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概要
先週、天気が崩れ、気温が下がり、気分が落ち込んでいた。どちらが強いかの話に疲れた。そうでない世界を望む。世界に発信する。1%の誰かの価値観に1%影響できたら、それは意味のあることだろう。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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5月25日月曜日、朝7時21分です。朝礼を終えて、そのまま収録を開始したところですね。今日は久しぶりに天気が良くて、すごく気持ちが良い朝ですね。先週の木曜日ぐらいから雨が降ったり、気温がめちゃくちゃ下がったりと、結構、夏日が続いてたのに突然また冬かなっていう寒さ、冬かなは言い過ぎだけど、ちょっと肌寒いなぐらいの寒さにもなるし、なんだかねっていう感じの週末でした。なんだかねっていうのは、僕のその気分ですかね。
今朝、この天気が良くなって、体調も気分も良いなと思った時に、改めて、自分がいかに雨とか晴れとか、寒いとか暑いとかの影響を受けやすいのかってことに気づきました。とにかく気分が天気で決まると言っても過言ではないのかもしれないと思っております。特に僕の場合、公園に行ったりとか、今だと毎朝太極拳をしに行ったりとか、外にいるってことが多いので、より影響を受けますよね。家の中にずっといるわけじゃないんで、そこがやっぱりあるかなと思いますが、めちゃくちゃ天気の影響を受けますね。
昨日、代々木公園で公園だったんですけど、ちょっと変な感じだったんですよ、自分自身。体調がやっぱり優れないというか、風邪とかそういう感じの優れなさじゃなくて、なんか頭が重いというか、気分が重い感じで。誰か来たら元気をもらったのかもしれないですけど、昨日は誰も来なくて、気分も沈んでたんで、あーって感じで。代々木公園でnoteを書いてたのかな。
最近、そうなんですよ、最近noteで太極拳の日記というか、日々の出来事を書くようにしてて、夜明けの套路っていうマガジンを始めたんで、もしよかったら読んでいただけると嬉しいです。これは僕が毎朝太極拳に今行ってる、その出来事を、何を習ったかとか、そういう自分のための記録でもありながら、読んでもらってその時の情景が浮かぶように、どんな雰囲気でどんな会話をしてるんだろうか、太極拳の様子みたいなことをお伝えするような記事なんですけど、なるべく毎日書いていきたいなと思ってます。が、早速、金土日と3日、滞っているので、どうしたもんかなって感じですけど。
まさに、気分が落ち込むと文章って書けないんだなっていう。落ち込んだ文章を書こうと思えば書けるのかもしれないですけど、書きたいものがあるけど、それをこの気分で書くのは無理だなみたいなのはありますね。ポッドキャストとかは別に落ち込んでる時とかでも喋れるんで、喋るのと書くのでは負荷が違うんだろうなってことを感じましたね。結構、書くのには負荷がかかるというか。それは感じます。
最近、全然自分で文章を書いていないので、AIに書いてもらったものを手直しすることが多いので、この夜明けの套路は全部自分で書くというところで、文章のリハビリとか、脳に負荷をかける、ちょっと筋トレ的な意味も込めてやっていけたらいいかな、なんて思っているところですね。
あとは、不謹慎だと思うんですけれども、ご高齢の方たちと一緒に太極拳をしてるんで、やっぱりこの10年20年みたいな時間軸で見ていくと、いつまで一緒に太極拳をやれるのかっていうのは分からないっていうのは、現実的なところとしてあるので、今、この日々っていうのをしっかり記録に残していって、あの時ああいう話したなみたいな、思い出にもなったらいいなと個人的には思って書いてますね。
