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概要
友人との飲み会で無意識に形成されたヒエラルキーと、極寒の代々木公園に集まった人々のフラットな空気感。「年長者への接待」のような違和感から、男性同士のコミュニケーションに欠けている「ケア」の視点を考察。多種多様な人が肩書きを脱いで混ざり合う「公園活動」との対比など。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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今日は久しぶりに雨が降って、雨上がり、雨上がりってことないな、すごく微妙に小雨が降っている朝ですね。12月14日日曜日の朝7時20分。毎朝7時から朝礼暮快といって、Xのスペースでライブ配信ですかね、音声で15分間、目を覚ますがてら、外を朝散歩するがてらおしゃべりするっていうことをやってるんですけど、それが終わった直後です。久しぶりによく眠ったので体調がいい、調子がいい。かつ日曜日の朝は人がいないですね。平日だとかなり通勤通学の人たちが出始める時間帯、7時だね。けれど日曜日は人が本当にいないので、しゃべりやすいなと思って、体調もいいし人もいないので収録しちゃうかって、そのままマイクを回しているところですね。
前回、公園活動で起こったこと2つ、2回の公園活動ですね、12月7日の焚き火のこととか代々木公園のこととか話そうと思ったら、焚き火のことを話して終わっちゃったっていうのもあったんで、チラッとその12月10日のお話とかもしたいなって思ったりしつつ、もう一つですね、その前回の収録の本当に直後ですよね、飲み会への移動中だったんですけどね、飲み会の目的地、会場まで歩いてるっていう収録だったんですけど、その後の飲み会ですごく感じたことがある。まだ自分でも解釈しきれてなくて、ブレがあると思うんですけど、今後もこうだっていうまとまったことが言えるほど解釈しきれてるわけではないんですけども、すごい感じたことがあったんで、少しそこもシェアしたいなと思ってますね。
まず飲み会の方の話からしようかな。4人で、僕を含めて4人で飲みに行ったんですけど、僕以外の3人をAさん、Bさん、Cさんとしたときに、それぞれ僕は心を開いているというか、好きな3人ですね。この人微妙だなとか、あんまり知らないなみたいな人もいなくて、全員好きな人たちです。AさんがBさんに会いたい、Bさんと飲みたいって言って、Cさんが調整して、ABCさんの飲み会っていうのがあって、誘ってくれたのか、僕がその話を聞いて参加したいって自分で言ったのか分からない、ちょっと覚えてないんですけど、結構前に決まった飲み会ですね。Cさんから、いずれにせよ誘ってもらって4人の飲み会になったと。結構、下手したら1ヶ月前ぐらいにもう予定が決まってたみたいな普通の飲み会なんだけど、みんな忙しい人たちだったんで、早めに予定が決まったっていうのもあったのかなと思います。
飲み会っていろいろありますよね。飲み会っていう言葉にいろんなものが含まれすぎていて分かんないですよね。曖昧さがすごいというか。例えば飲み会の場で仕事に繋げていくっていう人も結構未だにいると思うし、そこで始まっていく仕事、プロジェクトとか、僕も始まりますもんね。友達同士のプロジェクトとかだと、飲み会の場で盛り上がったことが翌日「じゃあ、日の出た、あれやりましょうか」とかって本当に始まるパターン。例えば新日本ダジャレ協会なんかは、飲み会の場でダジャレ飲み会みたいな感じで、ひたすら、別にダジャレ飲み会として場をセッティングしたわけではないんだけど、全員ダジャレしか言わない飲み会っていうのがあって、地獄みたいな。その後、新日本ダジャレ協会ってポッドキャストをやりましょうってなったっていう流れもあって、飲み会からプロジェクトが誕生する、仕事が誕生するみたいなこともあるし。
