存在としての公園 第52回

とりあえず大学行っとけ…?

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概要

学歴社会は続くのか。「とりあえず大学行っとけ勢」の大学の価値は空洞化するのか。カラスの勝手でしょ。


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機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。

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5月29日金曜日、夕方4時19分です。今日は雲一つない青空。もう雲あったかな、ありましたけど、結構雲があんまりない青空です。気温もかなり高いんじゃないかな。最高気温30度超えてますね。今夕方なので29度まで下がってますけども、1時2時は31度という感じでしたね。5月で30度超えるっていうのは暑いですね。ただ、東京の天気がすごく好きで、日が暮れるのがなんだかんだ早いんで、朝方の生活をしてる僕としては、早く日が昇って早く日が沈むみたいなのが今のライフスタイルに合っていて、いいなあと思ってますね。

今日仕事で、仕事っていうのは、僕はポッドキャスト討論カフェっていうのをやってるんですけども、その討論カフェでポッドキャストをやっている会社、ビッグトゥリーっていう会社ですね。そこでDコートっていう、小学生中学生高校生対象のディスカッションの教室、価値観の交換をしましょうっていう教室をやってるんですね。わかりやすいのは哲学対話っていう感じなんですけども、世の中に出回っている哲学対話っていうフォーマットに別にのっとってるわけじゃないから、あんまり哲学対話って言いたくなくて、価値観の交換のっていう独自の言語化をしているし、じゃないにしても、ディスカッションの教室みたいな言い方をしてるんですけども、とにかく多様な価値観を交換する場として、Dコートっていうのを習い事形式でやっています。

その運営のために勉強会っていうのを定期的に開催してるんですね。今日ちょうどお昼にその勉強会があって、そこで社長ののぞみさんが、学歴社会って続くんだっけみたいな、学歴社会についてどう思うみたいな話を振ってくれて、そこでいろいろ考えたんで、勉強会とは関係なく、その後終わってみて、宿題としてというか個人的に、学歴社会についてちょっと考えたいなと思ってます。

AI時代みたいなところがやっぱり一番、学歴社会ってところに不確実性みたいなものをもたらしてるなって思うんですよね。AIなんかがなければ、多分今まで通り、みんな大学に行けば大卒ならではのエントリーができるというか、大学卒業以上みたいな条件の企業に応募できるから。Fランとかって馬鹿にされるみたいなのはありますけど、ネットとかでね。でも、Fランであっても大卒と高卒との差みたいなのがすごく大きかったような時代が、少なくともこの20年ぐらい続いてたのかなって思ってて。もっと長いかもしれないけど、僕の体感では20年ぐらいはそういうのが続いてたのかなって思ってます。

でも今、いろんなニュースというか情報を取っていくと、AIみたいなものが台頭してきて、この数年、もっと長い目で見ると、もうAIが全ての職種、ほとんどの職種を駆逐していくみたいな話ってありますけども、総合ではなくて、数年単位で見ていくと、エントリーレベルの仕事がなくなっていく。つまり、大学卒業後、新卒採用みたいな、それまでの訓練は積んでるが、職業人としては別に何の実績もなく、何のスキルもないみたいな人たちが駆逐されるよねっていうのが、アメリカではもうすでに始まっているみたいな話とか、日本でも一部企業が新卒採用を止めたいだとかし始めているみたいな話が出てきてますよね。別に日本全体の話じゃないけども、そういう話も出始めている時期かなというふうに思ってます。

ホワイトカラー的な意味においての定型的なタスクみたいなものが真っ先に駆逐されているよねと。だから新卒以前に、まずフリーランスみたいな人ですよね。作業レベルのことをやっていた人っていうのは、仕事が今年中になくなっていくんじゃないかなという気がしますよね。ココナラとか、ああいうフリーランスの人が案件を受注できるような、クラウドワークスとかランサーズとかもそうかな、そういうプラットフォームがあるんですけど、そういうところって最近見てないのでわからないんですけど、数年前とかはテープ起こし、会議の録音とかを渡せば文字起こしを何千円でやりますという仕事だったりとか、そういうのに限らず、ちょっとしたデザインやりますみたいな、ガッツリじゃなくて本当にちょっとしたデザインとか、パープを直すとか、そういう作業みたいなのを受けますみたいなのが結構にぎわっていたような気がするんですけども、そういうものはもうAIでいいじゃんっていうことになってしまって、まずそういう定型中の定型みたいなものがなくなっていくと。

