存在としての公園 第56回

それは青か、紫か

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概要

同じものを見て、一方は一致と言い、一方は相違と言う。見えているものが違う。三十年やってきた二人の太極拳の先生のあいだで起きた、小さな事件から考えはじめる。煽り散らかしたYouTubeのサムネイル画像を作り始めたら、そこで試合終了ですよ、など。


全文

機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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6月11日木曜日、夕方4時14分です。今日は代々木公園で上水公園をしてました。平日の昼間だったんで、もしかしたら誰も来ないかもなと思って、ギターを持ってきましたね。そして2時間誰も来なかったんで、ギターを弾いたり、スマホからClaude Codeに指示を出して自宅のパソコンを動かしたりするという、なんかよく分からない2時間を過ごしたんですけども。すごい時代ですよね。公園にレジャーシートを敷きながら人を迎える準備をして待機し、その待機中にギターを弾いたり、遠隔で仕事をしたりしてるっていう、なんだかよく分からない時代に突入してるなと思いますよね。

最近は代々木公園のイチョウ並木のエリアにレジャーシートを敷いてます。イチョウの木って、虫が付きにくいらしいんですよね。この季節のイチョウの木が実際どうなのかっていうのは僕にはちょっと分かりませんけども、確かに、木がいっぱい生えてる割には虫がいないなっていう感じがしてますね。代々木公園、結構広くていろんなエリアがあるんですけど、草むらみたいなところが一番開けてるんですが、太陽を遮るものがないから、5月以降っていうのは、晴れると結構厳しいなっていう暑さなんですよね。かといって、丘の広場っていうね、どっち側って言ったらいいんでしょうね、端っこの方に行くと、そこは木が生えてたりだとかいろいろして、涼しい場所、木の下で、日陰のある場所で快適に公園できるんですけど、虫も結構出るんですよね。

思えば今年からですかね、本格的に木がある場所で公園をするのは。2024年の4月から公園活動をやってますけど、福岡の天神中央公園っていう、市役所の真裏にある、もうただ芝生があるみたいな広場で活動してきたので、虫がいないんですよね。いても蚊がいるかなぐらいの感じで、バッタがいるとか芋虫がいるとかいうことはまずなくて、基本、虫のいない広場であったと。出張ベースで東京で公園をやってましたけど、自然と虫がいる場所を避けていたんだと思いますね。ほんと今年の春ぐらいから、よく公園で虫に出くわすことになって、場所を選ばないと結構しんどいなという気持ちになっていますね。

4月末5月頭あたりは、その虫の産卵期とかなのかな、ちょっと分かんないですけど、ある日はテントウムシの幼虫がたくさんいて、次から次にレジャーシートにやってくると。僕はもう絶叫してたら、たまたまその日の参加者の方が虫大丈夫な方ばかりで助けてくれましたけども。本当にね、結構虫がいるなと思っていろいろ考えてたんですけど、結局今、イチョウ並木に落ち着いてますね。一応、テントも買ったんですよね。タープっていうほどではないけど、テントってほどでもないテントみたいなやつ。一応、夏の暑さ対策として買ったんですけど、やっぱりレジャーシートみたいな開放感がないので、まだ実践投入できてなくて、どうしようかなーって思ってるうちに、いろいろ調べたら、イチョウの木っていうのは虫がつきづらいということが分かり、実際イチョウ並木にレジャーシートを、最近4、5回連続、多分イチョウ並木でレジャーシート敷いてるんですけど、ほとんど虫いないですね。アリが少々、あと一種類だけちょっとキモいやつがいるんですけど、でかいダンゴムシみたいなやつ、割と足が早めの、でかいダンゴムシみたいなやつがいるんですけど、まあなんか、許容範囲のキモさというか、想定の範囲内のキモさなので、どうにかなるかなっていう感じ。あと、足が割と速くてずっと歩き回ってる感じがあるから、レジャーシートに侵入して滞在するってことがあんまりないっていうか。

