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概要
実践なき言葉は軽い。それを言うだけでは届かない。「職業公園」という立ち位置から見える景色がある。実践をともなった言葉なら、届かなかったはずの誰かに届くかもしれない。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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5月15日金曜日、14時53分です。今日は雲一つない青空で気持ちがいいんですけれども、なかなか録音ボタンを押せずにいました。というのも喋れる気がしないという気分で、今日の夜には配信しないといけないんだけどもと思いつつ、近所の公園のベンチに腰掛けて、録音しなきゃなと思いながら1時間くらい経って、ようやく重い腰を上げ、録音ボタンを押した次第でございます。
そんなわけですから、何か話せる気がしていないという、そういうことがあるんですよね、不思議とね。ポッドキャスト番組を10番組ぐらい、ちょっと正確な数はわかりませんけども、10番組ぐらいやっておきながら、今日喋れないかもみたいな日が来るっていうのは結構不思議ですよね。いろいろ番組をやりすぎて喋ることがないっていう問題については、もうとっくの昔にそうだよっていう感じですよね。10番組やってて、週1でやってる番組が何個かと、週2でやってる番組があって、月1の番組があってとかっていう、入れの考えって何本やってるんですかね。月ね、月30本ぐらい多分やってると思うんですね。かつ朝礼暮快といってですね、毎朝7時にXのスペースで配信をするっていう、これが毎朝なんで、月30日15分間フリートークをするみたいなことも含めると、そこまで含めると60本ぐらい毎月何か喋ってるっていうことですよね。
なのでもともと喋ることはもうないという状況でも、その場のノリとかで喋れているという、少なくとも言葉が口から出ているという状態なわけなんですね。時々今日みたいに、なんかもう話せる気がしないなっていう日があるんですよね、本当に。話すことがあるかないかっていうよりは、もう本当に気持ちの問題なんですよね。そういう気持ちの日が時々ありますっていう。喋ることがなくても話せる気持ちだったら、何か喋ってるってことが起こるんですけど、今もね、話せる気がしないながらに言葉が出てきてるんで、話せる気がしないということと話せないということはまた別の気もしますね。スイッチをオンするとこうして喋り始めるから不思議なもんですよね。話すことないなぁとか考えずに、スイッチを押してしまえば良かったんだっていう、そういうのはあるかもしれませんね。
今週があっという間に過ぎていきました。ポッドキャストウィークエンド、先週の土曜日か、ちょうど1週間ぐらい経つんですけど、なんかもうずいぶん前のような感覚があるし、あっという間に1週間が過ぎたなぁという気分ですね。今週何したんだろうっていう、そんな気持ちですね。何かしたんだっけなと。一応いろいろやったんだけど、祭り事というか、やっぱり派手なイベントがあるとちょっとこのモードに突入するから良くないなと思いますね。
インパクトの強いイベント、先週で言うとポッドキャストウィークエンドって、僕の中でわりと刺激が強くて、いろんな人に出会える。すでに知ってる人とたくさん会おうとかだったらまたちょっと違うんですけど、知らない人にたくさん会おうっていうのは僕の中で結構刺激が強くて、そういう刺激の強い1日、2日、もう日曜日までありましたから、どういう日そうでしたかね、2日とかがあると、その刺激に対する感動みたいなのがちょっとバグってしまって、日常みたいなものが印象に残りづらくなっていくっていうのがありますよね。