新卒採用されると、ゆくゆくはいろいろ複雑なことをやってもらうっていう人材なんですけども、最初の頃は議事録係になったりだとかっていう修行期間みたいなのがあって、あんまり価値は出せてないが、その空気に触れながら、なんかちょっとした作業をしながら成長していくみたいな期間があったと思うんですけども、議事録なんかももういらないですよね。もうAIにそのまま文字起こししてもらって、そのまま要約っていうか議事録作成までしてもらえたりするんで、結局わざわざ年間何百万ってお金を払って、育成しながらやっていく価値があるかっていうと、よくわかんないってところですよね。

なんで、現状2026年5月現在、もうAIでいいじゃんって思うことの多くは、新卒若手みたいな人がやっている作業的なものっていうのは、全部、もう今この時点ですよ、この収録する時点で、正直いらないっていうのはあるかなと思ってるんですよね。ただ物事は複雑なので、今目の前の作業をすることだけを見ればそうだけども、未来の会社をと考えるとちょっと違うんで、簡単には語れないんですが、作業的な意味で言うと、もうAIでいいよねってことが刻一刻と増え続けているというところかなと思ってるんですよね。

で、僕みたいに今40歳だと、自分が積み重ねてきた40年の中で、じゃあ次の一手どうするかっていうことは、積み上がったかわかりませんけども、やってきた40年の今ここから始めるしかないので、どうにかするしかないっていう感じで、ある意味もうしょうがないって感じでやれるんですけど、これが今10代とかだったりすると、すごく難しい時代だなって思ったりするんですよね。このポッドキャストを聴いてくださる方って30代40代の方が多いんですけど、ご本人がどうしていくのかってことよりも、子供たちの世代ですよね。今10代とか今5歳の子たちが、これから教育を受けて社会に出ていくっていう時に、受験とか大学進学ってどれくらい意味があるんだっけみたいなことを、今日は考えてみたいなというふうに思ってます。

日本ってやっぱり、社員をクビにできないとか、あとはすごい高齢化が進んでて労働人口が減ってるみたいなのもあるから、正直、このAIで劇的に変わるかっていうと、短期的には意外とそうでもないのかなって個人的には思ってますね。技術的にはもう本当にいらないっていう話になると思ってるんですけど、僕としてはね。けども技術的にみたいな話じゃなくて、文化的にというか慣習的に、これまでやってきたこととか今の体制があるから、そんなガラッと変えられずに、短期的に、つまり5年単位とかでは表向きそんな変わんないんじゃないかなと思ってますね。なので今高校2年生とか3年生の人が大学に行って卒業する時には、新卒の採用とかは多少、職種によってはかなり絞られていると思うんですけども、とはいえ大学に行ってた方が有利ってことが、まだまだ多いんじゃないかなと思ったりしますね。

そう、今日その会議をしてた時に調べたんですけど、4年制大学の進学率みたいなものですね、これデータですね。僕が高校卒業したのは2002年とか3年、ちょっと分からないけどそのくらいだと思うんですけど、1985年生まれなんで、どうですかね、2003年卒とかなのかな。ざっくり2000年の大学進学率って4割なんですよ。きれいに39.何パーセントか、40パーセントぐらいなんですよ。けど2024年、それから20数年経って大学進学率がどうなってるかっていうと、59パーセント。まあまあ60パーセントってことですよね、ざっくりと。すごいよね、20パーセントぐらい大学進学する人が増えたっていう、そういうデータがある。大学全入時代とか言われたりしますけども、本当に大学進学するのが当たり前みたいになってきたっていう、この20数年だったのかなっていうふうに思います。

でそれはやっぱり、求人とか見ても大卒以上みたいなことがある、もしくは大卒と高卒で給与体系が違うなんてことがあるっていうのがザラで、大学に行ってた方が絶対的に得じゃんっていうのがあったと思うんですよ。だから、大学に行かせる余裕がある家庭であれば、行かないよりは行った方がいいじゃんということになるっていうのは、すごい分かりやすい決断だったのかなっていうふうに思うんですよね。