とにかく、この今、イチョウ並木の広場がすごく気に入っていて、代々木公園で公園するときは、一応並木エリアにいることが多いですね。公園活動、だいたい時間と公園の名前しか言ってなくて、何時に代々木公園にいますみたいなことしか言ってないんで、当日その時間にならないと場所が分からないみたいな、ちょっと大変さがあるんですけど。実際、代々木公園、端から端まで10分15分かかるんじゃないかな、15分くらいかかりそうですね、言い過ぎ。結構広いんですよね。だから、せっかく公園に来ようと思ってくださっている方も、場所を探すのに10分15分かかっちゃうっていうのがあって。中にはそれが、ウォーリーをさがせみたいで楽しかったですって言ってくれる方もいらっしゃるんですけど、まあでもね、せっかくの限られた時間ですから、すぐに見つけて一緒に過ごせればいいなと思ってますんで、最近はイチョウ並木にいますんでね、代々木公園って言った時には、まずそこだと思ってもらったらいいかなと思ってます。

イチョウ並木がね、ほんと木がいっぱい生えてるから、その太陽も遮るし、結構最高なんですよね。虫はいないわ、太陽を遮ってね、結構日が出てる日でも涼しいんですよ、日陰になってて。で、地面が平です。地面が平で、虫がいなくて、日を遮る日陰があるという、もう三拍子揃って、公園活動の最適なスポットだなぁと思っておりますね。なんか爆竹かなんかをやってんじゃないかな。よろしくないですね。田川じゃないんですから、ちょっとね、公園で爆竹とかやめていただきたいですね。

1年後、何してんだろうなぁと思いますね。1年後も変わらず今日みたいな日常を過ごせたらいいなと思ってるんですけど、爆竹がねすごいですね。今日みたいな日を過ごしたけど、爆竹のない今日みたいな日を1年後も過ごせていったらいいなぁと思うんですけれども。公園、どうしようかねという感じありますよね。どうしよっかなぁっていうのがありますね。公園活動はね、続けていきたい、ずっと続けていきたいと思ってて、ただこれが、やっぱり本業というか、ど真ん中としてやっぱりやっていきたいっていう思いがあるんですよね。生活のために週5週6働いてヘトヘトになって、やっとの休みを公園活動に充てるみたいなのはちょっとね、本意ではないというか、気持ちよく皆さんを迎えられるだけの元気がもう残ってないっていうことになりそうなんで。やっぱり公園活動以外の仕事っていうのはそこそこにして、なるべく公園でいろんな方々をお待ちしていたいなと思うし、公園のような存在でいたいなという思いはありますよね。

今日の代々木はなんか静かですね。人はちらほらいるんですけれどもね、あんまりガヤガヤしてない。一部爆竹を鳴らしている人がいますけども、それ以外はすごく穏やかな感じの風景ですね。

昨日、朝の太極拳でですね。僕、毎日太極拳行ってるんですけどね、4月半ばぐらいから雨の日も欠かさず。台風で1日、練習自体はお休みだった日があったんですけども、その日以外、2ヶ月間、土日祝問わず、朝5時40分から品川の公園で、70代80代のおばあさま方と一緒に太極拳をやってますね。先生が2人いらっしゃるんですけど、仲良しの2人が中心になって、その他は先生たちの見様見真似で太極拳をやるっていう回。朝のラジオ体操の代わりに、朝ちょっと体を動かすみたいな感じでみんな集まってて、先生方は太極拳の日々の鍛錬というか、そういうのも兼ねてると思うんですけども、参加者の皆さんはラジオ体操みたいな感じでやってて。僕はある日の懇親会で先生方に、朝5時40分からやってるからおいでよという風に誘われたんで、まあ行ってみるかと。早起きもしたかったし、あと太極拳、週1回やっても全然上手くならないし、まあいいかと思って、なんとなく誘いに乗ったっていう感じで、2ヶ月間ずーっと行ってるんですけど。

