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概要
明分化されたポジションを取らないことと民主主義社会の一員であることの矛盾に向き合う。民主主義や人権へのフリーライドを自覚しながら、公園活動の実践だけで十分なのかを問い直す。
全文
機械文字起こしをもとに、内容を変えずに読みやすく整えたものです。
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7月23日木曜日、午前11時55分です。よくわからないタイミングで収録してます。炎天下の中、ギターを持って自転車で10分くらいいったところの広場で、今レジャーシートを広げ、ギターを弾きながらポッドキャストの収録をしているという状況です。暇なのかというと、そういうわけでもないんですけれども、これが配信される金曜日が朝からずっと予定が立て込んでいるということに今朝気づきまして、これはこのタイミングしか撮れないんじゃないかということで、突然ギターを担いで出てきたというわけでございます。
最近、いくつかの角度から、このままでいいんだっけと思うことがあって。別に深刻な話でもないんですけれども、でもすごくふわっとした感じで、このままでいいんだっけって思うことがあって。一つは、解決したというか、6月末から7月にかけて、足場という対話サービスをスタートしまして。個別の相談にお答えさせていただく、一緒に悩み考える対話、そしてその悩みに次の一歩、足元をしっかりと整えて次の一歩というところを一緒に模索する、そういう時間を過ごそうと、そういったサービスを始めたので。そこで一つ、このままレジャーシートを敷いているだけでいいんだっけという問題はクリアになったわけですけども。
でも、いろんな角度はあるなと思ってて。先週の日曜日だったかな、1日何もしない日を作ろうということで、本当に何もしない。何もしないことは苦手なんですよね。なんかしちゃうんですよね。人と会う予定がないならないで、どっか出かけちゃったりとか、もしくは家でずっと仕事しちゃったりとか、結局、頭を使うことをしちゃう。だから頭を使わずにぼんやりできる日を、月に最低1回は作りたいな、できれば作りたいなというところがあって、ちょうどそれを先週日曜日から試し始めたところなんですけども。
先週は結局映画を2本見てしまいまして。そのうちの1本がオールドジョイという映画でした。誰が監督なんだろう、結構2000年代の映画で、ちょっとごめんなさい、今パッとわからないんですけど。オールドジョイという映画は、久しぶりに再会した古い同級生2人で森の中のキャンプ、温泉に行く。森の中に温泉があるよ、温泉旅行に行くというような映画なんですね。温泉って言っても、本当に森の奥につけられた無人のセルフサービスみたいな温泉なんですけどね。そこに向かって行く、1泊2日の男2人旅、ドライブみたいな、そんな映画だったんですけど、面白いくらい何にも起こらないんですよね。
もともと若い頃、ヒッピー気質というか、結構自由に定住せずなんかやってた2人。まあ2人だけじゃないんでしょうけど、何人か仲間がいたけど。1人は、見た目は30代後半とかに見えますけども、30代になってもそういうヒッピーみたいな生活を続けて、定住せず、いろんなところを転々としながら、いろんな体験をして楽しく過ごしていると。1人は、もう定職に就いて、そして結婚もして、もうすぐ子供が生まれますみたいな状況。典型的な、世捨て人というか、全然社会的に落ち着いてない、社会の中にいない人と、社会のど真ん中にいる人、そういう2人が久しぶりに再会して、1泊2日のキャンプに行くんだけど。
昔みたいに盛り上がるかと思いきや、ずっと微妙な空気みたいなね。お互い盛り上げようと、いい関係であろうと努力はするんだけども、それがうまくお互いに刺さらないというか、ずっと変な空気のまま。ただ2日目の夜に車から降ろして終了っていう、マジで何にも起こらない映画なんですけど、それがちょっと良かったですね。その世捨て人カートと、仕事も家庭も持ったマーク。ちょっと名前間違ってるかもしれないけど、カートとマークとしておきましょう。その2人のすれ違いというか。
