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概要
影響力とはフォロワー数のことではない。何をしたかではなく、そこにいるということが人に影響を与えている。
全文
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9月11日金曜日、7時36分です。時々来る、もう何も喋ることないなっていう気分の夜ですね。8時配信はもう無理ですね。これ収録してるうちに8時過ぎちゃうかって。ここ1週間くらいですかね、すごい元気ないですね。多分雨のせいだと思うんですけど。結構ね、天気の影響を受けやすくて、暑かったり寒かったり、晴れてたり雨降ったり、そういうのの影響をすごく受けますね。ていうか、影響を受けやすいなと思うんですよね、僕はね、かなり。朝には朝の、夜には夜の、全然雰囲気の違うこの景色というかですね、空間からの影響というのをすごく受けますよね。
というわけで、最近は雨の影響で、うっすらずーっと鬱っぽいというかですね。なんていうんですかね。活動を、じゃあ一週間何してたかというと、別に特段めいってるような動きじゃなくて、いろんな人に会ったりもしてるし、いろんなところにも行ってるし。これだけ見るとですね、別になんということはないんですけど、気分がね、うっすら乗ってこないなーっていう感じですよね。逆に気分が乗ってる時って、特に何があったわけでもないのに、すっごいいろんなことが輝いて見えるというか、本当に何でもないようなことが。ちょっとこれ以上言うとトラブリューみたいになるんでやめとこうかな。
そうですね、最近インプットが多いですね。体験型のというか、ライブを見に行ったり美術館に行ったりして、すごくインプットの多い時期になってますね。先週?2週間前くらいかな、友達のライブを見に行きました。バンドのライブですね。20代前半の頃から付き合いのある、当時一緒にライブ出てね、一生懸命お互いプロを目指して頑張っていった時期ってのがあったんですけども、僕は早々に離脱してしまいましたが、その友人たちはですね、あれから何年ですかね、20年は言い過ぎですけど、15年以上ずっとバンドを続けて、今も第一線でというか、頑張っている。いつぶりに見たんだろうね、もうほんと十数年ぶりに彼らのライブを見て、いろいろ思うところありましたよね。
それに始まり、翌日は倉地久美夫さんってですね、これまた僕が福岡時代に弾き語りでライブ出演してた時とかに、時々ブッキングで何組かアーティストが出るみたいなのがあるんですけど、ライブって、今は亡きカフェ&バージジとかでですね、何度か一緒にライブをさせていただいた方なんですが。大先輩ですよね。この間ライブでMCで言ってたけど、62歳とか3歳ぐらいじゃないかな、そんなこと言ってた気がしますね。この人が本当に変わっている人で、僕が言うのもなんですけど、すごい変わっている方で、全曲チューニングが違うっていうね。ライブの3分の1ぐらいチューニングしてるんじゃないかなっていうぐらいチューニングをしてる人なんですけど、もうね、うまく言えないけど、オリジナリティの塊なんですよね。それも一緒にライブをした20代前半の頃ぶりに見て、15年前はただただすごいなっていう、圧倒されたばかりだったんですけど、今になって見てみると、普通のちょっと変わった弾き方の人っていうよりは、演劇を見てるかのような舞台芸術感がすごいあるなーって思いました。まあスタイルは弾き語りではあるんですけれども、ちょっと演劇っぽい感じっていうかね、セリフ調だったりとか、結構面白いなーって思いましたね。もうなんていうの、それ、唯一無二ってこういうことなんだなーってので、改めてリスペクトと言いますか。この人にしかできないことをやってるなーみたいなのを感じる時って、そしてそれが、市場の要請でというか、ニーズに応えてやる芸とは違って、本当に求められているかどうかとかじゃなくて、自分がそう表現したいからそう表現するんだっていう突き抜けている感じとかがね、すごく痺れましたよね。