当初言ってたのはですね、教えたりはしないけど見様見真似でやったらいいよと、上手い人の太極拳を見てやってたら上手くなるからっていう話だったんですけど、それとは全然違って、実際はめちゃくちゃ手取り足取り、細かく指導を受けているという日々ですね。まあ話は違ったんですけども、大変ありがたいことですね。なんとなく体を動かすだけではなくて、太極拳を結果として突き詰めていく方向になってきていると。日々上達していく感覚。上達してるのかな、分かんないですね、自分では。なんか分かったなと思ったら次の日には分かんなくなっちゃったっていう感じで、結局ずっと分かる日は来ないんだろうなんて思いながら。でも3人目の先生ですね、朝のその2人の先生とは別に、火曜日の夜、習い事として行ってる太極拳の先生からは、もう見違えるように上手くなったねっていう風に声をかけていただいたりもして、まあなんか、変化はしてるんだということみたいですね。自分ではあんまり分かりませんけども。

で、そんな朝の太極拳で昨日、一人の先生から教わりまして。だいたい交互にね、A先生、B先生、交互に教わるんですね。月曜日A先生だったら火曜日はB先生、水曜日はA先生、木曜日はB先生みたいな感じで、交互に教わっていくと。で、なんとなく一個ずつ型を進んでいくんだけども、まあ先生の気分によって、一番最初に戻って初歩の初歩をやるだけの日があったりとかして、一歩進んで、二歩進んで、三歩進んで、三歩戻るみたいな、なんかそんな感じでやってるんですけどね。

昨日はA先生から教わって、で、結構ね、時間、最近延長しがちで。ほんとは6時40分までの1時間っていう風に聞いてるんですけども、なんか7時を回ることが増えてきまして、もう熱血指導、めちゃくちゃ熱血指導になってきてると。で、昨日はA先生が熱血指導でですね、7時くらいまでやってたのかな。で、B先生は昨日は経験者の方、僕みたいな初心者じゃなくて経験者の方を教えてて、多分6時40分くらいに終わったんじゃないかな。まあ少し早めに終わって、僕たちよりも。で、遠目にA先生が僕たちに教えているのを見てたみたいで。

終わった時に、B先生がこっちに寄ってきて、A先生に向かって、あの、この時の足の動きが、ちょっとこうやって教えてたと思うんだけど、それは間違ってますよみたいな話になって。で、A先生は、え、間違ってないよっていう、ちゃんとやってるよって言って。で、B先生は、いや間違ってたよ、こうなってたよっていう風に言うと。で、A先生は、いやそんなことはないよと、ちゃんとやってるよと、じゃあB先生やってみてって。で、B先生は、その動きをするわけですよね。で、そしたらA先生は、そうだよね、私そうやってやってるよって言うんですね。で、B先生は、いやいやいや、そうやってなかったよって、じゃあA先生やってみてって。で、A先生がまたその動きをするわけですね。して、A先生は、ほら一緒じゃんって言うんだけど、B先生が、いやほら違うじゃんって言うんですね。で、だんだんA先生がヒートアップしてきて、いや、やってるけどなっていう感じになり、まあB先生はひょうひょうとした感じで、いや、やってない、そこはちょっとリズムが違うと思う、みたいなことを言ったりするわけですね。

これ、1対1の認識の齟齬ってすごく難しいですよね。なんか思想が違って、AとBで対立してますみたいな話だったら、もう結構、なんというか、まあそもそも、もう話すのやめたらっていう感じしますけど、そういう状況でもないんですよね。ある一つの動きをして、Aさんはそれは一緒だと思っている、Bさんはそれは違う、別々になっていると思っていると。同じものを見ても違って感じるみたいな話。まあ、同じものを見てるのかどうかもちょっと分かんないですけどね。あるものを見たときに、違うと感じる人と同じと感じる人がいるっていう状態。

色を体験するっていうのと似てるのかなと思いましたね。これは青だと、青を塗るんだと、青色に塗るんだということでAさんは塗ってるわけですけど、Bさんは、それ青じゃないよ、紫だよって言ってるみたいな感じですよね。でもAさんは、え? これ青じゃんって言ってるみたいな感じで、結構難しい。で、このとき僕とか、あともう一人二人残ってたんですけど、3人が見て、ああ、それは紫ですねとか、青ですねって、まあ、ですねっていうか、自分は青だと思いますとか、自分は紫だと思いますって、色だったらね、僕の感想を言えるんですけど、やっぱり2人が30年間それぞれ突き詰めてきた太極拳の動きに、半年そこそこの僕が、それ紫に見えますけどねなんてことは言えない。とてもじゃないけど、自分はそれ一緒に見えますとか、違って見えますとか、そういうことはね、とても言えなくて、失礼しますって言って帰りました。

