存在としての公園 第89回

甘え散らかす前の国語

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概要

しょうもない誤字脱字と説明不足が増えた。数年分の文脈を持つAIには3割で伝わるからだ。テレパシーに近いやりとりの裏で、10割書く筋肉が落ちている。国語を身につけている途中の子が、この読み取りに甘えたらどうなるのか。


全文

機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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10月5日月曜日、夕方6時15分です。体調がかなり戻ってきましたね。9割ぐらいですかね。昨日から平常運転というか、結構予定を入れて動いてるんですけど、昨日も割と元気ではあったんですけど、夕方になるともう疲れちゃったなって感じでしたけれども、今日はまだまだ元気なんで、だいぶもう戻ってきたなーっていう感じですね。今週から平常運転っていう感じで。もう二度と風邪をひきたくない。毎回、風邪をひいたり体調崩した後には思うんですけど、二日酔いになった時に二度と酒飲まないって言ってるのと変わらないかもしれないですけど、風邪、体調不良はないように気をつけたいですね。手洗いうがい、栄養のある食事、運動、きちんとした睡眠を意識していきたいなと思いました。

昨日の公園がすごく気持ちよかったですね。代々木公園で久しぶりにやりましたね。豊岡に行く前にやったっきりだったんで、1ヶ月とは言わないですけど、3週間か4週間くらい空いて。先週は井の頭公園で線香花火大会したんでっていうのもあって、ほんと久しぶりに代々木公園に行ったんですけど、春くらいからずっと代々木公園のイチョウ並木の広場で、日差しを避けるために木がある場所でと思ってやってたんですけども、この秋は毛虫が怖いと。僕の天敵ですよ、毛虫はね。イチョウの木は割と虫がつきづらいと言いつつも、まあ秋は怖いなと思って。あと、もう涼しくなったんでですね、そんなに日を避ける必要もないかなと思って、草むら、草むらなんですかね、広場があるんですよね、代々木公園の。原っぱみたいな。そこでレジャーシート敷きました。人はめちゃくちゃ多かったんですけど、とはいえ広さがあるんで、めちゃくちゃ開放感もあって、気候も涼しくて風が抜けてみたいな、すごーく心地の良い気候でした。

常連さんというか、よく公園に来てくださる方が、一人知人を連れてきてくださって。初めましての方ですね。連れてきていただいて、いろいろお話をしたというような会でしたね。そういう、僕のことを知らない人とも出会うみたいなことがちょっとずつ増えてて楽しいです。もちろん僕のことをポッドキャストで知ってて、やっと来ましたっていうね、ようやく来れましたみたいな人と出会うのも嬉しいんですけど、ちょっといろんな種類があるなと思うんですね。喜びの種類というかね。ずっと聞いてくれてた人に会えたっていう喜びもあるし、全く知らない人に出会えたっていう喜びもあるし、みたいな感じで、どっちも嬉しいんですけど、うまく言えないけど、種類が違うなっていう感じですね。1時間ぐらいで帰る予定だったらしいんですけど、結局最後まで話が盛り上がって最後までいてくださって、足止めして悪かったなという気持ちと、初対面だけど話が盛り上がってよかったなというか、弾んでよかったなという風に思いましたね。

昨日、午前中ポッドキャストの収録で、午後の公園の時には、体力的にちょっと疲れてたんですけど、公園が終わると逆に元気になりましたね。公園でいろんな人と話すと元気もらえるっていうか。僕も元気を、何ですかね、与えることができてたらいいなと思いつつも、僕自身すごい元気をもらうし、それこそ演劇祭で、すごい勇気をもらいましたみたいなコメントをもらったりとかもしたんですけど、その言葉に僕が勇気をもらうみたいなことがあったりとかして。純粋に、やってる活動って、参加してくださった方とか、集ってくださった方が喜んでくれると、それがそのまま自分の喜びとして返ってくるなーっていうのをすごく実感してますね。とてもいいことだなと思ってます。どっちかだけが疲弊していくみたいな構造になってないみたいなね。綺麗事じゃなくて本当に、来てくれた人が楽しく過ごしてくれたら自分も楽しい。どっちかだけが楽しいってことはないっていうか。