何にもない、すごく地味な日々が続けば、それはそれでその地味な日々の中にいろいろと発見があったりするんですけども、派手な日があると、特に2日ぐらい派手な日が続くと、その派手さに埋もれて日常みたいなものが流れていってしまう、そんな気がしますね。だから何でもない日が何でもないんじゃなくて、何でもありすぎる日があることによって、何でもない日が本当に何でもなくなってしまうっていう、相対的なことな気がしますよね。だからやっぱり刺激の強い日っていうのは、そんなに日常的に取り入れないほうがいいなっていうのは改めて思いましたね。イベント三昧だと、じゃあ昨日家で何作りましたかみたいな、そういう日常が本当にわかんなくなっちゃうみたいな。基本的には楽さでしかないっていうかね、そういう感じがしています。刺激は本当に月1回とかでいいなっていう気持ちになってきましたね。
上水公園とかもね、誰が来るかとか誰も来ないとか読めないので、そういう意味では日々刺激なんですけど、でもやっぱり自分が開いている場であり、そこで何が起こるか予想はつかないが、予想の範疇というか、レジャーシートの中で起こりうることしか起こらない。万が一そこで事件、ヤバい人が来て刺されるみたいなことが起これば、それはそれで話は違いますけども、そうじゃなくて基本的に平和に過ごせるパターンであれば、99.9%の上水公園であれば予想の範囲内というか、そんなに何か変なことが起こるってことはないなという安心感はあるんですけど。
やっぱりその知らない場所に行く、知らない人と会う、その知らない人っていうのが自分と何の文脈も共有していないという意味での知らない人ですね。僕のことを全く知らない、僕も相手のことを全く知らないという場面で人と出会うっていうのは、結構やっぱり事故率が高いので、何が起こるかなっていう、その刺激が強すぎるんですよね。
最近ちょっと考えているのは、人間の個人の価値観がどう残るのっていう話を、ほとんど無効化するレベルで慣習とか文化みたいなものが効いてるよなぁと思うんですよね。例えば毎朝満員電車に出社するとかも、会社がそれを決めていて、そうせざるを得ないからそうしてるってことだと思うんですけども、じゃあなんで会社は毎朝その時間に出社させてるんだろうっていうことなんですよね。満員電車に揺られながら来る社員のことを考えたら、僕は出社時間とかもうちょっとフレキシブルにしたりとか、やっぱりオンラインで働けるようにしたりだとか、全部がオンラインじゃダメだっていうのは言ってることが分かるというか、対面だった方がいいこともあると思うんで、だからそこのハイブリッドでやっていくとか、もうちょっと頑張ると思うんですけど、僕は経営側だったらですね。
けど、多くの会社が決まった時間に決まった場所に出社させるってことをさせるから、満員電車も永遠に満員電車だし、それが起こっている現象を目の当たりにすることで、朝というのは満員電車なんだな、そういうもんだっていう認識を作り、そういうもんなんだなと思って生きていくってことが起こっていく。これは個人の意思とか価値観とかを無視して、そういうもんなんだなみたいな、空が晴れたり雨が降ったりそういうのと一緒で、この時間の山手線は満員電車なんだなみたいなことが、もう変えられないものとして、自然現象として起こっているということになってしまう。
でもよく考えてみるとそうじゃないですよね。その時間電車に乗らなければ満員電車に当たらないわけですよね。それを個人の価値観とか努力の問題にしてしまうのはやっぱり難しくて、会社が何時に来いって言ってるから、だとするとその時間電車に乗るしかなくて、別に前後30分1時間ずらしたって、あんまり変わりません、基本満員電車ですみたいな話じゃないですか。だから満員電車だなぁっていう感じになるんだと思うんですよね。別に満員電車に限った話じゃないですよ。全てがそうというか、およそ全てがそう。だからそこから逸脱していると、ことによってはヤバい奴と見なされるという感じですよね。
最近僕は、ちょうどこの1ヶ月ぐらいかな、毎日品川のとある公園で朝5時40分から太極拳を習ってるんですけども、そこにいる人たちは70以上って感じですよね、年齢がね。先生も70代80代だったりするし、来てる人も上は90、下はたぶん60代で、基本70代っていう感じのメンバー構成。10人ちょっとかないて、そこに僕が40のよくわからないサムウェーを着たやつが混じってるってことなんですよね。