けど、これからの時代を考えていくと、まさにそのエントリーレベルの職種がなくなるっていう話。そうすると、様々なご家庭が、とりあえず大学に行った方が得だよねみたいな意思決定っていうのが、果たして本当にそうなのかっていうことが起こるよねっていう。5年ぐらいだったらギリギリ大学に行かせた方が得なんじゃないかみたいなことが、あまり深く考えずに、大学に行った方がなんだかんだ得なことの方が多いんじゃないか、将来決まってなくてもとりあえず大学に行っとけっていうのは、今高2高3ぐらいまでの人はギリそうかなって、僕の予想では思うんですけど。でも、じゃあ今中学生ぐらいとか、もしくは今高1とかいうところになってくると、大学卒業するのがもう7年後とかになるわけですよね。そうするとちょっと、どうなんですかねって思いますよね。

学歴フィルターみたいな、足切りのための大卒、伝統的な審査基準、足切りの基準として機能するっていう大学はあるかもしれないけども、だからといってみたいなことが起こりそうな気がする。だからといってっていうのは何かっていうと、とりあえず入社はさせるが、入社させた後の伸び率というか、出世していく人といかない人みたいなのは、その二次審査じゃないけどね、入った後の審査として結構シビアに行われていくような気がするんですよね。ていうかそれはもう7年って言わないのかもしれない、もう数年以内に、3年とかでもそうかもしれないですね。かなりシビアに、これからの時代に必要な人材か、とりあえず人手不足解消のために取った人材かっていう、二次的な住み分けが行われそうな気がしていますね。

今言っていることって結局、今、先端を行く人たちがメディアで発信していることで言うと、もうこれから人は通用しなくなるよみたいな話なんですけど、これが僕の予想では7年後とか8年後とか、その辺りなのかなと思ってますね。実際の技術っていうのはもう今年来年の話なんだけど、けど社会自体が追いついてくるのが結局はそれぐらい、特に日本社会みたいなところが追いついてくるのが、認知が追いついてくるのが7年後8年後みたいな話なのかなっていうふうに思ってます。

そうしていくと、結局じゃあ大学って価値がないんだっけみたいなことになるというか、思われるかもしれないんですけども、逆に大学の価値が上がるというか、ちゃんと勉強してる人、ちゃんと専門性を身につけてる人の価値は、多分あんまり変わんないというか、本当に突き抜けてる人っていうのは今も昔も価値があるんじゃないかなって思うんですよね。

これを僕が想像したときに一番怖いなと思ったのが、2000年から2024年の大学進学率のデータを見たときに、40%から60%に増えていったと。ざっくり2割ぐらいの人が大学に行くようになったと。これって別に意識が高まったというより、とりあえず大学行ってたら得だよねっていう、その分かりやすい得があったから、本来大学で専門的に学ぶ必要がない人が大学に行った。就職のための切符として、より良い企業に就職するための切符として大学に行ったっていう時代だったのかなと思うんですけども、その切符がだんだん機能しなくなっていく。5年から7年で確実に機能しなくなっていくんじゃないかなと思っているんですよね。

その切符としては、結局は、いや切符じゃなくてあなた何ができるんですかっていう、何ができるかどうかで、あなたをこの扉の向こうに連れていくかどうか決めますっていうような、シビアな感じになっていく。実力社会、より強烈な実力社会になっていくんじゃないかなっていうふうに思っています。めちゃくちゃカラスが鳴いていますね。

だから今回怖いのは、とりあえず大学行っとけみたいなので、もう得してきたと思うんですよね、僕の予想では。将来のことは何にも決まってないし、何の専門性もないし、別に特別勉強ができるわけでもなければ、けども家に一定の財力があり、もしくは財力がそこまでなくても奨学金借りれば大学に行けて、なんとか歯を食いしばって4年間行けば、大卒の権利、チケットが得られ、大卒として就活をして、ちゃんとした企業というか、ある程度安定した企業に勤めることができるみたいな、そういういわゆる中間層的な何かみたいなの、そこがやっぱり崩壊するっていう怖さだと思うんですよ。