一方で、友達と友達というか、人と人が出会う場所として、出会いの場としての飲み会。親睦を深めていく、まだそんなに仲ではないんだけど「飲みに行きましょうよ」って飲みに行って、親睦を深めてより深い仲になっていくっていう飲み会もあれば、ちょっと落ち込んでるとかね、相談に乗るとか「大丈夫だよ」ってケアするような、狭い意味でのケアというか、弱ってる人を元気づける、勇気づけるような飲み会もあるなどし、儀式的な飲み会も結構ありますよね。忘年会だ、新年会だ、決起大会だ、なんだかんだと、そこで集まることに意味があるみたいな感じで、そこで気持ちを一つにするとかいうような、みんなの意識を統一するための儀式として飲み会をやるとか、いろいろあるなって思います。
もっともっと、無限に、人の数だけ飲み会の目的があるっていっても過言ではないぐらい、「飲み会ってこうですよね」っていうのがないと思うんですよ。その、飲み会あるあるでもありますよね。「分かる」って多分なるようなことがあるかなって思うんですけど、その面白さですよね。目的は無限に存在しているのに、飲み会あるある、飲み会しぐさとして「こういうのあるよね、分かる」みたいなことがあるっていう。まさに今回の飲み会も、僕の中ではそんな感じだったなぁっていう。
最初、BさんとCさんが時間に到着して、Bさんが開口一番「今日何の会だったっけ?」みたいな感じに。もうBさんも今日何の会か分かってない状態だったし、そこにちょっと遅れてAさんがやってきて、Aさんも、最近ちょっと一件予定があって、既に一杯お酒を飲んできたからなのか、Bさんに会えたからなのか、ちょっと分からないんですけど、結構ご機嫌でですね、開始早々、気を使ってなのか何なのか、嬉しかったからか何なのか、話題を提供してくれて、いきなり賑やかになるというような感じ。ここまでは別に普通の飲み会というか、4人で食事してますねって感じなんですけど。
そこから2時間、2時間半とかかな、いたんですけど、だんだん、年長者であるAさんが、僕たちよりも、っていうか僕よりも結構上だし、BさんCさんからすると全然一回り以上上の、結構大先輩みたいな年齢差があって。年齢とか関係ないよねとか、肩書きとか年収とか関係ないよねとは思いつつも、でもそれが出ちゃう会話というか。出ちゃうっていうのは、決して威圧とか何かコントロールしてやろうみたいな意図は見えないんだけど、そんなこと決してないんだけど、いい人だからねAさんも。けど自然と、年長者であるAさんを接待するような感じに。接待ってちょっと言い過ぎだけど、でもAさんに配慮して、Aさんが振ってくれた話題とかに「えー、そうなんですね」みたいな、若干のキャバクラ対応をしていたなぁと思う、というか、そういう感じ。
要は年長者は結局ちょっと自分の近況を嬉しそうに話して、それを若い人たちが「へー、そうなんですね」「それでどうなったんですか」みたいな。武勇伝みたいに語ったりしないし、「若いもの聞けよ」みたいな感じは一切ない、一切ないんだけども、何気ない日常会話が先輩後輩とか、ヒエラルキーの中に組み込まれてしまい、そのヒエラルキーが一度できてしまうと、年収的なものとか学歴的なものとか過去の実績みたいなものとかが全部マウントみたいに、そんなつもりは本人はないのに、恐らくないのに、マウントのように効いてくるみたいな感じになり。
終わってみて、帰り道、いろいろ考えながら「何だったんだろうな」ってすごく思いましたね。「何の接待だったんだろう」みたいな気持ちになってしまった。これが、なんでもない、そんなに知り合いでもない人と接して、まだ知り合ったばかりの挨拶だけした人と、それこそ「親睦を深めましょう」とか「これから仕事に繋がるかもしれませんね」みたいなやつで飲み会をして、そういう状態なんてことはザラにあるわけですよね。ビジネスパーソンの飲み会とかってね、結構あるなって思いますけど。バンドの飲み会とかもある。その、村を形成しているところが大体あるなって思うんですけど。
