存在としての公園 第22回

文脈の不在、あるいは時間軸のすれ違い

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概要

公園を出るときに一礼する清掃員を見て、儀式の美しさを思う朝。パトカーの張り込みに対して無駄に怯えつつ、構成も準備もないまま「今ここ」を記録することの意味を語る。人間がわざわざロジカルにまとめて喋ること自体の価値が、もうそんなにないのかもしれない。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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2月13日金曜日、朝7時18分です。朝礼を終えて、そのまま近所の公園のベンチに腰掛けて収録開始しました。公園の掃除、箒を持って掃除をしている方が1人いらっしゃったんですけど、直前まで掃除をして、公園を出る時に一礼してから出て行ってたんで、すごいなと思いました。なかなかね、公園を掃除して出る時に一礼。公園を出る時に一礼して出ようかな。神社を出る時みたいな感じで、すごい美しいなと思いました。公園を出る時に公園の方を向いて一礼する。サッカーとかもフィールドを出る時に礼をするとか、入る時に礼をするとか、お伝えしたいと思いますけど、昔はそういうのよく分からなかったけど、なんでしょうね、ちょっと美しいなと思いましたね。

誰かが見てるか見てないかとかじゃなくて、自分の中の儀式として、今から公園に入りますよとか、公園を借りてますよっていうものとしてやるのはすごくありかもなって。儀式の大事さみたいなことが年齢とともに分かってきたっていう。分かってきたっていうとちょっと語弊があるけど、前は儀式っていらないって思ってたから、でも意外と必要かもねって思ってますよね。朝礼も完全に朝の儀式みたいなもんですからね。毎日朝礼をやることによって目が覚めるし、今考えていることとか、何に自分の関心が向いているかみたいなことが分かるっていうか。

朝礼ね、1年ちょっとか、1月後半ぐらいから毎日配信してて、毎朝7時からXスペースで15分間喋ってるんですけど、去年の1月とかはAIで生成した格言みたいなのも喋ってたんですよね。中国の古代思想家、架空の古代思想家、園公さんの処世録ということで、「子曰く」とかっていっていろいろ喋ってたんですけど。なんでそれだったかっていうと、朝、口を動かして声を出す、そして歩いて足を動かす、体を動かすことで目を覚ますっていう、ただその一点において、どうせ声を出すなら、ありがたい言葉というか、意味のありそうな言葉の方がいいなと思って、台本を生成してもらって読んでっていうことをやってたんですけど、だんだん飽きてくるわけですよね、音読をずっとしてると。

なので、フリートークっていう感じで、朝15分、出たとこ勝負で喋るっていうのを、それが何月くらいからかわからないけど、多分3月とか4月とかからだと思いますが、ずーっとそれ以降は毎朝15分間フリートークしてます。最初の数ヶ月は結構、台本、ちょっと言い過ぎだけど、こういう話しようみたいなトピックは朝、整理して、こんな話とこんな話とこんな話をするって整理してから始めてました。でも最近は本当に何も考えずにスイッチオン、スイッチオンというかスペースを開始して、そこから何喋ろうかなって考え始めるみたいな感じになってきてます。

内容で言うと、園公の処世録が好きだったっていう方とか、もしくはちゃんと構成されて話してる方が聞きやすかったとか、いうこともあるかなって思うんですけど、僕としては、加工されてないというか、準備されていない、素が出るって価値だよなって思ってるんですよね。今の時代だからこそ。このポッドキャストもそうですよね。朝礼終わって、今日配信日なんで配信する、そしてまだ録音してない、あ、録音しなきゃ、って感じでやってるんで、全く、よしじゃあ今日はこの話とこの話としようって構成をしてるわけでもない。それは聞き苦しいし、話は言ったり来たりするし、まだ解釈しきれてないエピソードとかも話して、支離滅裂だったり、まとまりがなかったりすると思うんですけども、それをあえて記録していくということ、残していくということ、そういうものを価値だって最近思っていて。