というのも、やっぱり役割を与えられてないからだと思うんですよね。どっちかが楽しませる側で、どっちかが楽しませてもらう側ってなると、楽しませてもらった側は楽しかったけど、楽しませた側は疲れたってことが起こると思うんですけど、公園って役割がない。目的がないから役割がなくて、役割がない中でただ人としてコミュニケーションを取る。それが楽しい時間であれば、ある程度双方にとって、必ずしもとは言えないけども、でもある程度双方にとって楽しかったり、双方にとって疲れる時間だったりっていう、その相互作用だと思うので、一緒に作り上げていくものだと思うので、やっぱり誰かが喜んでくれた時っていうのは、僕自身もそれはすごく嬉しい時だったりすることが多いんだろうなぁと思ってますね。イコールにまで言っちゃうと、ちょっと他者だから、ありえないんですけど、でも双方向で作り上げていくものであり、どっちかだけが楽しくて、どっちかだけが楽しくないってことはあんまり起こりづらい場だなぁとかっていうのは思ったりしますね。

とにかく公園に癒されて、夕方ぐらいから元気になって、昨日はぐっすり寝れましたね。今日はもう1日フルで仕事したけど、まだ全然元気っていう感じだから、本当、日常に帰ってきたなーという感じがしてます。ようやくですね。豊岡から帰ってきて10日ぐらい経つのか。帰ってきてすぐ体調崩しちゃったから、そこから回復して今に至るって感じなんで、ようやく東京に帰ってきたなというか、日常に帰ってきたなという気持ちです。

今日、ホームページをリニューアルしたんですよ。リニューアルというと大げさですけど、でも実際がっつり変えて。がっつり変えたんだけど、僕はAIにちょっとこんな風にしてほしいっていう、のび太くん状態ですよね、要望を伝えただけなんですけど、AIが頑張ってくれて、結構、映画っぽい感じっていうか。映画っぽい感じにしたいんだってことを僕が要求、要望を出したっていうのがあるんですけどね。すごいかっこいいホームページになったんで、もしよかったら概要欄から見てみてください。ぜひ見ていただきたいと思います。もう少し情報量を整理してシンプルにしたいなと思っているんですけど、デザインはすごいかっこいいなって感じに、満足のいく感じになったので、ぜひ見てほしいなと思います。公園のスケジュールとかホームページに結構載せてたりとかするんで、よかったら、いつ公園やってるんだろうみたいな情報はウェブサイトを見てもらったりだとか。あとは、Xとかは前日に朝やりますってしか書いてないんで、先々の予定を知りたい方は、ホームページか、もしくはインスタグラムのプロフィールページを見ていただくと、プロフィールページに直近何週間か分のスケジュール書いてたりとかもするんで、インスタグラムのプロフィール見るか、ホームページ見るかしていただけたらと思います。

増えてきているなあっていう、明確にそれを感じ始めているんですよね。友達にLINEをするとか、仕事でメッセージ、Slackとか、チャットを打つみたいな時に、明らかに誤字脱字で送っちゃうとか、ちょっと説明が足りなくて、文章だけだとよくわからんみたいなものを送っちゃって、送り直しだなみたいな、送り直しというか、編集して付け足さなきゃなみたいなことが、前よりもかなり増えてるなっていう自覚があります。これなんでなんだろうと思ったら、原因はやっぱりAIなんですよね。僕がパソコン上に膨大な自分の喋ったデータとか、いろんな活動のデータを入れて、それをもとにAIに何かものを作ってもらったりだとか、質問したりとかしてるんで、相当な文脈を持ってるんですよね。僕の数年分の活動データっていうのを全部持ってる。そういう相手に何か指示を出したりする時っていうのは、例えば何か伝えようと思った時に、1から10まで言わなくても伝わるんですよね。10まで言わなくても1で伝わることもあるし、3で伝わることもあると。とにかく十書く必要があることってほとんどないっていう状態になってるんですよ。

だからおのずと、3で伝わる人に十で書くっていうのは7ぐらい無駄になるわけですよね。無駄なことを人がしたくないから。したい人もいるのかな。でもより伝わるんだったら楽な方がいいじゃないですか。だから3で済むのなら3でいいやってことで、10のうちの3とかを伝える。文章量で言うとね、言葉数で言うと。その行間みたいなものは、AIが過去のデータからとか、これまでのやり取りから読み取って、だいたいこいつはこういうパターンでやるよなってことも分かってくれているので、伝わっちゃうんですよね。そして誤字脱字も全然もう読み取ってくれる。揚げ足取り的に、誤字、脱字、ここ間違ってますよとかも言ってこないし、もう誤字があったこと、脱字があったことはなかったことにして、指示がそのものを通って作業が進んでいくっていうことが起こってるんですよね。