だから今も昔も本気で突き詰めて大学に行ってる人とかは、大学に限らずね、何か道を極めている人っていうのは、それなりの、突き抜けたなりの価値があるのかなと思うんですが、なんとなく大学が価値かな、得かなと思って行く人っていうのが今後ね、それが僕は5年7年っていうようなタイムラインで見てますけども、3年かもしれないし10年かもしれないし20年かもしれないですけど、なんとなくとりあえず大学行っときゃいいんじゃないって、めっちゃ言いませんでしたか。将来決まってないんだけど、やりたいことないんだけど、とりあえず大学に行って、大学に行った間に将来のこと考えますみたいな、ある種のモラトリアムというか猶予期間として、大学を利用するというか、その期間を使っていくっていうのが結構あったかなと思うんですけど、それがそういう感じじゃなくなるんだろうなって思ってますね。

これはとりあえずビールに似てるなっていうことに思い至りましたね。今、春ちゃんがゴミ袋を蹴飛ばすということであって、お母さんが春ちゃんやめてっていうことで、春ちゃんがやめたというシーンに立ち会いましたけども。とにかく、何の話をしてたんでしたっけ。そう、とりあえずビールに似てるなってちょっと思ったんですよ。

飲み会、居酒屋で、20年前、約20年前ですね、僕が20歳過ぎたぐらいの時の飲み会って、だいたい酒が飲めなくても一杯目にはビール飲めみたいな、福岡だけだろうな、サス級みたいな話なのかもしれないですけど、偏ったカルチャーだったら申し訳ないんですが、20年前の飲み会って、とりあえず最初ビールを飲まないといけないみたいな風習があったような気がするんですよね。自分はカシスオレンジしか飲めませんとか、もしくはお酒あんまり飲めませんって人も、1杯目とりあえずビールを飲むと。2杯目以降自分が飲みたいものを飲むみたいな、そんな空気あったかなって思うんですけど、今となっては、飲み会でお酒飲まない人も当然ね、お酒飲めないのに無理に飲むのは良くないよねっていうような雰囲気になってきてますし、もっとお酒飲む人でも、1杯目、お酒飲むからビール飲まなくても、ハイボールを頼んだり、レモンサワーを頼んだり、カシスオレンジを頼んだりですね、自分が飲みたいものを飲むと。カラスがすごいね。

なったのかなと思うんですけど、カラス、なぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ。はいということで、とりあえずビールっていう同調圧力なのかな、そうしておけばいいよねみたいなやつから、大学とりあえず行っておけばいいよねっていうのから、それぞれ好きにしたらいいんじゃないっていう感じになってきてるっていうことかなって思うんですけども。

決定的に違うのは、とりあえずビールっていうのは、とりあえずビール飲まないとなんか空気読んでないよねとか、みんなビールの方が店員さんの提供が早いから乾杯がすぐできるみたいな、同調圧力だったと思う。ただの同調圧力かつ効率化みたいなところがあったと思うんですけど、学歴におけるとりあえず大学っていうのは、もうちょっと具体的な得のために行ってたわけじゃないですか。その後の就職がいいとか、見栄えがいいとかね。

けど、じゃあとりあえずビールっていう文化が崩れた時代において、飲み会はただただ、ビール飲まなくてもいいんだとか、お酒飲めなくてもいいんだっていうふうな自由が獲得できたって感じですけども、大学にとりあえず行っておけばある程度いい企業に就職できた、可能性が高まったみたいな、そういう特権まで失っているから、ちょっとね、辛いものがあるだろうなって思いますね。

いわゆる自分で考えるということを、選択するということをアウトソースしてきたというか、同調圧力とかノリに任せてきた。みんな大学に行ってるし、あの子も大学に行くし、なんなら6割大学に行くんだから、自分ちの子が行かないわけがないっていうことで、なんとなく大学に行ってきた人たちっていうのは、これから先ちょっと、どうなんだろうねっていうことですよね。