あとは、自分の成長かな。太極拳を今、全然分かんない中でやってるけど、これを3年後5年後って読み返した時、あの頃はこういうことでつまずいてたのかみたいな、その時の自分の状態が記録されてる、レベルみたいなものが記録されてると、どういうスピードで成長していったのかとか、どういう過程で成長していったのかってことが見返せるのでいいかなと思って書いてるってことですね。
で、3年日記っていうね、日記を書き始めたみたいな話も、3月頃にこのポッドキャストで告知したと思うんですけど、3年日記っていうのは、2年前の今日、1年前の今日の日記を並べて掲載するっていうような企画だったんですけど、Notionに素材がいっぱいあるって思い込んでたんですが、いざやってみると思いのほか素材がなくて、カレンダーは残ってるけど、文章でいろんなことが残ってないみたいなことになり、そうすると、記憶で補完する領域が多すぎて、記録がないからね、そうすると3年前2年前1年前、本当にそうだったっけってことが怪しいみたいなことになり、だったら3年日記の価値ないなっていう状態になっちゃって、一旦とんざしてますね。
なんで、3年日記っていう企画自体、僕はすごく気に入っていて、3年分並べるとその3年間の自分の変化みたいなものがパッと見えるっていうのは面白いなって思ってるんで、また、3年後ぐらいですかね、ちゃんとデータが揃ったらまた再開したいなというふうに思っています。代わりにといってはなんですけども、太極拳日記、夜明けの套路、日々の僕の太極拳の様子っていうのを文章で、noteで書いていこうと思ってますんで、もしよかったら、読んでいただけると嬉しいです。今のところ無料で公開してますけども、どういう感じにしていくんだっけ、このnoteはっていうのは、まだ全然わかんないので、当面無料で記事を出していこうと思ってますんで、読んでいただけると嬉しいです。
そうで、昨日の公園ね、話を戻して。昨日、代々木公園で、なんか気分が優れないなと思いながらも、そして誰も来なかったんで、その夜明けの套路の記事を、木曜日分かな、書いたりしてました。で、記事を書き終わったぐらいかな、ちょうど、あれは何歳くらいなんだろうな、5歳とかかな、5、6歳くらいの男の子と、3歳すぎか4歳くらいの女の子、兄妹ですよね、にめちゃくちゃ絡まれて。
本質的なことを聞いてくるんですよね。一人で何してるの?って。一人で確かに何してるんだろうなって思ったんで、今、ブログってわかる?みたいな、noteってわかる?みたいな。わからない。ブログみたいなやつ。わかんない。とにかく文章を書いていましたっていう話をして。
そしたら今度、僕、公園の映像ね、カメラで撮ってるじゃないですか。カメラ撮って何してるの?って言うから、これは何て説明したらいいんだろうなと思って、いや、活動の記録だよって。活動って何してるの?って言われるから、確かに。公園にレジャーシートをしているっていう活動だよって言って、ふーんみたいな、よくわかんないって感じなんですよね。
でまた、なんでカメラ撮ってるの?って言うから、あ、カメラ撮ってどうするの?って言ったから、これはYouTubeにあげるんだよって。ポッドキャストとかなんだとか言っても、ちょっとわかんないかなと思ったんで、YouTubeにあげるんだよとか言って。そしたら、YouTubeはなんていう番組?って言うんで、存在としての公園っていう番組だから、よかったらとか言って、番組の宣伝をして。うーん、聞いたことないな。そりゃそうでしょうねみたいなことを言いながら、子供たちとコミュニケーションをして。
そしたら、だんだんカメラに興味が移ったみたいで、ちょっとこれ、カメラ触っていい?とかって言って、カメラのアングルをずっと調整。お兄ちゃんが調整した直後に妹がそれをずらすと、あー、ずらしちゃダメだよとか言って、またカメラを動かすっていう。で、ちょうど今、真ん中にセットしてるからとかって言って、子供たちとのコミュニケーションに癒されましたね。