1日の中で人にチャットをする量よりも、明らかにAIにチャットをする回数の方が多くて、多分3倍、4、もっとあるかな、5倍、分かんない。とにかくずっとAIには指示出し続けてるみたいな、起きてる間、みたいなところがあるから。友達と別にずっとチャットするとかはないから。用事があるときしか僕チャットしないんで。どうでもいいおはようみたいなチャットしないから。どうでもいいとか言っちゃいかんですね。用事がないチャットをしないので、人とチャットするよりも、AIとチャットしてる時間量が圧倒的に多いわけですね、1日の中で。そうすると、人に伝えるんだったら、関係性にもよるけど、10全部伝えなくても7で伝わるなとか6で伝わるなってことがあっても、なかなか3で伝わることはないなみたいなのあるじゃないですか。要は人に合わせて、関係性に合わせて、どれくらい自分のことを知っているかとか、自分との関係性があるかとかで、言葉の数って変わりますよね。長文打たなくても短文でニュアンスまで伝わる相手とかもいるし、仲がいいほど文脈がある分、言葉で説明しなくて済むっていうか、結構雑に送れるところってあるかなと思うんですけど、とはいえ人間に送るにしても6とか7は伝えないといけないなと思うんですよね。でもAIで3でやっちゃってるから、人に送ってるっていう自覚はあるんだけども、結果5だったり4だったりするって感じで、あーちょっと足りなかったなみたいな、足りないってことがよく起こってますね。あと誤字が多いです、本当にね。しょうもない誤字みたいなのが多くて、恥ずかしいなみたいな。AIだったら別に恥ずかしいとかいう気持ちじゃないけど、人に送って変な誤字があると恥ずかしいとかって思っちゃうっていう、そんな感じになってきています。

それやばいんじゃないですかって思われるかもしれないんですけど、ちょっとまだわかんないですね。例えば手書きをしなくなってきて漢字が書けなくなっている、それと一緒みたいなもんで、実際もう漢字だいぶ書けなくなっちゃってるんですけど、それをやばいって思うかどうかっていうのとあんまり変わらない。タイピングできなくなったらやばいんじゃないか。やばいのかもしれないし、やばくないのかもしれないみたいな。ちょっとまだ、そうですね、そこまで致命的な場面で誤字脱字をしたってわけでもないから。友人関係とかね、仕事で社内の人へのメッセージで誤字脱字があるとかなんで、まあまあちょっと恥かいたな、恥かいたなというか、恥ずかしいなと自分で思うぐらいのレベルで済んでるから、まあいいかなと思ってるんですけど、でもこれはどんどん加速していきそうだなとも思ってるんで、ちょっとまだ判断つかないけれども、とにかくこのチャットで文章を書く、パソコン上とかスマホ上で文章を書くということに支障が出始めているっていうのをすごく感じますね。

これを思った時に、ちっちゃい子とかは、あんまりAIとどっぷりコミュニケーションを取らない方がいいんじゃないかっていう気が僕はしています。それは、なんていうのかな、僕はまだ義務教育だなんだとか、幸いコンピューターがない中でやってきて、気合と根性で鉛筆でやってきたから、手で文字を書くとか、体で覚えてきたところがあるし、国語の授業をしっかりやって文章も書いてきて、それなりに正しい日本語というか、きれいな日本語みたいなことも義務教育レベルではしっかりやってきたかなと思っているんですけど、だからそれが分かっているから、できないは補完してもらえる感覚があるんですけど。要は自分側に誤字脱字があったとか、本当は10伝えるならこんぐらいだけど今回のこれって4だったなとかって判断ができるのは、自分で実際に、大変だけど本気出せば書けるという、その能力というか経験があるから判断ができるんだと思うんですけど、まだその日本語能力みたいなことが上達しきる前から、AIとチャットする、しまくるですね、することがまずいというよりは、しすぎるというか、AIとコミュニケーション、コミュニケーションというのかも分かりませんけども、AIとのやりとりにズブズブになりすぎると、まだ自分の日本語理解とかが義務教育修了レベルまで、つまり9年分ですかね、小学校1年生から中学校3年生まで、9年分ぐらいがっつり国語をやりきりましたっていうところに行き着く前にAIとどっぷりやっちゃうと、AIってやっぱ賢いんで、言葉足らずでも文法おかしくても読み取ってくれちゃうんですよね。読み取ってくれちゃって、文法が間違ってましたよとか訂正されるわけでもなく、当たり前に、ある種コミュニケーションが成立しているかのような回答を出し続けてくれるから。自分は永遠に誤字とか脱字とか、言葉足らずだったり説明不足だったりするものを、AIが補完しながらずっと成立している感じでコミュニケーションしてくれるっていうのは、やっぱり自分の国語力が育たないっていうかね、育たなくてもいいじゃんってことになっちゃって怖いなと思います。