ていうか、今公園で僕は喋ってるわけなんですけどもね、公園の外にパトカーが停車してる。張り込みみたいなやつですけど、僕じゃないことを願うって感じですね。ちょっと怖いですね。途中で逮捕されたら、それはそれで、まあいいか。公園で座って喋ってたら逮捕されたっていうのも、あったらいいかなと思いますので。何の話でしたっけ。今みたいなことが起こるわけですよ、突然。公園の外にパトカーが止まって、じっとしてるから、こっちかな、なんてことは、この収録を開始する前には当然、意識には上がってなかったわけで。パッと視界を外に向けたらそういうことがあり、今、僕の正面にはカラスがいて、カラスがゴミを漁っていて、さっき箒で掃いてた人は何をやってたんだろうという気持ちもあるし。

こういうのは、マイクをオンにして喋り始めて、出たとこ勝負するということでしか生まれないやつですよね。構成組んで喋ってたらスルーしてたと思うんですよね。っていう、この世界の複雑さみたいなことがここに記録されていくって、すごいいいなって思ってます。

まとめて喋るとか、要点を整理するとかって本当にもうAIでいいから、気になったことがあったら、ぜひAIに聞いてみてほしいですね。まだそんなに使ってないよっていう方。で、やっぱ無料のモデルってちょっとあんまり良くないみたいな、ちょっとごめんなさい、あれが分かんないな、無料のモデルを使ってないから分かんないんですけど、チャットGPTは少なくとも無料のモデルが結構、有料のモデルよりしょぼかったりする。クロードとかジェミニとかどうなんですかね。上位モデルが少ない回数だけど使えるってことなのか、無料だと微妙ってことなのかは分かんないですけど、上位モデルでしっかり尋ねてみてほしいですね、自分の今気になっていることを。

そうすると、すごくまとまった回答が出てくるし、その回答に対してさらに、いやいや違うんだよと、こうでこうでこう思うんだけど、その観点からどうかっていうことを追加質問をしても、それにも打ち返してきてくれると。文字、記号で物事を理解していきたいときには、AIってすごい便利なので、もはや人間からロジカルな説明を受ける必要性を感じないなって思ってますね。ロジックで解決することはもう全部AIの方がいいじゃんって最近は思ってます。極端なのはわかってるんですけど。

それでも事情をもって、僕がインプットするときに文字情報が一番しっくりくる。文字で読むのはノイズがつかないから。情報を入れたいだけだったら、人の声とか、抑揚とか、その間とか、フィラーみたいなものとか、全部ノイズに感じちゃうんで、情報を得たいんだったら文章っていうのがやっぱりいいなって思ってます。そういう意味では、AIだと文字で出てくるし、ノイズが少ない。かつ、読む方が早いじゃないですか。ノイズが少ないからなのか、ちょっとわかんないですけど、耳で聞く、音で聞くよりも目で追っていった方が早いから、効率よく知りたい情報が知れると。なのでロジックみたいなものは、もはやAIでいいじゃんっていう。AIで会話もできますから、音声で。だから耳からがいいんだよっていう人も、もう全然AIでいいじゃんって思うわけですよね。

ただ、もっと論理で回収されないものみたいなところになってくると、やっぱり人間ならではのというか、人間の面白さが出てくるなって思ってるんですよね。だから僕はここで、特にこの存在としての公園に、この番組名が変わってからですよね、去年の12月以降っていうのは、台本も特に用意せずに、第1話は用意したかな、第1話だったんで。それ以降っていうのは、日に日に、テーマすら決めずにマイクをオンにしてから考えるっていうことをやってますね。だから今日もこういう話をするつもりで収録を開始したわけではなくて、本当に今思っていることをつらつらと話しているというところです。