結構、昔の友達に会ったら、あの頃みたいに話せるねみたいな感覚を持ってる人も結構いると思うんですけど、僕はそれはやっぱり幻想なんじゃないかなと思ってて。例えばこのオールドジョイみたいな、別々の人生、全然違う価値感というか、全く違う価値基準が採用されている生き方をしている、人生が全然違う人が、別に交わらないよなっていう。そっちの方がやっぱりリアルだなと思ったんで、この映画の、ずっと2人が盛り上がらない感じっていうのが、そうだよねって思ったっていう。
そんな昔の友人に会う機会っていうのが、僕は今のところないんですけれども。とはいえ、そんなに昔じゃなくても、僕は数年前までバリバリ仕事っぽい仕事をしていたし。そしてこの1、2年、だんだんそういう世界からフェードアウトして。フェードアウトっていうと、本当に社会からドロップアウトしてるみたいな感じに見えちゃうから、ちょっとそれは不本意なんですけど。別の形で社会と関わっていく、社会との新しい関わり方を提案していく、それを言論で、言葉でやってきたとか、音楽でやろうとしてきたのが20代前半だったけど、今は自分自身が公園になるというね、公園というモチーフを使って、今僕が思っている新しい社会との関わり方、社会での過ごし方、参加の仕方みたいなことを、実践で提案していきたいなっていうのでやってる活動なんですよね、この公園活動っていうのは。
その実践をしていく中で、どんどんその価値観にそぐわないものからは距離を取るようにしてるというか。例えば序列的な、誰が偉いみたいなのが露骨な場所からは離れていく。公園には誰が偉いとかないじゃないですか。小さな子も老人も、男も女も犬も虫も、別に優劣がない、けれども共存している、包摂されている。少なくともその瞬間、その時間は、そういう場。社会ってもっとそういう場になったらいいんじゃないかと思っているっていうね。それを全世界公園になればいいや、なんてことはさすがにお花畑だと思うので、そうはいかん場面もあるでしょっていうのはその通りだなと思うんですけど。もっと公園的な場面、そういう関わり方が、社会の中で、誰が偉いかとか、どっちが強いかとか、そういうことじゃなくて、もっと共存できるような場とか、マインドとか、そういうものが少しでも広がったらいいなと思ってやっている活動なんですよね。
それをあまり言葉で説明しすぎてしまうと、ややこしい話になるし、ややこしい話にしちゃうと、ややこしい話が好きな人とか、ややこしい話を理解できる人にしか受け入れられないものになっちゃうなっていうのがあって。だからあんまり、ややこしいこと言ってるとは思うんですけど、なるべく控えめにして、言葉じゃないところで、雰囲気で伝えられたらいいなと思って試行錯誤してきた、1年、2年かな。特に今年はその辺を意識して、公園活動の映像をこのポッドキャストに添えてみたりだとか、あとポッドキャストの中身であんまり中身のあることを喋らない、あんまり主張の強いことを言わずに、雰囲気で聴いてもらえたらいいなって。このギターを弾いているみたいなのも、その一環の一つで。
ありがたいお話でした、みたいな感じにならないように。結局何の話だったんだっけ、でもなんかまあ心地よかったから、BGM代わりに流したな、みたいな状態、それが割と理想的だなと思って挑戦してきたんですけども。まあその方向自体は、それはそれでいいのかなとか思ったりしつつ。
でもなんか、オールドジョイを見た時に、なんかそういう風に見えちゃうなとも思ったんですよ。ずっと社会のメインストリームに行かず、自由にしているそのカートっていう友人は、なんかすごいちょっと幼稚に見える。まあ映画の中ではそのように描かれてたと思うんですけど、なんかすごい幼稚に見える。で、僕もいろいろ考えてこの活動をしているんですけども、単純に社会嫌だ、ドロップアウトだ、公園でダラダラしてます、みたいな風にも見えるなと思って。なんなら、社会に参加する意思ありますよっていう態度を見せないと、ドロップアウトした人ですねっていう、そういうような認識に結構なってるような気もしてきたなっていう。