これを前に行っちゃってると、僕はなんというか、会社に出社するっていうのがそもそも今、僕の生活には今のところないんですけども、毎日行っている公園に80代のおばあちゃんたちがいるという、そういう日常を送っているのであって。そうすると引退した人というか、現役世代の世界観じゃなくなってくるっていうかですね、何かそういうちょっと別の文化圏に今いるっていう感じですね。もちろん家に帰ってきてから仕事はしてるんですけども、でも朝毎日顔を合わせているのは80代のおばあちゃんたちっていう、そんな生活を送ってるんですよね。
それは当たり前とは思わないように、これがすごく偏った場所であるっていうことをちゃんと認知する、自覚的であるってことが重要かなと思っていて。それは、いやそりゃそうだろうと、40の男性が何か知らんけど80代のおばあちゃんたちと毎朝会ってるって変だよね、少数派だよねって、これを聞いてる方も思うかもしれないんですけども、別に少数とか多数とかそういう話じゃなくて、自分が経験してることっていうのは、それを経験してない人からしたら基本的には異常であるってことなんですよね。
だから満員電車を例にしましたけども、別にそれを選択した、もしくは選択せざるを得なかったってことをいいとか悪いとか評価するつもりはないですけども、僕は今その生活をしていないので、やっぱり満員電車に毎朝揺られてるってことは異常なことだなぁと思うし、なんなら店舗ビジネスみたいな感じでね、お店の店番をするみたいなとか、工場でねラインを担当してるとか、時間で管理されることがすごく合理的であるみたいな、何時から何時のシフトですみたいな仕事以外で、定時で働いてる人とかを見ても、なんか異常だなぁとか思うし、それは自分が定時で働いてないからですよね。
自分の決めた時間で、別に夜まで働くときもあれば、朝早くから働くときもあれば、昼から働くときもあるし、平日突然映画を観に行ったりすることもあれば、土日も普通に働くしみたいな、休みとかそういう概念がない中で、休みたいときに休み、働きたいときに働くみたいな感じで自分がやっちゃってるから、自分から見たら定時で働いているとか、何曜日に働いているみたいなのが、対外的にそれが合理的である、何度も言うように店舗ビジネスみたいな、分かりやすくお客さんにとってね、何時から営業してますよとかがあって、そこに配置されるのに時間で持ち場を持ってますよみたいな、時間で管理される合理性がないのに、時間で働いている、曜日で働いている、いわゆるホワイトカラーの人たちとかっていうのが異常に見えるっていう。
何かね、どこから物を見るかで正常とか異常とかって変わってくるので、あんまりそれを良い悪いで判断しちゃうとか、そういうのは本当に良くないことだなと思いますよね。見え方の違いでしかないと。それをまた僕みたいに、どちらかというと少数派、まあそうですよ、40で毎朝5時40分に80代のおばあちゃん、毎朝顔を合わせるのは80代のおばあちゃん達ですという生活をしている40の男性はあまり多くないと思うので。職業は何ですか、公園ですとか、あまり多くないと思うので。そんなにメジャーじゃない職業の人なので、メジャーじゃない人がまた言うと、また変な人が何か言っているなって思われるんですけども。よくね、気が狂ったこと言ってますねって思われちゃうんだけども、気が狂ってるとかそんな話じゃなくて、どこから物を見るかっていう話でしかないっていう。
それがたまたま僕が、たくさんの人が立っていない場所から物を見て話しているから、珍しがられたりだとか、ちょっと頭がおかしいと思われたり、それだけであって、基本的にはですね、どこから何を見ているのかで全然違う。でもそれは僕の独自の価値観とか視点かって言われると、やっぱり怪しいところがあるんですよね。そこのやっぱり文化圏とか慣習みたいなものにとらわれて、もっと構造的な話だ気がするっていうか、もっとその大きな環境に規定されて、そのように見えているだけっていうのがあるっていうか。