前日に見た友人のライブはどちらかというと、20年かけて自分のこだわりと市場のニーズとみたいなところの妥協点をですね、ギリギリのラインをずっと探りながら20年来ている感じがしたんですけど、倉地さんに関しては一切の妥協を、別に良くも悪くもですけど、一切の妥協をなくですね、自分の表現を突き詰めているなという感じがして。長く芸を続けていくといっても、それぞれの進化の仕方というか、深め方があるんだなというのを思った次第ですね。どっちもそれぞれ刺激になるというかですね。これからまた音楽を再開しようかなと思っているところなので、すごく刺激になった週末でした。
その翌週かな、ロン・ミュエクっていうね、彫刻家になるのかなあれは、すっごいリアルな人間を作る人なんですよね。サイズ感が普通の人間とは違う、小人だったり巨人だったりするんですけども、でもめちゃくちゃリアルな人間を作るんですよね。毛穴まで再現するみたいな、まさにそういう感じ。特に、僕は芸術に精通してるわけでもありませんから、前情報もなくふらーっといったというか。もともとね、ポスターかなんか貼ってありますよね、六本木とかに。大体森美術館で展示やってるやつよね。それを見て、これ面白そうだなと思ってたんですけど、なかなかタイミングがなくていけてなかったんですけど、めいめいっていうね、ポッドキャストをやってますけども、めいめいのカンタさんから突然LINEが来て、ロン・ミュエクの展示好きそうだからぜひ行ってみてくださいって。そんなことあんまないんですけどね、この展示行ってみたらどうですかってLINEが来たんで、それで思い出して、そういえば行こうと思ってたやつだと思って。いつ終わるのかな、今月の多分ね、20何日とかで、シルバーウィークぐらいで終わるんじゃないかな、展示が。僕が豊岡演劇祭でもうその時期行けないから、そうするともう今しかないと思って、無理やり平日にねじ込んで行ってきたっていう感じなんですけども。
だからね、インプットみたいなものを何もせずに行ったんですけどね、すごい圧倒されましたよね。存在の力っていうのは感じましたよね。存在の力っていうのは、人間って存在するだけで影響を与えるよなっていうふうに思った。何とも言えない表情で、何とも言えないシーンをリアルに形作ってるんですけども、別に何とも言えないんですけどね、でもそこにそれがあるということで、すっごいいろんな気持ちになる。それはそこに、彫刻だから体ではないんだけど、すごくリアルだからね、体があると、そこに存在しているということで、めっちゃ影響を受けるよなって。今の社会ってやっぱり、自分が何者であるかとか、何をしたかみたいなことで評価されるけど、その評価されないものはどこかないものとされているというか、無視されている感じがするんですけども、でも実際はそんなことないなって。人間ってやっぱり物質的にね、そこに存在しているだけでめちゃくちゃ人に影響を与えるな、なんてことを考えさせてもらった展示でしたね。
すごい変な話ですけど、夜中目が覚めて、ちょっとトイレに行きたいななんて思って、トイレの方に移動していたら、廊下に知らない子供が立っていた。怖って感じじゃないですか、もしもそんなことがあったら。怖とかじゃないですよね、もう悲鳴を上げるレベルですよね。究極的には、存在が影響を与えるってそういうことだと思うんですよね。別に廊下に人がいただけですからね。何か危害を加えられたわけでもない。けれども、そこに人がいるということで、うわーってなるわけじゃないですか。こんなところにいるはずがないのにって。もちろん文脈があるからね、驚くんですけども、その場合はね。けど、あえて極端な例を言ってますけど、でもそういうことなんだと思うんですよ。駅のホームでぶつかってくるおじさんがいると、全く知らないおじさんだし、一生関わることはないんだけれども、でも前からおじさんが突進してくると、その影響をやっぱり受けますよね。道端を子猫が横切ると見とれてしまう。猫からすればただ歩いているだけなんですけれども、その存在にやっぱり影響を受けてしまうわけですね。だから意外と何かしたかどうかってことじゃない。思った以上にそこにいるということが誰かに影響を与えていたりするから。最近その影響とか影響力っていうとね、フォロワー数とかそういう話になりますけども、そういうことじゃなくて、いるだけで何らか影響を与えているなというのは思いました。思いましたというか、思ってはいたんですけれども、ロン・ミュエクというのを改めて作品として見ることで、やっぱり人ってすごいよなって。こういう顔をしてここにいるだけでものすごい考えさせられるなってことがあるなって思ったんで、存在のパワーみたいなことを感じさせてくれた展示でした。