今日太極拳に行って、もし二人がたもとを分かつようなことがあったら困るなぁと思ってたんですけど、全然仲良くしてたんで。どう二人が着地したのか分かりませんけども、まあ仲直りというか、別に喧嘩してたわけじゃないんでね、ヒートアップしたのが収まってたみたいで良かったなぁと思ったんですけど、どうやって着地したんでしょうね。

言葉とかでもあるよね、色だけじゃなくてね。ある言葉を、もう意味の捉え違いみたいなのがあって、辞書で確認をして、ほら辞書にこうやって書いてあるじゃんって言ったとて、辞書にどれぐらい忠実にそれを解釈するかとか、その解釈の幅が結局出てくると。いくら意味が定義されているからといっても、解釈がそこに生じる。その解釈が意味からちょっと外に出過ぎてないかみたいなことも、それもなんか解釈っていうか、いやいやこれは意味の範囲ですよって言う人もいるし、いやいや、それはちょっとその辞書的な意味からは逸脱してるでしょって言っても、いや、そんなことはないよみたいな。そうすると、言葉と言葉でやり取りしていても、単語一つ共有できないんだから、文章になったらどうしようもないよねって。単語が組み合わさってより複雑になっていくわけだから、単語一つ共有できない者同士が、難しい意見なんて交換できないよねなんて思ったりもするわけですよね。

でも昨日のその一つの動きが同じに見えるか違って見えるかっていうのは、先生方からするとですね、結構重要な問題。それは僕に毎日交互で教えてるから、二人が全然違うことを教えてたりすると、なんか指導として矛盾するみたいな。結構、指導員、先生によってですね、教え方はみんな違うんですよね。三人、僕は先生を知ってますけど、三人から教わってますけど、朝二人、そして火曜日の夜にお一人。手厚いですよね。三人の先生からそれぞれ教わってますけど、三人とも教え方違うし、微妙に言ってること違うなとかって思うんですけど、でも、なんかその三人に共通する部分とかはあるし、そういったところからぼんやり輪郭を取っていくみたいな感じ。

なんで僕自身は、みんながみんな同じ教え方しなくても問題ないかなーって思ってるんですけど。なんですかね、試験を受けて上り詰めていこうみたいなね、有資格者になっていこうみたいなことは、まあ資格試験を受けろと言われたら受けるかもですけど、まあでもその、どんどんどんどん上を目指していこうみたいな野心があるわけでもないから、別に教え方がみんな違ってもいいかなー、僕に対する教え方が違ってもいいかなーって思ってるんですけど、先生としてはやっぱりそこはある程度統一したいっていう、そこの違いはちょっと見過ごせんぞと、いうことなんだと思うんですけどね。

まあ、大なり小なりで、捉え方ってみんな違いますよねー。ポッドキャストでもそうですよねー。いろいろ話してて、まあなんかYouTubeみたいに分かりやすく喋る人ってあんまりいないっていうか、分かりやすく、なんていうかな、言い切るみたいな喋り方をする人って、ポッドキャストでは少ない気がする。特に雑談系のポッドキャストとか、こういう独り語りのポッドキャストで言い切ってる人ってあんまり見ない感じがするっていうかね。結構、自分のペースで右往左往しながら、くねくねとした曲がり道を歩くような喋り方をする人が多いと思うんですけど。僕なんかも最たるものっていうかね、やっぱりギター弾きながらやってるから、結構喋ってない時間帯も結構あったんじゃないかなとは思いますけども。まあそういう自由にやらしてもらってますが、そんな感じで話してるとね、シンプルに、なんですかね、シンプルに主張してるわけでもないっていうね。けど、なーんか言わんとしてることはあったり、なかったりする。