僕が例えばもうどうにもこうにもならなくなって、お金を分かりやすく稼ごうとすると、やっぱり今世の中で主流となっているお金の稼ぎ方というか、お仕事っていうところにどうにか乗っかろうと、求人があるようなところに行こうとすると、分かりやすく決められた時間、決められた場所に出勤するみたいなことが起こると思うんですよ。そうやって自分が満員電車に揺られたりとか、定時で働くみたいなことが、そこに身を置き始めると、またそうでない人たちのことが異常に見えてくる。異常っていうのは別に悪い意味じゃないですよ、自分から見て特別なものに見えてくるというわけですよね。自分が置かれている状況から見てどうかという、そういう話でしかないと。自分が浸っている文化の中から見て、そうでない文化のことを何か特殊なものに見えてしまうという、それだけのことなわけですよね。
そうだとすると、あんまり攻撃の対象にするというか、だからダメなんだとか、だからいいんだとかそういう話じゃなくて、ああ違うな、そういう文化もあるんだなっていうことを、もっと興味を持って接するってことがやっぱり大事かなと思いますよね。すぐ善悪とかで判断しがちですよね。どっちがイケてるかみたいなね。うるせえって感じですよね。どっちでもいいんだよってね。それはどこから見るかでしかないから、あんまり意味がないんだよって。もうちょっと、それをどうしてもジャッジしたいんだったら、もっともっと自分の主観に引き寄せて、それが好きか嫌いかっていう、私はこれが好きです、私はこれが嫌いですっていう、私ごとにしてくださいと。何かこの社会におけるイケてるイケてないみたいな風にジャッジメントするってのはやっぱりね、傲慢だと思いますね。
で、多数派にいる人ほど、多数派にポジショニングするほど、その辺が見えなくなってしまい、マイノリティのことをついついそうやって、さばいてしまうというか、ジャッジしてしまうことってのは増えてくるんだろうなと思いますよね。僕もやっぱり、男性に生まれた以上、男性としての特権みたいなものを持って、中年男性ならではの特権みたいなのを持って生きているんだと思うので、そこに自覚的であろうと努めていますけども、それでもね、見落としている、また中年男性が自らの特権に無自覚で、その権利を持ってない人たちに振りかざしてるなみたいなシーンって、自覚しようと努めてもそれでもあると思うんですよね。嫌だなと思う。
だからそれは発覚しないと嫌だなとも思えなくて、とにかくそうならないように自覚的でやろうと思っているんだけども、自分のことっていうのはやっぱりどこまで言っても全部は見えないから、無自覚ゆえのすごい傲慢なこととか、ひどいこととか言ってたりするんだろうなとか思うんですけど、なるべく自覚的でやりたいという気持ちはありますし。なんでしょうね、その特権に甘んじないというか、難しいですね。特権を利用しつつ、でもそれに便乗して他の人たちを虐げるのではなくて、特権に乗じて、もっとそれが還元というか、社会に何かこう、なんていうんですかね、別の、特権を破壊する方向に特権を使うみたいなことをしたいなと思って公園活動をしている側面はありますよね。
ちょっと何言ってるか分からないかもしれないですけども、要は僕がバリバリのホモソーシャルな世界の中で、文化の中でランキングを上げていくっていうことは、中年男性である以上やりやすいと思うんですよね。でもそこに便乗して自分のランキングを上げることではなくて、別のゲームを作っていくというか、別の価値軸、別の価値観みたいなことを社会に提案して、山道にね、僕が何度も往復することで獣道ができて、その獣道をまた人がどんどん歩くようになって、そこに道ができるみたいな感じで。別に職業公園をする人をこの社会にどんどん増やしていきたいっていうわけではないんですけども、けれどもその公園的な価値観というか、もっとその役割みたいなことに縛られて、ランキング序列の中で苦しめられる必要はないよっていう価値観みたいなものを社会に浸透させていきたい。