先週の日曜日かな、大雨の日だったんですけど、バンドの練習があって、そのお昼2時からだったかな。バンドの練習の前にちょっと一個展示を見に行こうと思って、渋谷の、あそこは何美術館なんだろう、高島野十郎さんという画家の展示に行ってきました。これもほぼ前情報なくて。その前の週かな、公園で、それも雨の日でしたね、雨の代々木公園で、傘をさして来てくださった方がいて、遠方からね。今日は何用で東京にいらっしゃったんですかっていう話をしてたら、高島野十郎の、他の用事もあったんだけど、メイン一番楽しみにしてたのは高島野十郎の展示で、ついでに代々木公園近かったから公園にも来ましたって言っていただいて。じゃあ楽しんできてください、なんて言ってね、言ってたんですけど、そしたらね、その展示を見た後にその方からメッセージいただいて、高島野十郎の展示の中に、高島さんは孤高ではあったが孤独ではなかった、みたいな、その一文を見たときに、一文を見たときにというか、展示を見つつその一文を見て、上水さんっぽいなと思ったんで、とかっておっしゃってて。ちょっと分かんないけど、それは見てみたいなと、どんな人なんだろうと思って。展示が最終日だったのかな、バンドの練習の前が最終日、滑り込みで見に行ってきました。
この方は福岡県の久留米だったかな、久留米の方の酒造の息子さんで、裕福な家庭のエリートですよね。東大を首席で卒業してみたいな、エリートで、卒業後に突然、突然なのかな、突然でもないのかな、とにかく当時は明治生まれ、1890年生まれとかじゃないかな。それで当時大学に行って、久留米から東京に行って東大に行って、首席で卒業するって超スーパーエリートだと思うんですけども。当時大学に行くなんてね、誰でもできるもんじゃないと思いますからね。卒業したけれども自分は画家になるといって、画家になった人ですね。画家になったんだけども、画壇といいますか、すごい中央の名を馳せた画家たちと一緒に中心で活動するとかってことはせずに、そういった中心からは距離をとってですね、細々とというんですかね、自分のアトリエでずっと絵を描いて、知り合いに絵をあげてみたいな感じで、地味に生前は活動したという方みたいです。亡くなった後に評価がすごくされて、死後その画家としてものすごく社会的に評価された方ということみたいでした。今回は没後50年ですね。1975年に亡くなられたのかな、50年経ってその展示があったという背景みたいです。
中心から距離をとって自分独自の表現を追求していくみたいな姿勢っていうのは、すごく共感できるというか、グッとくるというか、いいねっていう。いいねって言うのもちょっと変だけど、すごい賛同しますっていう感じだったんですけど、一方でですね、全然やっぱ違うなと思うのは、家庭環境といいますか、そのバックグラウンドが違いすぎますよね。極貧かつほぼ中卒みたいな感じで、金もなけりゃ学歴もねえみたいな状況で、後ろ盾がなかなかない状態で。今はメンバーシップの皆さんの支えがあるんで状況が変わってきつつあるんですけれども、生まれながらにしてみたいなところでいくと、全然環境が違うなというふうには思ったんですよね。1930何年だったかな、かなり戦時中だと思うんですけれど、40歳の時にヨーロッパに3年間留学に行ったりとかしてるんですよね。その費用を身内が出したとか。だからその身内パトロンがいて成立する活動だなとも思っちゃったっていうか。良くも悪くも自由に自分の思想を守りながら自由にやるっていうことは、ベースに生命の維持みたいなところを何らかの形で確保しないとやっぱできないよなって、まあ当たり前のことを思ったって感じですね。パトロンの重要性みたいなことをすごく感じた展示でしたね。
