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概要
あれから一週間、音楽一色になっている。最も安定と程遠い過渡期に、安定の方へ張る意味がわからない。嵐の向こうに渡れるかどうかは、やってみるしかない。生活がどうのこうのは知るかと、死にそうになったら考えればいい。
00:00 今週は音楽一色 01:14 将来の不安 03:31 AI、一年で様変わり 07:09 大きな船と小さなイカダ 14:00 個性を出せという会社が一番迷惑 16:40 抑圧された態度へのダメ出し 19:37 20代半ばであきらめた音楽活動 26:08 SUNOに歌詞を渡し、自分の声を後から乗せる 31:59 AIはけしからんという声への反論 36:37 上水優輝名義のソロ活動 38:49 記録としてのポッドキャストと作品としての音楽
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8月14日金曜日、夕方7時19分です。今週はもう音楽一色って感じでしたね。なんでなんでしょうね。ちょっと自分でも思い出せないんですけど、後から意味付けはいくらでもできるんですが、なんでこんなことになってるのか自分でもちょっとわからない。とにかく今週は音楽三昧でしたね。一番のきっかけは前回の配信でもお話ししましたけども、先週の土曜日にバンドの練習があって、その後ちょっとメンバーという声で、人生将来不安だよねっていう話をして、それがきっかけになってる気はしますよね。
この社会のいろんなマクロな恐ろしいこともあって、単純に個人として、会社員とかできる気がしないなみたいな、そういう不安ですよね。できる気がしないというか、できる気がしない上、誰ももう取ってくんないでしょみたいな感じもあって、自分でどうにかしないとね、と。まあいざとなったら人間なんでもやるんでしょうから、なりふり構わず、死なないために何をすればいいかってことが本能的にわかると思うんで、追い詰められたら本当の意味で何でもやるんだと思うんですよ。そう思うと、あんまり恐れず。そうなるかならないかもわかんないし、なりそうだけど、でも本当にそうなるかならないかっていうのはわかんない。
だって、今僕結構、通常の業務はかなりAIに頼って、今まで手作業でやってたことが半分自動化できて、だいぶ既存の業務って意味では楽になってたりするんですよね。そんなことは多分去年の今頃は想像してなかった。ちょっとずつちょっとずつ便利にはなっていくなっていうのは感じていましたけども、ここまでっていうのが1年で起こってるわけだから、また来年ここまでってのが起こるわけですよね。再来年ここまでってのが起こるわけじゃないですか。頭打ちだねっていうことはどうも考えづらい。それは性能の意味でもそうだし、普及という意味でもそうですよね。
AIがなんだかんだ使ってるって人が少ないし、使ってるって言ってる人も、その使い方がチャットに何か書いてくるみたいな、そういうことをAIを使ってるって言ってる人もいれば、AIにいろんなものを作ってもらったりしてるとか、半分自動で仕事をしてるとか、エクストリームな人なんかはもう一人で、ソロプレーナーみたいなね、言いますけども、一人会社で社員全部AIみたいな人も中にはいるしみたいな。もうかなりごちゃついてるタイミングだなぁと思うんですよね。だから、変に安定の方向に今ベットしていくっていうのは、ちょっとなんか違うなぁっていう気がしてますね。最も安定と程遠い時代、過渡期だと思うので。
今ね、大企業の正社員とかしてたら一番いいっていうか、たとえ沈みゆく船だったとしてもタイムラグがありますから。他の船が沈んでいく中で、比較的沈むまでの時間の猶予があるみたいなことを考えると、大きな船に今乗っていてっていう人は、しがみついてたらいいと思うんですけども。僕もそういう状況だったら、たぶんしがみつきつつ、仕事はほどほどにして、どういうふうに生き延びようかっていうことを考えることに時間を割くかもしれないけど、基本的にはギリギリまでしがみつくと思うんですよね。