ただ、その中で1点、なんでしょう、気になった会話があって。スマホ2台持ってるの?って言われて、あ、2台持ってるよみたいな。そのカメラで撮ってるのと、僕が今、手元でその文章を書いてたスマホがあったから。そのスマホって高いの?って言うから、ちょっと正確な金額を覚えてないけど、多分20万ぐらいしたんじゃないかなとかって言って。え?20万円?僕は9千円持ってるよって言い始めて、9千円じゃ買えないよね?って言うから、そうだね、買えないねみたいな話をして。じゃあスマホ2台持ってるからお金持ちだねとかって言われて、お金持ちかって言うと、どちらかというとお金は持ってなくてですねみたいな話を、結構、子供とするっていうね、話でございまして。
これだけ聞くと可愛らしい会話だなって、僕もその瞬間は思ってたんですけど、帰り道、ふと思ったんですよね。大人でもそういう会話してる人いるなみたいな。え?そのマンション、いくらしたの? 2億。え?2億?自分900万しかないからな、みたいな。そういう話ってあるなっていうね。もう、そういうのやめにしようよって思いますね。
うん、本当に、例えばスマホを検討してて、買おうと思ってるんだけどいくらするんだろうか、で、20万するんですよっていうね、あー、今9000しかないから貯金しなきゃなっていう、現実的にそれを検討してるみたいな話だったら分かるんですけど、単純に、それいくらぐらいの価値があるものか知りたいみたいな、で、どっちが大きい小さい、上下みたいなのが、もう5歳にしてですね。もう、そういうの嫌だなと思いましたね。大人もやってるなって。
別にね、人それぞれじゃないですか、そんなもの。自分に必要な家が安い狭い賃貸でもいいと思うし、自分に必要な家に住んでたら、それでいいんじゃないかなって思う。自分に必要なものを持ってたらそれでいいと思うし、自分に必要なことをやってればいいし。大きいか小さいかみたいなことでやっぱり判断するのは、本当にね、あの頃からあるんだな。もしくは、あの頃、小さい頃からだからこそ、より強いか弱いかみたいなことに敏感なのかなとか思ったりしますよね。
だから、友達の子供が、どっちが強いかを競うというか、巨大カブトムシとクマが戦ったらどっちが強いかとか、バトルものの映画みたいな、ずっとトーナメント形式でいろんな生物が戦っていくみたいな映画をすごい喜んで見てる、で、親の自分は何が面白いのか分かんなかったみたいな話をして。確かに、小さい頃ってどっちが強いかとか、どっちが大きいかとか、自分も好きだったかもしれないなとかって思うんで、本能的にというか、生まれながらにして、そういうどっちが強いか、どっちが大きいかみたいな、男子は、オスはそういうところがあるのかなって思ったりするんですけれども。
けれども同時にね、頭を使うこともできるわけですから、考える力ってものが人間にはあるわけですから、大人になっていくにつれて、いろんなことを、経験も含めて、そして知識も含めて蓄積されていく中で、単純な指標でどっちが強いか弱いか、大きいか小さいかとか、どっちが偉いか偉くないかなんてことは、複雑な認知ができると、そんなものは存在しないってことに気づくはずなんですよね。どっちが強いか弱いか、どっちが優秀か無能かみたいなことは、限定的な場面でしか現れないと思うんですよ。
例えば、リングの上で殴り合うってやった時に、確かにどっちの方がパンチ力があるかとか、体力があるかとか、その技術があるか、そのパンチをかわせるかとか、パンチを当てる技術があるかとかね、そういうボクシング的な、ボクシングに求められる能力を持ってる方が強くて、持ってない方が弱いって、当たり前のことですけど、そうなるわけじゃないですか。けど、その人たちがリングを降りて将棋をやった場合に、どっちが強いかって、別にボクシングが強いから将棋が強いわけじゃないわけですよね。
そういう、バトルものだけじゃなくても、例えば晩餐会、僕は現象の晩餐会っていう食事会を開催してますけども、10人ぐらいでレンタルキッチンに集まって、じゃあ料理作りましょうって言ってやるわけですけども、その時に、例えば僕は料理ほとんどできないから、その料理という意味においては無能なわけですよね。技術もない、知識もない、経験もないから料理ができない。じゃあ人として無能ですかっていうと、また別ですよね。料理ができないっていうだけじゃないですか。