実際問題ね、お金があって生活ができる安心感というか、安定感があった上でも何か表現を突き詰めるというのは難しい。それでも難しいと思うんですけど、ブレたりとかね、ストイックになれなかったりとかっていうのはあると思うんですけど、この方はね、生活基盤があった上での、ただ作品はすごくストイックな、ずっとロウソクを描いてるとかね、すごいストイックな人ですよね。なので、そこはちょっとね、いいなって思ったって感じかな。自分にその、死なない、なかなか死なないだけの経済力があったら、もっともっともっと思いっきり公園活動できるのになみたいな、もっともっと攻めの姿勢でいろんなことができるのになみたいな。ちょっとね、そういう作品とかご本人とは関係なくですね、コメントでね、近しいものを感じたっていう風に言われたんで、ちょっと最初から重ねに行ってたところはあると思うんですけど、自分と重ねて全然違うバックグラウンドみたいなところで、少しね、すぐ受け止めれなかった部分があったかもしれないですね。
だから作品云々よりも、パトロンの重要性っていうか、今メンバーシップを僕は始めてますけども、去年からですね、やっぱりいろんな方が支えていただいて初めて守られる表現とか思想みたいなものってあるなみたいな。これがサービス提供として対価としてのお金をいただいていると、表現とか思想を守るよりも、喜んでもらうために何をするかとか、そういう方向にどんどん行っちゃうんですけども、そうではなくて、自分の存在としての公園という表現、社会実験とも言えるかもしれないし、表現とも言えるかもしれないし、思想とも言えるかもしれないですけど、この活動を維持していくための、応援してくださる方、ぜひメンバーシップになってください、という感じのやり方というのは、やり方自体は間違っていないんだろうなということを思った次第ですね。しっかりとたくさんの方に応援していただけるようにですね、頑張っていかなければと思いますね。そこが自分の中でしっかりと安定感が出てくると、高島さんみたいに自分の突き詰めたい表現みたいなことをブレずに貫いていけるんじゃないかなと思ったりしました。経済力がないとやっぱりどっかで滅びるよな、なんてことを思った次第ですね。
この展示、バンドの練習の前に見に行ったっていう、言ったんですけど、バンドの練習に行ったら、バンドメンバーの水上さんが高島野十郎の展示に行ってたって言って、同じ美術館に行ったんかいってなりましたね。水上さんも上水さんみたいだなと思って見てましたとかっておっしゃってて、2分の2で言われたので。高島野十郎さんの作品ね、どこかで見れる機会がもしあればですね、ぜひ見てみてください。
今週はですね、杉本博司さんですね、写真家の杉本博司さん。この方はですね、これなんで僕は言ったんだろう、誰かとお話をしていた時に、この杉本さんの展示が、今回の絶滅写真だったかな、展示がものすごい賛否があると、賛否出ているんだと。なんで賛否があるかというと、写真展なんだけど、杉本さんご本人が書いた結構しょうもない短歌が全作品の横に書いてあると。それで今まで写真家としてもめちゃくちゃ絶大に評価されてたんだけども、この最後の最後と言ったら変ですけども、ここに来て親時間を全面的に出してきて、あれ思ってたのと違うなってなった人が結構いたとかいないとかっていう話で。全然僕は杉本さんのこととかも、もうそういうね、世界的に評価されてる方なんですが、僕全然わかんないので、どっちかというとその賛否出てるみたいなことを聞いてですね、それはぜひ見てみたいと思って行ってきましたね。
本当にね、全部の写真の横に解説と短歌みたいなのがね、書いてあって。しかしその短歌が、なんかね、本当おっさん、おっさん親父ギャグっていうか、なんでしょうね、なんであんなにおじさんを感じたのか分かんないけど、おじさん種がすごかったんですよね。おじいさんなんだと思うんですけど、年齢的にね、1948年生まれか、だからもう70後半だからね、もうだいぶじいちゃんですけど、親父短歌を添えて、みたいな写真展でした。写真はねめちゃくちゃかっこいいんですけど、その短歌が目に入ってきちゃって、賛否ある気持ちはわかるなと思いました。あれ、写真だけ並んでるのと、写真だけっていうか普通の美術館みたいに、作品名といつ撮られたかとか、ちょっとした解説みたいなあるじゃないですか、ああいうのとだけだったパターンと、今回みたいに親父短歌が横に添えてあるのとでは、全然違う展示に、受ける印象は全然違っただろうなということを思いました。2周しましたもんね。1周目は短歌とセットで見ていくっていうことをしたんですけど、短歌の、なんですかね、短歌がノイズで写真が入ってこないっていう感じでですね。