AIの話じゃないですけど、時々、子供が、親子でいて、親と子がいて、子供に何か質問した時に、子供が一生懸命答えようとしてるんだけど反応速度が遅いみたいな時に、親が先回りして回答しちゃうみたいな、そういう人いると思うんですけど。親がずっと喋ってるみたいな。子供の気持ちを、本当に子供の気持ちかは知らんけども、子供の気持ちを代弁したふりをして、ずっと子供に問われてるのに親が喋っちゃう親とかいると思うんですけど、ああいうとこのお子さんって本当は喋れないんですよね。なんで喋れないかって、喋る機会を奪われてるから。ちゃんと自分の言葉で人に説明する機会を奪われてるから、全然説明する力が育ってないっていうか。そういうことって時々見かけるんですけども、それの読み書き版みたいなことがAIで起こりそうだなと思っていて。

僕は国語は大事だと思っている派というか、義務教育で一番大事なのは国語だろって思ってる。国語、算数はやっとこうよって思ってるっていうか。もちろん理科も社会も英語も大事ですけど、特に国語。国語が分かれば、究極、それこそAIに相談すれば教師になってもらったりとかできるけど、言葉が分からないと、もう何かを学ぶ土台にも立てない感じがするなと思うんで、国語は割と根詰めてちゃんとやった方がいいんじゃないかなと思っている派なんですよね。その国語を学ぶというか、自分自身が体に染み込ませていく文法だったり、いろんな過不足な情報を伝えるみたいなところで、どれくらい情報が必要なのかとかいうこととかを、書いたり読んだりする練習をしないと、そこら辺育たないんじゃないかなと思うんですよね。

正直もう僕は書けないっていうか、書けないっていうのは、書くハードルがやっぱ上がっていってるんですよね。間違いも増えてきたし、手書きが書けなくなったのも、タイピングが楽だから手書きでしなくなったっていうことだし、AIが3割で伝わるんだったら10書くっていうことをしなくなるから、10書くのが大変になってくるっていうことだと思うし、やらないことってやっぱり筋肉が落ちてくるなと思うんで、書けなくなっていく。けれどもやっぱり書いた経験とかを持っているから、まだ判断がつくっていうのが救いだなと思ってるんですよね。けどやっぱ、自分でやってこなかったものっていうのは判断がつくのかっていうのはちょっと疑問に思うので、ちっちゃい子がAIどっぷり使うのは怖い。そういう意味で怖いなっていう。小さい時から慣れ親しんで、AIネイティブとしてね、AIを使って何かを作り出すとか、AIとともに何かやっていくっていうのに慣れ親しんだ方がいいでしょっていう側面もあると思うんですけど、僕は意外と国語の面から、全然伝えれてないのにAIが読み取っちゃって、AIのすごい読解力により何か伝わっちゃってるみたいなことの怖さがあるなって思ってますね。