だから似たり寄ったりの話をしてたりとか、同じ話を何度も言ったりとか、矛盾したりだとか、すると思うんですけど、それをひっくるめて、人間が今ここに記録されているなみたいな、そういうところを目指してやってますね。だからエンターテインメントとして楽しいものになっているとは思わない。振りがあって落ちがあるみたいな、そういうものじゃない、決して。振りも落ちもない、何が起こるかただただ分からない、そういうコンテンツ。それをコンテンツと呼ぶかどうかは受け取り手の方次第ってことになっちゃいますけども、そういうことですよね。

昨日、森美術館、六本木の森美術館で六本木クロッシングっていう、僕は初めて行ったんであれですけども、3年に1回ぐらいやってる、森美術館が主催してるやつみたいで。現代アートですよね。その時々のテーマを決めて、それにふさわしい、今を代表するとちょっとあれかもしれないけど、今注目の現代アーティストを展示するみたいな、そういうやつだと思うんですが、今年は何だったかな、時間がテーマだった? 昨日行ったのはちょっとなんぼぼってないですけども、21名のアーティストの展示がなされてあって。

見て思いましたけども、アートはエンタメじゃないから、って断言するのもあれだけども、別にエンタメはエンタメ、アートはアートって、もし何か分けるものがあるとすると、アートって別にこちらを楽しませようとして何かやってるわけじゃなくて、その作者の切実な表現みたいなものがそこに詰まっていて、それを見てどう思うかはこっちが決めるって感じですね。エンタメに関しては、受け手が決められる幅が狭いんですね。楽しいか楽しくないか、面白いか面白くないかってことしか決められない感じがあるっていうか。そういうのはある気がするけど、アートはもう少し余白があって、何を思ってもいいような感じ、解釈の自由が与えられてるっていう、それがすごくいいなって思ってますね。

そういう意味で、このポッドキャストはどちらかというと、よく言えばアート寄りという位置づけで思ってます。この僕の日々のその時の記録が何を意味しているのか、どういう状態だなっていうのを、その状態を感じ取るものになるのか、それともそこから何か表現されていて、その表現から何か意味を受け取るのかとか、そういうのはかなりリスナーさんに負荷をかけているという感じはしますよね。

ただありがたいことに、視聴データを見ると、結構リピートでしっかりと聴いてくださってるっていうような感じの、要はエピソードごとのばらつきがあんまりなくて、しっかり再生されているってことを見ると、この分かりづらい番組も、一定その分かりづらいがゆえの、ただの習慣かもしれないし、実際に何か魅力を感じて聴いてくださってるのか、事情は分かりませんけれども、再生してくださってるっていうのが分かるので、とてもありがたいなと、嬉しいなと思っています。だからある種、じゃあこれ何だったんだろう、でもこういうふうに読解できるなみたいな、余白、解釈の余白があるということでもあるかなと思うので、そういうのが好きな方にぜひ届いて欲しいなと思っています。

これから人間が記録すべきはそういうことなんじゃないかっていう、結構その明確な意図を持ってこれをやってます。単なる怠慢で構成せずに、またこの外の環境音が入っている、ノイズが入っている中でやってるわけじゃなくて、構成してスタジオでいいマイクでバシッと撮ったほうが、まとまったものは出るんだけども、まとまったものを喋るのって、もう僕はAIの劣化版しかやれないだろうっていうふうに思っている。僕はっていうか、もうほとんどの人間がってことだと思うんですけどね。何か論理を話そうとすると、例えば最先端の科学者であっても、その人が喋るよりも、その人がぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、録音機、レコーダーの前で喋って、そのレコーディングした音声をもとにAIにまとめさせたほうが、めちゃくちゃまとまるやろって思うわけですよ。だからまとめて喋るってこと自体の価値がもうなくなっている、少なくとも僕の中で。そして数年以内にそういうふうになっていくだろうなっていう気はしてますね。

個人の内側にあるものとか、その瞬間にしか出ないものの価値っていうのを感じますよね。ミュージシャンも、ごめんいきなり飛びますけども、今こんだけスマホだなんだってあって、簡単に映像とか録音ができてって考えたら、レコーディング文化が長らく続いてますけども、ラジオ以降というか、ラジオとかでいろいろ媒体で流せるようになってから、しっかり音源をレコーディングして、それを完成品として流していくってことをやりがちですけども、完成品を作る必要あるのかなっていう気がしたりしますよね。