そういうのじゃないのに、別に利害関係すらもないのに、そしてもう数年の仲でいろいろなお話もしてきた関係なのに、いざそうやって集団になった途端、なんとなくヒエラルキーができるみたいな。まあできるっていうか、僕自身も結局それを作り出している一員になってるわけですよね。「そうなんですね」って、その年長者の話にすごい前のめりにリアクションするとかっていうのは。終わってみてね、まあ良くないこともないんだけどね、一生懸命話してるんだから、別に一生懸命聞いたらいいじゃんとも思うんですけど。
喋る量とか、なんて言うんですかね、結局パワーバランスとして、もう7対3とか8対2だったんじゃないかな。下手するとね、7、8年長者が喋って、3、2相槌打ってるみたいな会だった気もする。どうでもいい人たちだったらどうでもいいんですけど、どうでもいい人たちと飲んだら「どうでもいい飲み会だったな」って思うんですけど、個別にはそれぞれすごく好きな人たちだし、話せるなって思ってる人たちなのに、集まるとそんな感じになっちゃうっていうのは、すごく人間が集団になる難しさを感じましたよね。残念な気持ちになったというか。
そしてそれがさせられたわけでもなくて、自分も自然とその中の一部として、あの年長者を敬って何か振る舞うみたいなことが、その残念な飲み会を形成する一因になっているみたいなことも含めて、すごく残念な、自分自身に対しても残念な気持ちになったっていうのが正直なところですね。
改めてその場の重要性を感じたと。その場がどういう場なのかみたいなことを、どれぐらいの強度でとか、どれぐらい細かく設計するかはさておき、ただ何らかの場があることによって、そこがそのようになる、最低このような枠組みの中でやりましょうみたいなことが発生する。例として出したいなと思うのは、討論カフェっていう活動ですね。株式会社ビッグトゥリーという会社にもう10年ぐらい参加しておりますけども、そのね、社長ののぞみさんがやっている討論カフェという活動があって、価値観の交換をしようと。普段思っていても言えないことがたくさんあると思うんだけど、そういうことを、まあテーマには沿ってですけど、そのテーマに対して「実は自分こう思ってるんですけど」とか「これってこういうふうなこと考えたことあるんですけど、どうですか」って、絶対普段社会生活の中では言えないことも、この場においては包み隠さず、そのテーマについて思ったこと言っていいよっていうような場を作ってるんですね。だからその場では、それが言えるってことが起こっている。
僕の活動では公園活動って言ってますけど、僕が公園的なるもののシンボルとして機能するという、僕がいる場所を公園のような場にするんだってことで公園活動って言ってますけど、実際、公園でただいるという活動ですね。そこに人がいらっしゃると、人が来て話すんだけど、マウント合戦とかにならないんですよね。ならない。それはやっぱり、公園でマウント取る意味がないからですよね。大人の方が偉いとか、お金持ってる方が偉いとか、そんなことはないじゃないですか。公園で遊んでいて、公園にいる100人を見渡したときに、この人たちの中で誰がこの公園の中で一番偉いでしょうか、なんてことはないですよね。みんなそれぞれ違って、ある種みんな等しく1公園利用者になっているという。日頃背負っているいろんな肩書とか役割みたいなものから外れて、1公園利用者、何者でもない個人になれる時間だということですよね。
なので、上水公園でいろんな人と話すときは、年齢も性別も、それこそ年収も実績もいろんなものが違う中でお話しするわけですよね。実際それが成立すると。前回紹介し損ねた12月10日の代々木公園、もうそんな感じでした。平日夕方だったんですけど、12月の平日夕方ですから、寒いし真っ暗だし平日だし、誰が来るのっていう話だと思うんですけどね。でも公園ですから、定期的にやると決めたときに、天候季節問わずそこにいるということが、やっぱり安定感、その安定感が安心感にもつながるだろうというところで、雨だろうが寒かろうが暑かろうがやってるんですけど。