それはちょっと不本意ですよね。社会に無関係な人と思われると、社会に無関係な人が社会に何か言ってるみたいな状態に捉えられてしまうと。無関係なわけじゃないんですよ、誰もがね。けど、そういう風に思われてしまうと、一つ一つの言葉が軽んじられてしまう。関係ない人が何か言ってるだけだねって思われちゃう、言葉が軽くなってしまう。それはやっぱり少し不本意だなと思って。自分は今、オールドジョイのカートみたいになってないか、少なくともそのように見られることがだんだん増えていってないか、みたいな危機感みたいなのは、先週の日曜日ぐらいから、それも漠然とあったんだと思うんですけど。でもその具体的なイメージとして、その映画から受け取った情報として、なんか自分、今こうなってるのかもな、こういう風に見られてるかもなんて思ったっていう。
そんなこと思ってる時に、ちょうど昨日、まあクセでね、Xを今でもやっぱり開いてしまうんですけれども、パッと開いた瞬間に、そのタイムラインのトップに、友達が珍しくポストしていて。あんまりポストしない友人なんですけど、そのポストがまた、そうそうっていう感じの。読み上げたりはしないですけれども、意訳すると、結構抽象的なところで、世の中の構造だったりとか、もうちょっと哲学的な見方をしてしまったりとかして、すごい抽象的なレイヤーでものを見るのが好きとか得意ってなると、結構世の中のいろんな圧力、AさんとBさんが炎上して、Aさん陣営とBさん陣営でSNS上で罵り合ってるみたいな、そういう構造がもう至る所で発生していたり。まあそういうゴシップの延長みたいなネタじゃないにしても、政治的なところで罵詈雑言を浴びせているみたいなことがよくある。そういうのを見ても、そうだそうだとなれないみたいなやつですよね。
そういう気持ちも分かる、でもこっちにもこういう事情もあるかもしれない、でもこういう構造もあるし、とかいろいろ考えていけばいくほど、誰か一人の責任、要は誰が悪いかみたいなことを単純に決めつけることができないみたいな話なのかなって思いました。一方で、だからといって、まあみんなそれぞれあるよねとかって言って、自分自身がそこに判断を下さないということ、ポジションを取らないということ、それはこの社会、民主主義社会の一員としてどうなのかっていう。結局、全知全能の人はいないから、自分が見えている範囲で自分の意見っていうのをそれぞれ持っていて、その意見を表明し合って、そうして作られていくのが民主主義なんじゃないか、みたいなことを言っていたような気がするんですけれども、まさにそうだなっていうね。
人権も民主主義も理想論だなとは思うんですけれども、でもじゃあ手放していいのかって言うと、手放してはいけないものだっていう、そういうものかなと僕は思っているので。現実的に民主主義で、みんなが意見交換していい方向に行くかって言ったら、どうもうまくいく気がしないなという気持ちがある。じゃあ誰かに独裁されるのがいいのか、もしくは少数のエリートみたいなのが決めていくのがいいのか、それも違うなって思う。そうやって考えていくと結局、消去法的にではあるんですけども、民主主義が一番いいなって思うし、人権もそうですよね。ものすごい自分勝手な人とかたくさんいるし、自分はいいけど人はダメなんていう態度の人もたくさんいる、なんてひどいやつなんだって思うけど、でもそういう一人一人にも人権がある、自分自身にもある。その前提でいかないと、結局何かを排除したら次に排除されるのか自分、明日は我が身というか。だから結局人権も、あるに越したことがないよねって思うんですよね。
みたいな中で、今自分は実際にこの民主主義社会、そして自分に人権が与えられているというものに、結構フリーライドしてるよなと思うんですね。いろんな角度あると思いますよ、税金を納めるとか、投票に行くとか、何か消費活動をするみたいなのも一つ投票みたいなものかもしれない、経済を動かすみたいなね。誰もが社会に参加してるんだけれども、でも最小限しかやってないなっていう感覚がありますね。使えるお金がいっぱいあるわけでもないから、結局生活に最低限必要なお金しか使ってないと思うし、投票には行ってるけれども、じゃあ政治活動をしてるわけでもないし、会社の時価総額を上げていくみたいな、そういうベクトルでも活動してないし。