1周目、出口の方まで来ちゃったから、これ出たらもう再入場禁止ってやつ、もう1回、本当は良くないと思うんですけど、一回戻ってですね、頭から今度写真中心に見ていくってことをしたんですけど、全然体験が違いました。長年というか、写真を見て、杉本さんすごいな写真、みたいな気持ちで来た人からすると、確かにあの短歌が台無しにしている感じっていうのはあったかもなぁと思いましたね。なんて書いてたっけ、ちょっとね、写真撮ったんですよね。1個読みたいですね。1個読むっていうか、まあそうね、読みましょうかね。どこにあるんだろう。ゴリラの写真があって、ジオラマですよね、博物館とかにあるジオラマで、ゴリラが住んでいる原生林みたいなジオラマを本当にリアルな世界化のように撮るみたいな、そういうコンセプトの写真だったんですけど、バシャッと撮っている写真の横に、ゴリラですね、で、短歌。ゴリラ班 遠い親戚懐かしや 空寝る遊ぶ 今も同じ。
この日はですね、展示を見てたときにメールが来まして、豊岡演劇祭の運営の方からメールが来て、大手町で今夜無料のトークイベントがありますと。豊岡演劇祭前にですね、フリンジプログラムに採択されたアーティストの方が、テーマがありましたね、なんてテーマだったかな、テーマがあったんですよ。テーマがありますよね、トークだからね。トークイベントなのにノーテーマなわけじゃないか。これか、「歩みと滞在の間で アーティストと観客が共に行くとき 立ち会われるもの」っていうね、テーマでトークをすると。無料だし予約も必要ないので、よかったらみたいなメールが来てたんで、ちょうど美術館がね、大手町から一駅のところにあったんで、美術館からですね、ご飯食べてその後行きました。行きましたというか、厳密には行きませんでした。会場の前に着くと、ガラス張りのおしゃれな、中が見えるような1階のスペースで、レイアウトがですね、なんて言ったらいいんですかね、椅子をぐるーって円形にして、丸く内側を向いて座っているみたいな。薬物依存症の方とかが語るやつあるじゃないですか、みんなで自分の体験をそれぞれ語るみたいな、ああいうイメージのレイアウトになっていて、ちょっとこれ入れないなと思いましたね。つまりトークイベントで話を聞きに行くつもりでいたんですけど、喋らないといけないやつだなっていう風に思ったんで、やめとこうと思いました。
ちょっとね、課題というか、反省というか、ありますよね。それってやっぱり演劇祭の関係者の方とかアーティストの方とかがいらっしゃるわけで、そういう場所でですね、直接コミュニケーションを取って関係を構築していくっていうのは、すごい重要なことだと思うんですよね。なんで地に足っていうプロジェクトを始めて、わざわざその公園活動を芸術の文脈で提案して芸術祭に出てるかっていうと、今自分の公園活動を、ポッドキャストを聞いてくださった方には届いていると思うんですけども、そうじゃない方になかなか存在が届かないので、ちょっと守備範囲を広げて、公園活動を知ってもらえるいろんな方法、嫌じゃない形でできるいろんな方法というのをですね、取っていきたいなと思ってやっているのに。ということはそこに行って、いろんな人とつながって、公園活動というのをやっていて、話をできるに越したことはないわけなんですけれども、その機会を自ら蹴ってしまったという。それは良くないことだったなと思っています。
ただ一方で、すごく閉じた、ちょっと矛盾するけど、アートって開かれたものだと思いますけど、一方ですごく閉じたものでもあるというか、すごい敷居が高かったりしますよね。今日はいろんな美術館にいたって話をしてますけども、本来何の知識もない、何の蔓延知識もない人が美術館に行って楽しめるのか、みたいな考え方もあると思うんですよね。考え方としては、それで作品を見たと言えるのかとかいう考え方もあると思うから。とかいう人がいることによって、結構そういう場所っていうのは敷居の高いものになってしまっている。分かる人しか見ちゃいけない感じがしちゃうとか、分かる人じゃないと語っちゃいけない感じがしちゃうみたいな、とか、分かんないのに語るってことがすごく恥ずかしいことのようになってしまうとか、っていう力がアートにはありますよね。アートというかアート業界というんですかね、開かれていると言いつつめちゃくちゃハードルが高いという自己矛盾を抱えているような気がしますが。