だから、その限定的な場面においてそうでしかないよねっていう、その物の見方っていうか、相対的であるってことですよね。状況に応じて、何が秀でていて何が劣っているのかってことは、とにかく条件でしかない。だから今、仕事ができるねとかいうのも、その仕事、今の仕事を取り回っているいろんな環境がどうかっていうだけの話で、その条件がガラッと変わるとそうでもないみたいな。例えばゴールドマンサックスでめちゃめちゃ成績優秀ですみたいな人が、建設現場で優秀かっていうと分かんないじゃないですか。
仕事ができるとかいうのも、カッコでね、ある条件下において仕事ができる。そのカッコを分かった上で仕事ができるねって言ってるんだったらいいけど、真に仕事ができる人みたいに思ってると、それは大間違いだよっていうことですよね。高いところのものを取ろうとすると、僕みたいに背が高い方がいいから、そういう意味では僕は有利だけども、低いところのものを取ろうとすると、僕は背が高いから、結構しゃがみ込むのめんどくさいっていうね、より小柄な人の方が低いところのものは取りやすいわけで。そういう、ものを取る一つ取っても、どっちが優れてますかなんてことはなくて、もうそれは、高いところのものなんですか、低いところのものなんですかっていう話になるわけで、あんまり意味がないですね。
だから、20万円のスマホを持っているのは、たまたま僕がそういうガジェット好きであるっていうところで、お金も大して持ってないけど、そういうパソコンとかスマホとかはいいものを使うっていうだけで、じゃあ他のものもいいもので固めてるかって言ったら、別にそんなこともないっていうかね。あと、外食にもそんなに積極的にいかないのは、多分、一番はお金がないからだと思うんですよ。お金が無尽蔵にあったら、多分、料理もできないから毎日外食した方が楽だから、近所のお店で毎日食べるんじゃないかなと思うんですけど、そんな毎日外食するお金ないしなって思うと、家で食べるっていうことですよね。
だから、お金ないんですよ。お金ないけどスマホを持っているとお金持ちだねって、子供が言ってることですから、別に、そうだねっていう、可愛いねっていう感じなんですけど、あのまま大人になったとしたら、というか、そういう大人が思いのほかいるなと思った時に、ゾッとしたっていうお話ですね。あのまま大人になってる人、ほんと結構、男性によく見るんですよね。どういうことなんですかね。どっちが強いか、どっちが大きいか、知らねえよって感じですよね。だから何なんだっていう感じかな。従業員数いっぱいいる会社です、知らんがなって感じです。という、子供たちに癒されつつも、そういう大人がいるなぁと思うと、嫌だなぁという、嫌な気持ちになりながら帰った日曜日でした。
でもそれも、今日の朝になってみて思ったんですけど、天気が悪かったからだって。僕、金、土、日と天気が悪くて、気分が落ち込んでて、実際、頭が重い感じっていうか、体調が優れない感じもあって、とにかくどんよりしてた週末だったからだなぁと思いました。もう少し、今日みたいなテンションで接してたら、また違った気持ちにもなってたからなぁと思うし。
さっき、状況によるよねみたいな話をしましたけども、結局これ、天気によるよねみたいなのもあって、それによって体調によるよねみたいな、そういう変数に常に晒され続けていて、全てのものはその時に現れた奇跡の、その瞬間にしか現れなかった現象であるというのは、僕がこの現象を作った、株式会社現象という会社を作る頃によく考えていたことで、偶然そうであるということですね。
今日も、今、東品川海上公園という公園で収録してるんですけど、今日、本当は別にここで撮るつもりはなかったんですよね。けど、太極拳の指導がたまたま盛り上がって、だいたい6時半か6時40分の間に終わるんですけど、すごい盛り上がっちゃってて、先生のテンションが上がってて、7時前5分くらいまでやってて。僕、7時から朝礼をやってるんで、結構ギリギリになっちゃって。この公園でやるとみんないるから、何を配信してるんですかと言うと、マジでややこしいから、場所を変えないといけないけど、でも近くの公園といえばって言って、東品川海上公園に移動してきたっていう、そういう経緯だったりするんで。
