存在としての公園 第41回

存在としての人間 〜ラジオ体操勢へのスパルタ教育から考える〜

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概要

朝の太極拳、一人の新参者が続けて来ただけで流が変わってしまった。ラジオ体操のつもりで来ていた年配者たちが、気づけばストイックな基礎練に巻き込まれている。ここにかぎった話ではなく、会社もバンドも、レジャーシートも同じ。枠組み通りに収まらないのが人間の奥深さで、場は静かに変化し続ける。


全文

機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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4月20日月曜日、朝7時20分です。朝礼が終わって、そのまま収録してるんですけども、今日は東品川海上公園からお送りしています。海のすぐ近くの、ここは川って感じですけど、海から流れてきている川のところにある公園です。結構綺麗な公園で、中規模なのかな。割とゆったりできる感じの、川を挟んで両方公園なのかな、これは。橋を渡って今、川の向こう側のテーブル席に腰をかけて、川を眺めながら朝礼を終え、そしてそのまま今、収録してるところです。

ちょっと鼻の調子が悪いのと、頭痛がする。風邪かというと、そういうわけではなくて、昨日軽くお酒を飲んだんですけど、二日酔いですね。2週間前ぐらいだったかな、近年稀に見る飲みすぎで、本当にひどい目に遭いまして、二日酔いで、それからしばらくお酒はもういいかなっていう気分だったんですけど、昨日はなんか不思議な感じで、普段ラーメンを食べたいとか思ったりしないんですけど、どうしてもラーメンが食べたいって思ってラーメン屋に行って、どうしてもビールが飲みたいっていう気持ちになって、瓶ビールを飲んだんですよね。そんなもんですよ。けど今日起きたら、めっちゃ頭痛い。これは二日酔いの頭痛だなっていう感じ。

体調とかもあるのかもしれないですけど、お酒を受け付けなくなった感じがするというか、そういうモードに入っている。あと、先週から5時前に起きてるんで、その早起きかける酒みたいなのもあるかもしれないですね。社交の場でどう振る舞うのがいいのかみたいなことで、去年の11月くらいからお酒を解禁していたんですけど、やっぱりお酒との相性が良くない感じになってきたなと思ってますね。太極拳ですね。今の朝の太極拳を考えると、夜お酒を飲むことによってコンディションが整わないっていう問題があるから、せっかく先生方が熱心に指導してくださっているのに、自分の調子が整っていないのはよろしくないなと思うので。

お酒を、辞めるのがいいのかな、ちょっと分からないですね。極端ですね、辞めるっていうのはね。でも分かりやすいんですよね、辞めるってしちゃった方が。飲もうかな、飲む前から今日はどうしようかなとかっていう、その気の迷いというか、考える必要はなくなるから、辞めた方が話が早いっていうのはあるんですけど、でもね、社交ツールでもやっぱり同時にあるので、どうするのがいいでしょうね。時間制限とかがいいのかもしれないですね。夜7時までだったら飲んでいいとか、そういうのいいかもね。夜は飲まないっていうね。飲むんだったらもう夕方までに、昼飲みしましょうみたいな、そういうキャラでいこうかな。やっぱり夜飲むと、どうしても次の日に残るんで、その状態で5時前に起きるのが本当にしんどいし、頭痛いとかだるい中、太極拳やるのも申し訳ないっていう感じがするんで、ちょっとそこは考えよう。とりあえず夜は飲まないっていう方針でいこうと思います。

太極拳の指導がすごく変わってきていて。その朝の、毎日行ってる太極拳の指導が変わってきていて。先週の月曜日から行き始めて、毎日行ってるんで、今日で8日目。僕が行き始めた月曜日、最初はいろんな套路をやると、なんていうんですかね、演目みたいなものがいくつかあって、それを流す。最初にストレッチを10分15分ぐらいやって、あとは演目をいくつか、先生方がやるのに合わせて、何か教えてくれるわけではないんですけど、見様見真似でやってみてっていう、そういう感じだったんですね。この会自体がいつからやられてるのかもちょっと分かんないし、どういう経緯で始まったのかもちょっとよく分かってないんですけど。