Aという曲があったとして、スタジオの中でみんなでセッションしながら作り上げていくと。完成がない、その曲がずっと変化し続けていくみたいなのっていいなと思いますよね。実際、Aという曲を20年後にアーティストのライブを見に行ったら全然アレンジが違うとか、サウンドが違うとかあるわけじゃないですか。曲が生きている。Aという曲もAという曲として認識できる程度に原型をとどめているが、変化を続けていく、そういうのがいいなと思うんですよね。完全に再現するみたいなものではなくて、日々アレンジが変わり続けていくとか。

そうすると、一番好きだったバージョンとか時期っていうのがあるはずなんですよね。でもそれが今や記録に残っている。例えばYouTubeに残っていて、これ2014年のこのライブの時のこのテイクが一番いいよねって、その動画ばっかり何回も見るとかさ。自分のお気に入りは受け手が勝手に判断して、このテイクが一番好きなんだって。それをアイスというか、Aという曲が好きなんですじゃなくて、Aという曲のこのテイクがすごく好きだから、もう私は何千回もこれを聴いてるんですみたいな。その時その瞬間にしか出なかった表現みたいなものが記録されている尊さみたいなものを思いますよね。

音楽一つだったら、今Sunoみたいな音楽生成アプリがありますが、やっぱりすごいクオリティなんですよね。だからすごいクオリティみたいな、完成品のイメージでその曲を作るっていうことではなくて、その曲が自分という人間の変化とともに曲自体変化し続けるみたいなことは、人間にしかできないことだと思うので。だからAIが曲を作るようになったからといって、別に何か問題があるわけでもなくて、その曲を育てていくというか、変化させていく、その曲と共に生きていくみたいなのは人間にしかできないことかなと思うから、完成品にこだわらないってことなのかなっていうふうに思ってますね。

このポッドキャスト、作品というかちょっとさておき、僕は作品とまでは思っていない、記録ぐらいにしか思ってないですけども、この記録も、変に構成して論理的にしゃべったものをまとめると、旨味成分みたいなものが削ぎ落とされてしまっていて、5年後10年後に見たときにその価値が薄まっちゃう気がするんですよね。でもそのときの状態っていうのを結構ノイズを含めて記録しておくと、5年後10年後にすごく価値がある。そのノイズが重要な情報になる。葛藤を表している間があったりだとか、っていうことによって、そういうものを拾いやすくなる。でもそれが全部編集されて、綺麗にロボットみたいに話していると、それが情報として切られちゃってるんで、もう情報としての価値しかなくなっちゃう。情報としての価値はもう5年10年経つとそんなになくなっちゃって、5年前にこれを言ってたのは先見の目があったねみたいな意味での記録映像になってるかもしれないけども、今聞いて学びになるか、いや別にもう5年前、古いなこの情報みたいになっちゃうなっていう感じがあって。記録だと古くならないというか、古いことに価値があるというか、この時の記録が残ってるのいいよねみたいな、そういうイメージでこのポッドキャストはやってますね。

それこそ昨日、AIの対話エージェントを作って、そのエージェントを起動すると、まずお題案を勝手に出してくるわけですね、10個ぐらい。これは僕はノーションで作ってるんですよ。ノーションで作ると何がいいかっていうと、僕のもうほとんどありとあらゆるデータを持っていてノーションは。だから僕に関連しそうなテーマ設定で10個出てくるから、何の文脈も与えてないようなAIとはちょっと違って、文脈の塊、すごく自分にフィットするような問いを10個ぐらい出してくるって。