偶然が重なって、たまたま今ここにいると。そして、日光ね、気持ちいい川辺で、ちょっと暑いぐらいではあるんですけども、気持ちいい、あったかいなーみたいな。この気分だからこそ、今こういうテンションで、こういう語り口で話してるっていう。全部、別に計算していたわけではなくて、今日この時間ポッドキャスト撮らなきゃなってことぐらいは決まってましたけども、その他の、このロケーションでこういう話をしてとか、そういうのを全然演出してやってるわけではないっていうところが、一つの、その時にしか立ち上がってこない現象だなと思って、それを記録しているという、その面白さみたいなことを僕は感じてるんですけど。
偶然に起こったことから起こってくる、また偶然みたいなのが、40年、僕の場合蓄積されているので。小学校、保育園の時かな、保育園の時に警察官になりたいですとか、そういう自分はもうとっくにいなくなってるし、中学校高校生の時に憧れてたミュージシャンみたいな自分も、今の自分とはちょっと違う。例えばあの頃は本気で世界を変えられると思っていたし、自分のこのビジョンみたいなものを世界に届ければ、きっと世界が変わるみたいな、本気で信じてたと思うんですけど、それも今となっては、いろんな人がいるからねっていうところで、世界は簡単に変わらないというか。
こういうとね、全部が無駄なんですかとか、でも影響力ある人いるじゃないですかとか言う人いると思うんですけど、まず、全部が無駄だとは思ってないし、影響力を別に否定しているわけではないっていうことですよね。後者の方からいきますかね。その影響力については、それは確かにあるだろうと。政治とかでも例えばね、アメリカの大統領がなんか言ったことがものすごく影響する、世界に影響しているわけじゃないですか。世界変わってるじゃないですかって思うと思うんですが、果たしてじゃあ、その大統領が思ったように全部がコントロールできているかって言ったら、そんなことはない。
ただ影響力があるだけで、確かに状況が変わってるんだけども、でもその状況は意図した方向に全部変わってますかっていうと、いろんなイレギュラーが発生してるはずなんですよね。相手が思った通り動いてくれないなんてことはざらにあるわけで、むしろ逆方向に振れちゃったとか、あるものをプラスにしようとしたのに、それがマイナスになっちゃったなんてことが起こるわけですから、影響する力はあっても思い通りにできる力ではないというところであることは、伝えておかなければいけないというか。
だから、僕が世界を変えるって言ってるのは、例えばAからBに変えたいのに、それを一生懸命AからBだよねってことを伝えたとしても、結果AからCとか、AからDに行っちゃうってことはざらにあるっていうかね。Bに行かんのかいっていう。でも確かに世界に影響はしたんだが、かえって僕が世界をBにするためからすると、遠い方向に行ってしまったみたいな。AとBの距離の方が、まだDとBの距離よりは近かったみたいなね、より理想からかけ離れた世界にしてしまったなんてことが起こりうるから、影響力を持つっていうことが必ずしもね、世界をコントロールするってことではないっていうことですよね。影響力は影響力でしかないということ。
そして、じゃあ意味がないんですかみたいな話で言うと、意味はあるかなと思ってますね。意味は難しいな。世界に意味はないとか、その話とは別の話ね。何か自分が意図して何かをやることっていうことに意味がないのかっていうと、そんなことはなくて、意味があると思ってますね。例えばこのポッドキャストとか、僕の公園活動を、僕は僕の言葉で、僕の体で表現して伝えていってるわけですね。それは別に200万人には届かないけども、届いた人たちの中で一部ですね、やっぱり公園活動っていい活動ですよねっていうのが伝わってる人が、このポッドキャストが届いてるうちの何パーセントかちょっと分かんないけども、そのうちの何パーセントかの人には届いてるなって思うんですよね。