ただ、来てる方々は朝のラジオ体操ぐらいのノリで来てるように感じるんですよね。ラジオ体操よりも面白いというか、動きは難しいので。ていうか、ちょっと踊り的に見ようと思えば見られるというか。踊りというと怒られるんですけど、武道ですから、そんなんじゃないって話なんだけど、踊り的な気持ちで、楽しく体を動かして、朝から運動になったなみたいな感じの方が多いんじゃないかなって、ちょっと勝手に、見た感じそう思ってるんですが。

先週の水曜日ぐらいかな、僕は3日連続来たもんだから、この初心者のこの人に、なんか上手くなろうと思って来てるんだろうから、ちゃんと教えなきゃみたいな気持ちになったんだと思うんですけど、先生方がすごい基本から丁寧に教えてくれてるんですね。基本中の基本というか。すごく一番有名な太極拳の型、套路、簡化24式っていうのがあるんですけど、それこそラジオ体操的に、健康増進のために割と普及してるやつだと思うんですが、その簡化24式、24個の型があるんですね。24式っていうのは、24個の型を1個ずつ丁寧に教えてくださっている。2日かけて1個かな。先週は水・木で1個、金・土で1個って感じで2つ習って、日曜日に「今週の復習です」っていう感じでやって、今日、また月曜日から3つ目の型に移ってきたっていう感じで、結構基本に忠実にやってる。

むしろその、住み分けができているみたいな感じで。最初、先週のこのポッドキャストの中で言ったのかな。お月謝を払って、習い事として行っている時間、例えば僕は火曜日の夜7時からは、それを習い事として行ってるんですけども、お月謝払って、そこでは細かく教えてくれると。で、朝のそういう公園では、先生方がやってるのを、うまい人の太極拳を間近で見ながら真似をするっていうのをやってると。だから教えはしないが真似をするっていうのと、一個一個細かく教えるというので、住み分けができているっていう話をしたんですが。

なんか先週の水曜日あたりから、その住み分けがもうちょっとよくわかんなくなってきてて、どっちも稽古って感じになってますね。僕としてはありがたいんですけど、本当にそれでいいのかっていうのをちょっと思い始めて来た。まあ思い始めて来たとて、僕は太極拳がうまくなるために行ってるんで、行くんですけど。ただ、ちょっと一歩引いてみたときに、生態系が壊れてしまっているんじゃないかっていう懸念はありますよね。ラジオ体操の延長線上で来てる人たちも基礎練習に巻き込まれている。体を動かして、なんか運動になったねっていう世界線から、太極拳うまくなろうぜっていう感じにちょっと変わってきてて。

先生がせっかく二人いらっしゃるから、うまくなりたい人グループと、つまり基本から丁寧にやるグループと、体を動かして運動になったらいいやっていう人と、っていう二グループとかに分けたらいいのになとか思ったりするんですけど、二グループに分けつつ、どっちも基礎練やるっていう感じに今なってて。ただ運動のつもりで来てたであろう人が、そんなに手をあげないとか、腰が反りすぎとか、めちゃくちゃ指摘されてて、別にそんなつもりで来てないんだろうなとか思いながら。僕はそのつもりで来てるから、指摘されて、ありがとうございますって感じなんですけど、急に怒られ始めてて、大丈夫かなっていう心配になってますね。果たしてこれで良かったんだろうかという感じはある。

でもさらにもう一歩引いてみたときに、人間の集団っていうのは本当に面白いなと思いますよね。朝、決めた時間に太極拳をやるってこと自体には変更はないし、大きな枠として変更はないんだけど、なんかスタンスみたいなのはどんどんどんどん変わっていく。しかもそれが、長い年月をかけて変わっていくみたいな話でもなくて、メンバー構成がちょっと変わるだけで、急にハンドル切るみたいな感じで変わってたりするんで、そういうのはあるなあと思うんですよね。