その中で今気分として、この問いが面白そうだな、移動式の故郷、つまり土地に縛られていない故郷っていうのは存在し得るのかみたいな問いとか、これ面白いと思って選ぶと、選んだら今度、なんでこの問いを選んだんですか? みたいな感じでインタビューされる。でそのインタビューにちょっと答えていくと、その問いを選んだ理由がクリアになりましたとかといって、その背景情報とかを含めて、今度人物データベースから最適な人を引っ張ってきてくれるんですね。

この人物データベースってのは何かっていうと、その人の専門性とか、この人の略歴とか、こういう思想に特徴があるよとか、発言する時にはこういう癖があるよみたいな、決めた項目があって、その項目でリサーチをかけて、例えばプラトンとか、アリストテレスとか、全然現代の人でもいいんですけど、そういう人を調査かけて、プラトンとかのページを作るわけですね。そういうデータベースの中から、このテーマを話すのにはこの人たちはどうでしょうかって言って、5人ぐらいピックアップしてくれる。

その5人の中から1人から3人選ぶというルールにしてるんですけども、1対1でじっくり話した時は、アリストテレスを選択してアリストテレスと対話するでもいいし、プラトンとアリストテレスとソクラテスみたいな感じで設定して、3人プラス自分みたいなので対話をしてもいいというような感じ。そうするとそのテーマでその3人が喋り出して、喋り出してというのは文字情報ですけどね。対談本とかあるじゃないですか、ああいう感じですよね。セリフ調で、ソクラテス、なんとかかんとか、みたいな感じで。だからプラトンの本そのものって感じですよね。プラトンの対話篇みたいな感じで、まさに会話が繰り広げられていて、そこでいきなりパスが来るんですよね。上水さん、この件についてどう思う? みたいなことが普通に来るかな。そこでまた僕は意見を言って、そこからまた対話が展開されて、本当に4人とか決めた人数で対話できるなっていう感じがありますよね。

それ結構面白いんで、やってみたらいいと思います、おすすめですね。そういうことをしてると、今までだったら自分一人でぼんやり考えていたこと、ぼんやり考えた方がいいこともあるからそれはぼんやり考えればいいんですけど、もうちょっと壁打ちしながら考えたいなみたいなテーマのときにいいですよ。例えばチャットGPTに直接壁打ちしてもらうっていうのだと、1対1の壁打ちになるじゃないですか。立場をある程度一貫して接してくれると思うんですよね。発言の中に三重人格で話してたら、もうちょっと支離滅裂だなみたいな、矛盾しとるなみたいなことがあって受け取れないから、1つの人格としてまとまりを持って話してくれると思うんですけど。

この対話エージェントだと、3人が全然違うことを思っていて、3人がぶつかって行き詰まり、そして僕にパスを投げてくるみたいなことも全然あるから、立体感があって面白いですよね。主張に、必ずしもそのまとまった、それこそ回答ではなくて、この人と対立してるけど、そのままこっちにパス来たなと、僕はどう思うかって言われているっていう状況で、第4の意見を言ってももちろんいいわけだし、2番目の人に近い、アリストテレスの言っていることが近いと思って、それに被せて意見を言ってもいいし、っていうような、立体感のある対話ができるっていうのはすごく面白いなみたいな。

とにかく、この数年間のAIの進化というか飛躍みたいなところから、僕自身かなり考え方を改めた部分っていうのがありますよね。ちょっとワンテンポ早いというか、まだそんな時代来てないですよっていう感覚の人が多いと思うので、大げさに聞こえるかもしれないんですけども、本当にものの数年なのかなというふうに思ったりもするんで。それこそ、この記録っていう意味では、今思っているこの感覚、時間軸ずれているかもしれないですけども、先取りかもしれないですけれども、そういう生活がもう到来してるんだよってことは伝えていきたいですよね。伝えていきたいですよねっていうか、伝えていきたいと思いましたね。