そうすると、その何パーセントかの人の中には、その存在としての公園という世界観みたいなものが頭の片隅に、1パーセントかもしれないけども、頭の中にその価値観みたいなものがあるわけじゃないですか。だからそれって、すごいことだなと思うんですよ。自分が何か言った世界と言わなかった世界で、誰かの頭の中の1パーセント、価値観に影響を与えてるってことはあるから、当然無駄じゃないかなと思ったりはしますね。
世界を変えるって言うと、全員が全員、例えば今の話でいくと、価値観を1パーセントとは言わず、70パーセントぐらい僕が言ってることを理解してもらい、行動も改めていただくみたいなのが、多分、世界を変えるみたいなことになる気がするんで。でもそれって、今思うとめちゃくちゃ怖いことだなと思うので、やっぱり世界を変えるとか影響力を持ちすぎるっていうのは、あまりいいことじゃないよなと思う。どちらかというと、自分の価値観みたいなものを真摯にですね、丁寧にというか、なるべく歪ませない形で伝えて、それが一人でも二人でも届くということが重要かなと。そしてその一人二人がちょっとでも、心が軽くなるとか、物の見方がその人の中でいい方に転じたとかいうポジティブな変化があれば、もう万々歳かなと思うので、意味はあるよっていうところですかね。意味がないの話もね、本当はした方が丁寧なんですけど、ちょっと今日それをするとややこしくなるのでやめておきます。
はい、だから、影響力を持てばいいっていうもんじゃないっていうね。影響力も、それはあればあるだけ影響するんだけども、大事なことは何をして何を伝えているのかってことだと思うので。影響力を持つために何をすればいいかっていう、影響力が目的化しちゃうんですよね。人をただ動かすということが目的化しちゃうっていう。それはやっぱり本当に良くないなと思う。あくまで手段としての影響力だと思うので、それはあっていいんじゃないかとは思うんだけども、目的化した瞬間ですね、わけのわからない影響を与える人になってしまうかなと思うので。自分が本当に伝えたい、この社会に与えたい影響として、伝えたいものとしてしっかりと歪ませずに、真っ直ぐ真摯に伝えていくってことをし続けることが重要。それがニッチで分かりづらいこと、本当に少しの人にしか届かないと思うんですけども、でも、その少しの人にしか届かないことが無意味なんじゃなくて、少しの人に届いたということが重要であるというふうに思っております。
なので、2億のマンションとか20万のスマホとか、そういう話はもうね、高い安い、大きい小さいみたいな、すごいみたいな、そういうのもやめにしようよっていう、そういうふうに思った次第です。特に子どもたち、男子は本当にそういうところがあるなって思うんで、やっぱりこの広い意味での教育というか、いろんな経験、いろんな人と接していく中で、相対的なんだなって、ある条件下においてしか優秀無能なんてことは測れないし、大きい小さいなんてことは測れないしっていうことに気づいて、世界って複雑なんだなっていうことを学んで、いろんな人の立場に立って、ものを考えられるとか、少なくとも自分がこの世で一番正しいなんてことを、そんな傲慢なことを思わない人に、みんなが育っていってくれたらいいなという、そういう気持ちですね。
そして今、自分がビッグトゥリーという会社でやっているDコートっていうね、子どもたちとのディスカッションの教室、価値観の交換をする教室なんですけども、それはまさにね、世界ってすごく相対的なんだなっていうことに気づける訓練をする場なのかなと思ってたりもするんで、改めて自分のやっている活動で大事だなと思いました。20万、9千円、そんな話はもうやめにしようというお話です。ありがとうございます。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。ご視聴ありがとうございました。