もう少し時代が過ぎて、あと数年経てば、僕の予想ではですけど、こういうスマホみたいな端末でチャット画面にチャットを打つみたいなこと自体が、旧石器時代みたいな話になるのかなと思うんですよ。あの窓に文字打ち込んでたの?みたいな時代が割とすぐ来るかなと思ってるんで、今、国語力を育てないといけない時期に、国語力が育つ場面を奪われるっていうのは結構危ないかなっていう。その一番重要な時期に。だから、すごいちっちゃい子、まだ国語とかそんな読み書きしないよっていう子とかは、AI使うより外で遊んだり、誰かと一緒に遊んだりとかっていう、もっと体を使って走り回ってたらいいんじゃないかなと思うし、小学生とかに入ってて、そういう勉強として国語とかね、言葉を覚えるフェーズに入っている子は、やっぱ時間制限設けてですね、そのAIを触るにしてもね、制限設けて、あんまり言葉足らずで伝わるみたいな経験を、成功体験を積みすぎない方がいいだろうなっていうのは最近思っているところです。

本当もっと先に行って、AIが空気のようになる世界というか、チャットの窓に文章を書くみたいな、今みたいな仰々しい感じじゃなくて、もっとこう、何ですかね、分かんないけど、とにかく空気のような状態。自然と誰かと喋るかのように、24時間というか起きてる間中ずっと、いつでもAIを呼び出せるような状態でコミュニケーションを取れるようなとこまで行ったら、ちょっと話は変わりそうな気がしますけども、やっぱ僕の感覚では、今チャットの窓に文字を書いてるっていうコミュニケーションがちょっと異常なんだろうなっていう感覚が最近芽生えてきてるのと、やっぱそれを過度に読み取ってくれる知能っていうのに甘える怖さ。僕はもう甘えますけど。甘え散らかそうと思ってますけど、もうどうしようもないんで。残りわずかな人生ですから、思い切り甘え散らかせて楽しくやっていこうかなと思ってますけど、まだこれから国語を習得、上達していかないといけないっていうフェーズの子たちが、ろくに日本語能力、日本語だけじゃないけど自分の母国語ですよね、上達しないまま過度に読み取られて、反応してもらえる、動いてもらえる状態っていうのは、いや本当、結構国語の危機なんじゃないかなと思ってますよ。

言葉がやっぱね、言葉持ってない人って、対人間とのコミュニケーションになった時に、割と難しさがあると思うんですよ。伝えたいことが相手に伝わらないから、イライラしちゃったり悲しくなっちゃったりとかして、その結果、情緒的にもというか、感情的にもすごく嫌な思いをすることが増えて、そうすると、いつも怒っている人とか、いつも悲しんでいる人、ネガティブな人みたいに、面倒くさい人とか、何言っているか分からない人みたいに思われちゃって、人とコミュニケーションがどんどん取りづらくなるスパイラルに入っていたりもするかなとかも思うんで。言葉が全てとは全然思いませんけども、でも誰かとコミュニケーションするときに言葉がわかるとか、伝え方のバリエーションがいっぱいあるとかっていうことは、円滑に人と関係を築いていく上でもとても重要なことかなと思うんで、それが言葉足らずであるとか、言い方がすごいきつい言い方しかできないとかだったりすると、やっぱり人間関係も形成していけないから。

特にこの数年、まだAIが社会を変えていくとはいえ過渡期じゃないですか。何かのデータで見ましたけど、アメリカの全世帯のうちAIに課金している人が2%ぐらいだっていうデータだったりとか、日本のデータだったら、無料の生成AI、ChatGPTとかの無料で登録している会員のうち有料契約しているのは2%だとか言われているから、結局数%の人しか、日本に至っては数%もいないかもだけど、ちゃんとAIの恩恵というか、今のAIがどれくらい賢いかみたいなことを体験していない、経験していないということだと思うんですよね。っていう時代に、一人先取りして、例えば4歳の子が、6歳の子が、有料のChatGPTとかとずっと会話してたら、確かにChatGPTは賢いんだけど、その子がバカになるみたいな問題はありますよね。だから、みんながみんなバカになった後だったらいいと思うんですけど。とか、もうチャットの窓に何か書くとかない、読み書きのない世界というか、もっと読み書きの比重が下がって、ずっとおしゃべりしてるかのように身体的に何かやる感じだったら、結構AIと共に生きてても、要はエージェント的に、人と人の間に入って通訳してくれるみたいなところまで行くだろうし、そうすると言葉足らずだろうがサポートしてくれるとかありそうな気がするから、結構先の方まで行くと、あと数年とか10年とか見ていくと、何とでもなるんじゃとか思いつつ、逆にこの数年、先取りしたがゆえにバカになるみたいなのは、結構気をつけた方がいいんじゃないかなっていう風に思っています。