そんなこと考えてもしょうがなくて、僕はイカダに乗っているという、そういう感じですから。そして今、波が高くなってきている。イカダ、危ないですけど、このタイミングで安定とか言ってもしょうがないなと思うんで、この嵐の向こうに渡れるか渡れないか、やってみるしかないっていう感じかなと思ってますね。捨て身のっていう意味じゃなくて、今イカダから中途半端な船に乗り換えるみたいなことが、あんまり得策じゃないような気がしてきて。だから安定のことなんかを今考えたってしょうがない。あとどれぐらい走れるんだっけっていうことをしっかりと把握しながら、本当にヤバくなったらどうにかして生きていくんで、本当にヤバくなるまでは安定とは真逆の方に張っていきたいなと思っていますね。
せっかくAIがあるし、AIを使って何かできないものかなっていうことでいろいろ考えるんですけども、どうしても僕の好みの問題で、コンテンツを作りたいみたいになっちゃうんですよね。そっちのアイディアの方についつい行ってしまうと。でも、いろんな企画考えても考えても、やっぱりそこまでせないかんかなみたいな気持ちになるっていうか、やりたくないんでしょうね、要はね。そんなことしないといけないかなと思っちゃって、結局企画が固まるんだけども、実行する段階でダリーナってなっちゃうっていう。なんなんでしょうね。ああいうバズるみたいなことを楽しくやれてる人って、どういう感覚なんだろうっていうね。パチンコとか、ああいうのに近いんですかね。数字がバーンと跳ねて脳汁出るみたいな、そんな感じなんですかね。あんまりそういうのは僕にはないから、なかなかそういう数を追うっていうのがそもそもできないですよね。
あと、主は公園活動ですから、公園活動に間接的にでも返ってくるもの、つながってくるもののほうが相乗効果があっていいですよねっていう。全然関係ない匿名の別のアカウント作ってコンテンツ作るとかって、なんだかなっていう感じですよね。まあ別アカウントを作る良さって、今のこの僕の、この上水優輝としての文脈情報を何も持っていないので、全く別人になれる、全然違う切り口で何かできるっていうメリットはあると思うんですけども、2つが全く別ってなると、なんだかねっていう。もちろんその別側をAI主導で回していると、あんまり僕とは関係ないものとして、でも数字を稼いできてくれるみたいなことが起こるわけじゃないですか。そしたらまあ、それはそれでいいんじゃないかなんて考えたりしたこともあるんですけど、それでもだるいですね。本質的に興味ないんでしょうね。
もう公園活動をやっていくって決めた時に、もう実名で、この自分の存在とひも付いているもの以外の活動はもうやりたくないなってなってるんでしょうね。たくさんの自分の中で、一つの自分の中で。会社員ができないのも、本質的にはそういうことな気がするんですよね。どこまでいってもやっぱり、会社の目的を達成するための一つのピースであると。だから変に自我を出してもしょうがないなって思うから、私であって私じゃないみたいな感じがあるんですよね。
もっと私を出していけよみたいな会社が一番迷惑ですね。本当に私を出したら嫌がるくせに、私を出せっていうのは最低ですね、本当に。個人を受け止める覚悟がある人だけ。社員に、もっと個性出していこうよって、もっと主体性持っていこうよって言っていいのは、その主体性とか個性を受け止められる上司とか経営層が揃ってないとダメだと思いますね。一番迷惑ですね、そういうのも。
とにかく、もうどうしようもなくなるまでは、社会人みたいなね、広義の社会人ではもちろんあります。この社会の一員として、この社会のルールだったりコンプライアンスだったり、そういうものはもちろん守っていこうと思ってますけども、もっと狭い意味での社会人っていうか、ちゃんとするみたいなやつ。そういうのももうやめようかなと思います。半分やめてるんですけど、どっかでちゃんとしようかなって思ってる部分もあったりとか、ブレーキ踏んでる部分っていうのがすごくあるなって。それはもうこの数年ずっとそうだし、見破られてる人には見破られてるっていうか。
そうですね、討論カフェののぞみさんとか、地球ヨガのかなぷりさんとか、彼女たちはすごく直感が鋭いというか、本質みたいなものを捉えてるなって時があって、僕がいかに抑圧されてるかっていうことについて、定期的にダメ出しをされるんですけど、本当にそうだと思いますね。どっかでちゃんとしなきゃって思っていたから、それがブレーキになって、もっとのびのびとやれる場面でも、いやでもそこでこうすると、まあ社会人としては、自分が思っているちゃんとした大人みたいな呪いにかかって、なかなか縮こまってしまってるみたいなとこがあったんですよね。