誰も来ないかもしれないなぁと思いながら行ってたら、もうね、開始早々一人、20代の浪人生の方がいらっしゃったりして、「浪人中なんですよ」とか言いながらいろんな話をしてくれて。そうこうしてたら、一緒にプロジェクトをやっている水上さんですよね、お友達が来てくれて、さらに水上さんが、全然公園活動のこととかポッドキャストとかも知らない、水上さんの大学の同級生を連れてきてくれたりとか、そこに僕のお友達が来たりとか。そこにさらに水上さんがその後ね、お出かけする、お出かけ? なんか特に? 分からないですけど、公園で待ち合わせするっていう感じで、終了間際に、東京ネイティブというポッドキャストのミラさんがね、水上さんとの待ち合わせでやってきたりとかいう感じで。
その5人のそれぞれがそれぞれの目的で、バラバラなんだけどその場では交わって、少なくとも不快そうな人がいなくて、混ざらないはずのものが混ざって、マウント取るでもなく、それぞれがそれぞれのことをなんとなく知って、時間になって帰っていくっていう時間だったんですよね。先にお話しした飲み会とは全然違う場で、どっちがいいかっていうことではないんですけど、僕個人にとっては明らかに公園で見た景色の方が居心地がいいですよね。僕の考え方としては、やっぱり何歳かとか、いくら稼いでるかとか、どういう経験をしてきたかっていうことで優劣がつかない世界観なので、そういうコミュニケーションが取れれば、場がやっぱり担保してるだろうなっていうことをすごく思いました。
まあみたいな感じで、飲み会と公園活動みたいなのが立て続けに、いろんな人といろんな場で会って、見て思うんですけどね、飲み会は結構強烈、僕の中では強烈でしたね。普通の飲み会ですよ、本当にどこにでもある普通の飲み会なんだけども、僕はもう公園活動に振り切っちゃってる姿勢もあって、ちょっとしたなんかこう、年長者接待みたいな空気自体が「行く意味あるか」って思っちゃうっていうか、という感じですね。
この話をさらに何日か経って、頭を冷静にさせて考えてみたんですよ。要は最初の数日間は「行く意味あるか」みたいな、「なんだこれ、飲み会とかもう二度と行くか」みたいな気持ちにちょっとなってたんですけど、ちょっと引いて考えてみたときに、ここにまたジェンダーみたいな問題がすごく潜んでいるなって思いました。男性同士ケアできないみたいな話ってよく聞きますけど、まさにそれだなって。例えば仲のいい女性4人の飲み会だったとしたら、今回のやつが、僕も女性で、仲のいい女性4人の飲み会とかだったとしたら、そんな、別にそうなってないんじゃないかなと思うんですよね、こんなことには。
別に何か仕事になるとか、なんだっけ、仲良くなるとか、いろいろ目的とか持たなくても楽しくないですかって、満足して帰れますよって、仲のいい人と飲みに行ってるのに何をそんなこと言ってるんですかって、結構言われるんじゃないかなって。そんなことを思っていることが分からないって言われそうなんですけど、けど、そこには男性同士のケアが存在してないから。実際その飲み会の場でもAさんがずっと、一方的にとまでは言わないけどもずっと喋って、みんながそのAさんをケアしているような感じになって、それを先ほど接待という言い方をしたんですけど、若い人たちが年長者をずっと「そうなんですね」って、気持ちよく話せるようになんかしてるみたいな感じになっちゃったってやつで。
こんなことって多分、起こるのって、やっぱり男性性ならではのこのケア不在の関係性だから、この飲み会がいちいち「その目的が何とかで」とか「この人とこの人がいるとこうで」とかってことになっちゃうんだろうなーみたいな。仲が良かったら大丈夫でしょって多分なるんじゃないの、おそらくは。仲のいい人と行ったんだから楽しかったよってなりそうだなって。なんかね、男性同士の飲み会って、なかなかそこはそうならないような感じも受けました。まあ必ずしも男性とは言い切れないんですけど、ケアし合えるような男性同士の関係もゼロではないと思うので、まれにあるなって思っているので、そういう関係性の人同士だったら、仲良い同士でも、ただそれだけで飲み会の意味がある気がするんですけど。なかなかね、男性同士でその辺をケアし合うみたいなことって、あんまりないですよね。