本当分かりやすい話、洗濯機があるから洗濯板で洗濯できないしみたいな。何ですか、ガスコンロあるから、別に自分で石をこすりつけて火をつけたりとかもしないし、僕キャンプにも行かないから、自分で火打ち石みたいなやつで火を起こせないですねとか、草をねじって木でこすって火を起こすとかさ、ああいうのできないんですよ。退化してますよね。やらなくなるとやっぱり退化しちゃうので、10割伝えなくても3割で伝わるな、1割で伝わるなみたいな生活してると、3割とか1割しか伝える力がなくなっちゃう。僕は少なくとも、書くという、チャットで文章書くみたいなことに対しては、そうなってきている。やばいなと思うんですね。

喋りに関しては、幸い、こういうポッドキャストをですね、この番組だけじゃなくて、毎朝の朝礼だったりとか、あとは友人たちといろんな番組やってるんで、喋るっていうところの筋肉みたいなのはずっと日々トレーニングできてるなっていう感覚はある。あと公園でも人に会いますしね。その会話的なところの話す聞くに関しては、すごく鍛え続けている感覚はあるんですけど、書くっていうところが本当にもう著しく劣化してるなっていうのを感じるんで。それはやっぱり今年に入ってから特になんですよ。去年まではまだ、何ですか、ChatGPTだとかClaudeとかのアプリ開いて、そのアプリの窓に何か書いて返事が返ってくるみたいな、議事録の、何か会議のメモ、録音とかを渡して議事録書いてもらうみたいな、そういう一対一対応の何かみたいなのだったんですけど、今年ぐらいからはもう本当にパソコンのデータにアクセスさせて、そこからいろいろとかやってるから、僕の膨大な記憶を持った上でいろんなタスクをやってくれるとかなってくると、本当もう文脈がすごいんですよ、文脈情報が。だから本当、1割で伝わる、3割で伝わるっていうことが増えてるし、どんどんどんどん文脈が蓄積されていく一方なので、もう本当、3割も伝えなくて良くなっていく、1割で伝わっていくみたいなことが増え続けていくと思うと、僕のAIへの指示みたいなことがどんどん、もうよくそれで分かるなみたいな指示になっていくと思うんですよ。もうテレパシーに近いというか、よくそれでこのAIは理解したなみたいな、ここまでよく仕上げたなみたいな。

実際、さっきホームページリニューアルしましたみたいな話しましたけども、それも元のホームページを見せて、これも映画みたいな感じにしたいんだよねみたいな、そういうすごい雑なことを言って、ABC案考えましたとか出てきたのに対して、うん、A案かなとか、それを何回か、こっちかなあっちかなとか言っただけですからね。全然言葉足らずですよ。言葉とかじゃなくて、どうしたいかっていうイメージだけを伝えただけっていうね。っていう世界に来ちゃってるんで、自分がどういう状況にいるかで、やっぱりどれくらい使うべきかみたいなのは、結構考えた方がいいなって思ったりしたっていう話ですね。

もし僕が今、何歳くらいかな、ゼロから、どのくらいかね、10歳とか、12歳かな、小学校の間までは、AIをどっぷり使わせないだろうなって。もし自分に子供がいたらね。YouTubeとか、ああいうのに視聴制限かけたりするじゃないですか、何分までみたいな。ああいうイメージで。AIを禁止まではしない。使った方がいいと思うし、どんなことができるんだっけみたいな、AIのこと全く知らないというのも怖いから、触ってみるとかはやってほしいけど、AIありきで全部進めていくみたいな、僕みたいな状態に絶対なってはいけないと思いますね。今のまだ日本語を学んでいるタイミングで。っていう風に思ったりしたというお話でした。ちょっと僕が思ったっていう話なんで、教育的にどうかなんてことは別に。今始まったことですから。この生成AIが今のレベルに至ったっていうのは今始まったことですから、それによってどうなるみたいなデータが当然結果として現れるのは、これから5年後10年後って話だと思いますんで、信じるか信じないかはあなた次第ということで。もしそうだなって思った方は、子供のAI利用をどれくらいにするのがちょうどいいのかな、みたいな観点からも考えてみるといいのかもな、なんて思ったりしました。

というわけで本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご安全に。