それはコンサルとか言ってたからですね。クライアント企業とかに、ちゃんとしてないやつって思われると、結構な単価でお仕事させてもらうんで、コンサルとかだと、ちゃんとしてないやつだなと思われると結構リスクだったりもするなと思ってですね。けどよく考えたら、今年に入ってコンサルもほとんどやってないですし、結構ちゃんとしなくていいんじゃっていう。まあ収入がなくなっていくんで、生きていかなければならないんですけども、でも必ずしもちゃんとするっていう方向じゃなくてもいいんじゃないかって思ったりするんですよね。だから本当にやりたかったことをやればいいんじゃないかなってことで、久しぶりに音楽活動を、結構根を詰めてやろうかなと思ってます。
根を詰めてやることを諦めたタイミングっていうのが20代半ばの頃にあって。無駄にライブも本数たくさんやってたし、まず計画性がなかったですよね。ライブやりすぎですよね。ライブやるとやっぱすごい大変なんで、消耗するんでですね。消耗するのに、生活はかなり脆弱な、毎月貯金が底をつくようなその日暮らしをしながら、バンド活動で消耗していくっていう。
何でもやらないといけないですよね、意外と。まずその楽器の維持でお金がかかりますよね。収入に対してはすごい高価なものを持っている。例えば50万円のギターとかを月収十数万円の人が買うって、結構大変なことじゃないですか。足元にいっぱい機材があって、1個1万とか3万とかするわけですから、それが何十個ってあるわけでしょう。結局、機材に100万とか200万とか、ギター1本じゃないからとか、いろいろ足していくと、何百万かその機材を揃えるのにかかってるわけですよね。月収十何万円で、っていう。単純にコストの面でまずきついよねっていうのがある。
それを乗り越えてようやく設備が整っているってことなんですけども、じゃあその設備を、道具を使って何をするんだって、曲を書いたりしないといけないですよね。曲書くのも大変ですよ。歌詞書いて、メロディつけてコードつけて。弾き語りだったらそのまま一人でやればいいんですけど、バンドだったらスタジオに入って、みんなでアレンジして完成度を高めてっていう。またスタジオ代もかかっていくわけですし、時間もかかっていくと。その曲を届けるためにCDを作ったりするんですよね、当時ね。レコーディングをするのにお金がかかるし、レコーディングした音をCDに工場でプレスすると、これもまた10万とか20万とかかかるわけですよね。
でライブをする。ライブもお客さん呼べないとですね、チケットノルマっていうのがあるんですよね、ライブハウスっていうのはね。例えばチケット2000円のノルマ15枚みたいな感じだったら、いくらですか、3万円。もしお客さん誰も呼べなかったら、3万円自腹で払ってライブをするみたいな。まあそういう人がザラにいますよね。売れないバンドマンっていうのは大体お客さん呼べてないんで、大体ノルマに満たないと。でガラガラのライブハウスで、お金を払ってライブをしているっていう。
何のために生活をボロボロにしながらやってるんだっけっていうと、頑張って作った曲を届けたいからやってるわけなんですけども、数人にしか届かないみたいなことが常態化するわけですよね。まあ数人に届いてるってこと自体はすごく素晴らしいことだと思うんですけど、数人に届けるのに対してのコストがすごすぎるっていう。そんな状況が続いて、もうちょっとこれはどうにもならんなということで、一回諦めてですね、資格を取る、作業療法士の資格を取るために専門学校に行ったんですけど。それ以降はもう趣味としてっていう感じで、月に1回ぐらいバンドでスタジオに入って、時々ライブをやるみたいな。それがどんどんどんどんスローペースになっていって、続けてはいるけれども、辛うじて楽器を触っているみたいな状況が続いてきたって感じですね。
なんで、音楽を根を詰めてやるってことはもう二度とないって思ってたんですけど、ふと、この2026年夏、環境を見回してみると、音楽生成AIとかもかなりいい感じになってきてて。使ったことある方もいると思うんですけど、あれなんて読むんでしょうね、スノーとかスーノって言ったりするんですけど、SUNOですね。歌詞も書かなくてもいい、下手したら歌詞も生成してくれる、曲も生成してくれるみたいなんですけど、そういう感じで音楽を生成してくれるAIがあったりするんで。もちろん一発出しで適当に作った曲でやるとかいうことはしたくないですけど、AIと共同しながら創作するみたいな方向っていうのはこれから全然あるなって思うし、むしろAIとの融合というか、共同みたいなものが今一番面白いんじゃないかなって思ってるんですよね。
