語れてしまえばしまうほど、うさんくさいものになってしまうなとか、薄っぺらいものになってしまうなって気がするので。やっぱり語れない、なんでしょうね、僕自身がそう語ってしまわないということがやっぱり大事というか、僕は僕の言葉で語るってことがすごく重要なんだろうなってことを思ったし。それで伝わらない部分は、僕が頑張って翻訳するんじゃなくて、こうやって翻訳したら伝わるのにっていう思いを持ってくださった方が、やっぱり翻訳して伝えていただけるように、そういう環境を築いていくっていうのがとても大事なんだなと思いました。すごく手応えのある面談というか、ミーティングというか、そういうお話ができたんで、すごく自信になった週末でしたね。チームで動く素晴らしさっていうのを、すごく感じました。

そんな感じで、この春、いろんなことが動き出している気がします。別に春に始めたわけではないんですけど。太極拳も12月に始めたし、この「地に足」の活動も11月に始めたしって感じで。別に今始めて、それがどうのこうのって話じゃないんですけど、ちょっと前に始めたことがこのタイミングで少し自信になってくる。太極拳も2週間連続続ける中で、ほんの1ミリずつなんですが、あ、これ言われてることの意味が分かった気がするとか、この感覚ちょっと掴んだ気がするみたいな。先はもう無限に長いんですけども、でもそのほんの1ミリ分かった気がするみたいな、その分かったを積み重ねていく喜びみたいなのもあるし。この春、いろんなことが進展していってる感じがあって。苦しい時期ではあるんですけども、しっかりと辛抱してやり通したいなというふうに思ってますね。

ぜひ、興味のある方、メンバーシップになって支えてくださるととても嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。概要欄にメンバーシップの説明とリンクを貼ってますので、よかったら見てみてください。

あとはそうですね、また今度告知しますね。来週、ポッドキャストウィークエンドで出展したいとか、いろいろあるので、その辺のお話は今度金曜日にまたやれたらと思います。ちょっと日程だけでも言っておきましょうかね。毎回これ言おうと思って手元に情報がないっていう感じなんですよね。5月9日土曜日に、ポッドキャストウィークエンドに「メイメイ」というポッドキャストで出展します。カンタさんと2人でですね。ソワさんも、そう言いますね、カンタさんと2人で喋ってる番組なんですけど、ソワさんっていう方がいろいろとお題、命題を作ってくださってやってる番組なんですけども、3人で臨んでいきます。そこでは公開収録というか、なんていうのかな。公開収録といえば公開収録だけど、とにかくずっとそのイベント中メイメイしてるっていう。で、マイク回しながら、録音回しながらメイメイしてるっていうポッドキャストウィークエンドになりますので、一緒に収録に参加していただくなんてこともできますし、喋ってるのを聴いていただくみたいなこともできますので、よかったら来ていただけると嬉しいです。場所がどうのこうのみたいな、そういう話は、時間とか場所とかは次回の配信で詳細をお伝えしたいと思います。すみません、いつも手元にあれがなくて。

翌日の、10日のお昼12時から2時までは、世田谷区、世田谷区立世田谷公園。それこそポッドキャストウィークエンド、ポッドキャストエキスポのイベント会場から徒歩、多分5分ぐらいのところ。5分もないのかな、道を渡ったところにちょっと大きめの公園があるみたいなんですよね。行ったことないんで分からないんですけど。その世田谷区立世田谷公園というところでレジャーシートを敷いてます、上水公園やってますんで。ポッドキャストエキスポがてら、よかったら、朝行って、昼ちょっと公園に立ち寄っていただくとか、昼公園で一緒にご飯食べて、そこから今後ポッドキャストのイベントに参加するみたいな感じで、途中の休憩とかに利用していただけたらいいかなと思ってますんで、よかったらどちらかでお会いできると嬉しいです。

というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。