まさにぐるっと円になって、そういったアーティストの方とか芸術祭関係の方とかと話すっていうのは、ある種の、閉鎖性とまでは言わないけども、彼らが共有している文化みたいなものがあると思うんですよね。埋め込まれた前提といいますか。信号は赤だと止まるよねみたいな前提がね、でも国によっては信号って逆だったりするんですよね。赤が進めの国があるとかいう話もありますよね、みたいな。自分の中で進めだと思っているものが、相手からすると止まれかもしれないとか、そういう文化のすり合わせが全くできていない。少なくともすり合わせどころか、向こうは場を主催している人たちなので、こういう場ですというのがあるから、信号は青で渡るのか赤で渡るべきなのかが彼らの中にあると思うんですけども、僕は全く、アート界隈、もうちょっと絞って、パフォーマンスアート界隈とか演劇界隈とか、わかんないけども、そういう界隈が共有しているなんとなくなトーンみたいなものが全くわからないので。わからないとは知らないので、突然インタラクティブなコミュニケーションになると危ないなって思ったっていうのは正直なところですね。イベントを聞くんだったらよかったんですよ。別にイベントを聞いてて失礼になるようなことってしないじゃないですか。音を立てるとかさ、寝るとかさ、携帯ずっと触るとかさ、そういう当たり前のやっちゃいけないことというか、登壇してる人から見てやってほしくないことをやらなきゃいいだけだから、話を聞くのは簡単ですけど、一緒に喋るってなると、何気なく自分の当たり前を言ったら、相手にとってそれは信じがたいことだったりとかするかもしれない。すごくナンセンスなことを言ってしまう。知識も経験もないということはそういうことですよね。その適切な振る舞いというのがわからないから、自分なりに自然な振る舞いをしたら、相手からするととてもナンセンスなことを言うとか、ナンセンスな振る舞いをしてしまうという。それが僕が恥をかくだけならまだね、全然いいんでしょうけど、相手を攻撃してしまうことに、失礼になるようなことを言ってしまうこともあるかもな、なんて思って。そういう怖さがありましたよね。
だからちょっと、イベントに参加しなかったことを反省してですね、いろいろ美術史だったりとかね、演劇の歴史だったりだとか、アートのことをもう少しね、最低限会話で意図せず失礼なことを言わないように、最低限勉強していかなきゃなということを思ったという感じですね。別にうんちくを語れるようになるとかそういうことではなくて、いろんな系譜を踏まえておかないと。すごいね、やっぱり失礼なことを言いたくないですよね、その意図せず。意図して言う分にはいいっていうかね。ここはもう譲れないので自分の意見を言います、それ結果傷つくかもしれないけれども、これは私の意見だって覚悟を決めて言うのは全然、そういうことはあるでしょって思うけど、何の覚悟もないさらっと言った一言で、言葉で相手を殴っちゃったみたいなことになるのは、それはやっぱり避けたいですよね、なんてことを思いました。避けたいですよねとか、コミュニケーションを避けるしかなくなっちゃうんで、そうではなくて、しっかりと業界の掟といいますか、掟ってちょっと強いな、ノリみたいなものをしっかりと共有してですね、いろんな方とコミュニケーションを取れたらいいな、なんて思っているところですね。
というわけで、ダラダラと話しましたけども、最近はすごくインプットの多い1週間2週間だったかなと思っています。通行しているうちにですね、もう来週の今頃は豊岡なんですよね。早方ですね。兵庫県豊岡市で、来週の金曜、土曜、土曜ぐらいかな、1週間、7カ所ですね、公園しますんで、ぜひ遊びに来てください。本当に福岡と東京で活動することがほとんどになっちゃって、なかなかその他の県でレジャーシートを敷く機会というのはあんまりないので、この機に遊びに来ていただけたらと思います。スケジュールは概要欄の方に載せておきますので、概要欄の方からリンクを飛んでいただいて、豊岡演劇祭での公園のスケジュール、公園の公園のスケジュールですね、ぜひ見ていただいて、どこかお会いできたら幸いでございます。というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。