というのも、ずっと音楽をやってきた人っていうのは、逆にそのAIが入ることで違うなって感じになると思うんですよね。技術があるから、自分でやったらいいじゃんってやっぱりなると思うんですよ。全くのド素人だと、生成されたものの何が良くて何が良くないかっていう、まあその良い悪いというのは自分の判断になりますけども、判断力がないってことですよね。ザクッとそれっぽい曲が出てきたら、いいじゃんってなる。だからそのちょうど中間、音楽をアマチュアで長年やってきた、そして曲作りとかもしてきた、けれどもパソコンを使って音楽をアレンジするみたいなDTMみたいなものはあんまりできない、音楽があんまり本格的にできないみたいな、自分のデコボコを考えた時に、この生成AIとのバランスがすごくいいなと思ったんですよね。
自分が歌詞も曲も作れますから。曲作りって時間がかかるから、まず歌詞を書いて、AIに曲をその歌詞で吐き出してもらって、それをヒントにするっていうか、感じいいかもねみたいな方向性をもらって、それをもとにギター弾き語りみたいな感じで曲に仕上げて、さらにそれをまたAIに読み込ませて、バンドアレンジにしてもらうと。そのバンドアレンジのボーカルを除去して、いわゆるカラオケの状態にするわけですよね。そこに自分の歌を乗せると、バンドサウンドに歌が乗るっていうね、自分の声で。これで音楽活動できるじゃんって思ったんですよ。
だから20代の頃に、もうどうにも首が回らない、仕事と作曲と作詞と練習とみたいな、いろんな多方面で首が回らないっていう状況だったんですけど、そこまでの労力じゃなく曲を仕上げていけるような時代が来てるなぁと思ったんですね。またとないタイミングなので。あとはそのバイト時代みたいに、その日暮らしでもう毎月貯金がゼロになりますみたいな状況でもないから、死にそうになるまでまだ猶予があるんで、その間、音楽活動を真剣にやろうかなぁと思ってますね。やっぱり曲って、作品なんで、僕の中では。作品を作っていくまたとないタイミングだなぁって思ってるんで、もうしばらくそっちに振り切ろうかなぁと思ってます。生活がどうのこうのなんてことはね、知るかと。死にそうになったら考えればいいと。音楽をまたやっていこうかなと思ってます。
こういう話をすると、AIに曲を作らせるとかけしからんとか、AIに編曲させるとかけしからんとか、カラオケはけしからんとか、いろんな角度からあると思うんですけど、まず一つずついくと。作曲を確かに全部やってもらうっていうのが、それもあれだなぁ、じゃあ作曲してないアーティストはアーティストじゃないのかみたいな話になりますよね。シンガーの方とかいらっしゃいますよね、楽曲提供してもらって歌ってる方。じゃああの人たちはアーティストじゃないのかって、そんなことはない。人が作った曲を歌っているから。仮に全部作曲してもらうとしてもアーティスト足り得るし、僕の場合は全部作ってもらわないんで、部分的にインスピレーションを得るっていう感じですかね。この歌詞にそういうメロディを当ててみたら面白いね、じゃあこの方向性で作ってみようかみたいな、叩き台を作ってもらうっていう感じで使おうかなと思ってるんですね。
叩き台をAIに作ってもらうのはけしからんっていう人いるかもしれないんですけども、「じゃあ世の中のミュージシャンは他のバンドの曲を参考にしてないのか」って言ったら、嘘ですよね。いろんな音楽を参考にして作っているわけじゃないですか。けしからんってなりますかね。ならない。やっぱりそれは、いろんな曲の影響を受けて、最終的に自分の曲に落とし込んでいくっていう。だからAIが別にきっかけになってたとしても、それを自分の曲に落とし込んでいけば、それは別に何も問題がないんじゃないかなと思いますね。
編曲をAIにするのはけしからん。これも、編曲を別の人がやってるバンドなんかたくさんいますよね。メジャーなバンドとかだと、作詞作曲とかは自分たちでやるけど、編曲はプロデューサーの人がやってたりとかするバンドとかもいるし。AIがやってるか別の人がやってるか、あんま変わんないっていうか、クオリティの問題ですよね。クオリティが低かったら、それはクオリティが低いねっていう話になるんですけど、クオリティの話とけしからんかどうかの話は別で、クオリティが一定出れば、別にAIだからどうってことはないよねっていう気はしますね。作詞作曲、自分でやってるものをどうアレンジするかっていうのは、割と問題ないんじゃないかなと思いますね。