会社とかでもそうですよね。1000人規模とかの会社だと、一人辞めて変わるみたいなのは、まあ部署単位とかだとすごいあるでしょうけど、局所的に起こってくるっていう感じだと思うんですけど、小さい会社、100人未満の会社、50人未満の会社とかだと、ちょっと影響力のある人が一人いなくなったり、いなくならない人も、一人パフォーマンスが下がったりとか、ちょっとしたその一人の変化みたいなのが全体に波及するみたいなことって、あるよなあと思いますね。

例えば僕がもう10年くらい働いているビッグトゥリーという会社がありますけども、もともと社長ののぞみさんと共同創業者の2人でやっていた。途中ね、正社員の方がいたりとかもしたみたいですけど、僕が入ったタイミングでは、その2人でやっている会社に3人目として僕が入ったんですけど、やっぱり2が3になるみたいなことで崩れるバランスもあったし、僕という、なんか一つ人格が投入されることによって、会社の、なんでしょうね、考え方とか進め方とかがやっぱり少し変わってくるわけですよね。だから1人、人数が変わるという意味でのコミュニケーションの構造が変わってくるみたいなものもあれば、その1つのパーソナリティみたいなものが及ぼす影響みたいなのもあり。結構1人の力で、力ってのは別に、何かすごいすごくないみたいなパラメータの話じゃなくて、本当に存在として1つ、1人投入されることで、場っていうのは簡単に変わってしまうよなって思うんですよね。

バンドとかもそうですよね。例えば5人バンドとかで、ボーカル、ギター、ギター、ベース、ドラム。今5人いた? ボーカル、ギター、ギター、ベース、ドラム。5人のバンドがいたとして、例えばその1人ギターがちょっとろくでもないやつだと。本当に練習にも1時間、2時間遅刻してくるし、曲も覚えないし、何ならスタジオ代も払えないし、何なんだこいつは、みたいなことが例えばあって、その人が足を引っ張っているというふうに、結構みんなの中では認識があり、例えばその人に辞めてもらったとして、4人バンドになる。ボーカル、ギター、ベース、ドラムになったら単純に良くなるかっていうと、そういうこともなかったりするっていうかね。確実に変わるのは確かなんだけども、そういうろくでもない人が1人やめたから全体が必ずしも良くなるかというと、そうではなくて、4人のバランスになった途端、また、なんていうのかな、もともとあったバランスに、ただそのネガティブな要素だけが排除されてきれいになりますなんてことはなくて、1個ピースが抜けると、またバランスを再構成しないといけなくなって、バランスを再構成していく中で、結局別の問題がそこに出てくるとかいうのはありますよね。だから結構ね、1人の影響ってあるなって思いました。

それを今、目の当たりにしているのが太極拳。さっきも言いましたけども、楽しくみんなで体を動かしましょうっていう場だったはずなんですけど、結構来てる方も60代、70代、上は今年90の方も来てて、そういう方々が突然基礎練に巻き込まれているのは、果たして?みたいなのは思うんですけど。先生方のちょっと今、熱としては、基礎から叩き込んでみんなを太極拳うまくさせたいみたいな、ちょっとモードに突入してるんで。これが申し合わせがあったわけでもないし、突然。

先々週かな、25周年の共演会があって、懇親会があって、その後のイオンのフードコートで飲んだマックのコーヒー、マックのコーヒー片手にいろいろ話してて、「毎朝公園で太極拳やってるから、そこで教えたりはしないんだけど、上手い人の太極拳を見てね、見様見真似でやるとうまくなるから、よかったらおいで」って言われたあの一言。そして本当にそのつもりで、先生方の太極拳を見ながら、上手い人のを毎日見てやれば上手くなるかもな、週一回だと全然上達しないから、毎日先生のを見て練習になったらいいなぐらいに思っていったら、それになっているっていう。この変化みたいなのが、まさにさっきのバンドの例じゃないですけども、メンバーが増えると、人が減ると、変わっちゃう。