僕は結局そういう会話の方が好きですよね、飲み会とかにしても。「仕事でこういう実績を出して」みたいな話はすごいどうでもよくて、その人はどういう生活をしていて、その生活の中でどういうことを喜んでいるのか、どういうことを悲しんでいるのかみたいな話を聞いて、一緒に楽しくなったりとか、その悲しみ、一緒に悲しくなるってのはちょっと僕は難しいですけど、でもその悲しみを受け止めるみたいなことをしたいだとか、そういう感情的なものをシェアしたいなって思うし。まあそうでないんだとすると、ちょっと概念的な、哲学とまでは言わないですけども、概念的な話をひたすらして、言葉遊びですよね、ゲームとしての概念トーク。楽しい、エキサイティングだったっていうのは、テニスとかそういうスポーツとかに近いですよね。スポーツ感覚で概念トークして、脳に汗をかいて楽しかったなみたいな会話をするか、この2つかなって思ってるんで。
そういう、男性同士の飲み会あるあるな気がしますよね。謎の、なんでしょうね、ケア不在な感じっていう。もう一言で言うとそこですね。ケア不在コミュニケーションみたいな。ケア不在だから誰かにケアを押し付けているみたいな、そういう飲み会っていうのをよく見ますね。そこに気づく女性がいたりとかすると、さらに闇が深くなっていくっていう。そういうことなんだろうなって思います。なので、飲み会は相当慎重になろうかなと思いました。飲み会に参加するのはね、かなりメンバー、慎重になるなぁって思った出来事でしたね。
まあそれもこれもね、僕に社会性がないと言ってしまえばそれまでというか、なんですけども、まあそれゆえにですね、僕は公園活動という活動に従事できているわけですから。公園で公園的な場を作っていく、まあ僕からすると、よく分からないヒエラルキーみたいなものを前提としたコミュニケーションをしない場所。社会からそれをなくそうっていうのは理想ですけど、僕としてもそれは、どうしたら社会からそんなものをなくせるのかってちょっと想像がつかない、結構難しそうだなと思うので。だったら自分の手の届く範囲、半径50mかもしれない、100mかもしれないみたいな、自分の影響できる範囲っていうのをしっかりと、ちょっとずつちょっとずつ広げていって、自分ができる範囲の、手触りの、その温もりのある範囲において、目の届く範囲において、そういった場を作っていきたいなというふうに思っていますね。
はい、今日はこんなとこですかね。今日の配信が、ちょっと待ってくださいね、あれなのかな、金曜日なのかな、月曜日なのかな、ちょっとパッと分からないな。公園活動の情報は、前回もお話ししました通りですね、存在としての公園のLINE公式アカウントの方で、公園活動スケジュールとか、ポッドキャストを聞いたりとかもできるようなボタンを設置してますので、公園活動いつやってんだろうという時には、パッとそのLINEから確認していただくこともできますし、インスタグラムで私の、上水優輝ですね、フォローしていただけると、プロフィール欄とかに公園のスケジュールを書いているし、投稿ですね、ポストにも固定ポストでスケジュール貼ったりとかもしてます。なのでいつどこでやってるかみたいなのは、そちらで確認いただけたらと思います。
当日の詳しい場所ですね、公園の中のどこにいるかって話については、Xとインスタグラムの方に、当日場所を取り次第「ここにいます」という位置情報、詳細な位置情報を貼り付けてますので、よかったらこちらもご確認いただいて、ぜひお気軽に遊びに来てください。初めましての方も大歓迎です。そして毎回来てるよって方も大歓迎です。そしてそのいろんな人たちがね、その時間、何者でもない、日頃の役割とかを一旦下ろして、何者でもない個人として出会うというか、コミュニケーションする時間になったらいいなというふうに思っております。ぜひお気軽に遊びに来てください。本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると大変助かります。ぜひよろしくお願いします。それではまた、ご安全に。