何でって言うと、公園活動はその一つの実践としてやってるんで、僕の中では一つの社会参加の形として、新しい関わり方というか、社会のこういう場所ってのがもっとあってもいいんじゃないかっていう提案としてやってるんで、それは十分リスクを持ってやってるなっていう感覚はあるんですけれども。それだけでいいんだっけっていうのは、なんかその友人のポストを見て思いましたね。ポジション取ってるんだけど、取ってるポジションが分かりづらいっていうかね。公園活動は過度な序列社会への反対、そうじゃない方がいいんじゃないのっていう提案っていうメッセージではなくて、社会からドロップアウトしましたみたいなメッセージになりかねんなと思った時に。
やっぱりこのポッドキャスト、せっかく喋っているから、こういった場所ではもう少し社会に対して、社会の中のことにも触れて、自分の立場というか、ポジションを取っていくってことですよね。自分はこの件についてはこのように見ていて、なのでこう考えているよっていうことは、全然言っていっていいんじゃないかな、っていうか言っていった方がいいんじゃないかなって思ってきたっていうとこですよね。公園活動の性質上、あんまり僕個人が、一つ一つの具体的な案件に対してどういう考えを持っているかみたいなのが出過ぎると、結局、公園に来づらいみたいなのがあるかもって思ってたんですけど。
現時点で十分来づらいというか、現時点ですでに、やっぱりその、僕のこの活動をただ社会からドロップアウトした人ですよねって思っている人はあんまり公園には来ていなくて。やっぱりこの提案を、具体的に言語化できるレベルで理解してくださっているか分からないけども、雰囲気とか空気感、世界観みたいなもので受け取ってくれて、公園活動いいですよねって言ってくださる方がやっぱり公園に来てるんで。そういう意味では、ある程度一貫した自分のコアの思想みたいなものがありますから、それに基づいて、社会のいろんなこと、社会のっていうのはその広い意味で、マクロ的なこともあれば、自分以外の誰かのことも含むって感じですね。自分のことだけじゃなくて、自分以外の誰かのことにももっと触れていっていいんじゃないかなって思うようになりました。
自分のことしか話さないっていうのは、やっぱり防衛なんですよね。だって自分のことっていうのは自分にしか分からないから、否定することがナンセンス。例えば僕が、いい例が思い浮かばないですね、例えば僕はサムウェイが好きです、サムウェイを着ていますっていうことに関して、別に第三者は否定のしようがないですよね。サムウェイが好きでサムウェイ着てるの、自由じゃんって話だからね。でも僕が、みんなもサムウェイを着るべきだって言ったら、僕以外の誰かについても触れているというか、そうすると反発はありますよね。別にサムウェイ着たくないしとか、好きじゃないしっていう話が出てくると。自分に閉じている限りにおいては攻撃のしようがない、もしくは攻撃してもナンセンスであるみたいな話ですよね。
社会のこと、自分以外のことを語るということは、他者の介在を認めることになりますよね。何か意見を表明したら、その意見には賛同しかねる、その意見には賛同する、賛同しない理由はこうだ、賛同する理由はこうだっていう、次の意見が生まれるきっかけになったりする。だからそういう、言葉一つとっても、もうちょっと社会に参加していくっていうのは一つあるかなと思ってますね。