それは口で言ってるだけではやっぱりダメだなと思うんですよね。僕はそう思うんですよね。口で言うのが精一杯って人もいると思うんで、とか口ですら言えないって人もいると思うんで。それが人それぞれの、置かれてる状況とか勇気とか特性とか、いろんなものがあるから。とか、自分だけじゃない家族がいるからあんまり尖ったこと言えないんだとか、所属してる団体がどうのこうのであんまり尖ったこと言えないんだとか、いろんな事情があると思うんで、それも別にだからいいんだ、だから悪いんだとか言う気はないんですけども。もう僕の場合は特に何も背負っていないので自由に発言ができる。だからこそですね、その自由な発言ができる自分の今の状況を生かして、一つの価値観、一つのあり方みたいなことを提案していきたい。
それは言葉で言うのは誰だってできるじゃないかって僕は思っちゃうんだけども、やっぱりそれをリスクを取って実践し続けるっていうのは、なかなか大変なことも多いからですね、なかなかみんなやらないだろうと思うので、実践し続けながらですね、その上でその実践者として価値観を提案していくと。このような社会の、何でしょうね、もうちょっとこういう方向に社会って進んでもいいんじゃないかっていうことをですね、個人として提案していくと。実践しながら提案していくと。もうね、捨て身でこの体を使ってやってますから、その分ね、その実践が重みになってですね、言葉が届きやすくなったらいいなと思ってリスク取ってますね。
僕がなんですかね、ゴリゴリのコンサルタントで、経営者からですね、高額なフィーをもらいながら、いやいやもうお金じゃないんですよとか言うと、お前金稼いどるやないかってやっぱなるわけじゃないですか。やっぱりそうじゃないと。公園活動ってことをしっかりと、なんていうんですかね、実践しながら、こういう世界って広がったらよくないかっていう、自分のこれを持っているこの気持ちをちゃんと行動で示して、その上でこれを応援してくださいと。この活動、これが私の職業なんですと。これが職業と足り得るように、ぜひメンバーシップに加入していただいて支援してくださいと。
そういうね、ちょっと選挙に近い気がしますよね。どっちかというとね、作りたい社会に向けて。議会とかね、そういうことではないんですけども、自分の公園活動という一つの表現の形なんですが、それを通じてこの社会にその価値観を提案していきたい。もうちょっと強烈に言うと実装していきたいと思っている。そしてそれをするためには継続しないといけないとか、より活発に動かないといけない。そのために資金が必要だからサポートしてくださいっていう、そういう話なわけなんですけれども。そこまで、なんかこうね、ないものをあると言って、あるようにしていくというか、まさにその山に道はないんだけども、何度も往復する中でそこに獣道ができる、道はあるよねというような。そしてその獣道だとちょっと微妙だから、ちゃんと道路整備しましょうみたいな、そこまでしっかりと歩いていけるようにと思っていますね。
はい。ちょっと今日何も考えずに話してるんで、何の話してるんだろうって感じもあるんですけども、でもそういうことかなと思ってますね。どこからこの話になったんだっけな、もう忘れちゃいましたね。でもね、どこに立って物を見るかでやっぱり見え方って変わるよねっていう話をしましたけども、あんまり人が立ってない場所に立っているという、これもね、何かのご縁と言いますか、自分のたまたまいろんなことが積み重なって起こっている境遇、この公園活動をしているというポジション、40にして今このような日々を送っているということ、そのものがいろんな偶然の結果として起こっているので。
その立ち位置から見える世界っていうのを、この立ち位置に立っている人はほとんど今世界にいないと思うので、この立ち位置から見える世界みたいなものを伝え続けていくということもね、このポッドキャストや朝礼でねやっていけたらと思っていますし。また、ずっと掲げているその公園活動、存在としての公園っていうミッションですね、をやり続けられるように、しっかりと職業公園っていうのが成立していくようにですね、頑張っていきたいと思ってますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。今日はこの辺で終わりたいと思います。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ「存在としての公園」にご登録いただけると嬉しいです。それではまた、ご安全に。