それこそまたその対話エージェントを使って昨日対話してたんですけど、未来予測と陰謀論の違いみたいな、そういうテーマで。ハンナ・アーレントと、誰と話してたっけ、マルクスか。マルクスと、何人かと話してたんですよね。なかなか未来予測の話をすると、例えば、このAIによって仕事が激減していくよみたいな話って、結構根拠があったりするわけじゃないですか。例えば、アメリカの大手テック企業が新卒の採用を控えているとか、ものすごい減っているみたいな話とか、どうなるわけですよね。とか、今クロードコードで結構こんなことまでできてしまうよっていう、技術的に何がどこまでできるかってこととか、今労働市場で実際に起こっていることとか、そういう事実としてのデータがあると、それを考えると、これから先、例えば日本でどうなっていくのか、タイムライン的にどうか、2026年にどうなのか、2027年にどうなのかっていう、そういう予測は外れるかもしれないけども、高校生としてはそうなっていくよねみたいな話。

それこそ時間が結構先になると思いますが、ロボットみたいなものも、人体を持ったというか人体のようなロボットっていうのがどんどんできて、今開発されていってますけども、これが実用化されたタイミングが来たら、そこにAIが掛け合わさったら、本当に肉体労働的なものも置き換わっていくだろうと思うと、10年20年みたいなスパンで見ていくと、仕事はなくなっていくでしょっていう、少なくとも今仕事だと思っているような仕事はほとんどなくなっていくでしょって考えるのは結構、僕は妥当だと思ってるんですけども、なかなかそれが陰謀論とほぼ同列の扱いを受けているなっていう感覚があり。

そういう話を対話エージェントとしていたら、構造的にはその未来予測も陰謀論も一緒なんだと、まだ起こっていないものについて語っているという点においては、どうしてもそれは難しいよねっていう話があり。それで僕はその時にちょっと認知能力的な話をしたんですよね。未来のことってそれだけ抽象度も上がっていくし、結構、認知能力の問題があるんじゃないかみたいなことを言ったら、仮想判断論と怒られまして、認知能力とか言うなと。これは文脈の共有ができないだけだと、文脈の共有が難しいというだけなんだっていうことを言っていて、なるほどと、確かにそうだと。

マルクスもいたけど、マルクス・ガブリエルもいて、マルクス・ガブリエルが言ったんですよね。仮想のマルクス・ガブリエルが、認知能力にそんなに人に差があるとは思わないと。どちらかというと、自分の生活にとって意味がないから考えないだけだと、そんな10年後20年後のことは。だから文脈をやっぱり共有できていないだけであり、文脈から外れているものっていうのは、自分の生活とか世界の中の、それはもうよくわからないものになるし、よくわからないものの中でも、未来予測なんかに関しては陰謀論というラベルが一番しっくり来るだけだと思いますよ、みたいな感じで。そうだなぁと思って。

文脈の共有っていうことを言われたときに、そっかと。自分はすぐ10年とか20年とか、もっとこの一生みたいな時間軸でものを見ちゃうんですよね。だから例えば80まで生きるとして、80から逆算したときに、逆算というか80歳から見たときの、今40歳ちょうど半分だな自分はみたいな、あと40年かみたいにものを見ている。そしてこの40年、社会はどうやって進んでいくんだっけ。10年後こうなってそうだな、20年後こうなってそうだなみたいなことを考えながら、今の生活みたいなことをやっていく。

こういうまなざしと、例えば今月とか今週っていう目線で生活をしている人っていうのは、自分を構成している世界の意味みたいなものは変わってくる。1週間で関係あるもの、1ヶ月で関係あるものばっかりが立ち上がってくるし、それ以外のものは無関係なものになってくる。でも僕とかで言うと、10年20年のスパンでものを考えちゃうから、逆に言うと、今日明日のことで別にそんなに重要じゃないことって、あれだけども、20年のことにそんなに影響を与えなさそうなものに関しては重要じゃないことみたいな扱いになっちゃうっていう。