そして、自分で演奏せず、曲をカラオケにして歌うっていうのがけしからんっていう人は、レコーディングって結局そういうことですからね。いろんな人たちがドラムとかギターとかレコーディングし終わった上にボーカルを乗せるんですけど、それって結局カラオケなんですよね。レコーディングされた音源に歌を乗せてるから。そういう意味では、生演奏じゃないってことが問題だとすると、じゃあ電子音楽全部けしからんってなるじゃんってことかなと思うんで。そんな風にいろいろ考えていくと、意外とこれって普通に創作活動として恥じる必要のない、結構ちゃんとした創作だなって思ったりしたんですよね。
で、正統派の人たち、ちゃんと自分たちで手でやってるプロの方々からすると、けしからんってなるだろうし、素人の人からすると判断がつかんってなるし、とかって考えると、この中途半端に音楽をやってきた人間にとって、このAIとの共同制作っていうのは、かなり可能性が今開かれている、一番いかがわしいけれども創作的価値があるっていうラインなんじゃないかななんて思って、ちょっとここに振り切ってみようかなと思ってますね。
じゃあミュージシャンになるんですかって言われると、半分そうなんですけど。また面白いのが、今回この音楽は上水優輝という名義でソロ活動としてやっていこうかなと思ってるんですけど、面白いのは、ポッドキャストが今僕のメインなんですよね。その発信の、誰かに僕がここにいるよっていうことを知らせていく、もちろん一番丁寧に知らせているのがこのポッドキャストなので、とても重要な場所なんですけれども、一方で、癖強すぎるじゃないですか。このギター弾きながら、台本も書かずに思いつきで喋ってるみたいな。めっちゃ癖強いから、これ新規の方が聴くと、やっぱりちょっと離脱すると思うんですよね。なんだこいつってなって、とてもじゃないけど受け入れがたいと思うんですよ。キャッチーじゃないというか。
その点、音楽ってやっぱりその辺を超えていく。聴いてもらうハードルはあるけど、いい曲だって思ってもらったらすごく印象に残るし、それを歌ってるのが上水さんって言うんですねと、この人なんだろうって調べるきっかけになれば、結果ね、公園活動の広報にもなるっていう。あら不思議ですよね。だから公園活動と両立し得るっていうね、まさかの。そして、まだ僕のことを知らない人にリーチし得る発信になると。
その後は、ポッドキャストは作品というより記録っていう感じがあって。そういう聞き方をする人はいないと思いますけど、3年前の今日、僕が何を喋っていたかとか、そういうことが残っているってことが、ものすごい長い時間で見たときにいいよなって思うんですよね。例えば僕が50代になったときに、40の頃にこんなこと言ってたんだねっていうのは、40のときの生々しい、まさに今、僕は思いつきで喋ってますから、この思いつきの生々しさみたいなのがそのまま音声で残ってるっていうのは、結構記録として面白いですよね。だからポッドキャストは記録として、週、今2回かな、定点で記録し続けるってことをやってるんですけども。さらには朝礼は毎日やってますけどね、っていう記録。
簡単なものもあれば、音楽は僕の中で作品なので、もう少し、記録みたいに検索性のあるものではなくて、一曲で完結する、凝縮されているというか、その時期の自分の感性みたいなものが凝縮された数分間みたいなものになるかなと思ってるんで。残すものの種類としても、ポッドキャストをひたすら増やし続けていくっていうのとはまた違った形で、この世界に残していけるっていうのは、すごくいいなって思ったりしてますね。
まあ長くなっちゃいましたけども、とにかく、死にそうになったら、なんとかして生きていくんだと思うから、そうなるまでは本当にやりたかったことをやろうかなと思ってます。そして今、幸い、それができる時代になっている。今やらずしていつやるんだと。そんなことを先週末のそのお話あたりから思い始めて、もう今週はもう音楽に振り切っているという感じでございます。音楽、楽しみにしていてください。
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