実践としては公園活動をやる。でも実践だけでは伝わらない部分、伝わらないっていうか、実践だけでは社会に参加していると見なされない部分。特にその実践が盛り上がっていれば、それが社会の活動として見なされやすいんですけど、まだ全然盛り上がっていないので、それこそ実践と言いながら個人的になんかやってるだけじゃんってなると、それもやっぱり社会に参加できているかっていうと怪しい部分がある。一方で、ポッドキャストに関してはですね、数百人の方が毎回このポッドキャストを聴いてくださってるし、数百人の方に何か自分の考えを述べるというのは、さすがに社会に参加していると言わざるを得ないかなと思いますね。ここで個人的なことをずっと言ってきたから、それはまああなたはそうなんですねで終わりだったと思うんですけど、もうちょっと守備範囲を広げていこうかなと思っている今日この頃ですね。
バランスが変わったっていうとこでしょうね。公園活動をやってない頃の自分っていうのは、いわゆる既に価値があるとされていることをやって価値を出すということをしていたと。経営コンサルみたいなことをやって、経営で困っている方の困りごとを解決するお手伝いをしたり、解決したりすることでお金をいただいてきたんですけども。そこに公園活動、二足の草鞋みたいな形になってきて、だんだんその公園活動にシフトしていくよってことで、今すでに活動されている活動というものをどんどんどんどん減らしていくと、なんか社会参加、社会人としてみたいな部分がやっぱりちょっと薄れていく。それがなんかね、すごく不本意ですね。
公園活動は全然社会人としてやってるんだけども、なんかそれがやっぱり一定の盛り上がりを見せない限り、それは社会の中の活動とはみなしませんっていうのが社会だと思うので。そこにたどり着いてない今、公園活動という実践は僕の中で社会参加なんですっていうのは、へーって終わっちゃうっていうところかなと思うんで。そこはしっかり守りながらも、やっぱり今、社会にちゃんと関わってるねって見なされることっていうのもやっていかないといけないなっていうのは思ってますって感じですね。
その一つの実践が足場という対話サービスであり、そして今日お話ししたポッドキャストの中でも、もう少し自分に閉じた話だけではなくて、もっとこの世の中の話っていうのも、世の中について自分が思うことっていうのも、賛否あってもね、発言していく、社会参加として発言していく価値はあるんじゃないかな、なんて思ったっていうところでございます。その一環としてっていうのもあるし、新しく始めたその足場という相談対話サービスをもっと盛り上げていきたいという気持ちもあり。今後、この私の公園の中でお悩み相談みたいなものもお答えするみたいなこともやっていきたいなと思っています。
足場っていうのはね、通話で僕と一対一でその悩み事、困り事について一緒におしゃべりする、お話しするっていうサービスなんですけど。ちょっと話すほどじゃないなとか、有料なのはちょっとお金払ってまでやりたくないなとか、もしくはちょっとどんな感じで相談になるのかが不安だから相談しづらいとか、いろいろハードルがあると思うんですよね。なのでもっとその手前でも、何かお悩みに寄り添えたらというところで、概要欄の方にお便りフォームを作っています。お便りフォームって言っても、別に番組の感想を書くフォームではないんですけど、そのお便りフォームは何か相談事とか困り事を書いていただくようなフォームになっています。
そこで送信していただけたら、存在としての公園の中で可能な限り一生懸命考えて回答させていただけたらと思います。匿名でのご相談も大歓迎ですので、もし何か僕の意見聞いてみたいなと思うことがあればフォームから送信いただけたらと思います。個人のお悩みの相談でもいいし、社会のこういう問題について自分はこう思っているんだけど、あなたはどう思いますかみたいな質問でもいいし、自由にお書きいただけたら、可能な限りここでお答えしていけたらと思っています。ぜひ概要欄のお便りフォームからお送りいただけると幸いでございます。
存在としての公園のポッドキャストも、中身がちょっとずつ変わっていったりするかなとも思いますんで。ギターを弾きながらたわいもない話をする回ももちろん続けていきたいですし、いろんな面をこの存在としての公園の中でも出していけたらいいかなと思っています。本日は以上です。公園活動を応援してくださる方は、ぜひメンバーシップ、存在としての公園にご登録いただけると嬉しいです。それではまた。ご視聴ありがとうございました。