今何分話したんだろうな。30分近く多分話してて、ここは主張として言おうと思った場所、ここは別に特に意味もなく口から言葉が出てきてるところ、みたいなのが多分自分の中でもあるんですけど、それが、なんとなく言葉が出てきた場所にすごく主張を感じる人がいたりだとか、主張したところが全く入ってこなかった人とか。これを聴いてくださる方もですね、いろんな捉え方、受け止め方、解釈の仕方があり、同じ音源を聴いてるはずなのに、100人が、今日のこの回はどういう回でしたかっていうことを、まあ、なんて言うんですかね、要約というかしたときに、全然違うものになるよなって思うんですよね。その違いこそが面白いなぁなんて思いながら生きていきたいので、公園をやってるっていうところはありますよね。

まあ今ちょっとすごい飛躍があったと思うんですけど、なんかバリバリビジネスやってると、その、そういうところはもう、違いとかじゃないからって話になっちゃうっていうかね。もう、やっぱ支配的コミュニケーションになっちゃいますよね。価値を認めさせるとかね、そうしなければお金が発生しないということになってしまうというね。そういう動きっていうのはね、やっぱりもうやりたくないですよね。まあ、甘いよっていう風に言われるかもしれないんですけどね。いかにこの公園活動に価値があるかみたいなね、いかに皆さんメンバーシップになるべきですみたいなことをアピールするかみたいな、そういうのはね、なんかあんまりなって思っちゃうんですね。そういう風にしちゃうと、やっぱり公園から遠ざかっていく感じがするんで。

まあ寄付に近い形、投げ銭に近い形で、この活動を応援してくださる方にですね、応援していただけたらという風に思ってますね。そういった方がね、一人でも、活動を続けていく中で増えていったら、とても助かるなと。それがある閾値を越えた時にですね、公園活動というのが一つの、公園というのが一つ職業になりうるというか、こうした開かれた場を作るということ自体が一つ仕事として成立しうるみたいな、そういった未来をイメージしてるみたいな。ある意味、現状の資本主義に抗っているという感じですかね。

まあ資本主義そのものを僕は否定したわけじゃないんですけど、やっぱりその、そのゲームをハックするみたいな形で支配的になる、肩書きや知識や誰の知り合いであるかみたいな、ポケモンカードバトルみたいになっている人とか、どれだけ自分がコインを持っているかみたいなね、コインゲームみたいになっちゃってる人とか、そういった意味での資本主義ゲームに関しては、それが目的化しちゃってる人に対してすごく僕は否定的なんですけど、資本主義という枠組み自体というか、それ自体は別に否定してるわけではないというね。難しいですけど。だからその枠組みの中で、この公園というのが一つ成立させられたらいいなと思ってですね、挑戦してますよね。

あれは去年だったか今年だったか、冬にですね、あれどこだっけ、焚き火をしたんですよね。京都の森公園、あれどこだったっけな。焚き火をして、その時にお見えになった方から、静かな活動家だと思ってますみたいなことをおっしゃっていただいて。確かに僕はその、拡声器を使って大声で叫んだり、火炎瓶を投げたりとか、そういうことはしない。公園にレジャーシートを敷いて静かにですね、この資本主義社会の中で、コインゲームが目的化された世界、カードゲームが目的化された世界ではない、もっとこう、人間性みたいなものをですね、取り戻せる場所、それを作るということが価値として認められて仕事にならないかなと思って。

すごい地味ですけどね。平日の昼間に公園にいるって、遊んでるだけじゃんって、まっすぐ見るとそう見えるんだと思うんですけど、でも平日の昼間に公園にレジャーシートを敷くというリスクを僕はとってですね、この時間仕事をすれば生活が安定するんですけども、生活を不安定にしてまでレジャーシートを敷いているというね。もう何が何だかというふうに、ちょっと気が狂ってるんじゃないかって思われるかもしれないですけどね、考えた上でチャレンジしてるというわけでございますね。

だから価値を伝え続けようと、伝えるために発信し続けるということはとても大事だなと思っているし、ここにいるよということは言い続けていきたいんですけども、既存の枠組みでですね、こういうふうに言うと価値っぽくなるなみたいなことは、しないように気をつけたいですね。現状のビジネス環境からするとですね、ちゃんとプレイしてないっていうふうに。世の中のゴシップを拾って再生数稼ぎとかしないようにしたいですね。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。