でも純粋に子供のことを考えると、子供の立場で考えると、どうなんでしょうかね。このわけのわからない時代にいきなり社会に出るよりも、いろんな時間の優位を得られる4年間とかね、っていうのはいいのかもしれない、分かんない。でも、安定してほしいみたいな思いで無理して大学に行かせたみたいなご家庭があるとしたら、それはある意味教育投資みたいなものなので、投資分の回収ができるかっていうと、ちょっと分かんないねっていう気がしてますね。

だから、もし僕が今高校3年生の子供がいて、大学受験どうするかみたいな話になったら、やりたいことはないんだったら行っとけば選択肢広がるんじゃないのぐらいの気持ちはあるけど、もし今自分の子供が中学生とかだったら、大学ってどうなんだろうねっていう、本当に行きたいんだったら行けばいいけど、ちょっともうよく分からんねっていうことを子供に話すかなって思ったりしました。

これは自分が子育てしてないから、そんな引いた目線で言えるってのもあると思うし、実際に、食いっぱぐれてほしくないとか、不安定になってほしくないとかっていう、そういう子供になってほしくないみたいな現実的な危機がないから、すごい軽い発言をしてるのかもしれないですけども、でも大学って何なんだっけっていうことは、やっぱり今子育てされてる方っていうのは、すごい考えないと。無条件にその受験とかいうのが果たしていいんだっけ、とりあえず大学に行っときゃ間違いないでしょってのが本当に間違いないんだっけってことは、考えないといけない時期に来てる気がしますよね。

僕の同世代とかはまだ、子供がね、10代にもなってないっていうか、小学校低学年の子とかが多くて、そうすると、いわゆる大学を卒業する22歳とか、そういう年齢って15年後とかなんですよね。15年後って感じじゃないですか。15年後の社会に出るための準備って何っていうのは、本当にわからないよなって思うんで。いや、子育てされてる方、本当にね、頭が痛いだろうなっていうか、悩ましいだろうなと思いますね。

もし自分に今5歳の子がいたら、何を考えるかなって。少なくとも大学進学みたいなのが、めちゃくちゃ薄いかもですね。行ってもいいけどぐらいのオプションでしかないっていう感覚かもしれないですね。規定路線ではないというか。本当に何を親としてしてあげられるんだろうかみたいなことを、今自分がもし5歳の子がいたら、めちゃくちゃ考えるかもしれない。

単純に、いわゆる教育投資みたいなことを、今までのレールがあったわけじゃないですか。より良い教育と言われるようなものが、おそらくは最近ぐらいまではあったかなと思うんですけども、ここから先、より良い教育って何?みたいなことが、もう分かんない時代に来てるなと思って。その最たるものとして大学進学みたいなものがあり、大学受験みたいなものがあり、大学行って何かなるんだっけ?みたいなことは、すごく考えさせられる。目的意識を持って、その大学でしか得られないものを得に行った人以外の大学進学って何か意味があるんだっけっていうことを、すごく考えたうおごうでした。

これはね、未来の話をしているので、時間軸っていうのがやっぱりあると思っていて、数年で急に大学が無価値になるというか、学歴が無価値になるとは思わない。やっぱり大学進学していた方がいろいろ得をすることが短期的には多いだろうし、中期的にはチケットとしては機能するが、何か実態がないというか、空洞化するみたいなのが起こり、長期的には何か意味なくね?ってことになっていくんじゃないかなと。だから本当にトップオブトップ、それはスポーツでも一緒なのかな。選手になった人はすごいけど、そうじゃない人は、もちろんそこで得たものはあるが、社会で何か、中学校の時サッカーしてました、僕中学校の時サッカーしてたんですけど、中学校の時サッカー部でしたってことが別に社会で、ああだったらこれやっていいよみたいな、その何かのチケットになるかっていうとならないみたいな。そういう、大学もそういうふうになっていくのかななんて思ったりしていますね。

この大学進学とかいう学歴みたいなものが、今後短期的中期的長期的にどうなっていくのかってことを考えてみた次第でございます。皆さんはどう思いますでしょうか。僕も答えがあって言ってるわけじゃなくて、そんなふうに今日思ったって感じなんで、なんか一緒に議論できたら嬉しいです。本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。