だから結局、自分が持っている、自分がリアリティを持っている、特に時間軸が分かりやすいと思うんですけど、時間軸みたいな文脈みたいなのがあって、そこのズレがあると、結構話が噛み合わないことって多いよねと。それは文脈が共有できないから。共有できない人と何か話しても、全然ちょっと分かんないな、になっちゃうっていう。前提が違うからね。前提が10年20年の話なのに、相手は1週間1ヶ月の話だったら、それはもう前提が違うから話噛み合わないよねっていう、そういうことが起こるよねって思いました。僕の人生40年間、他者と話していて、なんでこの話は分かんないんだろうっていうことが、あ、そっかと、どういう時間軸にリアリティを感じて生きているかの違いだったんだな、前提が違ったんだなみたいなことを、ようやく腹落ちしたというか、そういう感じがしますね。

公園活動の中で人と話していると、あんまり齟齬みたいなのを感じていないのは、あんまり僕は自分の時間軸で何かを前提にして話をするわけでもなく、その場その場で立ち現れる会話にコミットすると、その会話が何をさせているのかっていう感じでコミットしているので、10年スパンで見てるから噛み合わないなみたいなことが起こらない。どっちかというと、普段その自分のときに、何か意見を言うような場面があったときに、すごいズレを感じますよね。難しいか難しくないかじゃない、重要か重要じゃないかなんだって。それはすごい目から鱗でした。能力の問題にどこか回収、無意識のうちにしてたなっていう、ちょっと反省ですね。みんな重要なものにしか反応できないですから。僕自身も、自分が重要だと思っていることの中で生きているし、重要じゃないものはどんどん遠ざけているし。そう思うと、そんなもんかななんて思ったりしました。

とにかくこういう自分の中の気づきみたいなものが、ふと散歩しながらぼんやり気づくみたいなこともあれば、でも最近散歩できないんですよね、そうやって対話を通じてテーマを掘り下げていく中で気づいていくこともあって。その後者の対話を通じてみたいな話に関しては、なんていうんですかね、すごいことだなと思うんですよ。いろんな著名人を招集するなんて無理ですから。ましてやもう既に亡くなっているような歴史的な人も含めてですけども、そういった人を複数招集させてもらって、テーマで議論させてもらえるみたいなのは、結構知的に満たされるし、気づきも多いなっていう感じですね。

他人の視点っていうのは、やっぱり自分を拡張するというか。凝り固まっているので、凝り固まっていることは凝り固まっているって自分では認識できないので、違う視点を差し込んでもらった時に初めて、ちょっと自分それ思い込んでたなとかっていうことに気づけるということ。なのでこの対話エージェントで、僕は日々リハビリというか筋トレというか、思考をほぐしつつ、何かテーマについて深掘りしていくっていうようなことをやっていきたいなっていう。インプット体制がめちゃくちゃ整っていってますね。だから、もっとインプットに時間を割いていくっていうのは、この3月以降できそうですかね。2月にいろんなことを効率化して、3月は結構そういういろんなインプット、まあ対話はちょっとインプットとアウトプット両方あるけども、そういう自分の中身ですよね、考えを深めていくみたいなことを、春以降温かくなってきたらできたらいいなぁなんて思ってます。

何の話だったんだって言われるとちょっと、今日はこういう話でしたとは言えないような、ぐちゃっとした話でしたけども、一番大事なところは、記録ですよね。今この瞬間を記録するということが重要。もう今この瞬間の状態を記録するということぐらいしかないんじゃないかっていうのが、僕が思っている結構切実な思いですね。人間的な、なんていうんですかね、広がりみたいなものがあるコンテンツっていうのは雑談的なものというか、もっと肩の力抜けたものとか、構成がそこまで細かく組まれてないものとか、予定調和でないものみたいな、そういうものの方が、人間が作るコンテンツとしては面白いのかななんて、僕は好みとしてそう思っています。

というわけで、今後も、決して聴きやすいコンテンツではないと思いますけども、その時、マイクを押して初めて考え始める。そういえば警察いなくなってるな。良かったですね、捕まらなかったです。そういうことを今後も配信、発信していけたらいいなと思ってます。というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。