会社にちょっとこいつやべえなみたいな人がいたりもすると思うんですけど、その人がいなくなると、それはそれでガラッと変わるんだろうなと思いますね。その人に足を引っ張られているみたいな強い自覚がある人は、その人がいなくなることでグッと仕事がやりやすくなる可能性はあるんですけど、一方で、その仕事のやりやすさとは別に、例えば仕事の基準が上がる。仕事がどんどんどんどん進むようになっちゃったから仕事のレベルが上がり、仕事のレベルが上がると、新しく入ってくる人がついてこれないハイレベルな環境になってしまうとかね。予期せぬところで別の問題というか、別の変化みたいなのが出てくるなあと思うので。結構物事を考えるときに、この人さえいなければもっとうまくいくのになみたいな、単純に考えてしまうことってあると思うんですけど、意外とそうじゃないっていうか。もちろんその人がいなくなることで、とか、あの人がいてくれることで良くなったり、この人がいないことで良くなったり、軽くなったりすることってあると思うんですけど、やっぱり同時に失っているものとか、次の難しさの種になっていたりもするから、もう単純じゃないよなって思いますよね。

みたいな観点でですね、僕の公園活動を見つめてみると、また面白さがあるんじゃないかなと思ったりします。レジャーシートを敷いてて、そこにいつ誰が来るか分からないっていう状態でやっていると、毎回やっぱり立ち現れるコミュニケーションの形っていうのは毎回違う。それは人が違うっていうだけじゃなくて、例えば同じ人が来たとしても、来るタイミングとかでも違うだろうし。結構ね、やっぱり人と人が集まって、そこで同期して何かコミュニケーションを取っていくっていうときに、かなり繊細だよなって思いますね。だから公園って、レジャーシート敷いているだけでしょ、喋るだけでしょって、まあそうなんだけども、かなり毎回違って、めちゃくちゃ面白いなって僕は感じてます。

そういう微細な場の変化というか、差異みたいなものとか、その日、そのときにしか生まれなかったグルーヴみたいなものがそこにあって、セッションですよね。もう二度とそれは再現されないんだけども、そのとき、そこで起こった現象として記憶して、いい時間だったなって言って解散する。なんかその一回性の、その瞬間のものみたいなのが面白いなって僕は思っています。人と人が集まるってすごく繊細なんだなって、また改めて。自分の場、自分が作っている場ではないんですけど、太極拳は、その、何て言うんですかね、そんなに影響力を持っていない一参加者として参加しているのに、それでも何か場が、一人の参加者で変化していくみたいなことが面白いなと思いました。

だから場を作っている人、広い意味でね、会社を作っているでもいいし、イベントやってるでもいいし、サークルやってますとか、なんとかコミュニティ運営してますとか、なんでもいいんだけど、その繊細さみたいなことを理解せずにやってる人、結構多いなって感じるから。まあだから僕は、ちょっとあんまりコミュニティに馴染みないというのもあると思うんですけど、なんかその辺の配慮というか、そこが全く考慮されていないみたいなことで、枠組みだけ一生懸命考えてやってる人が多いっていうか。そうじゃなくて、すごく流動的で、自分一人がね、日々変化するように、それが掛け算で、変化する者同士が集まっていったらものすごく変化するだろうっていう、そのごくごく当たり前のことが。なんかこう、フレームを作って、フレームの中に収めようとしている人が多い気がしますよね。もちろん会社とか、そのフレームの中で動いてもらわないといけない、そのフレームの中で動いてねっていう約束で雇用してるんだと思うけども、そんなに人間、物分かりがいいわけではないですから。機械ではないですから。結局、枠からちょっとずつちょっとずつはみ出ていくっていうか、ちょっとずつその人のオリジナリティみたいなものが入ってくるから、結局一人入る、一人抜けるっていうことで、ネジが一個抜けたとか、新しくネジを締め直したみたいな、そんな単純な話じゃないっていう感じがしますよね。

人間は奥深いですね。そんなことを思った朝でございました。東品川海上公園、すごくいい場所なんで、結構近くの方は行ってみられると良いと思います。それでは本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。